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【07-010】労働契約法と企業の研究開発努力

2007年11月26日〈JST北京事務所快報〉 File No.07-010

 中国では、2008年1月 1日に労働契約法(中国語では「労働合同法」)が施行される。

(参考1)【JST北京事務所快報】第5号(2007年9月 5日)
中国の科学技術関連法律の最近の動向

 労働契約法は、雇用は明文化された雇用契約に基づいて行われなければならないこと、雇用契約は労働組合との話し合いに基づき決められなければならないこと、一定の条件を満たす労働者については本人が希望する場合には法定定年まで雇用関係が続く「期限なしの雇用契約」を結ばなければならないこと、一定の条件の下で本人の意志に反して雇用関係を終了する場合には一定の補償金を支払わなければならないこと、などが規定されている。この法律は、弱い立場にある労働者、特に期限付き雇用契約下にある労働者の保護を目的としたものである。

この法律は、他の国の労働者保護関連の法律と比して、必ずしも特段に企業側に対して厳しいというものではないと考えられるが、従来、農村部に過剰労働力がいくらでもあるという中国の労働事情と、農村からの出稼ぎ労働者が長期間働くことができない、という中国特有の戸籍制度を利用して、常に労働単価の安い若年労働者を契約終了時のトラブルを心配することなく期限付き雇用の形で採用し、「労働コストの低さ」を武器として国際マーケットで優位を占めてきた企業(外資系企業はもちろん中国国内企業も)は、この労働契約法に対してどう対応するか、という経営上の大きな挑戦に直面することになる。

今までの急速な中国の経済成長は、上記のような中国独特の労働事情と、沿岸地域の地方政府が農地を農民から買い上げて工業開発区を開発して広大な土地を安く提供してきたことにより、多くの外資系(香港系、マカオ系、台湾系を含む)の企業がこれらの沿岸地域に投資し、安くて大量に存在する労働力を活用して製品を生産して輸出することによってもたらされてきた。工業開発区の開発は、一面では、その地域の農地を減らし、農民を工場労働者に変える役割を果たしてきた。もともと内陸部の農村に存在していた過剰労働力と、農地が工業用地に変えられることによって新たに過剰になった沿岸地域の労働力が、結果的に「安い労働力の供給源」として中国製品の輸出を支え、中国の爆発的な経済成長を支えてきたのである。

従来から、中国の経済発展は、安くて大量にある労働力を活用した労働集約型産業だけに頼っていたのでは、いずれ限界が訪れるだろう、と言われてきた。労働力が安い、というだけなら、他のアジア・アフリカ諸国がいずれ追い付いて来るだろうと思われるからである。中国が長期的・安定的に経済成長を続けていくためには、内需を拡大するとともに、教育レベルが高いという利点を活かして知識集約型産業を振興し、内需と知識集約型産業による輸出との両方に立脚した経済構造にする必要がある、と考えられている。しかし、内需を拡大させるためには、中国国民の所得の向上が必要であり、それは労働賃金の上昇を意味している。これは、別の面から言えば、現時点での中国経済の「強み」を消滅させることを意味している。

労働契約法は、労働者保護のための法律であると同時に、中国経済を労働集約型産業に対する依存から脱却させるための法律という意味合いもある。労働契約法は、「安い労働力供給源がほとんど無尽蔵にある」という中国の労働環境を変化させ、企業が「労働集約型依存体質」から脱却せざるを得ない環境を作り出す可能性があるからである。この点を含めた様々な労働契約法を巡る問題について、11月11日付けの北京の大衆紙「新京報」は、国務院法制局「労働契約法(草案)」課題担当グループ長で中国人民大学労働関係研究所所長の常凱氏とのインタビュー解説記事を載せていている。
 

(参考2)「新京報」2007年11月11日付け記事「時事放談」
「企業が『期限なし契約』を回避することは割りに合わないことになる可能性がある」
~関係機関は年末までに「労働契約法」の実施細則と法律解釈を取りまとめる予定で、企業による「脱法的行為」は無意味になる~
http://www.thebeijingnews.com/comment/fangtan/1045/2007/11-11/018@034155.htm


この記事の中で、常凱氏は、この法律で「期限なし雇用契約」を導入するようにした目的は、企業経営に関する法律上の環境を変え、企業に近視眼的な利益追求や「池を干して魚を採る」ようなやり方を逐次放棄させ、研究開発とイノベーションの能力の向上を基本的な競争力の源泉にするよう企業の発展モデルを変化させることにある、と述べている。つまり、この法律は、基本的には労働者保護の法律であるけれども、法律草案作成者の意図としては、科学技術政策的な意味合いも含めて法律を作成した、ということである。

多くの企業の研究開発とイノベーションの能力が育つ前に労働コストを上げるような法律改正を行うことは、中国製品の国際市場での競争力の低下を招く可能性があるが、一方では法律面で労働者の保護を図る必要もあり、かつ、産業政策としてもいつまでも労働集約型産業にばかり依存しているわけにはいかない、といった中国の政策の舵取りの難しさがこの法律に出ているように思われる。いずれにせよ、常凱氏が言うように、2008年1月 1日の労働契約法の施行により、中国の企業にとって、外資系であるか、中国国内系であるかにかかわらず、研究開発とイノベーションの能力の重要性が非常に高くなるのは間違いないと思われる。

この労働契約法は、中国の労働環境を変えるばかりでなく、企業の研究開発やイノベーションに対する考え方も含めた経営のあり方を変え、中国経済全体を大きく変えるひとつのきっかけになる可能性がある。2008年は、北京オリンピックが開催される年として中国の経済・社会の発展史の中でエポック・メーキングな年になることは間違いないが、もしかすると、実はそのエポックは、現実的には、オリンピックよりもこの労働契約法によってもたらされることになるのかもしれない。

(注1)上記「新京報」の記事のサブ・タイトルは、労働契約法の規定の中に連続10年を超えて勤務している労働者が希望する場合には「期限なし雇用契約」を締結しなければならないという規定があることから、いくつかの企業で、法律施行前に労働者を一旦解雇し、一定期間後に再雇用して「連続10年」という条件を回避させようという動きが出ていることを踏まえ、そういった「脱法的行為」を無意味化する実施細則ないしは法律解釈を関係機関が考えていることを意味している。

(注2)中国の労働契約法に関する判断は、実際の法律の規定に則して、読者の責任において行っていただく必要があることを申し添える。

(注:タイトルの「快報」は中国語では「新聞号外」「速報」の意味)
(JST北京事務所長 渡辺格 記)
※この文章の感想・意見に係る部分は、渡辺個人のものである。