【15-11】第二次大戦から見た「屈騒精神」―目加田誠と橋川時雄を例に

2015年11月26日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09—2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09—2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09—2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11—2013.03 浙江大学哲学学部 補助研究員
2011.11—2013.03 浙江大学ポストドクター聯誼会 副理事長
2013.03—現在 山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

 日本では第2次大戦の後、民主化プロセスが展開された。戦争中に災難を被った学者らは、天皇制と軍国主義に対する批判を始め、アジアと日本の進むべき方向を模索した。戦時中に抑圧された彼らは、強烈な批判精神と平和追求の理想という形でその憤懣をいっきに解き放った。屈原とその作品の研究においても、目加田誠の『屈原』[1]と橋川時雄の『楚辭』[2]にその傾向が典型的に表れている。

 目加田誠(1904-1994)は、屈原のイメージが中国の文人の心中で2千年余りにわたって生命力を保ち続けたのは、屈原自身の愛国理念と今に伝わるロマン主義的な作品によるとし、「屈原精神」としてこれを高く評価した。「屈原という人が、楚国の危機に当って、固い信念をもって烈しく国を愛し民を愛し、世の汚れにそまず、一身を潔ぎよくして、讒者のために陥れられ、ついに水に投じて死んだことへの同情、またその作品とされる『楚辞』の、絢爛たる文辞や香り高い浪漫精神への愛着によって、二千年来中国の人々の胸の中に生きつづけてきている[3]」(「はじめに」)。目加田は、民間文学を切り口とし、中国人にとっての屈原像を生き生きと描き出す。「あとがき」にはこう書かれている。「屈原の事蹟についての詳細は分からないし、その作品といわれるものも、はたしてどこまで彼の手になったか確実なことはなにも分らぬ。だが、二千年来、中国の学者文人、そして一般民衆の心の中に、「離騒」の作者屈原という人間像は、はっきりと生きつづけて来ている。[4]

 目加田はさらに、王夫之と郭沫若の二人を分析の基点として、屈原の不屈精神は中国の士大夫のうちに脈々と生き続けていると主張する。王夫之は明の遺民を自認し、義軍を組織して清政府に抵抗し、最期まで著述の日々を続けた。これは、屈原の憂国精神とつながるものである。郭沫若は、中日戦争期間中、敵に対抗するための団結を呼びかける目的で、有名な歴史劇『屈原』を創作し、空前の影響を呼び起こした。これもまた中国の近現代において屈原精神が生き続けていることの証となった。目加田は同書を通じて、中日戦争に対する自らの態度を間接的に表現し、中国人民の抵抗をたたえた。このことは、屈騒精神が時空を超え、日本の知識人のうちに開花したものとして、銘記されるべきである。

 目加田は『再読屈原』の中で、楚辞作品の芸術的成果と創作手法は、賈誼や司馬相如、劉安、張衡、左思、劉勰、王勃、李白、王維、杜甫、韓癒などに影響を与え、屈原の遭遇と不屈の精神は、同時代の同じような境遇の多くの人々の共鳴を呼んだと指摘する。洪興祖は『楚辞補注』において、金人が南宋に侵入し、投降派の秦檜が権力を握ったことを明記した。明朝の遺民であった王夫之も『楚辞通訳』を記した。郭沫若は歴史劇『屈原』を創作し、抗日を訴えた。魯迅の作品中にも楚辞の痕跡が見られる。時代の危機と個人の不幸とが重なった際、歴代の偉人や志士らは期せずして皆、屈原と楚辞に精神の故郷を探し求めてきた。これこそが屈原と楚辞が後世に残した最大の影響であり、最大の財産であると言える。

 第2次大戦後、日本の多くの学者は上述のような批判精神を展開しただけでなく、「東アジア」と日本の運命の行方についても思考を深め始めた。「東アジア」とは何を指し、日本の「東アジア」における位置をいかに正しくはかるか。ある学者は、道義と愛国との矛盾の中に置かれた屈原の生涯からその答えを見つけようとした。その代表と言えるのが橋川時雄である。橋川時雄[5](1894—1982)は号を酔軒と言い、日本の近現代の著名な漢学者である。1928年から1945年まで東方文化事業の総務委員署理を務め、『続修四庫全書提要』の編纂を主宰した。

 橋川の楚辞研究は主に、屈原の「自沈」(入水自殺)をめぐるトピックに着目したもので[6]、王国維を現代の屈原になぞらえたり、真珠湾事件で死亡した兵士を屈原の自殺と関連付けたりした。橋川は『楚辭』の自序において、

 いま、われわれ日本人たちの頭のなかには『アジアをどうするか』の熱意と感激とで一ぱいなのである。不肖時雄にも、戦後東亜に創らるべき文化の諸問題についての思索、考証、そして真理を求め得むがために、戦後兢兢、これに専念されてゐる。それはまつたく自分自らが、躬らを教養あらしめ生命づけるためであるとも考へられてゐる。

 歌ふだけうたつたあげく、身を汨羅の淵に沈めた楚国の詩豪屈原も、青雲の衣をつけ白霓の裳を引いた東君を拝がみては、むげにうれしくもなつて来、歴史の希望に満たされてきた、その『東君の賦』の韻は高い。

 ―中略― 

筆者の頭のなかにはいつもこむらがつて、汨羅の神と真珠湾底に沈みませる神神とが連想の糸にたぐられてくることであつた。かかることがこの本に時代性大衆性をもたせることに役立つかどうかは全く知らない、筆者の企図せしところは歴史の真理真象を述べるほか何ものでもなかつた。[7]

と述べている。これは実際には、橋川が屈原の書の中に答えを見つけようとして失敗し、その失敗を前に橋川が感じた無力と苦悩とを示している。


[1] 目加田誠『屈原』岩波書店,1967年。

[2] 橋川時雄『楚辭』東洋思想叢書9 日本評論社,1943年。

[3] 目加田前掲書。

[4] 同上。

[5] 橋川時雄は中国近現代学術界において活躍し、康有為、梁啓超、胡適、魯迅等と親密に交流を続けた。橋川の研究領域は広範にわたり、その研究の主な功績としては陶淵明研究、『続修四庫全書提要』の編集、『楚辞』、敦煌写本等が挙げられる。

[6] 橋川時雄:「今屈原王国維先生のことども」『古代学』第三巻第二号,1954年。

[7] 橋川前掲書。


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