【07-002】中国学生の海外留学と頭脳流出

2007年8月14日〈JST北京事務所快報〉 File No.07-002

 中国の新学期は9月からなので、夏の時期は、学生にとっては次のステップへ進む重要な時期である。海外へ留学することを希望した学生は、もう今頃は行き先も決まって、いそいそと準備をしている頃に違いない。中国では、海外留学は、多くの学生の中から選ばれた優秀な者だけが勝ち得る夢のチャンスであり、学生にとって憧れの的だった。今でも海外留学に憧れる学生は多いが、政府関係者にとっては、海外へ留学した学生がなかなか中国に戻ってこない、という「頭脳流出」の問題が頭の痛い問題となっている。

教育部の統計によると、1978年~2006年に外国に留学のため出国した学生は106.7万人であったのに対し、これまでに帰国した学生は27.5万人に過ぎない、とのことである。

(参考1)
ネット版中国政府ニュース「人民政府網」に転載された人民日報(海外版)記事:2007年5月28日
「『2007年海外留学生帰国就業斡旋会』が北京で開催された」
http://www.gov.cn/jrzg/2007-05/28/content_627665.htm

最近は、中国の経済発展につれ、中国国内で優秀な能力を発揮して起業して大きな収入を得ることも可能になったので、帰国する海外留学組の学生も年々多くなってきている。実際、上記の教育部の統計によれば、帰国した留学生の数は、2004年2.5万人、2005年3.5万人、2006年4.2万人と増加傾向にある。しかし、帰国する海外留学生の数が多くなるにつれ、彼らの就職難の問題も大きくなってきている。もちろん、留学で身につけた専門知識や語学力は大きな武器であるが、海外での生活習慣に慣れた彼らは、上海や北京など大都市で就職することを希望することが多いので、自ら起業するのでない限り、専門知識や語学力を最大限に発揮でき、かつ、働く場所が上海や北京などの都市部にある、という就職先を見つけることは意外に難しい。実際、上記の記事に載っている海外留学帰国組を対象にした就職斡旋会では、企業側から提示された月給が3,000元(約4万8,000円)だったことから、多くの帰国留学生からは落胆の声が挙がった、とのことである。

(参考2)人民日報2007年5月28日付け記事(情報源は「北京晨報」)
「海外留学帰国者の月給、たった三千元!」
http://edu.people.com.cn/GB/1053/5785057.html
※本件記事は、JSTディリーウォッチャーでも紹介済み

こうした中、この7月、人民日報と新華社通信で、現在の中国の経済状況を踏まえれば、現在では、大金を掛けて海外留学するのは必ずしも得ではなくなった、という趣旨の二つの論評が掲載された。

(参考3)人民日報「市場版」(マーケット・エディション)2007年7月 2日付け
「海外留学の前に:機会コストを計算してみる~キャリア・アップへの道~」
http://paper.people.com.cn/scb/html/2007-07/02/content_13400158.htm

(参考4)「新華社」ネット華人新聞2007年7月12日(南京日報からの転載)
「留学の現状:海外留学はこどもをダメにすることも。海外留学帰国組も楽じゃない」
http://news.xinhuanet.com/overseas/2007-07/12/content_6362532.htm

両方の論評ともに、海外留学には多額の費用が掛かるのに対し、留学帰国後、留学で身につけた専門知識を活かし、留学で掛かった費用に対応したそれなりの給与を与えてくれる就職先が中国国内には必ずしも多くはないことを指摘し、誰でも彼でも海外留学を目指そうとしている今の傾向に水を掛けようとしている。これらの論評の指摘によれば、最近は、金持ちの両親が子女を外国に私費留学させる例が増えたため、海外留学生の中には必ずしも優秀ではない学生も増え、「海外留学組はトップクラスの優秀な学生」というイメージが最近は崩れてきている、とのことである。企業の採用担当者もその傾向を反映し、採用に当たってはあくまで各個人の能力に基づいて判断する傾向が強まってきており、単に「海外留学を経験した」というだけでは就職において必ずしも有利になるとは限らない、とこの記事では指摘している。

人民日報は中国共産党の機関紙、新華社は国営の通信社であるので、これらの論評記事には、中国の学生の中にある「海外留学熱」に水を掛け、頭脳流出にブレーキを掛けたいと思っている中国政府の意向が反映されている、と考えることもできる。しかし、現在の中国においては、大学生の数、海外留学生の数の急激な増加に対して、中国国内における高学歴人材の需要の伸びが追いついていないのは事実であると思われる。

8月 6日、中国の大学卒業生の団体である中国交友会(英語名称:the China University Alumni Association)が「大学入試トップ通過者職業状況調査報告」というレポートを出した。これは文化大革命が終了し全国統一大学試験が復活した1977年から1998年までの大学試験トップ通過者(原則として各省・直轄市・自治区で文化系・理科系それぞれ1名ずつ:中国語で「状元(zhuangyuang)」という)のその後の就職状況を調査したものである。各省・直轄市・自治区の大学入試トップ通過者は、毎年地元のメディアに大きく取り上げられることが多いので、この報告は、多くの人の関心を呼んだようである。

(参考5)中国交友会ネット
「我が国最初の大学入試トップ通過者職業状況調査まとまる」
http://www.cuaa.net/cur/gkzyzydc/10.shtml

※「大学入試トップ通過者」を意味する中国語の「状元(zhuangyuan)」という言葉は、もともとは中国の歴代王朝が採用してきた官僚登用試験「科挙」をトップで通過した者を指す言葉。

この調査では、22年間の「大学入試トップ通過者」の約25%にあたる約350人について調査できたが、現在の職業まで確認できたのは134人(22年間の「大学入試トップ通過者」の約1割)だった。この調査結果によると、就職先などが確認できた134人の約40%が現在外国に居住している、とのことである。(このレポートの末尾には134人のリストが載っている。居住先不明の人もいるが、外国に居住している人の滞在先は、ほとんどがアメリカで、あとはシンガポールとヨーロッパが数名。日本はいない)。

この調査の中では、多くの「大学入試トップ通過者」は、大学卒業後、どのような職業についたかわからない、つまり有名大学教授や中国科学院の院士、著名な研究者、政治のリーダー等にはなっていないことから、大学以降の人材養成のあり方を強化すべきことを指摘している。「大学入試トップ通過者」のその後を追跡できた人のうち4割が海外で居住しているからといって、それが直ちに中国の頭脳流出を意味するわけではなく、その数字について議論することはあまり意味がない、という意見もある。しかし、「大学入試トップ通過者」は毎年地元メディアで大きく取り上げられることから、多くの人はこの報告を聞いて、なぜ大学入試の時にトップを取れる優秀な才能を持っている若者を中国国内で活躍する人材に育て上げられなかったのか、という無念の気持ちを持ったようである。

(参考6)「科学時報」2007年8月 7日付け記事
「初めての『中国大学入試トップ者職業状況調査報告』とりまとまる」
http://www.sciencetimes.com.cn/htmlnews/20078785019772186334.html?id=186334

この「科学時報」の記事では、中国における人材養成のあり方を考え直すべきである、と指摘している。

8月13日付けの全国版英字紙「チャイナ・ディリー」もこの報告を取り上げた。

(参考7)「チャイナ・ディリー」2007年8月13日付け記事
“40% top Chinese students choose to study abroad"
http://www.chinadaily.com.cn/china/2007-08/13/content_6023036.htm

この記事では、「政府は可能性のある学生を中国に呼び戻す方策をとるべき」との識者の発言を紹介するとともに、「大学入試は人生の中の数多くの試験のひとつであって、その人の将来を決めるものではない。メディアは大学入試トップ通過者を持ち上げすぎだ。」とする教育部担当者の発言も紹介している。

多くの新聞記事は、この「大学入試トップ通過者職業調査」は、追跡可能な人についてだけ調査を行ったものであり、統計的な意味を持たせることは正しくないと認識しつつも、中国における人材養成のあり方を問い直し、中国から外国への頭脳流出に対する懸念を議論するひとつのきっかけになる調査だった、と考えているようである。

優秀な人材が中国に定着しないひとつの理由としては、現在、中国は急激な経済発展を続けているものの、その経済発展の原動力は、労働集約型輸出産業の進展にあり、しかもその産業を支えているのは外国の技術と外国資本であって、優秀な中国人の人材が企業のマネジメントや研究開発の分野で力を発揮する場所が中国国内にまだ十分にできあがっていないためだ、と考えることができる。(財)日中経済協会発行の「中国経済データハンドブック2006」に掲載されている数字(出所は月刊「中国海関統計」)によれば、2005年の中国の輸出入のうちで外国と資本または技術の面で提携している企業(三資企業)の占める割合は、輸出で58.3%、輸入で58.7%である。この数字は2001年の数字(輸出:50.1%、輸入:51.7%)よりも増えており、外国系の企業の比重はむしろ高まる傾向にあることを示している。

※「三資企業」とは、「中外合資企業」「中外合作企業」「外商独資企業」の三つのこと。

一方、中国科学技術部の劉燕華副部長は、7月14日に北京で開催された第6回中国科学者フォーラムにおいて「中国の2.8万あまりの大中企業のうち、研究開発を行っているものは25%に留まり、75%はいまだ自主イノベーションのための機能を一切有していない。」と述べ、中国企業の研究開発能力を向上させることが重要であると指摘している。

(参考8)「サイエンス・ネット」2007年7月15日付け記事
「科学技術副部長、中国企業の技術イノベーション能力が依然として薄弱であると指摘」
http://www.sciencetimes.com.cn/htmlnews/200771511134453184516.html?id=184516
※本件記事は、JSTディリーウォッチャー:
http://crds.jst.go.jp/watcher/data/231-007.html
でも紹介済み

外国系企業の中には、中国国内に研究所を設立して、中国国内向け製品の研究開発を行ってきているところも増えてきているので、中国経済の中に占める外国系企業の割合が高いことが、中国の優秀な人材が中国国内で活躍する場が少ないことを意味するわけではないが、科学技術部の劉副部長が指摘しているように中国の民族系企業には中国人研究者が能力を発揮できる研究開発の場がまだあまり育っていないのは事実のようである。また、世界経済の中に占める中国経済の現在の「魅力」は、いまだに「大量にある安い労働力」であり、中国全体の経済活動が活発化している割には、比較的高い能力を持つ中国人人材が中国国内で活躍できる場はまだ意外に少ない。現在の中国の最も重要な政策目標は「大量にいる貧しい農民を豊かにすること」であるので、安い大量の労働力を活かした輸出産業を経済発展の中心に据え続けるという方針は当面は変えられないと考えられる。しかし、それだけでは海外留学組等の高い能力を持つ優秀な人材に対して国内での活躍の場を提供することができず、優秀な人材の海外への流出を防ぐことができないので、今後は、中国国内で幅広い研究活動を活発にするなど、優秀な人材が国内に戻ってくることに魅力を感じる場を数多く作って行くことが中国の科学技術政策にとって重要な課題になるだろう。

従来から、中国政府も中国国内での研究開発活動の活発化の重要性は認識しているものの、現在、まだそういった政策の成果が目に見えるところにまで至っていないことから、北京の大衆紙「新京報」は、中国交友会の「大学入試トップ通過者職業調査」の報告に関連して、次のような論評記事を書いている。

(参考9)「新京報」2007年8月 8日付け記事
「大学入試トップ通過者が海外へ流出することを愛国心と結び付けて議論してはならない」
http://comment.thebeijingnews.com/0733/2007/08-08/018@005307.htm

この新京報の論評記事では、グローバル化する世界においては、各個人は、自分の将来にとって最もよいと思われる選択をするものであり、優秀な人材の外国への出国を愛国心があるとかないとかいう問題と結びつけるべきではない、と述べている。この論評記事は、現在の中国政府の政策の現状に対して、「優秀な人材が国を愛するのか愛さないのか」の問題ではなく、「国が優秀な人材を愛するのか愛さないのか」の問題である、と鋭く注文を付けている。

中国人は、もともと、外国に居住している場合でも「中華街」を作るなど、自らの中華民族としての誇りと祖国への思いを熱く持ち続ける人たちである。だから、適切な処遇が得られる活躍の場が中国国内にできれば、頭脳流出の問題を心配する必要はなくなると考えられる。科学技術の分野における頭脳流出の問題は、愛国心の問題ではなく、留学生政策でもなく、結局は自国内においてどのように魅力的な科学技術活動を活発化させられるか、という自国内の科学技術政策の問題なのである。これは日本にも共通に当てはまる課題である。

日中関係に即して言えば、例えば、日本に留学した中国人学生が帰国してから日系企業が中国国内に設立した研究所で研究開発活動を行うようなケースが多くなれば、日中双方にとってプラスになると考えられることから、中国学生の海外留学に対する政策には、日本としても、今後とも注目していく必要があると考えられる。

(注:タイトルの「快報」は中国語では「新聞号外」「速報」の意味)

(JST北京事務所長 渡辺格 記)
※この文章の感想・意見に係る部分は、渡辺個人のものである。


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