【16-16】足利学校と中国のルーツ

2016年12月28日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09—2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09—2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09—2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11—2013.03 浙江大学哲学学部 補助研究員
2011.11—2013.03 浙江大学ポストドクター聯誼会 副理事長
2013.03—2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09—現在 山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

 日本では足利学校の日本遺産登録1周年を記念して、2016年10月22日から10月31日まで、足利学校で「足利学校国宝展」が開催され、同校の図書館に所蔵されている4種類の「国宝」とされる古典籍や重要文化財の数点が展示された。この4種類の「国宝」とは宋刊本の「周易注疏」、20巻8冊の宋刊八行本「尚書正義」、70巻35冊の「礼記正義」、金沢文庫の旧蔵本である宋刊本の「文選」を指す。なかでも「周易注疏」はその筆頭となる貴重な書籍で、13巻にのぼるこの書籍はもともと宋代の大文学家である陸遊が所蔵していた。「礼記正義」は宋代の紹熙3年(1192年)に現存していた三山黄唐の「跋」であり、33巻から40巻までは豊後万寿寺の僧侶が抜き書きし注釈を加えたもの。書籍の冒頭にも「校外への持ち出し禁止」の注意書きもあり、署名の上、花押が押されていた。「礼記正義」は1955年2月に日本文化財保護委員会によって「国宝」に認定されたほか、「周易注疏」と「尚書正義」も同年6月に「国宝」に認定され、金沢文庫の旧蔵本である宋刊本の「文選」は1962年に「国宝」に認定された。中国古典文献学研究に携わる中日両国の学者にとって、これらは歴史と古典籍を集約した文化の代表作品といっても過言ではない。これらの書籍は中国文化を伝える主要キャリアとして中日の歴史・文化交流をいきいきと描き、そして黒々とした文字で輝かしい千年以上にのぼる中日文化交流を今も伝えている。

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宋刊本「文選序」第一葉裏 出典:図録『足利学校国宝展』p29.

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宋刊本「周易注疏」巻第一第一葉表 出典:図録『足利学校国宝展』p35.

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宋刊本「尚書正義」巻第一第一葉表 出典:図録『足利学校国宝展』p44.

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宋刊本「礼記正義」巻第一第一葉表 出典:図録『足利学校国宝展』p49.

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宋刊本「礼記正義」巻第一第一葉裏、第二葉表 出典:図録『足利学校国宝展』p49.

 2016年10月29日、私は幸運にも早稲田大学文学研究科の同僚と共に足利学校を訪れる機会を得た。足利学校は東京都の北側に位置する栃木県足利市にある日本最古の学校だ。扁額には「学校」という二文字しか書かれていない理由は当時「学校」が足利学校1校だけであり、他に分校などもなかったためだ。つまり「学校」と言えば、すなわち足利学校を指していたということを意味している。このことから足利学校の設立が日本における学校制度の正式な設立となったことを意味しているだろう。足利学校の北側には風光明媚な日光エリアとなっており、自然環境や地理的条件も非常に恵まれていた。そのため足利学校の周囲は自然も歴史遺跡も比較的良い状態で今もその姿を残している。足利学校の史跡に足を踏み入れると、まず最初に目に飛び込んでくるのが大門の「入徳門」。この門の名は道徳と高尚な精神を教育する場所への入り口という意味を持ち、ここを通る人々は自然と畏敬の念を抱く。石畳の道を100メートルほど奥へと進むと、広く知られた足利学校の中門がある。門の上には明代の蒋龍渓により揮毫された「学校」という二文字の扁額が掲げられている。この扁額は後に修復されたもので、現存する古い扁額は「庫裡」で展示されている。さらに奥に進むと、「杏壇」(内門)があり、その中には孔子廟である荘厳な大成殿があり、中央には木製の孔子座像が一体祀られている。座像に記載された銘文によると天文4年(1535年)作製の日本に現存する最古の木製の孔子座像となる。その左側には子思と孟子、右側には顔子、曾子の木製彫像が祀られている。当時の学生たちはここで孔子を祀る非常に神聖な祭典を行っていたということだ。儒学が盛んな地域にはさまざまな種類の孔子の彫像があるが、ほとんどは立っている姿で、そのサイズも比較的大きい。一方の大成殿の孔子像は座っており、そのサイズは比較的小さいが、孔子という聖人の清廉さと英知にあふれた様子をより如実に表現している。この現存する孔子廟の関係から、足利市は孔子の故郷である山東省曲阜市と友好都市の関係を結んでいる。孔子の衣鉢の継承という点から鑑みるに、この友好都市関係の締結は孔子が2000年後に中日両国にもたらした幸福と恩恵だといえる。

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入徳門(作者撮影)

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足利学校中門(作者撮影)

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杏壇(作者撮影)

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大成殿と孔子座像(作者撮影)

 足利学校の創立時期に関しては、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説の3つの説がある。足利学校が発展したのは、15世紀前半に関東管領を務めた上杉(藤原)憲実(1411-1466年)の功績によるところが大きい。上杉憲実は1439年に、鎌倉円覚寺の僧・快元を校長にあたる庠主(しょうしゅ)として招いたほか、菜園を作り、蔵書を寄贈するなどして学校を再建し、その後約600年後の現在に至るまで足利学校が現存する礎をつくった。上杉憲実が自ら制定した「足利学校置五経疏本条目」には古い書物や学問を守るため、「足利学校公用」や「校外への持ち出し禁止」などの規定を定めている。これらの規定に基づき、足利学校は再興を果たし、その後170年間もの間、栄華を極めたとされている。この学校は武士や僧侶を対象に、その文化や教養を高めることを目的としており、その当時の学生は足利学校で、「五経」、「四書」、「老子」、「列子」、「史記」、「文選」及び「三注」(「千字文集注」、「古注蒙求」、「胡増詩注」)などを精読していた。上杉憲実本人も書籍をコレクションすることを非常に好み、自身の蔵書のほとんどを足利学校に寄贈している。その蔵書には、宋刊本「周易注疏」、「尚書正義」、「春秋左氏伝注疏」などが含まれる。足利学校が所蔵する蔵書の2つ目の寄贈元は、室町時代の僧侶たちで、その寄贈本には宋刊巾箱本「周礼」、日本の応安5年(1372年)の手書き本「周易伝」などが含まれる。3つ目の寄贈元は歴代の庠主たちだ。その中には、宋明州刊行本「六家文選」、宋代の江公亮の「春秋経伝集解」などが含まれる。このほかにも、徳川家康から寄贈された正徳年間の慎独齋の「史記索隠」、明代嘉靖年間の刊本「律呂解注」、「唐詩正声」などがある(厳紹璗の「足利学校で『国宝』を訪ねる」、「中華読書報」2000年7月19日版参照)。

 足利学校の存在意義は上述したような書籍の保存や教化作用の他にも、以下の3つの点にあると私は考えている。

 まず最初に同校は中日友好を証明する生きた化石であるということ。足利学校は中国の古典籍を所蔵するだけでなく、その建築デザインも中国古代の学校を模倣している。「入門」、「中門」、「内門」のデザインなどがそれにあたる。千年以上もの昔の僧侶たちは中国文化に憧れを抱いていただけでなく、中国文化を伝達するキャリアを足利へともたらし、そして現在の足利学校は非常に多くの中国人を魅了し、彼らはここで過去に想いを馳せる。このような中日両国の歴史的な交流こそ中日友好の最も生き生きとした側面を表していると言える。

 次に、同校の宋刊本の保存と公開は中国の教育界にとって学ぶべき価値があるということ。学術とはこの世界において公共のものであり、古典籍の基本的な機能はその流動にある。それを流動させていくことで初めて文献の伝播機能が発揮されるのであり、流動させなければ単なる古い紙切れに過ぎないのだ。足利学校は定期的に古典籍の展示会を開いているだけでなく、影印の伝播も行っている。足利学校に所蔵されている宋明州本の五臣-李善注本「文選」は、中国国内には現存していない南宋早期の刻本であり、現在では「文選」の最も早い時期の完全な刻本として知られている。2008年3月、人民文学出版社は足利学校から出版権を獲得し、影印による「日本の足利学校所蔵の宋刊明州本六臣注文選」を出版した。こうして国宝級の古典籍が形を変えて、一般市民にまで広まり、文学史研究者の研究を大いにサポートしている。この点を鑑みると、足利学校は「文選学」の功労者と言える。

最後に、足利学校で毎年行われる孔子を祀る活動がより多くの古き良き制度を今も伝承していること。古代の礼儀制度は現在まで伝わっているが、その多くは文字による記載のみで、図などは失われており、このことが現在、古代の礼儀を復活させる上で最大の問題となっている。しかし、足利学校で行われる多くの祭祀活動には古い礼儀制度を今も残している。「釈奠」という礼は中国古代の学校の祭祀儀式であり、「三礼」の中の「君師」の礼に属する。この礼は孔廟の祭祀では最高クラスの一つとなっており、現在も曲阜の孔廟で行われている。足利学校がその中で採用している祭祀の道具や儀式は、中国古代の釈奠と合致しており、千年もの長きにわたって、これほど完全な形で保存されてきたことは容易ではない。このようなまるで清教徒のように忠実に完全な形で古い制度を保存してきたことに対し、人々は足利学校に対してより一層畏敬の念を抱かざるをえない。

 足利学校を後にする際、私の頭の中には依然として宋代の書籍がぐるぐると目まぐるしく現れては消えていた。足利学校に完全な状態で保管されていたことに感激を覚えると同時に、秋風が吹きぬけるような寂しさも感じていた。心には何とも言えない憂いがあとからあとから湧き上がり、この気持ちが果たして喜びなのか、それとも悲しみなのか、自分でも判断がつかなかった。


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