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【08-008】寧夏回族自治区の「退耕還林」プロジェクト

2008年9月18日〈JST北京事務所快報〉 File No.08-008

  9月11日~13日、島根大学・寧夏大学国際共同研究所の御協力により、寧夏回族自治区の南部にある黄土高原地帯(南部山区)、中部乾燥地帯(一部、甘粛省も含む)及び北東部荒漠地帯(注1)の状況を視察する機会を得たので報告する。

(注1)日本語では「砂漠」「砂漠化」という言い方が一般的であるが、気候が乾燥化し、植生が消滅した後の土地は、表面が砂で被われる場合もあるし、礫(れき=小石)や岩で被われる場合もある。中国語では「砂漠化」「石漠化」「礫漠化」などと区別して呼ばれることもあるが、これらを総称して「荒漠化」と呼ぶことから、ここでは「砂漠化」という言葉を使わずに「荒漠化」という言葉を使うこととする。

1.寧夏回族自治区の概要

 寧夏回族自治区は、中華人民共和国の成立(1949年10月1日)直後は、内モンゴル自治区と甘粛省に所属していた地域であったが、1958年10月25日にひとつの自治区として独立して成立したものである。面積は51,800平方キロ(日本の中国地方と四国地方とを合わせた程度の面積)であり、中国に5つある「省」と同じクラスの「自治区」の中では最も面積が小さい。その名が示すとおり、人口約600万人のうち回族(イスラム教を信仰する)が約3分の1を占めるなど、多くの少数民族が居住する地域である。年間降水量は160~400ミリ程度と全体的にかなり乾燥した気候である。海抜が1,090~2,000m程度とかなり高いので、冬は気温が下がり、年間平均気温は摂氏5~9度である。

寧夏回族自治区は、大きく分けると、黄河が南から北へ流れる西部地区、平原だが雨量が少ない中部乾燥地区、黄土高原の一部をなす南部山区の3つに分けられる。西部地区は降水量は少ないが比較的近くに黄河が流れているので、黄河の水により農作が可能で、水田による稲の栽培も行われている。中部乾燥地区は、降水量が少なく農作は難しいが、近年、黄河の水を人工的にポンプアップして灌漑(かんがい)を行う施設が整備されつつあり、トウモロコシ、アワ、ソバ、ジャガイモ、スイカ、一部では小麦などの栽培が行われている。南部山区は、寧夏回族自治区の中では比較的降水量が多く(ただし夏季に集中して降る)、谷間の地域では雨水をダムなどの貯水池に貯めることにより、トウモロコシ等の食糧や山アンズ、山モモ、クコなどやキノコ類の栽培が行われ、山の上には段々畑が切り開かれていて夏季の降雨に頼ったトウモロコシ、ソバ、豆類等の栽培が行われている。

中部乾燥地帯や南部山区の農地となっていない部分については、わずかな降水により草が生えるので、かつてはそれを利用したヒツジ等の放牧が行われてきたが、特にヒツジは草の根まで食い尽くしてしまうと言われており、ほとんどの平原地帯は家畜の放牧等により荒漠化してきた。現在の寧夏回族自治区西部の黄河沿岸地帯や中部乾燥地域の平原地帯はかつての西夏国(1038年~1227年:タングース系民族により成立した王朝。漢字を模して自ら考案した複雑な西夏文字で有名)の中心地で、当時はかなり広い範囲に樹木が生えており草原が広がっていた、と言われている。これらの地域が荒漠化したのは、樹木の伐採や放牧による牧草資源の枯渇など、人間活動に原因があるとも言われている。

2.南部山区の山間部における「退耕還林(草)」

 南部山区では、農民の生活を支えるため、長年に渡り、山の頂上付近まで林が伐採されて、段々畑が開墾されてきている。しかし、山全体を畑にしてしまう開墾の仕方は、急な斜面などでは表土を保持することを困難にした。このため林が伐採され開墾が進むに連れて、表土の流出量が多くなり、黄土高原の土地の変形と下流域への土砂の大量流出につながるようになった。このため、中国政府は、1990年代末から、山頂部分や表土の流出が著しい急斜面(具体的には傾斜25度以上)に作られた耕地については、耕地をやめ、そこに植林することにより、表土の流出を防ぐプロジェクトを始めた。これを「退耕還林」(牧草地に戻す場合には「退耕還草」)という。

寧夏回族自治区の南部山区にある山の上まで開墾された耕地  山頂部分が林に戻された様子

  耕地を林(または牧草地)に戻すことは、耕地に生活を頼っている農民の生活に大きな影響を与えることから、中国政府は下記のようにして「退耕還林(草)」プロジェクトを進めた。

  • 林(牧草地)に戻す耕地を持っていた農家(注2)に対しては、寧夏地方では1ムー(6.667アール)あたり年間100kg(現金換算で140元に相当)の食糧と現金20元を補助する(1元=約15円)。
  • 耕地は、牧草地、または山あんず、山もも、くるみなど実のなる木の林(これを「経済林」と呼ぶ)、または将来材木としても利用できるポプラなどの林(これを「生態林」と呼ぶ)に変える。牧草地、「経済林」、「生態林」の造成については、国が種苗と造林費を補助する(1ムーあたり50元)。上記の食糧と現金の補助は、牧草地については2年間、「経済林」については5年間、「生態林」については8年間継続する(注3)。その間、農家は牧草地や林の管理を担当する。補助期間終了後は、農家は、牧草や「経済林」でできた実を売ったり、「生態林」については木材として出荷したりして生計を立てるようにする。

(注2)社会主義体制下の中国では、耕地は公有(村の所有)であるが、1978年以降の「改革開放」の体制では、耕地は「公有」の原則の下、各農家に農作物の生産を請け負わせる形を取っている。従って、ここの部分は、正確には「林(牧草地)に戻す耕地を担当していた農家に対しては・・・」と表現する方が正しい。

(注3)上記の補助期間(牧草地は2年間、「経済林」は5年間、「生態林」は8年間)は短すぎる、という議論があり、現在、現地の状況を見ながら、その2倍(「経済林」は合計10年間、「生態林」は合計16年間)とするように運用がなされつつある。

3.南部山区の谷間部における貯水池(ダム)の設置と新しい農業への試み

 南部山区の谷間部は、周辺に降った雨が集まるので、これを利用することができる。1年のうちで雨が降るのは7月~9月頃の夏季であるので、これらの谷間の地帯ではダムを作って貯水することにより、農業を維持している。

南部山区の彭陽県の谷間にある貯水池用のダム
上記のような貯水池の水等を利用して、トウモロコシ、野菜や山あんず、山もも、クコなどの栽培が行われているほか、最近は、エリンギ、しいたけ、マッシュルーム等のキノコ類の生産が順調だとのことだった。

これらキノコ類の栽培は、福建省の技術者の指導により行われているもので、従来の樹木を菌床にするのではなく、トウモロコシの芯を細かく砕いて固めたものを菌床として利用する技術を採用してうまくいった、とのことであった。樹木の利用を抑制し、トウモロコシの芯という廃物を利用する合理的な方法である。中国では、豊かになった沿岸部の省が経済的に立ち後れた内陸部の省・自治区を支援する制度を導入しているが、寧夏回族自治区の支援を担当しているのが福建省なのだそうである。

なお、このトウモロコシの芯を細かく砕いて固めたものを菌床として利用する技術は、福建省の技術者が日本に留学した際に習得した技術だそうである。日本の技術が意外な場所で活用できることを示す例であり、今後の日中協力のあり方を考える上で参考となる実例であると感じた。

4.中部乾燥地帯及び南部山区における「禁牧」

羊などの家畜の「禁牧」等により草原が戻りつつある塩池県の荒漠平原地帯

 羊などの放牧がかつての草原地帯を荒漠化させたことから、寧夏回族自治区の多くの土地では、放牧が禁止されている(「禁牧措置」)。家畜の「禁牧」と砂等の移動の抑制や生えてきた草を適切に管理すること等により、例えば、北東部の塩池県においては、2000年以降、かなりの平原地帯に緑が戻ってきている。


 同じ場所の「定点観測」ではないが、以下の二つの新華社(寧夏支局)の記事の写真がこの地帯の最近の変化をよく表している。

(参考5)「新華社」寧夏支局2008年9月13日10:40アップ記事
「荒漠地を緑の地に変える」(緑化前の写真)
http://www.nx.xinhuanet.com/newscenter/2008-09/13/content_14393126.htm

(参考6)「新華社」寧夏支局2008年9月13日10:40アップ記事
「荒漠地を緑の地に変える」(緑化後の写真)
http://www.nx.xinhuanet.com/newscenter/2008-09/13/content_14393126_1.htm
羊の放牧が禁止されていない甘粛省側

 

 なお、こういった様々な試みは寧夏回族自治区が中国全体のモデルとして徹底して実施しているところである。隣の甘粛省では、こういった徹底した措置は取られておらず家畜の放牧も禁止されていない。


5.中部乾燥地帯における黄河水のポンプアップによる灌漑と「生態移民」

中部乾燥地帯は、黄河の水面より海抜がかなり高く地下水位も低く、南部山区に比べて降雨が少ないので、農作はかなり困難である。そこで、最近、中国政府は、黄河の水を人工的にポンプアップして灌漑(かんがい)する設備を整備しつつある。

黄河の水をポンプアップする施設と灌漑用水路  黄河の水をポンプアップした水により灌漑されているトウモロコシ畑

中部乾燥地帯(平原地帯)に建設中の「生態移民」のための住宅群 寧夏回族自治区内には、「退耕環林(草)」などのプロジェクトによっても貧困生活から脱出できない地域がまだ多く残っている。そのため、自治区政府では、中部乾燥地帯などこれまで耕作が困難だった地域に黄河の水をポンプアップして灌漑することにより新たに耕地を切り開き、そこに新しい農民の家を集中して建設し、道路、水道、電気などのインフラを整備して、貧困にあえぐ地域の農民を村ごと移住させるプロジェクトを進めている。これは山間部に多くの人間が住むことにより生活のために無理をして山間部の林を伐採して耕地を切り開くことによる表土の流出を防ぎ、生態系を守る意味もあることから「生態移民」と呼ばれている。


6.今回の寧夏回族自治区視察が示唆するもの

 島根大学・寧夏大学国際共同研究所は、1987年以来、島根大学と寧夏大学が協力して、上記に紹介したような寧夏回族自治区が農村の貧困克服と環境再生について行っている政策の実施状況とそれによる農村の変化等について、様々な角度からの研究を行っている。「退耕還林(草)」プロジェクト等による農民の生活の状況を明らかにする社会学的調査や羊の血液サンプル調査による放牧から家屋内飼育への移行による羊の成長への影響等など、その研究内容は幅広い。研究の幅が広いのは、寧夏において行われている政策が、農民の貧困状態からの脱出、という社会的現象と、荒漠化の防止(一歩進んで林や草原の復元)といった自然科学的手法によって明らかにされるべき現象とが密接に関連しているからである。

家畜の放牧の禁止や「生態移民」のような村全体の一括移転などは、従来の農民の生活習慣をガラリと変えてしまう相当に思い切った政策である。そういった思い切った政策を採らざるを得ないこの地域の自然環境の厳しさと農村の貧困の度合いには留意する必要がある。また、思い切った政策であるからこそ、その成果の科学的な検証が必要なのである。

工業部門と農業部門との格差、沿岸工業地帯と山間農村地帯との格差、労働力の山間部農村から沿岸工業地帯への流出といった社会問題は、程度の差こそあれ、中国ばかりではなく、日本や他の国とも共通する社会問題である。また、林や草原の荒漠化は、自然に対する人間活動と自然の気候変動の結果でもあるし、逆にこうした人間活動が林や草原の荒漠化を促進して黄砂現象や新たな気候変動の原因を作っているという面もある。これらの問題は、水循環、二酸化炭素循環、気候変動などの問題であり、もはや中国だけの問題ではなく、日本を含めたアジア全体、そして地球全体の問題でもある。

昨今の世界的な気候変動や極端気象現象の原因については、いろいろな説があるが、筆者は、

  • (1) 第四氷河期以降の中緯度地方全体の乾燥化(数千年オーダー)
  • (2) 産業革命以降の温室効果ガスの大量放出による温暖化(数百年オーダー)
  • (3) 急速な都市化(コンクリート化)による一部都市部のヒートアイランド現象(数十年オーダー)
の3つが重畳して起きているのではないかと考えている。

(1)の数千年オーダーの中緯度地方の乾燥化は、かつて緑の草原だったサハラ地域を荒漠化させ、それがナイル側地域への人口集中を産み、結果的に集中した人口を養うために農業が発明され、その農業には灌漑事業が必要となり、大規模な灌漑事業を行うために多くの人々を動員するための権力が生まれた。これらは、ナイル河だけでなく、黄河、インダス河、チグリス・ユーフラティス河の人類の四大文明発生の地に共通して言えることである。中緯度地方の乾燥化という自然現象が、「権力と支配」という人間にしかない社会構造を生んだ、とも言えるのである。

こういった人間活動と自然環境との相互関係に関する研究、具体的に言えば、シルクロードにおける桜蘭王国の滅亡は自然による乾燥化が原因なのか人間活動の結果なのか、西夏国の興隆とその後の歴史は人間活動と自然環境の変化との間にどのように関係していたのか、そして現代の「退耕還林」プロジェクトは人間社会と自然環境にどういった影響を与えるのか、といった研究は、おそらくは地球上における今後の人間の活動の方向性を考える上で、非常に重要なデータを提供してくれるものと思われる。こういった研究は、政治学、経済学、考古学、歴史学、生態学、気象学、生物学から人工衛星を使ったリモートセンシング画像解析に至るまで、あらゆる分野に係わる学際的研究が必要である。

「科学技術の国際協力」というと「ものづくり」などすぐに経済活動に結びつく特定の分野内での協力を思い浮かべやすいが、地球規模での「人類の将来」を考える場合には、こういった広い視野で学際的な分野における協力も重要であることに考える必要がある。今回のこの一文が、今後の日本と中国との科学技術分野での国際協力を考える上でのひとつの視点を提供することになれば幸いである。


 最後になったが、今回の視察において、諸般のアレンジと3日間、全長1,000kmにも及ぼうかという行程に同行していただいた島根大学・寧夏大学国際共同研究所の保母武彦顧問、神田嘉文研究員、郭迎麗研究員に改めて感謝申し上げる。なお、この文章を書くに当たっては「中国農村の貧困克服と環境再生~寧夏回族自治区からの報告~」(島根大学・寧夏大学学術交流20周年記念出版:保母武彦・陳育寧編、花伝社)を大いに参考にさせていただいた。

 

(注:タイトルの「快報」は中国語では「新聞号外」「速報」の意味)
(JST北京事務所長 渡辺格 記)
※この文章の感想・意見に係る部分は、渡辺個人のものである。