【08-02】日本における現代農業の発展は中国に基本的な示唆を与える:追加貨幣資本

徐祥臨(中国共産党中央党校経済学部教授・中央党校三農問題研究センター副主任)  2008年5月20日

 内容要約:中国は社会主義新農村建設を進めている。資 金問題をいかに解決するかという点については、日本の経験が手本とするのに足りる。日本が農業(農村)発展のための資金問題を解決できたのには多くの理由 があるが、第1に農本主義という伝統的な国家統治理念と科学的な経済理論による指導があったこと、第2に実行可能で適切な政策措置を採用したこと、第3に 情勢によって余儀なくされたことも挙げられる。貨幣資本の不足問題を解決してはじめて、農村経済の発展に貢献する各種生産要素は合理的な報酬が得ら れ、(それらを)組み合わせて現実の生産力を形成することができる。中国が市場経済の基礎の上に社会主義新農村を建設するためには、貨幣資本不足の問題を 解決しなければならない。

image

テーマとなる語句:三農問題、追加資本、政策金融、農業補助金。

 胡錦濤国家主席が中国の政権を握ってから、長期にわたり中国社会の経済発展を阻害し続ける農業・農村・農民(略称“三農”)問題を解決するため に、“(農民が補助金を)多く受け取り、(農業税や各種費用の)支払いを減らし、(戸籍制度や土地収用を)弾力的に”という方針を直ちに打ち出し、“2つ の減免3つの補助金”(農業税・農林特産税を減免し、食料供給者への直接補助・優良品種作付けへの補助・農業機械購入者への補助を実施する)を中心内容と する農業優遇政策を採用し、めざましい成果を上げた。 1990年代末期以来の穀物総生産量の急激な減少という趨勢を効果的に食い止め、2007年の中国における穀物総生産量は5,015億キログラム以上にま で回復した。2005年10月に開かれた中国共産党第16期中央委員会第5回全体会議でも社会主義新農村建設という重大な歴史的任務が提起された。2年余 りにわたり、新農村建設にも顕著な効果が表れた。しかし、農産物とりわけ穀物の長期需給関係の逼迫状態は改善されておらず、都市・農村住民間の収入格差は 依然として拡大しており、農村のインフラ建設にも巨額の資金不足が存在している。総体的に見ると、中国が三農問題を解決し、新農村を建設するには資金不足 という難題を解決しなければならない。筆者は、日本が問題を解決した理論と政策が比較的成熟しており、中国が手本とするに足るものであると考える。

1.日本の農業発展を支えた指導的理論

 理論とは政策を先導するものである。科学的な理論がなければ、重大な社会経済問題を解決する面で長期的に有効な政策を形成することは極めて困難で ある。この道理は当然日本にも適用される。日本における農業(農村)経済発展問題を研究する際には、その他の先進国とは異なるその独特な理論を理解せざる をえないのである。

(1)国家的イデオロギー:農業を基本とする

 歴史上、日本は中国と同じく小農(零細農家)経済国家であり、基本的な社会階級は“士、農、工、商”という序列で並び、社会統治者としての“士大夫(官 僚)”階層が実施していた基本的な統治理念は“強本抑末”であった。すなわち、国家が農業を中心とする実物経済を奨励し、流通を中心とする商業経済を抑制 したのである。明治維新以後、日本は西欧が産業革命の基礎の上に築き上げた各種文明の成果を大いに吸収し、欧米列強を追いかける発展の道を歩んだ。そうで あったからこそ、日本の統治者としては、伝統的な農耕文明と近代西洋の工業文明の関係をいかに正確に処理するかという歴史的な課題に答えなければならな かったのである。紙幅に限りがあるので、日本の当時における論争と探求については省略するが、結果から見ると、日本がこの課題に直面して出した基本的な回 答は、2種の文明の優れた面を有機的に融合するということであった。

image

 この精神は経済発展を処理するプロセスで必ず遭遇する産業関係の問題において具体的に表現される。すなわち、全力をあげて工業・商業及び金融業の発展を 堅持すると同時に、依然として農本主義の統治理念も堅持するということである。この点は以下のいくつかの点に具体的に表現されている。

 1つ目は、毎年皇居の水田において日本の天皇が水稲をお植えになることで、農業を基本とする理念を忘れないということを公に示していることである。2つ目 は、農本思想が依然として学術上崇高な地位を占めていて、幅広く尊重されていることである。例えば、農本思想家の新渡戸稲造が5千円紙幣の肖像に選ばれた こと(2005年からは小説家の樋口一葉に変更されている)などである。3つ目は、農業及び農民の利益を代表する議員たちが日本の国会で一貫して強い発言 力を持っていることである。4つ目は、政府がこれまで農業からの搾取や略奪を意図した政策を制定したことがないことである。

 戦後、日本の農業政策研究および農業政策を制定した関連文献に“農業を基本として”という文字による記述こそ目にしなくなったが、実際にはそれは既に国 家的イデオロギーと化していた。すなわち、農業もしくは農民の利益が国内外市場の要因によって不利な影響を受ける時には、政府はいつも即座に対抗措置を採 用して農業(農民)を保護するのである。日本人とりわけ学者から見ると、農業は優れた文化を伝承しており、勤労・倹約・質素・忠誠・互助といった美徳は主 に農民によって伝承されてきたのである。日本人は世界でも広く賞賛されている勤勉な精神を持つが、これは国家が農業重視のイデオロギーを持つことと直接関 係しているのである。

(2)東畑精一:付加資本が農業発展を推進する条件である

 農本思想は国家的イデオロギーとして、農業が損害を受けないように保護する機能を持っている。ただし、それは結局のところ伝統的な統治理念にすぎず、そ の理論体系には伝統的な農業を指導してどのように現代的農業に発展・変化させるかという内容が含まれていたわけではなく、農本思想の代表的な人物も主に第 一次世界大戦前に成長してきた学者であった。伝統的な農業の現代化をどのように実現させるかを研究し、際立った理論的成果をあげた学者たちが戦間期に出現 した。本論ではその代表的な人物である東畑精一東京大学教授(1899-1983)の日本農業発展理論を重点的に紹介する。

 東畑精一は日本の著名な農本主義者・横井時敬に師事する学生で、東京帝国大学(現在の東京大学)で教育に従事した後ドイツに留学し、著名な革新理論の大 家シュンペーターに師事し、その教えを深く理解した。東畑精一はシュンペーターの革新理論を応用し、日本の農業が伝統的モデルから出発してどのように発 展・革新を実現するかという問題について研究した。その研究成果は1936年に出版された『日本農業の展開過程』という書に集中的に表現されている。

 東畑は、“伝統的な農民は基本的にもとの規模の上に年毎に同じ田畑で単純再生産を繰り返し、資本を蓄積することが難しいために、“単なる業主”、“賃率の 定まらぬ農業労働者”にすぎず、農業発展において、彼らは改革を推進されてしまう立場にある。革新精神をもって農業の前進発展を推進する“企業家”は政 府・農産物加工業者・大商人・外地の地主及びごく少数の農民である。ただし、市場経済において、政府は農業発展の推進者としてその他の“企業家”とは異な り、政府は経営リスクを負わないし、利益の最大化追求を目的ともしないが、その他の経営者はこの2点が必須なのである。政府が農業発展を推進する主な手段 は農業補助金と低金利の金融であり、政府の穀物に対する統制的経営は政府こそが最大の米穀商であるからと理解することが可能である”と考えた。

 東畑は、“固有の技術条件のもとでは、各種生産要素の組み合わせからなる日本の伝統農業は一種の均衡状態にあるが、新たな要素を付加していかなければ、 この均衡状態はひと巡りしてまた一から始まるという循環を繰り返し、静態的均衡をきたすであろう。農業が発展するには、付加資本を用いてもとの技術経済の 組み合わせを打破しなければならない。この種の付加資本こそが農業の革新を推進し、動態的均衡状態に入る手段である”と考えた。東畑は『日本農業の展開過 程』で3種の農業付加資本の財源について分析している。1つ目は政府の農業補助金、2つ目は政府から農民に貸与される低金利の金融資金、3つ目は農産物加 工企業が農民に給付する前貸し資本である。

 政府の農業補助金は農業経営者に直接交付されるのではなく、農業団体や地方自治体に支給され、農業奨励事業に用いられるが、それは主に農業技術普及事業で ある。この分野では主に人件費に用いられる、すなわち人員増加に必要な賃金支出及びその他の事業経費である。この経費によって、科学技術職員は新たな技術 を農業に導入することができ、それによって新たな農業技術経済の組み合わせを形成し、新たな生産力を生み出すのである。このように、政府は農業発展におい て“企業家”の革新的効果を発揮した。その他にも、農村工業化によって一部の農業資源と農民の発展の機会を占用することになるので、農業補助金は農民に対 する賠償金であると理解することもできるのである。

 日本政府の農業に対する別の資金援助ルートは低金利の資金を農民に貸与することである。市場メカニズムの効果で、農村資金は各種ルートを通じて都市に流れ 込むので、地方自治体と関係者は常に資金が中央に吸い上げられ、農業における資金不足をきたすことに不満を覚える。この問題を解決する方法は政府が金融シ ステムから資金を借り受け、政府系金融機関を通して農業に投資することである。主な用途は3つある。1つ目は、災害後の復興など、農業発展の外部条件を創 り出すことである。2つ目は農民に穀物生産・肥料及び養殖業に必要な一定の巨額資金を提供することである。3つ目は自作農を創設・維持する資金である。

 政府以外で、市場メカニズムによって農業発展のために用いられる付加資本を調節するのは、おもに農産物加工企業が農民に給付する前貸し資本である。企業 は農民に前貸し資本を給付する時に、農民に商品作物の生産技術を提供し、農民に企業の要求に応じて農業生産をするように要求し、それによって農業の技術革 新を推進してきた。

2.日本政府による農業向け追加貨幣資本の歴史的背景と具体的方法

 日本の農業現代化の原因については、中国にはある流行の見方がある。すなわち、日本は工業発展を通して国富を蓄積した後に農業を支援・保護する政 策を採用した、というものである。実際には、この見方には大きな誤解がある。伝統的農耕文明の時代、日本経済の主体は農業であり、手工業は農業の附属成分 にすぎず、今日言うところの工農業関係とは言えない。それゆえに、日本政府による農業支援・保護政策が近・現代の工業発展が始まった後に形成されたもので あるというのは歴史的なロジックに合致する。ただし、この政策の形成と発展・変化のプロセスから見ると、それは国家の豊かさ、とりわけ財政的余裕があるか どうかとは直接的な相関性はないのである。国家の経済情勢と政府による農業政策の関係を単純に考察するなら、経済が非常に困難な時期には、政府は農業に対 する支援と保護の程度を拡大していると言ったほうがいいのである。

(1)政策金融を主力とする農業金融

 “政策金融”は日本における重要な経済概念の1つである。戦前にも“制度金融”と呼ばれていた。それは、政府が出資して組織した金融機関による、政府が 発展を望みながらも、商業金融市場では資金調達が難しい産業部門に対する融資を指す。政策金融が普通の商業金融と異なるところは、主に2つの点に具体的に 表れている。1つは融資期限が比較的長く、20年から30年以上にまでも及ぶことである。2つは、利率が低く、財政から利子補填もできることである。

 日本の農業政策金融は19世紀末から現れはじめた。1896-1900年の間、日本には“工農業の改良による発達”を目的として日本勧業銀行と農工銀行 が相前後して成立し、農業と農村工業に対して大規模融資を行った。この2つの金融機関の資本金は個人のものではあったが、政府の政策的恩恵を受けて、政策 金融業務を請け負っていた。

 日本で政策金融機関が成立した背景は、明治維新から20年余りが経過し、工商業発達の利益が日本人にも十分に認識され、農村の地主及び零細農家は商品農 業を発展させるプロセスにおいて蓄積し始めた資本を主に農業以外に投資した。商品経済において、各種ミクロ経済の主体が投資収益の最大化を追求するのは必 然的なことであった。しかし歴史がこのように推移したことで、農業においては資金不足をきたしたのである。そのために、農村では伝統的な高利貸金融がより 活発となり、年利は一般的に2分前後であった。一般的に言えば、農業における投資収益率がそこまで高くなるはずがなく、従って、資金不足の零細農家は大き な債務を抱えることになり、次々と破産することになった。この問題を解決するために、また同時に商品農業の順調な発展を促進するために、日本政府は政策金 融を用いて高利貸金融に対抗したのである。日本勧業銀行と農工銀行が設立されると、直ちに効果を発揮し始め、第一次世界大戦前には、僅かに十数年の間に、 日本の農村における高利貸金融は基本的に消失した。後には、この2つの銀行の私企業的な性質のために、次第に農業から離れ、第二次世界大戦前には相次いで 再編されて、商業的な金融機関に変化した。しかし、政策金融ルートを通して農村における資金不足を解決した経験は既に成熟していたのである。

 第二次世界大戦後、日本は農村の金融体系を抜本的に改革し、政策金融と農協(農業協同組合の略称、我が国の農業合作社)金融を結び付けた農業金融体系を 築き上げた。戦後の農業政策金融は農林漁業金融公庫を中心とし、主に農業インフラ建設に対する融資業務を担当している。この他に“農業近代化資金”もあ る。すなわち、農民が農協系統の金融資金を利用して現代農業の発展を図るのに対し政府が利息の補填をし、栽培施設の購入と更新・品種の交換といった農林牧 畜漁業の生産技術の現代化に必要な中長期的資金の需要を満たしたのである。一方で、農協金融は主に種子・化学肥料の購入といった農民の短期流動資金の需要 を満たした。このような農業金融体系においては、農民は発展資金のことで心配する必要はまったくない。よい投資プロジェクトがありさえすれば、農民たちは それを始めることができるのである。

(2)財政的農業支援資金:農業補助金

 日本では、金融という手段で資金を農業に流動させる他にも、農業補助金政策を採用して農村の経済発展を支援している。いわゆる補助金とは、政府が地方自 治体・民間法人・個人に対して財政的な貨幣の支出をすることを指す。農業補助金政策は日本における補助金政策のうちでも重要な内容の1つである。

 今村奈良臣東京大学教授の研究によれば、日本政府の農業補助金政策は1900年に始められ、農業技術の普及に用いられたが、その額は少なかった。政府が 大規模に補助金を農業に投入したのは、戦間期の1920年代の中後期であったが、資本主義経済の周期法則の影響で、当時の日本は生産過剰であり、商工企業 及び金融機関は相次いで倒産したが、農村経済はよりひどく、衰微の極限にまで達し、農民は困窮の挙句子女を身売りした。1932年、農村経済の苦境は社会 的対立が勃発する導火線となり、農民出身者を主とする中下級軍人は首相官邸に殺到して首相を射殺した。このような背景のもと、日本政府はアジア、とりわけ 中国に対する侵略のペースを加速すると同時に、“補助金農政”を大規模に推進した。すなわち、政府は財政投融資制度を通して資金を調達し、その資金を農村 に投資し、“農村土木事業”を大規模に拡大し、農村では大いにインフラ建設を進めたのであった。一方、農村では、農民を主体として、“自力更生”運動を起 こし、農民が自己の労働によって農村経済を発展させ、貧困を脱却したのである。そうであったからこそ、我々は統計データ上で、1931年日本が農業に当て た財政支出が2576万円(当時の日本円の為替レートは大変高かった—筆者注)であったことを見ることができるのである。そのうち補助金に当てられたのは 1683万円であった。1932年には、この2つのデータはそれぞれ6756万円と5640万円にまで急増した。たとえ戦争の時期であっても、日本政府は 農業に対する財政支援の増加を止めなかった。例えば、1939年には、日本が農業に当てた財政支出は1億6642万円で、そのうち補助金に当てられたのは 1億3527万円、1941年には、この2つのデータはまたしてもそれぞれ4億5205万円と3億5264万円にまで急増したのであった。

 この他にも、戦前戦後を問 わず、日本政府は長期にわたって米を中心とした農産物の買付に対して管理統制を実施し、政府が経営を独占した。ただし、日本が 採用したのは高値による買付政策であり、これによって農民を搾取したのではない。販売面では適切に価格をコントロールしたので、消費者はそれらを購入する ことができた。このように生産者と消費者双方の利益を保護したのである。農産物価格の逆鞘補填も農業補助金の重要支出項目であった。

(3)農業支援資金調達の主なルートと支出の原則

 日本政府は一貫して農業に対しては支援及び保護政策を採用してきたが、農業の資本収益率が非農業産業よりも低いという市場の競争法則を根本から変えること はできなかった。そのために、日本の農業部門を中心に資金の流動状況を考察すると、ある法則性を帯びた現象を見出すことができる。すなわち、政府が財政と 金融ルートを通して資金を農村に集めても、農民と農協は農業余剰資金を農業以外に投資してしまうという現象である。このように、農業の発展に伴って、資金 需要はますます増大したので、政府は制度から資金調達問題を解決しなければならなかったのである。

 日本政府が長期的に利用した資金調達ルートは財政投融資制度であった。すなわち、政府は郵便貯金と簡易生命保険(政府が開設した金融機関)が調達した巨 額の資金を財政上利用できる資金に転化したのである。そのうち一部を財政的な無償支出に転化し、別の部分を政策金融に移して、長期貸付に用いた。このよう に、財政を通して、産業発展と国民の貯蓄の間に固定的な資金融通ルートを確立したのである。まさにこのルートによって、農業発展資金もその他の部門(例え ば、交通など)と同様に絶え間なく調達されたのである。

 資金を調達した後、日本政府によって農民と農民団体がこの資金を利用するために規定された条件は非常に緩やかだったので、非常に利用しやすかった。農民 が財政資本を使用しようが金融資本を使用しようが、具体的なプロジェクトでは、政府が規定する支出原則はいずれも十分にプロジェクトの資金需要を満足した のである。すなわち、プロジェクト関連の各種生産要素はいずれも合理的な報酬を得ることができた。そのために、プロジェクトの予算には4つの部分が含まれ た。1つ目は設計費用であり、科学技術職員が得た。2つ目は管理費用で、中央から地方に来た関連管理職員が得た。3つ目は鉄鋼・セメント・機械などといっ た生産手段の費用で、一般的には工業部門が得た。4つ目は労務費用で、労働をした農民が得た。

3.農業に対する追加貨幣資本の政策効果及び中国にとっての示唆

 開発途上国は基本的に伝統的な農業国家であり、工業発展の資金不足という困難に直面しているだけではなく、農業と農村の現代化を実現するのに必要 な資金をどのように調達するかがより大きな難題として立ちはだかっている。日本は数十年も前に早くも先進国の列に入ったとはいえ、歴史的に見ると、かつて は開発途上国であったのであり、その農業発展資金を解決した基本的な経験は中国にとって手本とするに足るものである。

(1)農業に対する追加貨幣資本の効果

 経済学の角度から日本の農業経済政策をどのように評価するかについて、学者たちの見解には大きな相違がある。私は、総体的に見て、日本政府の主導による 農業部門に対して絶えず貨幣資本を追加投入するという方法は有効であったと考える。主に以下のいくつかの面にそれが具体的に表現されている。

 1つ目は伝統的農業を順調に現代的農業に転換できたことである。日本における1人当たりの耕地面積は世界の平均水準の12%にすぎないが、日本の農業生産 は国民全体のカロリー需要量の40%を満たし、野菜・果物・肉類の自給率はさらにそれを上回る。これは日本の土地生産性が非常に高いことを証明している。 しかも、日本製農産物の品質の高さは、既に全世界の消費者たちに認められている。

 2つ目は都市・農村間の格差と工業・農業間の格差が解消されていることである。戦後日本の都市・農村住民間の収入格差もかつては1度拡大したことがあっ た。1961年、日本は最初の農業基本法を公布して、農業労働所得が都市労働者の労働報酬よりも低くてはならないとした。そのために、この目標は主に農業 関連の財政政策と金融政策によって実現されたのである。それによって、都市・農村住民間の収入格差も迅速に縮小し、1972年には農民の1人当たりの平均 所得は僅かに都市住民を上回るに至った。生産の生活インフラ整備面から見ると、農村と都市にはいかなる格差もない。

 3つ目は非農業産業が農村市場を開拓したことである。日本の工業・商業及びサービス業は非常に発達している。しかしながら、戦後日本の経済発展の原動力 は主に内需に由来していた。1950年代中期に高度成長期に入った後、日本のGDP対輸出依存率は一貫して15%以下を維持しているが、これは内需が非常 に力強いことを証明している。

 4つ目は都市・農村間及び工農間に高効率の資金循環の連鎖が形成されていることである。前述のように、政府が農業に大量に資金投入をしているにもかかわ らず、農民は生産運営においてこれらの貨幣資金をより多くの社会的富に換え、乗数効果を通じてより多くの資金を創り出してきた。彼らは市場ルートを通して 自己資金を非農業産業に投資し、都市の資金供給量を増加させてきた。総体的に見ると、都市・農村間の資金運動は資源の高効率な配置をもたらした。

(2)日本の経験が示す中国にとっての示唆と課題

 中国は歴史上かつては日本が見習うべき模範であった。しかしながら、今日に至るまで、中国は西洋先進国に追いつけないばかりでなく、依然として日本にさ えも追いつけない。大都市を見る限りでは、中日両国の差はそれほどはっきりしないように見えるが、農村を見れば、数十年の格差が存在している。

 つまるところ、その差はどこにあるのか。中国の農民の素質は日本の農民よりも劣るのか。そうではない。近年、中国の農産物が日本市場で非常に強い 競争力を発揮していることは、中国の農民が市場における競争では日本の農民と遜色ないことを示している。しかし、中国の農業経済理論と政策は日本と比べる と差が非常に大きいのである。およそ100年前に、横井時敬が彼の零細農民理論の中で、貨幣を用いてこそ“農民の労働意欲を十分に掻き立てることができる ”と提起している。これは日本が農業補助金政策と農業金融政策を実行する理論の出発点となった。しかし、中国では今日に至るまで農村における農民は社会の ために無償労働をしているという現象が存在し、農村の高利貸も息を吹き返し、農村の下部組織の経費も大変逼迫している。これに対して、中国の経済理論は科 学的な解釈を与えることもなく、政策上も有効な対策を打ち出していない。そのために、中国では現実の国民経済の運行において長年にわたりある奇妙な現象が 存在している。すなわち、一方で、非農業産業部門には生産能力と製品の大量過剰現象があり、金融システムでも10兆元を超える資金が遊休化していながら、 もう一方では、億に上る農民が農村で従事すべき仕事もなく、農業と農村の後進的状態を変革するのは困難なのである。

 市場経済はとりもなおさず貨幣経済である。市場経済においては、一方では、貨幣がなければ、現実の生産要素がどんなに多くても、それらを組み合わせて現実 の生産力とすることができない。その一方で、貨幣は生産要素を組み合わせる過程でなければ、資本とはなりえないのである。貨幣の機能をいかに発揮させる か、紙で作った貨幣をいかにして資本に変えるかが、市場経済国家の永遠の課題なのである。日本は財政政策と金融政策を通して農村経済の発展に必要な貨幣資 本の問題を解決した。この成功の経験は、彼ら自身の農業と農村の現代化によって実証されたのみならず、韓国や中国台湾省の実践によっても実証されている。 中国の農村と日本・韓国及び台湾の農村の間には大きな発展の格差があるが、その根本原因は中国の農村が擁する労働力・土地・農産物などといった社会経済発 展に必須な要素価値が公正に貨幣換算された評価を受けていないことで、そのために長期にわたり農民が稲田で汗水垂らして働いた単位時間当たりの賃金がレス トランの皿洗いよりも遥かに安いという奇妙な現象が存在しているのである。もし中国が日本と同様の財政政策と金融政策を採用し、貨幣資本を資金が不足して いる農村に追加的に投資し、中国の農民が中国の土地生産性を日本の水準にまで高めるほど完全に有能だったなら、中国における1人当たりの耕地面積が世界平 均水準の40%に相当することに基づいて、中国のカロリー自給率を日本の4倍を超えるものにすることができ、食糧自給に余裕のある状態にすることができる のは想像に難くない。また、中国の都市・農村住民間の所得格差も完全に当時の日本・韓国及び台湾のように、十数年の間に徹底的に解消され、都市・農村を一 体化した発展を実現できるであろう。さもなければ、日本の成功の経験は中国にとって、中国の社会主義制度及び与党としての中国共産党にとっての歴史的試練 に変わるであろう。

参考文献

  • 原洋之介: 『「農」をどう捉えるか』 書籍工房早山 2006年
  • 東畑精一: 『増訂 日本農業の展開過程』 岩波書店 1963年
  • 今村奈良臣: 『補助金と農業・農村』 家の光協会 1978年
  • 徐祥臨: 『三農問題論剣』 海南出版社 2001年
  • 『中共中央関於制定“十一五”規劃的建議(中国共産党中央委員会の“第11次五カ年計画”に関する提案)』 人民日報 2005年10月18日
徐 祥臨

徐 祥臨:
中央党校経済学部教授

略歴

57年10月、遼寧省葫芦島市に生まれる。
83年、中国人民大学農業経済管理学部卒業。
86年、中国人民大学農業経済管理学修士。同年から中央党校経済学部教員になる。
93年以降、通算4度日本を訪問、3年間に亘り東京大学、政策研究大学院大学にて農業と農村経済発展問題を研究する。
現在、中央党校経済学部教授、博士課程指導教官、中央党校「三農問題」研究センター(校内学術団体)副主任。

徐 祥臨・中央党校経済学部教授の略歴


さくらサイエンスプランウェブサイト

さくらサイエンスプランウェブサイト

 

中国関連ニュース 関連リンク

オリジナルコンテンツ

柯隆が読み解く

2014/2/18更新
「中国の歴史問題」

富坂聰が斬る!

2013/12/27更新
「中国賃金事情」

和中清の日中論壇

2014/2/3更新
「失望」に潜む米国のメッセージと日本の「積み木崩し」

田中修の中国経済分析

2014/2/7 新コーナー開設
「中央経済工作会議のポイント」

服部健治の追跡!中国動向

2014/2/27 新コーナー開設 「安倍総理の靖国神社参拝に想う(上)」

川島真の歴史と現在

気鋭の研究者が日中関係を歴史から説き起こす。幅広い視点から新しい時代の関係を探る。

科学技術トピック

New

2014/3/5更新
「赤外線カメラと簡牘資料の日中共同研究」
工藤 元男

取材リポート

New

日中関連、科学技術関連のシンポジウム・講演等を取材し、新鮮なリポートをお伝えします。

中国の法律事情

New

2014/3/7更新
「百度(バイドウ)の著作権侵害をめぐる攻防の結末」朱根全

日中交流の過去・現在・未来

日中交流のこれまでの歩みとこれから

日中の教育最前線

日中の教育現場の今をレポート

中国国家重点大学一覧

 

中国関連書籍紹介

New

2014/3/12 書評追加掲載

文化の交差点

New

2014/3/18更新
「日本における中国古代絵画」朱新林

中国実感

日本人が実感した中国をレポート

印象日本

中国が日本に滞在して感じたことをレポート

CRCC研究会

過去の講演資料、講演レポート

CRCC中国研究サロン

過去の講演資料、講演レポート

最新イベント情報

アクセス数:31043468