【17-02】日本の喫茶文化の歴史

2017年 1月20日

橋本 素子:
京都造形芸術大学通信制大学院非常勤講師、梅花女子大学非常勤講師

略歴

 神奈川県出身。奈良女子大学大学院修士課程修了。現在、京都造形芸術大学通信制大学院非常勤講師、梅花女子大学非常勤講師。専門は日本中世史(喫茶文化史)。著書に「平安・鎌倉の喫茶文化」(『講座 日本茶の湯全史 第一巻中世』思文閣出版 2013年)他。社会人向け講座にも力を入れ「お茶の歴史講座」を開催している。

 日本の喫茶文化の歴史とは、中国から喫茶文化を受容し、それを長い年月をかけて日本の風土に合うようにアレンジし、「日本茶」となるまでの、渡来文化の日本定着化の歴史です。日本には、過去三度、当時の先進国である中国から喫茶文化が伝えられました。

 一回目は、9世紀前期、唐から茶を煮出して飲むことに特徴がある喫茶文化が伝えられました。この飲み方を煎茶法といいます。この煎茶法という用語は、茶種(茶の種類)をあらわす煎茶と紛らわしくなりますが、この場合の「煎」は「煮出す」という本来の意味で使っています。  

 二回目は、12世紀末、宋から抹茶に湯を注いで飲むことに特徴のある喫茶文化が伝えられました。この飲み方を点茶法といいます。三回目は17世紀半ば、茶を湯に浸してその抽出液を飲むことに特徴がある喫茶文化が伝えられました。この飲み方を淹茶法といいます。これらの喫茶文化を最初に伝えた人物については、よく知られた話でも、史料的に裏付けが取れない伝承も多く、確定することはできません。ここでは、その有力候補をあげるという形にいたします。

 まず唐風喫茶文化ですが、長く唐に滞在し、804年に最澄が入唐した際にはその世話役をつとめ、805年に最澄とともに帰国した永忠があげられます。永忠は815年に住職をつとめる近江国梵釈寺で、嵯峨天皇に自ら煎じた茶を献じています。永忠が、中国で茶に関する技術を身に付けていたことは確実です。

 次に宋風喫茶文化ですが、最近の発掘調査で、栄西が活躍するよりも約1世紀早い12世紀初めに、博多津の唐房(中国人貿易商の住むチャイナタウン)までは伝えられていた可能性が出てきました。しかしこのとき、博多は院や平氏政権の管理下にあり、宋風文化は博多に封じ込められていました。国内に広まるのは、平氏政権が倒れ鎌倉幕府が成立した12世紀末以降のことで、これは1191年に2度目の留学から帰国し、本格的に点茶法の茶の製茶法から飲み方までを伝えた栄西が活躍する時期と重なります。

 さらに明風喫茶文化ですが、隠元隆琦があげられます。隠元は中国福清の萬福寺の住職でしたが、1654年明から長崎に渡来、1661年には宇治に萬福寺を開きました。宇治萬福寺では、「雪中煮茶」という漢詩と茶の会を催し、中国製の隠元所持と伝わる茶灌が残り、僧堂の日常規範を定めた『隠元和尚黄檗清規』の中で僧堂の仕事として茶摘みが定められているように、寺内で茶を生産し、消費をしていました。その茶がどのようなものかは、少し後世の史料に頼ることになりますが、のちに唐茶といわれた鍋炒り製で、淹茶法で飲んでいたものとみられます。このとき日本に初めて、茶葉を「揉む」という工程が伝えられました。

日本の喫茶文化の略年表
805年 永忠と最澄が唐から帰国。唐風喫茶文化(煎茶法)伝来か。
815年 永忠が嵯峨天皇に茶を献ずる。
12世紀前期 博多津唐房まで宋風喫茶文化(点茶法)伝来か(天目の出土)。
1191年 栄西が宋から二度目の帰国。宋風喫茶文化の本格的伝来。
16世紀初期 「茶の湯」の登場。
16世紀後半 宇治で覆下栽培による「抹茶」が発明される。
1654年 隠元が中国から渡来。明風喫茶文化(淹茶法)伝来か。
1661年 隠元が宇治に萬福寺を開く。
1738年頃 宇治田原で「煎茶」が発明される。
1835年頃 宇治で「玉露」が発明される。
1854年 開国。緑茶が主要輸出品となる。
1880年代~ 静岡を中心に製茶工程の機械化進む。

 これら日本で受容された喫茶文化は、その後そのままの姿であったわけではありません。長い年月をかけて日本の風土に合わせて変容しつつ受け継がれています。例えば煎茶法の茶は、京番茶などの中に受け継がれています。点茶法の茶も、栽培法を変えて現在の「抹茶」へとつながっています。淹茶法の茶も、「煎茶」や「玉露」へとつながっています。

とくに現在の日本茶を代表する茶種である「抹茶」「煎茶」「玉露」は、いずれも宇治を中心とした京都府南部で生み出されたものです。

 まず戦国時代末期(16世紀後半)、宇治で覆下栽培による「抹茶」が発明されます。栄西の時代に宋から伝えられた「抹茶」は、一年中日光を浴びて育てられる露地栽培による茶葉を使いました。これに対して覆下栽培とは、春先の新芽の出始めるころ20日以上、茶園全体に覆いをして日光を遮って育てる栽培法で、よりうまみ成分の多い茶葉ができます。抹茶を飲むと、独特の香りとうまみがあるのはこのためです。

 次に1738年頃宇治田原で、露地栽培の茶葉を使い、宇治製という茶葉を摘んですぐに蒸して酸化発酵を止め、焙炉という乾燥炉の上で揉みながら乾燥させる製法で作られた「煎茶」が発明されました。このとき、明風喫茶文化の「揉む」という工程と「淹茶法」を取り入れました。

写真

焙炉で手揉み

 最後に1835年ごろ、宇治で、覆下栽培の茶葉を使い宇治製で製茶した「玉露」が発明されました。

 このように、宇治では、中国から伝来した喫茶文化をもとに、宇治という風土に合わせた栽培法や製茶法の工夫を重ね、覆下栽培による「抹茶」、宇治製法による「煎茶」、覆下栽培と宇治製法をあわせた「玉露」という新しい茶種を生み出したのです。

 また、1854年に日本が開国し茶が主要な輸出品となったことにより、各産地では、より品質の良い煎茶(緑茶)をつくるために、積極的に宇治製を導入するようになりました。さらに1880年代以降、静岡が中心となって製茶工程の機械化を推進させた結果、宇治製がより全国の産地に広まり定着することになりました。

 現在ではこれらに加えて、明治時代以降に製法を受容した紅茶や、烏龍茶などの半発酵茶を作る動きがみられます。双方の茶種もまた、中国で誕生したものです。これまでの歴史に習うならば、紅茶・半発酵茶の製法を単に受容するだけではなく、この先には、これらの技術をもとに新しい茶種が誕生するという展開が待っているのではないでしょうか。


※出典:「日本の喫茶文化の歴史」『和華』第10号(2016年4月),pp.32-35,アジア太平洋観光社。


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