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【07-101】中国の人口圧力とグローバルネットワーク戦略

2006年12月20日

寺岡 伸章(中国総合研究センター シニアフェロー、在北京)

 最初に、中国での研修旅行を終えた東京工業大学の学生の感想文を引用しよう。

 「例えば、デジタルカメラについてだが、中国TCL製のカメラは品質が極めて悪かった。異常にぶれに弱く、フラッシュをたくのに時間がかかりすぎ、またフラッシュとシャッターの同期が取れていないために暗所の撮影にいつも失敗してしまうといった具合だ。日本製のデジカメと比べると、あまりにお粗末な出来である。デジカメのような製品では、個々の部品に高い性能が求められるのはもちろんのこと、部品間のすりあわせが非常に重要であり、職人気質で製品を作りこむ風潮がある日本のメーカーの製品にはなかなか勝てないのである。

 一時期、安価な中国製品に日本製品が駆逐されるという中国脅威論が登場したが、ハイテク製品に関してはまさに杞憂であるといえる。長期的に見て、中国の電気メーカーが今よりもずっと高い技術力を持つようになることは自明だが、その間も日本メーカーが不断の努力を続けていれば、今後も高い国際競争力を保ち続けることができるであろう。また、日本の人口が今後減ることや、中国自体が単なる安価な労働力の供給地から巨大な消費市場へと転換しつつあることなどによって、日本企業の中国展開がより活発になるだろう。その際、いかに優秀な中国人技術士を沢山集められるかが重要となる。現状では、日本メーカーは彼らを安価に雇っているそうだが、いつまでも低賃金で働かせるようなことをしていたら、他の外資企業に優秀な人材をとられかねない。賃金面での待遇改善は急務であるといえる。」

 優等生の感想文である。日本は今までどおり不断の技術開発努力を続けていけば、高い国際競争力を維持できるから大丈夫だという意見は、日本人の大多数が持っている。過去はうまくいった。だから現在のシステムを生かし続けることができれば、将来も安心だ。ただ、この主張が正しいのは、ゲームのルールが変わらなければということを前提としている。確かに、日本企業は強力な自主研究開発能力を社内に擁している。しかし、新しいイノベーションは異なる研究分野の交流から生まれるというふうに、世界のイノベーションのルールが変貌してきているのではなかろうか。日本企業が社内の異分野交流を熱心に始めたのにはそのような背景がある。一方、サンマイクロシステムズやサムソンは日本の得意とするやり方では、戦おうとしていない。追う者は異なる土俵で戦う方がいいにきまっている。むしろ、オープンイノベーションシステムとも呼べるやり方で企業の発展戦略を図っているように見える。企業買収、異業種企業との連携等はその手法である。

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 では、中国の戦略に目を向けてみよう。

 中国国内の科学技術力はまだ日本に及ばないかもしれないが、米国のシリコンバレーで活躍する新華僑など世界の華人研究者ネットワークまで広げると、日本よりも技術レベルが低いかどうか判断するのが難しくなる。国内の研究活動のみで国際比較するのは古い発想であろう。今や、インターネットの時代で、情報が世界中を駆け巡っている。研究活動においても研究者や技術者やマネージャーのネットワークを介して競争と協調が繰り広げられている。日本国内の中国人留学生は大学や研究所別に中国人ネットワークを形成していて、その数は6万人まで達している。ネットワーク形成は中国人の得意とするものだ。

 台湾省の技術力が70年代後半以降向上したのは、米国の不況によって台湾研究者がクビになり、先端技術を持って台湾に帰国し始めたからだ。でも、彼らは米国に残った華人との人的ネットワークを維持したのがよかった。台湾と米国の間で技術移転や業務分担が進展するという新しいビジネスモデルが形成されたのだった。

 海外で活躍する華人は、毎年北京や広州などに集い、最新情報の交換を行っているし、共産党や政府の幹部も出席し、世界の先端技術動向を熱心に聴いている。このような形で、中国政府は、世界の科学技術情報を入手している。華人ネットワークについて日本では、余り高く評価されていないように思えるが、もっと目を大きく広げるべきだ。

 中国では日本人が考える以上のスピードで情報公開が進んでいる。国家の重要な政策決定に直接かかわる問題を政府高官や国内外の華人学者が議論するということも始まっている。もはや新政策を政府幹部に訴えるだけでは実現できず、世論に訴えて世論の力で政策を実現するという手法をとるようにも変貌しつつある。他の先進国と大差ないとも言える。中国の改革開放政策を実現してきたハイテク開発区は時代の役割を終えた。土地値上げ、農民からの土地収奪、乱開発、無謀な融資等悪い点ばかりが目立つようになってきている。もう止めるべきだという意見さえも出てきている。

 米国の科学研究は中国人がいないと成り立たないほど中国人に依存している。ライフサイエンス等の先端分野でさえも、中国人の名前がない論文を探すのさえ困難になりつつある。また、研究分野にもよるが、中国国内の科学研究も世界的レベルまで到達しているものが急速に増加している。海外留学組が大陸に帰国し始めたことが効き始めているが、それとともに米国で活躍しつつ本国と緊密な連絡をとりつつ研究を推進するというネットワーク化が定着しつつある。

 中国のエリートは、米国の戦略や日本の長所や欠点などをよく知っているように思える。米国は移民国家という特徴を生かして世界から優秀な人材の集積を果たし、基軸通貨としてのドルを最大限に活用し世界の富の収奪メカニズムを形成してきた。日本は、米国の言うままに戦争経費を負担せざるを得ず、また米国の国債を買い続けざるを得ないメカニズムに組み込まれているのである。米国は国内でものづくりができなくても3億の国民を食べさせていけるのだ。

 一方、中国は重荷である過剰人口をプラスに転化できないかと戦略を立てているのではなかろうか。ローテク、ハイテク、管理者等をセットで海外に輸出し、当地で華人ネットワークを発展させつつ富を吸収している。国内では、少数民族地域に漢民族を半強制的に移住させ、人口の数で民意を左右しようとしてきた。今やひとの頭の数は有力な戦略資源である。今まで重荷だった過剰人口を逆に利用して、海外に圧力をかけていくのは中国にしかできない手法である。

 では、頭脳の方はどうだろうか。開放改革政策以来、中国は90万人の留学生を海外に派遣したが、20万人の人材しか帰国していない。優秀な人材ほど帰国せずに海外の研究機関に留まっているとも聞く。この状況をどう評価するかは難しい。頭脳流出ともいえるかも知れないし、米国や日本で活躍しつつ本国とのネットワーク形成の重要な役割を演じているとも言えよう。

 最近、中国政府は新しい人材政策を打ち出した。111計画と呼ばれるもので、世界のトップ100の大学や研究所から優秀な研究者1000人を中国の国内の大学や研究所に招聘し、中国国内に世界レベルの100の中核的研究機関を育成しようというものである。海外の学者には、少なくとも1ヶ月以上滞在してもらい、講義や実験の指導をお願いしようというものだ。世界の最高の知識や技術をすばやく吸収しようという狙いが見える。

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 さらに、トップ30程度の大学や研究機関の研究者5000人を毎年海外の優れた研究機関に派遣しようという計画も動き始めている。派遣者には生活費として毎月1100ドルを支給すると言う。物価高の日本での生活は苦しいかも知れないが、使命感に燃える若者であれば喜んで任地に赴くのではなかろうか。この政策で知識や技術の習得のみならず、世界との国際交流を一層活発にしようというのである。大学の研究者は留学生と違い、既にポストを得ているため、1年後には100%のひとが貴重な知識を得て帰ってくる。80年代の留学生政策に次ぐ、第二次の人材海外派遣キャンペーンと呼んでもいいかも知れない。

 中国は2020年までの中長期科学技術開発計画を発表しているが、キーワードは創新(イノベーション)である。中国政府の意味する「創新」の実像が次第に明らかになりつつある。06年12月、OECDが発表したデータによると、中国の研究費は購買力平価換算値で既に日本を抜き、米国に次いで世界第二位になった。加えて、研究者の海外との往来を活発にし、全球規模で華人ネットワークを形成している姿が眼に映る。日本を都会の金持ちの家育ちの青白き顔の秀才に喩えるとすると、中国は田舎での粗野でやたらと元気のよい活力に満ちた若者のように見える。その若者が将来大物になるのか、凡人で終わるのかは予断を許さないが、クラスの中で次第に注目を集めつつあるのは確かである。

 日本は謙虚になって中国の政策を学習し、必要なものは素直に取り入れるべきである。