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【13-01】浮世絵と明清時代の版画

王 欣欣(山東電力建設第三工程公司勤務)     2013年 1月23日

 「浮世絵」は、日本の代表的な文化芸術であり、日本文化のシンボルの一つと見なされている。「浮世絵」とは、その名の示す通り「浮世」を描いた絵画である。日本語では「浮世」と「憂き世」の読みは同じであり、「憂世」は元々仏教用語で、本来は「つらいことが多い世の中」の意味を持っていた。輪廻から解脱し、永遠に続くすばらしい仏の世界とは対照的な、短くはかない無常な人の世を意味する言葉だったが、江戸時代になると、はかない世なら享楽的に生きよう、という意味を持つようになった。

 江戸初期の仮名草子「浮世物語」では「月、雪、花、紅葉にうちむかひ、歌をうたひ酒のみ、浮きに浮いてなぐさみ手前のすり切りも苦にならず、沈みいらぬこころだての、水に流るる瓢箪のごとくなる、これを浮世と名づくるなり」という一節がある。当時の江戸の花街は享楽主義が蔓延していた。こうした土壌に花開いた絵画に「浮世絵」の名がつけられた。

 浮世絵は徳川時代(1603-1868)に江戸で生まれた民間の絵画芸術である。浮世という言葉は15世紀以降、「この世」「俗世」の意味と解釈され、16世紀以降は妓楼や歌舞伎など、享楽的な世の中を指すようになった。浮世絵には、当時の町人、武士、役者、遊女など、姿勢の人たちの暮らしが描かれている。

 浮世絵は当初、直筆で描かれ、「肉筆浮世絵」と呼ばれた。その後、需要が拡大し、肉筆画では供給が追いつかなくなったため、木版画による浮世絵が作られるようになった。これを「浮世絵版画」と呼ぶ。

 菱川師宣(1618-1694)は、墨一色で刷られた墨摺絵本を出し、「浮世絵の祖」と称されている。浮世絵の特徴は、木版による大量印刷により、価格が安く、購入しやすかったことである。その後、印刷技術の進歩によって、赤、緑、黄、紫などを使った丹絵(たんえ)、丹緑本(たんろくぼん)、漆絵(うるしえ)などが生まれた。18世紀中葉には、様々な錦絵(浮世絵)が出現し、日本国内での人気だけでなく、世界的にも評価されるようになった。

 浮世絵は大衆芸術の特徴を持っている。浮世絵師が描いたテーマには、名所絵、肖像画、御伽草子、古典文学画、時局絵、役者絵などがある。髪をとかす、足を洗う、着替える、湯浴みする、香を焚く、ふざける、遊ぶ、浮気する、といった場面が描かれ、当時の生活感がよく出ている。鑑賞価値があり、江戸時代の風俗と社会の様子を表した百科事典とたとえられている。

 200年余りの浮世絵の歴史の中で、多くの絵師が誕生した。歴史をさかのぼると、中国の「春宮画」「秘戯図」(春画)に行き着く。浮世絵が誕生した年代は中国の明朝末期であり、春画の日本への流入がピークに達した時期だ。菱川師宣の絵本「風流絶暢図」は中国の春画「風流絶暢図」をアレンジしたもので、題名もまったく同じである。しかし、日本の浮世絵には独特の個性がある。生活の細部を多く描き、人物も中国の春画のように控えめではなく、誇張して描かれた。

  浮世絵は構図、技巧の面で、中国絵画と大きな関連性を持っている。肉筆浮世絵に見られる明快さ、繊細で柔らかな線から、中国の古典絵画的な美感が感じられる。中国画が浮世絵の誕生に影響を与えたことは疑いない事実だ。印象派の画家は浮世絵の構図に影響を受け、浮世絵は欧州でも一世を風靡した。

 浮世絵以前の時代には、「桃山美術」の画派が存在した。当時は工業や商業が盛んになり始め、東洋や西洋からの外来文化が盛んに取り入れられ、数多くの豪華な城郭が建造された。これら城郭の内部には豪華な壁画や装飾が施され、障壁画や襖絵、屏風絵など伝統的な日本様式のほとんどはこの時代に完成した。

 豪華さに特徴のある「狩野派」の代表的な画人は狩野永徳(1543-1590)である。狩野元信の孫で、織田信長と豊臣秀吉に仕えた御用絵師だった。「狩野派」と並んで有名なのが、「海北(かいほう)派」と「長谷川派」だ。「海北派」の始祖・海北友松は、中国の宋代・元代の画法を学び、特に南宋・梁楷の影響を強く受け、これを日本の障壁画に応用した。「長谷川派」の始祖、長谷川等伯は、高僧と交流して中国文化に触れ、特に宋代・元代絵画に傾倒した。

 桃山時代の絵師は、禅と武の双方を尊ぶ精神から、武士階級の間で人気を博した。世相が平和に向かうにつれ、経済の主体は武士から平民へと移行し、文化も徐々に商人が主導するようになった。浮世絵の誕生により、絵画に対する思想に質的変化が生じた。桃山時代の絵画から派生した生命力あふれる風俗画こそ、浮世絵の前身と言えよう。

 浮世絵は、中国の古典絵画から切り離すことはできない。鈴木春信は、明代の画家、仇英の美人画の影響を受けている。鈴木春信の有名な春画には《風流艶色真似ゑもん》《風流座敷八景》《今様妻鑑》などがある。鈴木春信は中国の古典を典拠とし、古典を用いることで平凡な生活の中にある優美さを発掘しようとした。明快な画風と繊細で優美な線に鈴木春信の特徴が出ている。

 浮世絵美人画のもう一人の巨匠、喜多川歌磨の独自性は、人物の古典的な優雅さにある。リアルさを追求せず、理想像を純粋に表現するという作風は、「内面が似通う」こと重視する中国絵画とよく似ている。

 東洲斎写楽の役者絵は、漫画的な要素を持ち、浮世絵にユーモアを加えた。日本人を驚かせたこれらのデフォルメや誇張の技法は、中国絵画ではすでに珍しいものではなかった。

 明清時代の版画は、日本の浮世絵の誕生、発展において重要な役割を果たした。両者はそれぞれ異なる特徴と美感を持つ。浮世絵は華麗、優雅、明快な画風だが、明清時代の版画は質朴、自然、豪放だ。浮世絵は、享楽主義的な題材が多いが、明清版画は現実主義的な題材が多い。

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参考文献:

  1. 龔東慶:論影響浮世絵産生的中国芸術因素、「芸術教育」(中国文化報社)2006年第10期
王欣欣

王欣欣(WANG Xinxin):山東電力建設第三工程公司勤

 中国山東省濰坊市生まれ。
2001.9--2005.6 山東大学 学士
2005.9--現在 山東電力建設第三工程公司物資管理部