青樹明子の中国ヒューマンウォッチ
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【16-01】中国男子に割り勘なし

2016年 4月28日

青樹 明子

青樹 明子(あおき あきこ)氏:
ノンフィクション作家、中国ラジオ番組プロデューサー

略歴

早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中
近著に『中国人の頭の中』(新潮新書)

主な著作

「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」 

 長きに渡って、中国人向けに「クールジャパン」を紹介するラジオ番組を制作してきた。特に、最大の願望だったリスナーが100%中国人というラジオ局において、日本語放送が実現出来たことは、私の生涯の誇りである。

 さてその、中国でも屈指のメディア、北京人民ラジオ局では、毎年春節になると、<春節特別番組コンクール>が催される。コンクールに入賞すると、春節期間中、北京人民ラジオの各チャンネルで、入選作品が放送されるのである。

 私たち日本語放送チームも毎年コンクールに参加していて、何度か入賞させていただいた。特に印象深かったのは、<酷爱中国>シリーズである。クールジャパンの反対、クールチャイナは何かということで、中国在住の日本人に、「中国のここがクール」というのを取材し、何人かのゲストをスタジオにお招きして、色々披露していただいた。

 中国滞在の長い日本人、何を「クールチャイナ」と捉えたかというと、実に様々である。

「中国式ファストフードは、速くて、おいしくて、安い」「四川火鍋が好きだ」「街では世界中の車が見られる」「家族を大事にする風潮が好き」「地面に水を使って書道をする。実にクール」等々。

 なかでも、おおいに賛同したのは、ある女性がクールチャイナにあげた、「中国人の男性は女性にお金を払わせない」ことである。

 中国生活十数年。私も中国人の男性には、ご馳走になり続け、そのたびに「女であることの幸せ」を噛みしめたものだった。

 ある日、友人たちと食事をした。メンバーは、中国人の男性と、中国人の女性、そして日本人女性が二人である。食事が終わると、日本人二人はバッグをごそごそ探りながら、お財布を取り出そうとする。

「割ってね」

「割り勘にしましょう」

 日本ではごく普通に見られる光景である。

 しかし中国は違う。中国の男子漢、彼らの辞書に「割り勘」などという単語はない。会計をすませた友人は、さも可笑しそうに言う。

「日本人は一応動作をするんだよね、私も払いますって。(中国人の)彼女を見てごらん。平然と座っているよ。男が払って当然って顔している」

 女性の辞書にも、割り勘の文字はないようだ。

 別のある日、東京から私の家族が北京に来るというので、友人夫婦が車を出してくれ、空港まで迎えに行ってくれた。しかし早く着きすぎたので、空港のスタバで待つことになった。

 私の家族を迎えに来てくれたのだから、コーヒー代は私が持つのが当然、と日本人の私は考える。

「コーヒー代、私が払うわ!」

すると、友人の妻が私の腕を取って、「何故?」と不思議そうに聞く。「彼が払うのが当然でしょ。彼は男なんだから」

 そうか、男性が払うのが当然なんだ!

それからは私も楽になった。よし、男性にはご馳走になろう。

 慣れてくるのは恐ろしい。今では私も、男性が支払ってくれるのを、涼しい顔で見ていられるようになった。お財布に触らなくてもいいとは、なんと快適なことだろう。

 大学の後輩で年下の友人の例。北京在住の彼女は、自分で仕事の道を切り開き、独立独歩、立派に女の人生を生きている。

「先日中国人の男性数人と食事した時、お会計時にお約束の伝票の取り合いが始まったんです。私も一応それに参戦したんですね。

『私が払う、私が払う!一番年長だし!』って。そしたら男性達ピタッと止まりまして、

『あのね、ここでは君が一番支払いをしちゃいけない人なんだよ。女性なんだから』と。

 中国人男性のこういうところは日本人男性も少し見習うほうがいいと思いますね」

 異論はあると思うけれど、中国に長く住んだ日本人女性の一人として、まずは同感。日本人女性が、中国人男性の「割り勘無し精神」に触れると「クールだ!」と感じるのもうなづける。

 

 これは男性対女性に限ったことではない。

 長く中国に暮らしたが、中国人同士の食事会で彼らが割り勘にしている光景は、あまり見たことがない。会計の時になると、誰かがさっと伝票を手にしていく。それを周りが自然に受け入れる。次の集まりでは、他の誰かが支払いをする。これは別に細かい取り決めがあるわけではない。暗黙の了解で行われる。ここでいつも奢られているようでは、(女性を除く)「ケチ」のレッテルを貼られ、友人の輪から除外されてしまう。

 中国人に聞くと、「女友達同士でも割り勘にはしない」という。つまり、貸し借りすれば次回また会うきっかけができる。前回ご馳走になったから、今度は私が、ということになり、こうして人間関係が続いていくのだそうだ。

 

 持ち回り会計制度、しかし最近では、変化の兆しが見られるのも否めない。

 大きな話題となったのは、今年の春節である。

 中国では春節、旧正月を迎える前日の夜(大晦日である)、一族が集まって食事をする習慣がある。以前は両親の家に集まって、大晦日の特別番組を見ながら食事をしたものだが、最近ではレストランを使うことも多い。

その食事が悩みのタネだと語る人たちが現れた。

 2016年1月23日、中国新聞網は「親戚一同が集まる大晦日の食事会、割り勘導入で心に亀裂」という記事を掲載した。「割り勘では情がない」ということらしい。

 詳細はこうだ。

 武漢の李一族は総勢20人以上を数える。毎年大晦日の夜は、一同が集まってレストランで食事会をするのが慣例だった。一年で最も楽しい時間である。

さてこの食事会、例年では三姉妹が毎年交代で費用を持つことになっていた。去年は長女家が払ったとしたら、今年は次女、来年は三女、というように、輪番で主人役をするという、中国の伝統的な支払い方法である。

 しかし2016年の春節前、今年の当番だった次女がそれぞれの家に電話を入れ、会場と時間を伝えた後に、こう告げたという。「今年から各自割り勘にしましょう」

 次女の家は、三人のなかで最も裕福なのだそうである。

 言われてみれば昨年の食事会の席上、「これからは割り勘でいきましょう」と次女が提案したが、ジョークだと思った一族たちは「そうだそうだ、それがいい」と笑いながら賛成したようだ。まさか本当にそうするなんて、誰も思わなかったからだ。

 問題の大晦日、一族は例年の通り、楽しく食事し、おおいに笑い、新年の幸福を願い合った。しかし最後に「一人につき100元」と告げられ、会費を支払わされた後、それまでとは一転して固い表情となり、みんな胸にもやもやしたものを抱えながら解散したという。

 親族の間で割り勘にするなんて、人情も何もあったもんじゃない!と考えたのである。

 この話が報じられると、中国の人々の間で、改めて「割り勘は是か非か」という問題で盛り上がりを見せた。

 年配者は圧倒的に持ち回り精算派で、若者たちは「割り勘も透明性があっていい」などと支持を表明した。しかしながら、割り勘はやはり人情味に欠けるというのは認めている。反対派も支持派も、割り勘はすっきりしているけど、親しみが持てないやり方だと感じているのだ。そして人情第一という中国人のやり方には合わないという意見が圧倒的である。

 

 さて、アジアでは割り勘導入先進国の日本だが、近年、そんな割り勘習慣にも、疑問を投げかける声がある。

 日本での割り勘は、友人同士であれば、1円単位まで、きちんと割るのが一般的である。しかし、その均等割りに、「はてな?」マークをつけるケースが出始めた。大酒のみと下戸が食事する時である。

 某二十代後半の女性――。

「私はお酒が飲めません。ある時、女性の友人四人で食事したとき、他の三人はワインをボトルで注文していました。飲みながら友人たちは、今日は割り勘だからねと言います。とても不公平な感じがして、私から食事に誘うことはなくなりました」

 こちらは三十代女性――。

「私は飲んでもせいぜいビール一杯なの。でもお酒好きな男性の場合、ビールはジョッキで3杯以上、そのうえ紹興酒を何本も注文したりするでしょ。でも、最後は同額で割り勘なの。男のくせにケチ!って思っちゃう」

 なるほど。

 もともと、割り勘というのは、平等精神から出たものだった気がする。しかし、習慣が浸透した今、日本では新たな「不平等感」が出ているようだ。

 大酒飲みと下戸の平等割り勘から来る不公平感に合わせて、収入格差から来る不平等感もある。

 これも友人の話。

「大企業の男性社員たちと食事したとき、普通に割り勘にされて、なんか納得がいきませんでした。私は彼らに比べて、うんとお給料少ないし、彼らは社宅だから家賃は安いけど、私は100%自分のお金で安いアパートに住んでいる。

それだけ格差があるのに、割り勘はないでしょって思います」

 ひとつだけお給料が高い男性サラリーマンの援護をすると、彼らは彼らなりに、女性の立場を思って、割り勘にしている側面もある。割り勘にするのは、自立している女性に対するレスペクトなのだそうだ。

 つまり――、

「女性だからって、いつも奢られるのは抵抗があるでしょ。2000円でも3000円でも、負担したほうが気持ちがラクなんじゃないかと思って」

 ということのようである。女性側が、ありがたい気遣いとわかるかどうか、かなり微妙である。

 

 中国人の目に映る日本人は、ケチか倹約家か、微妙なところである。

 立派ななりをしたビジネスマン、そしてブランドのバッグを持つような裕福そうな奥さまたち、それぞれ食事の後で、小銭に至るまできちんと割っている姿は、中国人にとって大層不思議な光景である。

 そして中国人にとって、日本人男性のケチ伝説というのは、枚挙にいとまがない。

 世界的に有名なグローバル企業の中国駐在員。打ち合わせに現地採用の中国人女性と出かけた際、乗ったタクシー料金は14元。後で彼女に、「きみの分は7元ね」と要求したのだそうだ。

 会社での飲み会。某課長は、会社の経費で落とすにもかかわらず、みんなから200元ずつ徴収したという。

 ……。

 これらの話は、中国人スタッフの間で伝説と化す。7元で名誉を失うのは、実に残念である。

 

 さて話は戻って、割り勘論―。

 割り勘と人情の関係性は、私は中国に来て知ったが、持ち回り制は確かに悪くない。ご馳走になったらやはり感謝するし、次は自分がご馳走しようと思うから、関係性は長く続く。

 もちろん、最も魅力的なのは、女性がお財布に触れなくてもいいという「中国式」やり方であるけれど。