【15-10】「国学」の運命

2015年10月30日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09—2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09—2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09—2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11—2013.03 浙江大学哲学学部 補助研究員
2011.11—2013.03 浙江大学ポストドクター聯誼会 副理事長
2013.03—現在 山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

 中国の伝統文化は悠久の歴史を持ち、その広く深い文化は、簡単に一語によって概括できるものではない。清代末期から中華民国初期にかけて、西洋の学問が東洋に押し寄せてきた。西洋の軍艦と大砲を前に、かつての「天朝」もなすすべがなかった。当時の学者らは、西洋に対抗し得るものとして中国独自の伝統文化を探究し、これを「国学」または「国粋」と名付けた。かくして「国学」や「国粋」を広める大量の雑誌や団体が雨後の筍のように次々と誕生した。『民報』第7号『国学講習会序』は次のように記している。「夫国学者,国家所以成立之源泉也。吾聞処競争之世,徒恃国学固不足以立国矣,而吾未聞国学不興而国能自立者也……故今日国学之無人興起,即将影響于国家之存滅,是不亦視前世為尤岌岌乎?」(国学者は国家の成立する源泉である。競争の世においては、国学をいたずらにありがたがっていては立国の役には足りないと聞く。だが国学を興すことなく国が自立できるとの説も聞かない。今日、国学を誰も興さないことは、国家の存亡に影響することになる。現在は危ない世の中と言えないだろうか)。章太炎は『「国粋学報」祝辞』の中でこう語っている。「自棄其重,而倚于人,君子恥之,焉始反本以言国粋」(自らその重みを捨て、他者によりかかるのは君子の恥である。元をたどることを国粋と言う)。張之洞は、「中学為体,西学為用」との有名な主張を行った。すなわち中国の学問を主体とし、西洋の学問を参考として自己を改造し、西洋の学問はもっぱら用いることとし、自らの中国の学問を代替はしないということである。ここで言う「中学」とは「中国の学問」、「西学」とは「西洋の学問」を指す。中国の学問とは即ち「国学」であり、西洋の学問は「西学」である。西学はあらゆる学問を含み得るものだが、主要な大国は西洋にあるため、狭義の「西学」が代表となる。「国学」とは中国の伝統的学問を指し、「旧学」と呼んで「新学」と対比させられてもいた。

図1

『国粋学報』表紙

図2

『国学月刊』題辞

図3

『国学季刊』発刊宣言

図4

『国学季刊』編集凡例

  だがそうすればすぐに問題が出てくる。「国学」とはいったい何を意味しているのか。馬一浮は、国学とは国立大学の略称だとした。曹聚仁は、「国学」は中華民族の結晶としての思想を指すとした。呉文祺は、「国学」は中国言語・文字をめぐる学問に等しいとした。中華民国の時期において、「国学」の新興は時に、学者の激しい批判にもあった。陳独秀は指摘する。「国学とは何か。我々にはさっぱりわからない。現在、国学の大家と言われている人々を見ると、胡適之が長けているのは哲学史、章太炎が長けているのは歴史と文字音韻学、羅叔蘊が長けているのは金石考古学、王静庵が長けているのは文学という具合で、これらの学問以外に、国学というものが果たしてあるのかわからないのである」。陳独秀はさらに激しく皮肉る。「現在の中国の社会思想においては糞のようなものばかりがたまっており、早いところ香水によってその臭気を解いてやる必要がある。とにかく早く香水を作らなければならないという時に、胡適之先生や曹聚仁先生などの御仁は、妙なことを考えるもので、糞の中に香水を探しに行くという。例え苦労して少量の香水を探しだしたとしても、その質はほかの香水と同じがいいところで、霊験あらたかとはいかないだろう。私の考えを正直に言えば、百年あれこれ話し合っていたところで明確な観念を得られるとも限らない。『国学』などというものはもともとあれこれまぜこぜになったもので、まったく名詞の体をなしていないからである」(『前鋒』第1期、1923年7月1日、『陳独秀著作選編』第3巻に収録)。国学研究において最も避けなければならないのは盲従である。成倣吾は1923年、『創造周報』第28号で、「盲従派はあらゆる運動に不可欠なものである」と指摘している。その欠点は科学的な視点を欠くことにある。

  清華大学の劉東教授の指摘によれば、「国学」とは中国固有の学術文化であり、中国文明数千年の経験の総合体である。また外部の学術の強大な挑戦と刺激の下、現代西洋の学問に対して能動的に発せられた反発であり呼応である。1980年代後半に起こった国学熱の典型的な特徴は、「礼失求諸野」(「礼」(秩序)が失われたら「野」(民間)に求めに行く)というもので、下層が上層を動かす大きな文化の波であるということだった(劉東「国学:礼失求諸野の後」『文匯報』2011年参照)。現代の中国においても「国学熱」が再び盛り上がっている。「国学熱」の盛り上がりの重要な特徴は、大学が次々と国学班を開講していることである。国学班を開講している大学には、北京大学北京師範大学中国人民大学武漢大学厦門大学山東大学西南大学、江西師範大学、南昌大学などがある。

  「国学」の実質は何かと言えば、中国特有の伝統学問ということであり、これは「漢学」や「東洋学」などの研究カテゴリーとは大きく異なる。「漢学」の本来の意義は、名物訓詁に重きを置いた漢代人の経学(古典学)であり、後世の人々は古典学のうち名物や訓詁などの研究を漢学と呼んだ。一方、現代の意義における「漢学」は、国外の学術界において中国の伝統文化を研究する学問、即ち「sinology」を指す。つまり「漢学」は「sinology」に対応し、国外の学界において中国の学問の研究を総称する語として用いられるが、学科または範疇としては不確かなものであり、中国問題の研究を含む場合もある。日本の漢学研究においては「東洋学」との呼称もあるが、二者は等しいものではなく、「東洋学」は、中国の学問の研究だけでなく、インドや朝鮮、韓国の研究も含んでおり、その地域性はより広いものである。東洋学の範囲は、漢学研究の範囲よりもかなり大きく、日本人のインドに対する研究や朝鮮に対する研究も含んでいる。「東方学」は欧州の「orientalist」から来たもので、早くは1842年米国で形成され、その範囲は日本やインド、朝鮮などの文化の研究に及んだ。

  清代末期から中華民国初期にかけての「国学」の研究状況をより直感的に示すため、当時出版された国学概論の代表著作を以下に掲げる。

 1.江起鵬『国学講義』,1905,上海新学会社出版.

 2.章太炎『国学概論』,1922年,曹聚仁の記録.

 3.王易『国学概論』,1933年,上海神州国光社.

 4.譚正璧『国学概論講話』,1936年,上海光明書局第5版.

 5.李時『国学問題五百』,1935年,北平君中書社.

 6.張振鏞『国学常識答問』,1935年,商務印書館初版.

 7.鐘泰『国学概論』,1936年,上海中華書局.

 8.胡適「最低限の国学書目」,1923年,『読書雑志』第7号.

 9.梁啓超「国学入門書要目及びその読法」,1923年,『清華週刊』第281号.

写真

梁啓超

 Arif Dirlikは、「似て非なる孔子:グローバル資本主義と儒学の再構築」で次のように指摘する、「中国の儒学というアイデンティティは、19世紀以来の一種の民族主義としての『中国』の発明に伴って生まれた派生物の一つである。このアイデンティティに立てば、儒学は中国の現代性における失敗にも責任を負い、成功にも責任を負っているということになる。自由主義者と社会主義者は儒学を現代化への障害と考え、解放後の社会主義革命の日々においては、この種のイデオロギー的な儒学の締め出しは最高潮に達した。それにもかかわらず、儒学は周辺の華人国家と東アジア地区においては主流なイデオロギーであり続け、これらの国家や社会が資本主義のグローバル化の下で発展に成功するに伴って新たな名声を獲得している。最近数十年は、儒学は中華民族と地域アイデンティティのシンボルとなり、現代性に代わり得る一種の資源としてさらに認められつつある」(『中国社会科学季刊』掲載、第13期,香港社会科学サービスセンター,1995年)。

 「国学熱」が盛り上がる中でも、自らの声を発する明晰な知性を持った学者は少なくない。李零は、儒学が営利の道具となることに反対している。伝統文化を発揚するためだと称し、本当の遺跡を取り壊し、偽物のでたらめな遺跡を作ってしまった地方は少なくない(李零「伝統はなぜこれほど人気か――20年にわたるおかしな現象」,『放虎帰山』収録,山西人民出版社,2008年)。

 だが「国学熱」に激しく反対するだけでは根本的な問題は解決できず、中国の伝統文化の継承と変革にも寄与しない。清華大学の劉東教授は、今回再び沸き起こった「国学熱」が民間から自発的に出てきたことは、中国の伝統文化の固有の価値体系と言説方式が現代にいたっても最も大きな活力を持ったものであることを示していると同時に、最も効果的なものでもあり得ることを証明していると指摘する(劉東「国学:6種の視野と6重の定義」,『審問と弁明:清代末期・中華民国の「国学」論争』収録,北京大学出版社,2012年2月)。劉教授は、「国学」を捉えるための視点として次の6種を提唱している。

 1.文化的な他者を前にした自己限定。強大な文化的他者を参照として提出された特定の概念であり、一種の内外の均衡と合力という性質を伴う。

 2.外来の学術に対する能動的な反応。学問研究において中国と西洋との結合を目指すもので、代表となるのは1925年に開校された清華国学院である。西洋の文化を大規模に導入し、文化的な「輸血」を可能とするためには、まずは自分が頑強な身体を備えていなければならないということである。

 3.体系的な伝統学術文化の総称。1923年には胡適と梁啓超が当時の若者に向けて国学書目を発表している。この視点は、伝統文化に対する全面的な理解と全般的な知識の教育を強調するものである。

 4.中国文化の内生性という角度からの理解。海外の狭義の「漢学」と「中国研究」とが、現在の「中学」の主要な成分と分野を構成している。主に「国学」と「漢学」との対話として表現される。国際漢学は現在、欧州や日本の伝統的な「漢学」から米国式の「中国研究」へと移り、「中国中心観」を強調するものとなっている。

 5.西洋の圧力の下で幅広く生まれた「民族国家の学」。世界史から考えると、外部からの衝撃で生まれたいくつかの民族国家においては、各種の「国学」が生まれることが往々にしてある。世界文化の一つとして考えれば、ギリシア文化、ヘブライ文化、アラビア文化、インド文明、中国文化などがある。

 6.各種の「国学」間の絶え間ない対話を通じた文化への上昇。人類文明は、単一の学術文化の中にのみ存在するものではない。グローバル化というコンテクストにおける文化の主体性を強調するものである。

 上述の6種の視点は、現在の国学の行方と運命を見るための理性的な視点を与えてくれるものである。盲目的な国学熱は中国伝統文化の熱狂的な崇拝につながるだけであり、理性的な土台から伝承の道を探る必要がある。この点について我々ははっきりとした認識を持っていなければならない。


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