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【18-024】法の番人は裁判官に非ず!?

2019年1月25日

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

略歴

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

法の番人は誰か

 法の番人と聞いて、皆さんは何を想像しますか。また、それが誰かと尋ねられて、皆さんはどう答えますか。おそらく、多くの人が裁判所や裁判官であると答えるのではないでしょうか。

 そもそも番人とは見張りをする人、番をする人を言いますから、法の番人とはまさしく法がどのように使われているのかを見張る人ということになりますよね。ゆえに、一般に法の番人とは、法秩序の維持を担う機関や人をいうと言われているわけです。ちなみに、法の番人がある特定の法令を知らなかったとしても、あるいは法の番人が何かの法を犯したとしても、それだけをとって法の番人に相応しくないというのは言い過ぎであると私は考えます。番人だって人なのですから、知らないことがあっても、若気の至りなどで法を犯してしまっても当たり前で、その時に学べばそれで十分ではないでしょうか。

 とはいえ、日本で裁判所や裁判官が法の番人としてのイメージを確立しているのは、なぜでしょうか。この原因を彼らが中立公正な裁判を目標に鋭意を尽くしてきたからだろうと考えることもできるでしょう。しかし、私はこの原因よりも法秩序の維持の「全般」を担っているからではないかと考えます。

 なぜ私がこのように法の番人について定義し直しているかというと、異文化の法と向き合い日本法と比較することを積み重ねる中で、そうすることが、より普遍的な法を探求できる力になると(確信はないのですが)信じるに至ったからです。

 今回のコラムでは、法の番人と聞いて別の答えもあるのでは?というお話をしてみたいと思います。なお、裁判官や弁護士、後述する検察官を総称して法曹三者と呼び、この日中比較については以前のコラムで紹介しましたので、前提知識として確認して頂きますとより読みやすいかと存じます。お時間が許せば、そちらも ご覧ください。

法の番人としての検察官

 結論から言えば、中国における法の番人とは「人民検察院」・「検察官」(以下、検察とします)であると言えます。検察が法秩序の維持の全般を担っていると見て取れるからです。中国では、検察が法秩序[法律]を監督する機関であり、「人民法院」は法秩序を審判する機関にすぎず、裁判を担う[法官]は今のところ「審判官」にすぎません。この点についても以前のコラムで紹介しましたので、そちら をご覧ください。ちなみに、そのコラムにおいて、検察による公益訴訟が主流化するだろうと、私としては珍しく予想を立てていました。

 この検察が、昨年末に立て続けに2つ、指導性裁判例群を公表しました。同年11月に第11回目の指導性裁判例群を公表したばかりでしたので、(過去の推移からは)3回目はないだろうとも思っていましたから、私としては意外な最高人民検察院(検察のトップ)の動きでした。

 まずは最高人民検察院による指導性裁判例群の公表推移(下記図表)をご覧ください。この図表を見る限り、最高人民検察院が積極的な公表をしているようには見えません。ちなみに過去、第3回から第6回のような規則性がこれから続くのかと期待した時もありましたが、それ以降の推移を見ると承認できない規則性です。最高人民法院(人民法院のトップ)が公表する指導性裁判例群のリズムほど規則的でないので、その動向を追いかけにくいと言えるでしょう。

最高人民検察院による指導性裁判例の公表推移(2010年12月~現在)
公布日 件数 経過日数 公布日 件数 経過日数
1 2010年12月 3   8 2017年1月 5 212
2 2012年11月 5 685 9 2017年10月 6 286
3 2013年5月 3 193 10 2018年7月 6 259
4 2014年2月 5 269 11 2018年11月 3 129
5 2014年9月 3 207 12 2018年12月18日 4 39
6 2015年7月 4 291 13 2018年12月21日 3 3
7 2016年6月 4 339   合計 51  

 次に、この図表では第12回目の棒グラフをハッキリと確認できますが、第13回目の棒グラフは潰れています。これは時系列的に見て第13回目の指導性裁判例群の公表が急すぎることを意味していると言えます。なぜ、最高人民検察院はこのような公表戦略を選択したのでしょうか。

 第12回目の指導性裁判例群の文章と第13回目のそれを読むと、いずれも2018年12月12日に開催した第13回検察委員会第11回会議において其々検討し、公表を決定していたことが分かります。つまり、同じ会議で公表することを決定した7件の指導性裁判例について、意図的に整理したわけですね。そして、第12回目のそれを同年12月18日に、そして第13回目を同年12月21日に公表しました。

 仮に一括して公表した場合、公表件数ついては過去最大の7件となるはずでした。そのため、この点を考慮して回避したのでしょうか。これまでの最大公表件数は6件ですから、たかが1件増えたところで許容範囲内でしょう。だから、別の意図――法の番人としての検察官像を築く――があったのではないだろうか、と思うのです。

第13回目の指導性裁判例群の意義

 関係者の発言から、立て続けの公表にした意図を探ってみたいと思います。

 最高人民検察院法律政策研究室主任の万春は、年末のプレス会見において「公益訴訟」をテーマとして意識的に第13回目の指導性裁判例群を公表したと発言しています(正義網2018年12月26日北京 )。そして、この指導性裁判例群を念頭に置いて近年の人民検察院による公益訴訟が次の3つの効果を得ていると言います。第1に、違法行為を有効に是正していることです。違法行為を発見した際に検察が通告する「検察建議」によってその違法行為の是正が促されている効果を広く周知させる狙いがあったとのことです。

 第2に、「検察建議」や検察による公益訴訟の提起可能性を背景にして、行政機関の法に基づく履行を促す効果を発揮していること。特に検察による公益訴訟の過程で、検察と行政機関とが意思を通じ合わせて協調し、国家利益や社会公共の利益の維持という共通目的を実現できていると言います。ただし、この効果については監察委員会との住み分けが今後課題になりそうですけれども(この点についてはこちらのコラム をご覧ください)。

 そして第3に、中国社会の人々に検察が主導する公益訴訟が、民主、法治、公平、正義、安全、環境などの面において日々増長する生活上の需給を不断に満足させる効果を生んでいると言います。いわば法秩序の維持の全般を担う検察(による公益訴訟)の効果を見て取れますね。

 ちなみに、万春は、総じてこれら3つを「中国の検察業務における新理念」を体現していると評価していました。日本では中国の検察の新理念として喧伝されることでしょう(笑)。個人的には中国の文脈だけで読み込んで科学することをそろそろ試してみてはと思うのですが、おそらく以前と変わらず同じように「中国検察の新理念」的な言動を今年も見聞するのでしょうね。。

 万春の言う「中国の検察業務における新理念」を構成するこれら3つの要素は、従前の中国の検察もすでに有していたものです。中国の文脈だけを読み込んでいけば自ずと確認できます。つまり、中国の検察の新理念とは、いわば新しい環境の中に置かれた古い問題に変わりないのです。しかし、万春の言説や第13回目の指導性裁判例群が試していることはイノベーションを起こそうとする試みであって、そこを見落としてはならないと私は考えます。

 要するに、第13回目の指導性裁判例群の公表は、検察が新しい試みを行なっているぞということを周知する重要な意義を与えられていたということです。もちろん、だからといって第12回目の指導性裁判例群の公表に重要な意義がないわけではありません。第12回目の指導性裁判例群は正当防衛に関する検察の起訴権の指針を示す重要な意義が与えられていましたし、各メディアがこぞって「正当防衛」の文字を躍らせ、過剰防衛との区別を再確認する論考などを発表しています。

中国の検察は「順法の教師」である

 それでは、第13回目の指導性裁判例群の要説を行なっておきましょう。この3件の指導性裁判例は、「検察建議」や「公益訴訟」を手段として検察が法律監督を進められることを言明した内容になっています。検察建議とは関係機関に対する是正勧告などの助言のことですから、日本における行政の監督指導の類いであると理解して良いでしょう。

 例えば、指導性裁判例50事件は、環境行政を所掌する行政機関との間を「検察建議」を通じて監督機能を発揮して、無用な訴訟による解決を回避しました。これに先立つ指導性裁判例49事件は、法に基づく行政を徹底できない行政機関に対して検察が公益訴訟を徹底して行なう姿勢を示したことによって是正されることを示しています。さらに、指導性裁判例51事件は故人の名誉棄損をめぐる違法行為について、親族に代わって「民事公益訴訟」を担うことを示して(関係親族が検察による代理訴訟に合意した点の言及があり、この点は今後の検察による運用でさらに明確になると思います)、社会構成員の問題行為について法律監督を行なう姿勢を、そしてまた公訴権の効果的な行使の典型例を中国に住む人々および中国各地の検察に対して公表しました。

 以上のように、最高人民検察院が公表する指導性裁判例は、中国の検察が違法を正す以上に社会における順法状態を維持するための目的をもって行なっているように見て取れます。これは、最高人民法院の公表する指導性裁判例が、地方保護主義を是正するための、言い換えれば人民法院の中立公正性を強化・保障するための目的をもって行なっているように見てとれることとは異質です。

 この意味で、私は中国の検察を「順法の教師」として評価すべきであると考えています。日本と対比しながら少し考えてみましょう。

 日本と中国の検察を対比して特徴的なことは、いずれも国家権力(公訴権)の行使主体であることでは共通しますが、中国の検察は国家権力を監督する主体でもある点が加わっていることです。この国家権力を監督するという論理を中国の検察が有する理論については、その歴史的変遷から拙著『中国的権利論』東方書店2015年255頁以下で紹介したところです。要するに、中国の検察が国家権力を監督するという論理を背景にできるのは「合法性の要求」=中国的権利論を保証するために不可欠な統治機構を、その国体(中華人民共和国という国のあり方自体)が希求せざるを得ないからです。

 確かにいずれも公訴権を行使するのですから、時として「権力のポチ(犬)」のように思えてならないこともあるでしょう。しかし、それが検察による権力に対する忖度であるのかは当事者本人にしか分からないことですし、もしそうだと多くの人が確信を持つ事態に至るならば、そのような検察による公訴権の行使に対してこぞって反抗するでしょう。このような事態になっていないのは、それが理性的な反発ではない感情的な反発としての「権力のポチ」言動だからです。

 理性的な反発にならない理由は、検察による公訴権の行使が、公訴権の効果的な行使と国政に対する最小限度の影響を天秤にかけながら、法令の範囲内で合理的に行動しているからであると私は考えます。そして、中国の検察の場合は、79年以降の検察の変遷の中で、法律監督機能は個別の法令による立法に委ねられるようになり、その意味で立法関係者による恣意的なコントロールを懸念する声があることも、また事実です。それゆえにこそ、中国の検察は「順法の教師」であろうとしているように私には見て取れます。そして、「権力のポチ」と理性的に言わせないために、「恣意的な運用」か「公正な運用」かを意識しているように思えてなりません。

「恣意的な運用」か、「公正な運用か」か?

 ここ数か月の間で、各国の検察の動向が様々な政治的な思惑と関係づけられて報道されていますね。中国も然りですが、日本でも、カナダでも、そしてフランスでも(昨年の日本では国策拘留といった言葉も踊りましたね)。いずれにも共通することは、国家権力に対して忖度した恣意的な運用であるという文脈です。しかしながら、法律学を学んできた人間としては、いずれも恣意的な運用であるとは言えません。

 いわば法令・法規範の範囲を超えて拘留するとか、公訴権が行使されるというのであれば、間違いなくその恣意的な運用であると言えます。しかし、そうでないのであれば、効率的な公訴権の行使であったり、効率的な法律監督の行使であったりとして、その合理性を承認せざるを得ません。その一方で、「検察は権力のポチ」という文脈で語りさえすれば、おそらくそれが読者の満足のいく行為・現象なのでしょうから、いずれも恣意的な運用であるという結論を導いて留飲を下げることになるのでしょう。

 とはいえ、「自らが満足するか否か」が恣意的であるか否かの基準ですから、感情的な反発としての「権力のポチ」言動は何も変えないし、社会の改善や新しい試みを妨げる障害にしかなりません。極端な話をすれば、これは法治国家を標榜する国民国家において承認できる基準ではないのです。また、恣意的な運用であると断ずることによって(法的)対話は閉ざされがちですから、この意味でもこの評価は感情論にすぎません。

 では、「公正な運用」なのでしょうか。この問いは「恣意的な運用」ほど対話を閉ざすものではありませんが、私たちを騙す方便にすぎませんし、結果として対話を閉ざすものになるかもしれないと私は感じます。

 そもそも何をもって「公正」というかが判然としないからです。強いて言うならば、その時点の公において正しいとされていることが公正なのです。しかし、これは公正が不動でないことを意味しています(ちなみに、公正については、行政におけるそれを対象にしてこちらのコラム で紹介したことがあります)。行政における公正と言えば、行政を担う公務員の公正が不可欠です。そこで、中国では、公務員のクリーンなイメージを確立するために監察法によって法律監督が徹底され、公権力を所掌する人々の不正・腐敗を予防していくことになるだろう試みが行なわれています。そして、そのコラムでは、この論理に基づけば、法に従うこと=順法が中国版清廉性の確立になると結論付けました。

 いま、私たちが手にしている2つのパターン(「恣意的な運用」と「公正な運用」)のいずれかを選べと言われれば、もちろん「公正な運用」を選ぶでしょう。しかし、このパターンも不変ではないのです。時々において何が公に正しいのかを特定してゆく場が必要です。しかし、それは教師が担うべきではなく、教師以外が担うべきだろうと私は感じます。そうでなければ「恣意的な運用」と一致して理性的な反発につながるからです。

中国の検察はゲームチェンジャーになれるか?

 だいぶ核心部分に近づいてきました。今回のコラムでは「法の番人」をキーワードにして中国の検察による興味深い年末の動きをご紹介してきました。

 いま、中国の検察が試そうとしていることは、日本と対比すれば裁判所の役割を積極的に取り込もうとしている試みです。そして、もしこの試みが成功すれば、人民検察院や検察官の有する公訴権のあり方に別の意味を注入する次の一歩になるでしょう。

 では、中国の検察は統治機構の法的構造におけるゲームチェンジャーになれるでしょうか。私は、この可能性はないだろうと考えますが、法の普遍性や統治機構の法的構造の普遍性を再構築するための、小さくない衝撃を与えるのではないかと期待しています。それが定義の非常に些細な修正であったとしても、です。なぜならば、こうした工程を積み重ねていくことが法の普遍性を再獲得させ、国際間の法的対話を充実させてきた人類の歴史そのものの「新しい試み」を焼き増すことと整合しているからです。

以上

御手洗大輔氏 記事バックナンバー


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