【17-12】「静嘉堂」の過去と現在

2017年 4月28日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09—2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09—2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09—2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11—2013.03 浙江大学哲学学部 補助研究員
2011.11—2013.03 浙江大学ポストドクター聯誼会 副理事長
2013.03—2014.08 山東大学(威海)文化伝播学院 講師
2014.09—現在 山東大学(威海)文化伝播学院 副教授

 静嘉堂は、三菱第2代社長の岩崎弥之助が1892年に設立したもので、「静嘉」の名は『詩経』から取られた。『詩経・大雅・既醉』には、「其告維何?籩豆静嘉」の語がある。後漢の大儒とされる鄭玄はその注釈において、「籩豆之物,潔清而美,政平気和所致故也」と記している。また南宋の大儒・朱熹は、「静嘉,清潔而美也」と書している。この名を取ったのには、現世から超脱し、清廉さと美を重んじるとの意味がある。このように静嘉堂は、その誕生の瞬間から、解くことのできない縁を中国と結んでいた。それだけではない。さらに重要なのは、1924年に設立された静嘉堂文庫の蔵書の由来が、中国清代の4大蔵書楼の一つとされた「皕宋楼」であったということである(「皕宋楼」のほか、瞿氏「鉄琴銅剣楼」と楊氏「海源閣」、丁氏「八千巻楼」を合わせて、清末の4大蔵書楼と呼ばれる)。陸心源の皕宋楼は、200部の宋版書を蔵すると言われた。実際にはこの数字には達していなかったとしても、これほどの規模の宋版蔵書は、清代にあっても群を抜いており、陸心源を当時の(蔵書家の)巨人とするに足りるものだった。清末民初において皕宋楼の蔵書が日本にわたったことは、蔵書家にとっては悔しい過去であり、現在にあっても、静嘉堂を話題にする際には、中国の不肖の子孫の行為にため息をつくと同時に、当時の国運の衰えに感傷をおぼえずにはいられない。いずれにせよ、現在の静嘉堂は、世界各地の研究者に、便利な検索プラットフォームを提供しており、書籍のあるべき流通機能を担っていると言える。

 静嘉堂が、宮内庁書陵部と国立国会図書館、金沢文庫、足利学校につぐ、中国の古書籍の重要な収蔵場所であることは間違いなく、とりわけその宋元版書籍の重要性は高い。静嘉堂文庫の創立当初のねらいは、岩崎弥之助が、欧州文化を過度に追求し東洋固有の文化を軽視する当時の日本の傾向を正そうとしたことにあった。明治20年(1887)から、岩崎弥之助は、絵画や雕刻、書、漆器、茶道具、刀剣などの芸術品を幅広く収集し始めた。息子の三菱財団第4代社長の岩崎小弥太は、中国の陶磁器を中心に収集した。昭和15年(1940)、静嘉堂文庫の所蔵書籍は研究者に開放された。昭和20年(1945)、小弥太が亡くなると、その遺志に照らして、静嘉堂所蔵の国宝・重要文化財級の美術品は、その妻によって岩崎財団に寄贈された。これらの美術品は1977年から、静嘉堂文庫展示館で公開展示され始めた。静嘉堂文庫創立100周年を記念するため、1992年4月からは、新館となる静嘉堂文庫美術館の建設が始まった。代表的な所蔵品である南宋時代の「曜変天目」は、毎年4、5回にわたって公開展示されている。

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岩崎弥之助 / 岩崎小弥太

(出典:静嘉堂文庫美術館HP静嘉堂について(沿革)http://www.seikado.or.jp/about/index.html

 静嘉堂文庫美術館は、東京都世田谷区の岡本静嘉堂緑地のふもとに建てられ、竹林が茂り、マツやヒノキがそびえ、岡本公園に隣接し、気候にも恵まれた美しい風景の中にある。2016年11月27日、筆者はこの場所を参観する機会を得た。二子玉川駅まで行き玉32のバスに乗り換え(日曜日以外は玉31)、静嘉堂文庫停留所で下車し、5分ほど歩くと静嘉堂に到着した。

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1924年に建てられた静嘉堂文庫(筆者撮影)

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静嘉堂文庫の入口(筆者撮影)

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静嘉堂美術館(筆者撮影。この時には「漆芸名品展」が開催中で、「曜変天目」も展示されていた)

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「漆芸名品展」ポスター(筆者撮影)

 静嘉堂文庫に到着した後、皕宋楼蔵書楼と静嘉堂が交錯した歴史的な場景が脳裏によみがえってきた。清代の陸心源は書籍の収集を好み、蔵書を「皕宋楼」「十万巻楼」「守先閣」に分けて収蔵した。そのうち月河街陸宅の皕宋楼には、宋元の旧刻書が収蔵された。十万巻楼には、明清時代の貴重な刻本、著名人の抄校本、著名人の著述の手稿が収蔵された。潜園の守先閣には、普通の刻本と抄本が所蔵され、士人(儒生)の閲覧用に開放されていた。陸心源の蔵書は、宋元刊本が豊富なことで知られ、1930年代に日本静嘉堂文庫の所蔵に基づいて統計したところによると、北宋刊本は7部80冊、南宋刊本は114部2611冊、元刊本は109部1999冊あり、いずれも極めて貴重な孤本であった。

 光緒23年(1897)、浙江湖州の陸心源の4人の息子が分家した。上海のシルク工場は陸樹藩に与えられ、銭荘(当時の金融機関)は陸樹屏に分けられ、故郷湖州の当鋪(当時の質庫)は陸樹声のものとなり、四男の陸樹彰は幼く資産の管理ができなかったため、分家には参加しなかった。父親の遺産のうちの古書籍や書画、骨董は分けられることはなかったが、息子の誰も管理する気はなく、適切に保管するための資金も欠いていたことから、徐々に荒廃していくこととなった。20世紀に入ると、日本が中国に人造シルクや各種の安価な東洋商品をダンピングし、民族資本家は打撃を受け、多くの生糸取扱業者や繰糸工場が次々と閉鎖され、陸家の瑞綸繰絲厰(製糸工場)も倒産し、銭荘の資金は長期にわたってシルク工場によって占用されることとなった。困った陸樹藩は1904年、日本で勉強していた堂弟(父方のいとこ)に頼んで購入者を探し、父親のすべての収蔵品を少しずつ売るよりは一度に売ることで、その後に発生し得る挽回不可能な損失を避けようとした。

 皕宋楼は、日本の学術・文化界でも極めて有名だった。当時、三菱財団所属の静嘉堂文庫で働いていた漢籍目録学者の島田翰は、この知らせを耳にすると、主人である岩崎弥之助にすべて購入するよう働きかけ、指示を受けて湖州に考察に行った。島田は、1906年3月初めに日本を出発し、4月18日に湖州に到着すると、陸樹藩の付き添いで、皕宋楼と守先閣の蔵書を逐一検査し、詳細な種類と巻数を記録し、報告書を作成して日本に送った。翌年春、静嘉堂文庫の責任者だった重野成斎が自ら上海に赴き、価格や引き渡し、運搬などの問題について陸樹藩と話し合い、3月28日に秘密裏に契約を行った。1907年6月のある日、1隻の小型汽船が3隻のはしけを引いて湖州に入り、陸心源が遺したすべての書籍をこっそりと積み込み、その夜のうちに上海に戻り、日本郵船がその運搬を引き継いだ。このようにして皕宋楼と十万巻楼、守先閣の4172種合計4万3996巻の宋元明清の貴重な刻本は、日本最大の個人蔵書に帰属することとなった。岩崎弥之助はこうして、中国の文化遺産のうちの値のつけられないほど貴重な宝を12万銀元で簡単に手に入れることとなった。

 その後、日本の著名な学者の長沢規矩也が、静嘉堂文庫などの30余りの蔵書元のために漢古籍の整理と収集を行った。長沢は1926年から1936年まで、静嘉堂文庫の担当者として、目録編成の作業に従事した。長沢は1927年以降、中国を繰り返し訪れて書籍の探訪と購入を行い、静嘉堂文庫のためにも書籍の調達を行った。このうち書籍購入が最も多かったのは1928年で、静嘉堂文庫のために各種漢籍349部を買い入れた。静嘉堂の統計によると、その蔵書は現在、約20万冊にのぼり、このうち漢籍は12万冊、和書は8万冊で、まさに蔵書の巨頭と言える。

 静嘉堂文庫は、豊富な蔵書だけでなく、大量の美術品も保有している。これらの蔵書や美術品の中には、国宝が7点、重要文化財が84点あり、東洋の芸術品は6500点を数える。例えば静嘉堂美術館に収蔵されている「曜変天目碗」は、現在世界に存在している3碗の曜変天目のうちの一つであり、しかもその独特な光彩からそのうちの最高の品と考えられている。このほかの2碗は、大阪の藤田美術館と京都の大徳寺に所蔵されている。また鎌倉の大佛次郎氏が所蔵していた曜変天目も、建窯黒釉碗の中でもなかなかない佳作であり、貴重な品と言える。

 中国の北京大学山東大学は現在、静嘉堂文庫と積極的に交渉し、静嘉堂文庫が所蔵している中国の古書籍の影印を求めている。このうち山東大学の子海編纂センターが2016年7月に出版した『子海珍本編』(海外巻・日本・静嘉堂文庫)には、静嘉堂文庫の蔵書13部(『楓山語録』『神機制敵太白陰経』『医経正本書』『化書』『元城先生語録解 遠城行録解』『車軒筆録』『蜩笑外稿』『清秘蔵』『焦氏易林』『三辰通載』『大衍索隠』『歴体略』『集異記』)が収録されている。このうち章懋『楓山語録』は明代・万暦年間の刊本、鄭瑗『蜩笑外稿』は明代・嘉靖年間の刊本であり、いずれも非常に珍しい版本である。静嘉堂文庫の貴重な書籍は近い将来、影印の方式を通じて、研究者がより便利に利用できるものとなると信じている。


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