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【15-02】エキストラたちの「抗日ドラマ」

2015年 8月11日

青樹 明子

青樹 明子(あおき あきこ)氏:
ノンフィクション作家、中国ラジオ番組プロデューサー

略歴

早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中

主な著作

「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」 

 ハリウッドといえば、映画の聖地、中心地である。芝居はもちろん、ダンスや音楽などのパフォーマンス全般においても最前線の街と言ってよく、観光地であると同時に、世界中から映画スターを夢見る若者が、この地を目指してやってくる。アメリカンドリームに最も近い場所のひとつ、それがハリウッドである。

 さて、このハリウッド、アメリカだけではない、似たようなものが中国にもある。中国最大の映画村「横店映画村(横店影視城)」がそれで、別名「東洋のハリウッド」と称されている。

 中国エンターテインメント界で成功すると、それこそ巨万の富を得ることができる。フランスのフィガロ誌の報道によると、中華圏を代表するスター、ジャッキー・チェンさんは、2014年の年収が5000万米ドル、3,1億人民元(約62億円)だったそうである。ということで、第二のジャッキー・チェンを目指して、若者たちは東洋のハリウッドへと向かう。

 チャイナドリームがある(かもしれない)、と信じられている「横店映画村」は、上海からおよそ260キロ、浙江省・東陽市横店鎮というところにある。1996年に30億元もの資金を投じて建設された、巨大な面積を誇る大撮影所である。時代劇のロケ地としてスタートしたので、秦、明、清など各時代の王宮のセットが、それぞれの地区を形成している。日本でも公開された「英雄(HERO)」(張芸謀監督)、「PROMISE 無極」(陳凱歌監督)などの大作映画、「宮廷女官ジャグギ」(歩歩惊心)、「宮廷の諍い女」(甄嬛伝)等の大ヒットしたテレビドラマも、すべてここで撮影されている。

写真1

写真1 観光客が多く訪れる横店映画村

 撮影所兼アミューズメントパークとして人気の観光地となった横店撮影所であるが、近年では中国メディアによって、もうひとつの名前が付け加えられた。「抗日ドラマ製造基地」である。抗日ドラマ黄金期だった2012年だけでも、48作品の抗日ドラマが、横店で制作され、中国全土のテレビ局で放送された。

 近年ではすっかりエンターテインメント化された抗日ドラマは、2013年に当局の規制を受けて制作本数は減少したが、「抗日戦争と反ファシズム戦争勝利70周年」の今年、再び増加傾向を見せている。横店も大忙しで、俳優をしている私の友人たちも、一年の大部分を、この横店で過ごすこととなった。

 横店はまさに、映画人たちの街なのである。

 さて、この横店には、2年、3年と、比較的長いスパンで住んでいる若者たちがいる。中国全土から集まった俳優志望の青少年たちだ。彼らは、群衆演員、もしくは特約演員と呼ばれ、エキストラやスタントマンをしながら、チャイナドリームを信じ、明日のジャッキー・チェンを夢見ているのである。

 エキストラというのは、通行人や群衆などを演じる人々のことで、セリフはなくても、映像作品には、必要不可欠の役柄である。私も学生時代に、アルバイトで一度だけ経験したことがあるが、待ち時間ばかり多くて、けっこうきつい仕事だった。デパートの洋服売り場のほうがまだラクだなと思ったので、一度だけでやめてしまった。

 では、中国芸能界におけるエキストラというのはどういう仕事なのだろうか。エキストラの先輩が、エキストラ志願者に送ったメッセージがある。

 「この仕事について、簡単に教えてあげるよ。男女問わず、年齢は0歳から99歳まで可だね。体重は無制限だけど、最低限衣裳が着られる身体であれば問題ない。時々、監督が特別な要求を出すことがあるから、条件に合っていれば優先的に採用されるよ。特に太っていること、特に痩せていること、特に醜いこと、特に汚い感じであること…等々だね。

 髪は黒くなきゃだめだよ。男の場合は、剃っていたほうがなおいいね。最近は、清朝時代のドラマが多いからね。ほら、みんな辮髪だろ? 女性は黒髪でなきゃだめだよ。しかも長ければ長いほどいい。顔も可愛ければ可愛いほどいいし、背も高ければ高いほどいい。日給は最低40元(約800円)からだね。

 考えてごらん、あのチャウ・シンチー(周星馳)が、今一日いくらのお金を稼いでいるか。彼だってエキストラ出身なんだよ。僕たちだって、夢じゃないさ!」

 このように、スターを夢見て横店にやってくる若者たち。彼らはその後まもなく、過酷な現実を知ることとなる。

 横店に登録するエキストラたちが、必ず経験することは、抗日ドラマでの日本兵役、つまり日本鬼子を演じることだ。

 抗日ドラマの日本兵、それは、スターを夢見る青年たちの理想をひとつずつ叩き潰していくのである。

 横店に登録している俳優の卵たちは、2012年で約30万人だったというが、そのうちの60%が、「日本鬼子」役を演じている。当時、横店のコミュニティサイトでは、「今日は三百ほどの鬼子が殺された」などという書き込みで溢れるようになった。

 なかでもカリスマ・日本兵エキストラといわれる史中鵬は、河南省出身の二十代後半の若者である。彼は、日本兵役に選ばれることへの圧倒的な自信を持つ。

「オーディションなんか、毎回楽勝さ。日本兵を演じてみろと言われるだろ?さっと猫背になって目をキョロキョロさせて、落ち着かない様子を見せるんだ。獲物はないかって探す感じだね。これでオーディションは即刻パスさ」

 日本兵の獲物とはもちろん八路軍(人民解放軍の前身。中国建国の英雄たちとされる)だ。憎い奴らを見つけたらすぐさま攻撃して、叩きのめさなければならない。史中鵬は日本兵役をかなり凶悪に演じているつもりだったが、監督からは常にこう要求される。

「もっと凶暴で、下品で、卑しくしたまえ」

 監督の演技指導に応え、史中鵬は、ますます残虐性を強調させていく。監督は彼の演技におおいに満足し、史中鵬の仕事は途切れることがない。(2013年4月1日 矢野浩二与冢越博隆讲述饰演日本“鬼子”的那些事 芒果TV)

 ネットコラムニスト・呉海雲氏によると、抗日ドラマにおけるステレオタイプの日本人像は「背が低く、醜い顔つきで、特に目つきが悪い。表面はいばり散らしているが、内面はとても臆病、知能程度は低く、いつも女はどこだと叫んでいる」。

 喜劇に近く、邪悪そのもの。それが「日本鬼子」である。

 日本鬼子役をこなして3年以上。史中鵬は、ベテランのエキストラ俳優の域に達していた。一日の報酬は80元(約1600円)。登録仲間と比べて悪くない。

 しかし、日本兵役を演じるのは、心身ともにかなり疲れる。何故ならほとんどが、必ず最後は死ぬからだ。

「死に方はすごいよ。銃で撃たれる、刀で突かれる、爆弾で吹き飛ばされる。俺は平均して、一年に二百回以上死んでいるね」

 史中鵬は死に方が恰好がいいと好評で、多いときは一日に8回死ぬシーンを撮ったことがあるという。

 このエピソードが、中央電視台で紹介されるやいなや、史中鵬は「一日に八回死んだ男」「死に方がキレイでかっこいい日本兵役エキストラ」として、ネットで名を馳せた。

 林洋は、戦争ドラマが大好きだった。戦争ドラマに出演したいという希望を胸に抱き、3000元(約6万円)を懐にして、2009年19歳の時に横店撮影所にやってきた。

 戦争ドラマに出たいという彼の夢はかなかった。しかし現実は、彼がイメージしていたものとは、だいぶ事情が違う。

 憧れの拳銃は持てた。しかし、それは木製のおもちゃだった。

 刀も振り回した。しかし、それはプラスチック製のおもちゃだった。

 夢にまで見た戦争シーンにも出演した。しかし、彼の役は塹壕シーンで主演俳優の後ろに立つだけの兵士、もしくは戦闘シーンでの死体役である。

 死体役は実に難儀である。ある時は、同じ死体役が7、8人、彼の上に覆い被さり、最下層にいた彼は、息も出来ずに本当に死にそうになった。また、別のある時は、泥水のなかに十時間ほど浸かってなければならなかった。泥水のなかで死体役は動かず、じっとしていなければならない。最も憤慨したのは、地面に転がる死体役の林洋を、主役準主役たちが踏みつけて駆け抜けていったシーンである。林洋の心は萎えた。

 そんな彼にも気分が晴れる役が来た。日中戦争時の農民役で、機関銃を撃ち放つ日本兵に、鍬と鋤で対抗する英雄である。ひと言与えられたセリフが気に入った。

 「お前たちに中国人の気骨を見せてやる!」

 これこそが俺のやりたかった仕事だ。林洋は晴れがましい気分を味わった。

 しかし次の作品では、再び死体役に戻った。爆弾を破裂させた後の煙が蔓延するなか、彼はまたもや泥に浸かっていた。口の中は、土と砂でいっぱいになった。ちなみに、この疲れる仕事の報酬は、やはり一日40元(約800円)である。

 林洋は嫌になった。そして、2013年末、彼は横店を去った。ここは長くいるところではない。

 「俺たちは、(撮影という)戦争に無理やり駆り出された兵士のようだったね」

 范景涛は、スタントマンの仕事を約十年続けている。危険な仕事なので、日給は一日200元(約4000円)、エキストラに比べ悪い金額ではないが、一日に平均して二十回は死ななければならない。弓に射抜かれて、荒野を転げまわった後死ぬ。ピストルで撃たれて、二メートル吹き飛ばされた後死ぬ。大砲で撃たれて、機関銃で撃たれて死ぬ…。ひどい時は、爆発地点に直接立つよう命じられたこともある。身体に火傷の跡が、二十を数えたこともあった。

 血のりはコンドームを使う。全身が血にまみれて死ぬシーンの後、彼の顔も、口のなかも、コンドームの破片でいっぱいになった。

 横店に登録する男優の数は女優に比べて少ないので、范景涛は忙しい。

 八路軍兵士役の范景涛が爆死した対面の陣地では、日本兵役の范景涛がいるという、非現実的なことだって、日常茶飯事だ。

 こうした過酷な撮影は、スタントマンやエキストラばかりではない。ジャッキー・チェンもチャウ・シンチー(周星馳)も、スタントマンに任せず自分で危険な演技をこなす。中国映画では、俳優も命がけとなる。

 さてカリスマ日本兵エキストラの史中鵬は、抗日ドラマ黄金期の2013年、横店撮影所を去って行った。「もう日本兵役を演じるのは嫌になった」からである。

 「やるのなら八路軍の兵士役をやりたい。何故だって? 簡単さ。日本兵と違って、八路軍は正義だからね」(2013年4月5日放送《中国夢想秀》)

 撮影所というのは、実に不思議な場所である。夢と現実が混在し、ファンタジーもあれば悪夢もある。横店撮影所で日本鬼子を演じた中国の若者たちは、そこで何を感じ、何を学んでいくのだろうか。

 チャイナドリームを見つめながら、日本鬼子を演じ続ける若者たち。その先に、抗日ドラマが創り出す「反日感情」の蔓延があるのだとしたら、実に哀しい夢である。

※参考:2013/03/07<南方周末>