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【19-01】ある一つの文化起源 福建省【永定土楼群と湄州島】

2019年1月24日 川田大介(文・写真)

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厦門から漳州を抜けて永定土楼群へ

 いつごろから中国と日本は交流があるのか、この答えをいくら探しても、ただしい根拠は見つからないだろう。一衣帯水の地域というのは、時代の影響で母体が変われども、文化の繋がりというのは、決して断つことができない。無理に断とうとしたならば、必ずヒビができるもの。ヒビはやがて、母体に影響を与え、壊れてしまうこともある。そういう地域は混ざるもの、母体の文化の端っこで、独自の共栄圏をきずくもの。

 福建省には、中原(黄河中流域)から移って来た人たちを祖先にもつ、土楼という巨大な土の建造物で暮らす人たちがいる。ここの人たちは客家とよばれ、多くの人たちが華僑になっていった。彼らは独自のコミュニティを持ち、現地の人たちとは違う知識をもっていたという。その知識の恩恵をえた人たちは彼らを尊敬し、土地のお客様という意味をもつ客家とよんだ。

 今回訪れた永定土楼群は、土楼の中でも最大級、土楼の王と呼ばれる承啓楼がある。今でも江家の人たちが暮らしていて、一番多いときは一族80家族以上が暮らしていたという。

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永定土楼群にある、土楼の王様といわれている承啓楼。
土楼の内部は木造で、石も多く使われている。

 匪賊や宗教間の争いから一族を守るため、土楼は要塞のような形をしている。壁の土は南方の赤土と米のり、鶏の卵、黒砂糖を混ぜて固めるのが一般的で、下部の厚さは必ず1m以上あるという。ユネスコ世界遺産には46の土楼が登録されているが、これは状態がいいものだけで、小さいものや壊れているものを合わせると、今でも約2万の土楼が確認できるそうだ。

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承啓楼は円形だが、隣の土楼は方形だ。
この屋根を見上げながら、子供達に「お前は丸く育ちたいか、それともまっすぐ育ちたいか」と話していたという、ここで暮らす人の表情が印象的だった。

 そんな話を聞きながらバスに乗っていると、そこら中に土楼を見つけることができた。この土楼の多くが、今も普通に使われている。このような建築物の中で、日本同様にスマホでゲームをしている若者がいるのだから、何だかとても不思議な気持ちになる。

 永定に行く時、出発点を厦門にしたなら、きっと漳州を通ることになるだろう。鄭成功の父親、鄭芝龍が根拠地としていた、月港がある地域だ。厦門が貿易地として整うまで、ここは貿易の一大地だった。漳州はフルーツが特産で、今回立ち寄ったパーキングで食べた赤いバナナと小さなパイナップルが、本当に美味しかった。

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 赤いバナナは皮が薄く、身が太い。溶けるほどとまではいかないが、口に含んだ時に広がる甘みがたまらない。このバナナは中国の中でも旬な時期にここでしか食べることができないそうだ。何故なら一番美味しいから、現地の人が全部買ってしまうからだという。

 小さなパイナップルも旬なもの、普通のパイナップルよりも酸味がなく、これも深い甘みが特徴。日本ではあまり果物を食べない僕だが、福建省に行くと、いつもその時期の果物が食べたくなる。

海の女神、媽祖様が産まれた島

 一衣帯水の文化圏には、共通の文化が存在している。日本と中国、その中でも福建省と長崎には、媽祖様という女神の信仰がある。日本では日本武尊の妃、弟橘姫の信仰とつながり、青森まで広がっているようだ。この信仰は、福建省・台湾・沖縄・長崎等、海を介してつながっている地域に残っていた。

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南門を入り、真っ直ぐ行った承啓楼の中央には、祖先を祀る廟がある。
土楼は1階と2階に窓がなく、南の門のみが外界とつながっている。

 『中國紀行CKRM』のVol・04で詳しく紹介しているが、調べれば調べるほど、媽祖様という女神の信仰は興味深い。道教の神様であることから、人として生きていた時、多くの人を救ったのだろうということは想像つくが、あの時僕は、確かに日の丸の笏をもつ媽祖像を見た。1138年に建立され、地盤沈下で地中に沈んでいた顕應宮の中に、何故日の丸の笏をもつ媽祖像があったのか、そこに、日本の国旗である日の丸のルーツがあるのではと考えている。

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南国特有の花々がそこら中に咲き誇り、まるで楽園のような景色だった。

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媽祖宮の中で、媽祖様の髪型を忠実に再現している女性と出会った。

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福建省といえばガジュマル。僕はこの樹が、たまらなく好きだ。
福建省では、巨大で気根も立派なガジュマルをたくさん見ることができる。

 海で困ったことがあった時「媽祖様助けて」と叫ぶと、赤い衣をまとった媽祖様が海のかなたから助けに来てくれる。という伝承を図案として簡略化したら、白地に赤い日の丸になるからだ。その媽祖様が産まれたのが、福建省の蒲田にある湄州島。はじめて訪れた湄州島の美しさといったら、こんなに綺麗な砂浜は見たことがない。黄金砂浜とよばれるこの場所はその名の通り、夕暮れでもないのに輝いて見えた。

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 砂時計の中に入っているような粒子の細かい砂の上に、ところどころに浮き出た小さな天然石。この光景は、言葉では言い表せない。海のポタラ宮とよばれる媽祖宮は、世界一の規模をほこり、台湾からも多くの熱心な信者を集めている。新しく建築された媽祖宮の横で林黙は昇天し、媽祖様になったと伝えられている。

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※本稿は『中國紀行CKRM』Vol.13(2018年11月)より転載したものである。