【16-12】『淮南子・兵略篇』と先秦兵家の関係について(一)―『淮南子・兵略』と『荀子・議兵』を中心に

2016年 9月12日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09—2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09—2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09—2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11—2013.03 浙江大学哲学学部 補助研究員
2011.11—2013.03 浙江大学ポストドクター聯誼会 副理事長
2013.03—2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09—現在 山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

 中国兵家思想ははるかな歴史を持ち、早くも戦国時代には『孫子兵法』『孫臏兵法』、『尉繚子』など多くの経典化された著作が形成されていた。文献が欠けていることから、これらの兵書の秦代における流布と保存について、我々は詳しくはわからない。前漢の時代には、公的に複数回にわたって整理された。李零氏は、これらの兵書に対する前漢時代の整理を大まかに三つの段階に分けている。第一に、漢初における張良・韓信の序次兵法。第二に、武帝時における楊僕による紀奏『兵録』。しかし呂氏が権力を握った際にこれは盗まれたとされる。第三に、成帝時における歩兵校尉・任宏が校訂した兵書『兵書略』[1]。これらの兵書のほとんどは、戦国時代から流わって来た兵書を整理したもので、このうち漢代人の書した兵書は空白となっている。

 前漢時代には、先秦の兵家思想をまとめた文献は『淮南子・兵略』篇において集中的に現れている。劉安は前漢諸侯王の身分で、『兵略』においてその兵家思想を集中的に述べている。先秦の兵家思想に対するこのような再創造の形式を帯びた総括は、前漢における兵書の公的な整理とはすでに異なり、学術討論の色彩をより多く帯びたものと言える。この角度から言えば、前漢の兵書整理の過程においては、『淮南子』の門客が整理研究した兵書にも一席の地を設けるべきだろう。

 淮南王とその門客は『淮南子・兵略』において自らの兵家思想を集中的に論述、戦争の起源や戦争の作用、作戦に勝利する条件、戦争の策略、技巧などについて述べた。『淮南子・要略』においてはこうある。「『兵略』者,所以明戦勝攻取之数,形機之勢,詐譎之変,体因循之道,操持後之論也。所以知戦陣分争之非道不行也,知攻取堅守之非徳不強也。誠明其意,進退左右,無所撃危,成勢以為資,清静以為常,避実就虚,若駆群羊,此所以言兵也」[2]。この篇は、戦国兵家の長所を取ったもので、独自の見解をなしている。本稿が検討する内容は、『淮南子・兵略篇』と先秦諸子兵家思想との本源的な関係であり、そこから両者の伝承関係を明らかにし、後世の兵家思想に対する影響を簡潔に検討する。淮南王劉安の個人の思想と漢代の兵家思想の研究に対してまったく利益のないものとはならないだろう。本稿は論点が多いため、連載の形式を採用する。第一篇ではまず、『淮南子・兵略』と『荀子・議兵』との間の関係について論じる。第二篇では、『淮南子・兵略』と『孫子兵法』との間の関係を論じる。第三篇では、『淮南子・兵略』と『呂氏春秋・蕩兵』『六韜』『尉繚子』との間の関係を論じる。

 戦争の起源に関しては、先秦の兵家は主に二種類の観点を持っていた。一つは、戦争の起源は利益の争奪にあるとするもので、代表著作には『孫臏兵法』がある。もう一つの観点は、戦争のが生ずるのは仁義の喪失によるとするもので、その代表文献は『荀子・議兵篇』である。『荀子・議兵篇』においては、陳囂と荀子が、戦争の起源などの問題を集中的に討論している。文中において臨武君が強調するのは、戦国以来はやっていた「兵詐之謀」であり、謀略と技巧に重きが置かれた。荀子が主張するのは仁義の兵であり、「三代之義兵」を高く称賛した。

 彼らの弁論においては、戦争の起源に問題が集中している。両者の着眼点は異なり、戦争の起源の問題について出した結論も異なる。荀子の弟子の陳囂は、戦争の起源は争奪にあるとし、荀子は、戦争の発生は仁義が破壊に遭うためだと考えた。戦争の起源の問題においては、『淮南子・兵略』は陳囂の観点を受け入れ、人類の戦争の起源は「分不均,求不澹」であるとし、このような観点は『孫臏兵法』に始まっている。『孫臏兵法・勢備』は孫子を引いて、「夫陥歯戴角,前蚤後鋸,喜而合,怒而鬬,天之道也,不可止也。故無天兵者自為備,聖人之事也」[3]としている。

 『淮南子・兵略』はまた、「凡有血気之虫,含牙戴角,前爪後距,有角者触,有歯者噬,有毒者螫,有蹄者趹。喜而相戯,怒而相害,天之性也。人有衣食之情,而物弗能足也,故群居雑処,分不均、求不澹則争;争則強脅弱,而勇侵怯。人無筋骨之強、爪牙之利,故割革而為甲,鑠鉄而為刃。貪昧饕餮之人,残賊天下,万人掻動,莫寧其所。有聖人勃然而起,乃討強暴,平乱世,夷険除穢,以濁為清,以危為寧,故不得不中絶。兵之所由来者遠矣!」[4]としている。このように『淮南子』は、戦争の起源は仁義に対する人類の蹂躙にあるとは考えず、仁義だけで戦争が回避できる時代はもう過ぎ去り、これに代わって「領土の拡大と金銀財宝の略奪を求める」時代が来たと認識している。『淮南子・兵略』は、「古之用兵者,非利土壌之広而貪金玉之略,将以存亡継絶,平天下之乱,而除万民之害也」[5]、さらに「晩世之兵,君雖無道,莫不設渠塹傅堞而守。攻者非以禁暴除害也,欲以侵地広壌也」[6]と記している。社会情勢はすでに五帝の時代とは全く異なっていた戦場では、仁義だけでは勝利を得ることはできないためである。荀子は、五帝時代の仁義道徳に浸るあまり、こうした社会の現実に対する正しい認識を失っていた。だが『淮南子』は、戦争の勝敗を決するにあたっての『荀子』の提出した仁義の作用には賛同し、戦争の正義性を主張し、「義兵」を強調した。『荀子・議兵』は「彼兵者,所以禁暴除害也,非争奪也」[7]、『淮南子・兵略』は「夫兵者,所以禁暴討乱也」[8]、さらに「義兵之至也,至于不戦而止」[9]と記している。

 荀子は、仁義の教化作用を強調し、国内政治を改善し、君主と民衆の一体化を実現しなければならないと考えた。『荀子・議兵』は、「吾所謂仁義者,大便之便也。彼仁義者,所以修政者也。政修則民親其上、楽其君,而軽為之死」[10]と記している。『淮南子』の方は、兵は「道」を得なければならないと強調し、その表現は「兵失道而弱,得道而強;将失道而拙,得道而工;国得道而存,失道而亡。所謂道者,体円而法方,背陰而抱陽,左柔而右剛,履幽而戴明」[11]と難解だが、ここにおける「道」とは実際にはやはり、国内の政治を整えることを強調しており、『荀子・議兵』篇とそっくりである。『淮南子・兵略』は、「修政于境内,而遠方慕其徳,制勝于未戦,而諸侯服其威,内政治也」[12]、さらに「兵之勝敗,本在于政,政勝其民,下附其上,則兵強矣。民勝其政,下畔其上,則兵弱矣。故徳義足以懐天下之民,事業足以当天下之急,選挙足以得賢士之心,謀慮足以知強弱之勢,此必勝之本也」[13]、「治国家,理境内,行仁義,布徳恵,立正法,塞邪隧,群臣親附,百姓合輯,上下一心,君臣同力,諸侯服其威而四方懐其徳,修政廟堂之上而折沖千裏之外,拱揖指撝而天下回応,此用兵之上也」[14]と記している。このため、『荀子』と『淮南子』は、国内政治を改善して敵を国門の外に抑えるという思想で一致している。

 国内政治を改善するには、君主と民衆との関係を重視しなければならない。これは戦争の決定的な要素である。「民心を得た者が天下を得る」というように、『淮南子・兵略』はこの点で、『荀子』を直接継承している。『荀子・議兵』は、「臣所聞古之道,凡用兵攻戦之本在乎壱民。弓矢不調,則羿不能以中微;六馬不和,則造父不能以致遠;士民不親附,則湯、武不能必勝也。故善附民者,是乃善用兵者也。故兵要在乎善附民而已」[15]と記している。『淮南子・兵略』は、「兵之所以強者,民也;民之所以必死者,義也;義之所以能行者,威也。(中略)是故上視下如子,則下視上如父;上視下如弟,則下視上如兄。上視下如兄,則必王四海;下視上如父,則必正天下。上視下如弟,則不難為之死;下視上如兄,則不難為之亡。是故父子兄弟之冦不可与斗者,積恩先施也。故四馬不調,造父不能以致遠;弓矢不調,羿不能以必中;君臣乖心,則孫子不能以応敵。是故内修其政,以積其徳;外塞其醜,以服其威;察其労佚,以知其飽飢;故戦日有期,視死若帰」[16]と記している。このような国内政治の改善の効果は戦場においては、君主と民衆の上下の一体化、一致団結として表れる。『荀子・議兵』は荀子の言葉として、「将死鼓,御死轡,百吏死職,士大夫死行列。聞鼓声而進,聞金声而退,順命為上,有功次之」[17]と記している。このような観点も、『淮南子』に引き継がれた。『兵略』は、「将卒吏民,卒無二心;動無堕容,口無虚言,事無嘗試;応敵必敏,発動必亟(中略)故民誠従其令,雖少無畏;民不従令,雖衆為寡」[18]、さらに「将充勇而軽敵,卒果敢而楽戦,三軍之衆,百万之師,志厲青雲,気如飄風,声如雷霆,誠積踰而威加敵人,此謂気勢」[19]と記している。

 『荀子・議兵』は「治者強,乱者弱,是強弱之本也。上足卬則下可用也,上不足卬則下不可用也」[20]、『淮南子・兵略』は「若苦者必得其楽,労者必得其利,斬首之功必全,死事之後必賞(中略)是故上足仰,則下可用也;徳足慕,則威可立也」[21]と記している。戦争の勝敗における国内政治の改善の決定的な作用の認識から、両者はいずれも、硬い鎧兜や鋭い兵器、高い城壁や深い外堀、厳しい命令や重い刑罰などはどれも、戦争の勝負を決定するカギとなる要素ではないとし、「楚が三つに分かれた」という例から、この問題をさらに踏み込んで論述した。『荀子・議兵』は、「礼者,治辨之極也,強国之本也,威行之道也,功名之揔也。王公由之,所以得天下也;不由,所以隕社稷也。故堅甲利兵,不足以為勝;高城深池,不足以為固;厳令繁刑,不足以為威。由其道則行,不由其道則廃。楚人鮫革犀兕以為甲,鞈如金石;宛鉅鉄釶,惨如蜂虿、軽利僄遫,卒如飄風;然而兵殆于垂沙,唐蔑死。荘蹻起,楚分而為三四。是豈無堅甲利兵也哉?其所以統之者,非其道故也。汝、潁以為険,江、漢以為池,限之以鄧林,縁之以方城,然而秦師至,而鄢、郢挙,若振槁然,是豈無固塞隘阻也哉?其所以統之者非其道故也」[22]と記している。『淮南子・兵略』は、「地広人衆,不足以為強;堅甲利兵,不足以為勝;高城深池,不足以為固;厳令繁刑,不足以為威。為存政者,雖小必存;為亡政者,雖大必亡。昔者楚人地:南巻沅湘,北繞潁泗,西包巴蜀,東裹剡邳;潁汝以為洫,江漢以為池;垣之以鄧林,綿之以方城;山高尋雲霓,渓深肆無影;地利形便,卒民勇敢;鮫革犀兕,以為甲冑;修鎩短鏦,斉為前行;積弩陪後,錯車衛旁;疾如鍭矢,合如雷電,解如風雨。然而兵殆于垂沙,衆破于栢挙。(中略)故善為政者積其徳,善用兵者蓄其怒」[23]と記している。荀子は、仁義の作用を過度に強調し、五帝時代の仁義道徳にひたることで、戦争の策略や戦術の運用を無視し、慶賞や刑罰、詭詐などの手段を使うことに反対し、「以徳兼人」(徳によって他国を併合する)を強調した。『荀子・議兵』は、「凡人之動也,為賞慶為之,則見害傷焉止矣」[24]と記している。荀子がそうすることに反対したのは、彼の主張した「性悪説」と戦争の起源についての観点と直接関係している。だが荀子は、条件つきで慶賞や刑罰、詭詐などの手段を使うことを主張しており、この条件は、礼義忠信の普遍的な実現であるとした。『荀子・議兵』は、「賞慶、刑罰、勢詐,不足以尽人之力,致人之死。為人主上者也,其所以接下之百姓者,無礼義忠信,焉慮率用賞慶、刑罰、勢詐、除阸其下,獲其功用而已矣」[25]、さらに「故賞慶、刑罰、勢詐之為道者,傭徒粥売之道也,不足以合大衆,美国家,故古之人羞而不道也」[26]と記している。『淮南子』と『荀子』では戦争の起源についての観点が異なることから、『淮南子』はこの点では荀子の主張を引き継がず、賞罰や詭詐などの手段の使用を主張した。『淮南子・兵略』は、民衆が死傷を容易に受け入れるのは(「軽死而楽傷也」)、賞罰がはっきりしているためだ(「為其賞信而罰明也」)とし、「故用兵之道,示之以柔而迎之以剛,示之以弱而乗之以強,為之以歙而応之以張,将欲西而示之以東;先忤而後合,前冥而後明,若鬼之無跡,若水之無創」[27]と記している。

 『淮南子』は戦争の不可避性を認識していたため、戦争の策略や戦術などにとりわけ注目していた。『荀子・議兵』においては、臨武君は「天時」「地利」「後動」「用勢」「詭詐」などの手段を利用して戦争に勝つことを主張したが、荀子に否定されたとある。『荀子・議兵』は臨武君の言葉を引用し、「上得天時,下得地利,観敵之変動,発之後動,後之発,先之至,此用兵之要術也」[28]、さらに「兵之所貴者,勢利也;所行者,変詐也。善用兵者,感忽悠闇,莫知其所出」[29]と記している。だが『淮南子・兵略』は、臨武君の観点を肯定し、吸収した。『淮南子・兵略』は、「故上将之用兵也,上得天道,下得地利,中得人心,乃行之以机,発之以勢,是以無破軍敗兵」[30]、さらに「神莫貴于天,勢莫便于地,動莫急于時,用莫利于人。凡此四者,兵之干植也」[31]、「敵先我動,則是見其形也;彼躁我静,則是罷其力也」[32]、「善用兵者,勢如決積水于千仞之堤,若転員石于万丈之渓」[33]、「故用兵之道,示之以柔而迎之以剛,示之以弱而乗之以強,為之以歙而応之以張,将欲西而示之以東;先忤而後合,前冥而後明,若鬼之無跡,若水之無創」[34]と記している。

 上述のように、『淮南子・兵略』と『荀子・議兵』は密接な関係を持ち、前者は、戦争に関する後者の観点を選んで取り入れただけでなく、その中の多くの語句も明に暗に後者を引いたものである。『淮南子・兵略篇』は主に、戦争の起源と仁義を行うことの戦争における作用という二つの面を『荀子・議兵』篇から取り、またそのうちの兵家の技巧や謀略などの面は『孫臏兵法』と『孫子兵法』から取っている。このため筆者は、淮南王の門客が『淮南子・兵略』を編纂した際には、『荀子・議兵』が重要な参考文献となり、そのうちのいくつかの観点と論述を研究の心得として『淮南子』に取り入れたものと考える。


[1] 李零は、漢代における兵書の整理を四つの段階に分けている。ここでは簡潔を期すため、西漢の三つの段階のみを選んだ。『簡帛古書与学術源流』,385-387ページ,三聯書店,2004年4月。

[2] 『淮南子集釈』,1449-1450ページ。

[3] 『孫臏兵法校理』,78ページ,中華書局,2007年。

[4] 『淮南子集釈』,1043-1044ページ。

[5] 『淮南子集釈』,1043ページ。

[6] 『淮南子集釈』,1048-1049ページ。

[7] 『荀子集解』,279ページ。

[8] 『淮南子集釈』,1045ページ。

[9] 『淮南子集釈』,1048ページ。

[10] 『荀子集解』,280ページ。

[11] 『淮南子集釈』,1049ページ。

[12] 『淮南子集釈』,1052ページ。

[13] 『淮南子集釈』,1059ページ。

[14] 『淮南子集釈』,1055ページ。

[15] 『荀子集解』,266ページ。

[16] 『淮南子集釈』,1087-1089ページ。

[17] 『荀子集解』,278ページ。

[18] 『淮南子集釈』,1071ページ。

[19] 『淮南子集釈』,1073ページ。

[20] 『荀子集解』,270ページ。

[21] 『淮南子集釈』,1090ページ。

[22] 王先謙『荀子集解』,281-282ページ。

[23] 『淮南子集釈』,1060ページ。

[24] 『荀子集解』,285ページ。

[25] 『荀子集解』,285ページ。

[26] 『荀子集解』,286ページ。

[27] 『淮南子集釈』,1086ページ。

[28] 『荀子集解』,265-266ページ。

[29] 『荀子集解』,266ページ。

[30] 『淮南子集釈』,1081ページ。

[31] 『淮南子集釈』,1080ページ。

[32] 『淮南子集釈』,1076ページ。

[33] 『淮南子集釈』,1083ページ。

[34] 『淮南子集釈』,1086ページ。


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