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【07-05】留学生の個人的体験(和訳)

2007年8月20日

春木悠里(中国名:傘春玲)さんと この原稿紹介までのいきさつ

 筆者は2002年4月法学修士学位取得後、葫芦島市地方裁判所で学術報告会を行い、同市から高級人材顧問という名誉称号を賦与された。それがきっかけ で、2003年6月、葫芦島市政府から要請を受け本稿(中国語)を執筆した。本稿は「21世紀留学」雑誌2004年総第84期、中国国家人事部HP(http://www.chinatalents.gov.cn/lxlt/index015.htm)に掲載された後、「海帰北京」2005年度保存版として、北京市人大常委会民族僑務委員会、北京帰国華僑聨合会によって編集された。

中国人の感じた日本人観を的確に表現しており、多くの中国人に現在の日本社会、日本人の素顔を知るのに役に立っていると評価された。この論文は筆者の好意により日本語に翻訳され、日本の皆さんに紹介される運びとなった。

はじめに

 海外留学と言えば、当然のことながら、各人がそれぞれ自分なりの体験と感想を持っているはずである。数日前、葫芦島市政府の 華僑事務局から電話があり、留学についての成功経験を話してくださいと言われた。私はそれを聞いた瞬間、どう答えたら良いのか分からなかった。私はまだ自分が成功したと思っていないから、経験を話すには至らないが、やはり最終的に私の個人的な体験と感想を述べることとした。

 日本での生活は長く、直接見聞したことが比較的に多く、其の中から幾つかの体験や感想を得たので、私はそれらの異なる側面を話題にして気軽に話してみよう。

1.外国人としての自尊心のバランス

 数年前、初めて日本に来た時、私は東京国際空港を踏み出した瞬間から、自分の中国人としての特有な自尊心のバランスの調整を始めた。

 私は思った。自分は中国人を代表している。中国人の品格とイメージを必ず保持しなければならない。絶対に日本人から差別を受けない。さらに、私は、もし 誰か自分を差別する人が居たら、どのように反撃しどのように自尊心を保つかを黙々と考えていた。私はこのようなほとんど説明できない警戒感と自尊心、実際 には一種の劣等感とも言えるほどの気持を持ちながら日本での留学生活を始めた。

 多くの日本人は在日外国人を「外人」と呼んでいる。自然な日本語が喋れないから、どんなところに居ても隠すことができずに「外人」と見られてしまう。最 初はこのように言おうとしてもはっきりと言えない無形の自尊心傷害に対して、なんとなく我慢することができずに、時にはその納得できない気持ちを日本語の 先生に向けて発散した。ところが、長く生活しているうちに、また、たくさんの物事が自分を感動させた。例えば、困難に遭った時、やむを得ず日本人に助けて もらうことがよくあった。意外にも日本人は自分が想像していたような不親切な人たちではなく、いつも真剣に行き届いた手助けをしてくれた。

 記憶にまだ新しいのは、駅へ行く時に私は道に迷ってしまい、慌てて「外人」式の日本語で一人の日本人に道を聞いた。その人はすぐ私が「外人」と分かったよ うで、また私の急いだ様子を見て、同じく急いで道を説明しながら、私を駅の切符売場まで連れて行ってくれた。私は、最初、その人も私と同じように切符を 買って電車に乗るものだと思ったが、切符を買ってから後ろを振り向くと、その日本人はいま来た道を急いで戻って行った。日本人同士はあまり互いに頼み事を せず自立を重んずるが、一旦頼まれたら気持ちよく世話をしてくれる。

 したがって、外国人に対する差別ということに関しては、一概に言えず、大体はその外国人自身の振る舞いとその外国人が人々に与える印象による。

 ここ二年来、中国の多くの地方政府及び各部門の方が日本にやって来て、当地の改革開放政策を宣伝し、投資の招請を行っている。政府幹部は自ら出馬し、し かも、関係団体を率いて大型訪問団を結成し、日本の各界と経済協力関係を締結し、彼らの自信満々のスピーチと人心を鼓舞する精力的な行動で日本人に新たな 印象を与え、同時に日本人の中国に対する見方を変えさせた。日本人は中国のことを真剣に見ざるを得なくなり、彼らは単に中国の歴史を崇拝する考え方から本 当に中国の現在を羨望する考え方に変り、乃至、中国の将来に対して恐ろしいと感じるに至るほどの不思議な変化が発生している。特許権申請の件について言う と、ある知的財産権代理業界の友人の話によれば、90年代初期、日本人は幾つかの大企業を除き、中国に特許権を申請したい企業は極めて少なく、毎年の申請 件数は数百件しかなかった。と言うのは、彼らは発明した技術を中国に持って行っても、恐らくその製品を製造することが出来ないだろうと危惧し、中国で特許 権を申請する必要がないと思ったからである。今は明らかに異なり、中国の改革開放によって、日本の多くの大型製造業が中国に工場を移転し、それに加えて中 国がWTOに加入して本格的に世界経済の軌道に組み込まれたので、日本人の中国における特許権の申請は殺到し、2002年だけで一万八千件の申請が行われ た。日本人のこうした微妙な変化と反応は、中国が正に大きく変化しており、近い将来きっと世界の経済強国となるに違いない事を十分に説明している。一人の 留学生として、其の自尊心を自己で保持すべきは当然のことであるが、更に重要なのは、其の自尊心が自分の祖国の強大化に伴って満たされるということであ る。言い換えれば、祖国を誇りに感じることである。数年来、私は日本人の変化によって、自分の劣等感から優越感への変化を感受することが出来、その自尊心 から来る満足感は到底文章で表せるものではない。

2.日本社会に溶け込む

 日本社会に溶け込むことは決して容易なことではなく、外国人留学生には、いつも一種の独特な感覚がある。それは即ち、日本社会で生活はしているのに、日本 の社会に溶け込むことができないのである。このことは多分日本の文化が中国の文化から発しているとは言うものの、その特殊性を持っているからなのか、或は 日本人の国民性の中に「島国根性」が根付いているからかもしれない。ある外国人は「恥の文化」を用いて日本人を描写していたが、それは多分米国人の立場で 米国人の視点から見た日本人であろう。中国人の目から見ると、日本人は比較的に強い集団主義の大和意識を持っているものであり、彼らは結団結社を好み、同 党、同郷、同級生、同系列会社等、一つの「同」さえ見つければ、多くの言葉を必要とせず自然に黙契(暗黙の了解)が出来、すぐにも調和が取れる。互いに面 倒を見合うことは一種の義務であり、義理でもあるような存在だ。この黙契に入ることは、外国人にとって至難の業と言えるだろう。ところが、彼らは非「同」 の他人に対しては、あえて適当な距離を保ち、互いに非常に遠慮深く、礼儀正しく振舞うのである。また、彼ら双方の気遣い程度と礼儀の度合いから、どちらが 世話する側か、どちらが世話をされる側か、一見して見分けることが出来ると言えよう。彼らは双方共にお辞儀をしながら「何時もお世話になっております」と 同じ言葉を喋っているにも関わらず。 

 日本人は言葉遣いに極めて工夫しているものであり、特に商業取引及び社交においては敬語を使わなければ殆ど通用しないくらいである。一言を言うたびに、回 りくどくて煩雑な敬語を表示する語尾を付け加えて、如何に相手を尊敬しているかを表すと共に、自分の語彙の豊富さを披露して相手の注意力を引こうとするの である。ちょっと公衆電話ボックスを覗いてみれば、受話器を持ってお辞儀をしながら、頭を下げて合い槌するように話しをしている人が見えるであろう。明ら かに相手方に見えないことを知っているにも かかわらず、彼らは既にそういった習慣が身についているとも言え、恐らくそうしなければ、自分の気持ちが相手 にきちんと伝わらないと無意識に感じているのであろう。多分それ故に、日本人は礼儀正しい習慣が身についたのかもしれない。我々豪快な北方人から見て、時 には、彼らの礼儀作法は如何に煩雑でありながら建前ばかりのものかと感じることがある。私はウンザリするほど相手にへりくだる日本人の態度を見るにつけ、 また自分の失礼で相手に疎まれないかと恐れる態度を見るにつけ、心の底から違和感を持つこともあり、それを模倣するのが如何に難しいことなのか言うまでも ないであろう。

 一方で、日本人は自己表現が得意ではなく、言葉が少ないほうであり、彼らの自分の言葉で表現すると、即ち、「以心伝心」、「沈黙は金」と言う。彼らは弁論 に苦手どころか、更に弁解を嫌うのである。言い換えれば、上司に対して理屈を強調してはいけなく、当然弁解してはいけないことだ。むしろ、これは彼らの一 つの美徳とも言えるかもしれない。このような話を聞いたら、なんとなく中国の旧社会時代のようだと感じるが、実は、日本人は中国の孔子や老子の教えを非常 に重視しているのであり、本屋にはこれに関する本が沢山置いており、論語を読んでいる人も少なくない。このように、日本人は「あらわ」に物をいうことを好 まなく、口頭表現が得意ではないもので、黙々と仕事に力を尽くすのである。この故に、彼らはおおらかで豪放な性格に欠けており、ビジネスなどの外交の面で は、彼らは自分の社交至宝「信頼関係」に頼らざるをえない。ビジネスだけではなく、一般人同士の間にも同じく、日本人が最も恐ろしいと感じることは信頼関 係の破壊である。

 日本人同士はめったに喧嘩をしない、かれらの慎重且つ謙遜な言葉の表現方式は喧嘩する機会を大きく減少させていると思う。これは「島国根性」の一つとは言 え、その理由は、日本国の周りは海ばかりだから、喧嘩し始めたら、逃げる所がないからである。実は、それは日本人が「文明」と言う二文字で自分たちを美化 するのを好まず、大自然を借りて自分のことを評価したものである。一人の外国人留学生として、日本社会に溶け込みたいなら、まず、日本社会の特徴を知り、 そして彼らの国民性を理解し、その次に自分がその国民性を受け入れて、自ら彼らの礼儀に従ってやってみることだ。日中両国の諺で表現すると「郷に入れば、 郷に従え」と言う。

 最も重要なのは、彼らとその社交至宝「信頼関係」を保つことである。また、本当に日本の社会に溶け込むようにするなら、出来るだけ日本人に自国の文化と国民性を紹介し、その習慣を理解させ、橋渡しのような役割を果たして、お互いに理解し合うことを求めることである。

3.環境が人に与える提示

 私が日本語学校に入ったばかりの頃は、日本語の先生たちは新入外国人学生に良くプライド(自尊心)を考慮してくれた。どんな場面においても、そんなに厳し い要求をせず、どうやら日本語の先生たちは人を説教するのが苦手だと感じた。入学して一週間経ったころ、ある晴れた日に、先生と学生は郊外旅行に出かけ、 ある山間の小川の傍で、恒例のバーベキュー会を始めた。私たちは慎重に気遣いながら食後のゴミを袋に詰め、何処かに捨てようとした。場所を探してみると、 やはり河の周りは綺麗で、ゴミを捨ててもいい所が見つからず、結局、人の目につかない大きな石の後ろに、誰にも見えないようにして、真剣にゴミ袋を隠して おいた。そのとき、隣に私たちと同じようにバーベキュー会をしていた幼稚園の子供達は、ちょうどドタバタして自分たちの食後のゴミをせっせと片付けてい た。皆はそれぞれゴミを袋に詰めて、自分たちの車に持ち込んだ。私は彼らを見て、なんとなく自分が恥ずかしいと感じてしまい、もう一人のクラスメートと一 緒にその石の後ろに隠した袋を取り戻して来た。私はそのことを思い出すたびに、内心恥ずかしく感じずにはいられなかった。正直に言うと、当時の自分は既に 子供を教育する立場の人間であったのに、この件では逆に子供たちに教育された。いま良く考えてみると、環境とは、一人一人の具体的な行動によって保護され るものであり、何人かの有能な人の統治で保護されるものではない。もし、我々一人一人が環境を破壊することをしなければ、環境を守ろうとする誰かが(有能 者)統治する必要がなくなるのであろう。もっと具体的に言うと、皆さんが皆手元に一個のゴミを握っていると仮定してみよう。もし、皆が勝手にそのゴミを手 放したら、周りはゴミだらけに違いない。もし、皆がゴミを手放さないとしたら、周りはゴミがないはずだ。人間として、「手放す」と「手放さない」との二つ の動作の選択は如何に簡単なことであろうか。私はしみじみ感じた:人類は環境を作るものであり、環境も人類を作るものである。

4.交通上の心得

 日本の交通ルールは中国とちょうど反対で、自動車は左通行となっている。初めの頃は、自転車に乗って堂々と右側を走っていた。たまに相手方と衝突しそう になったときに、たいてい相手から嫌な目つきで睨まれて、こちらこそ相手の無礼を非難したくなった。ある日、私は前後の車に注意しないまま、真っ直ぐ道路 の反対側に向かって行こうとして、道路の中央辺りに着いたところ、一台の車が止まって私の通過を待っているのを見掛けて、あの運転手はなんと忍耐力が強い かと思った。実は、日本の交通規則では歩行者優先と規定されている。信号がある所は言うまでもなく、信号がない所でも、歩行者が道を渡ろうとする姿が見え ただけで、車は停車して、歩行者の渡りを待たなければならないのである。その法律原理については、人間の体は機械より弱いので、弱いものを守ると理解され る。これは日本での運転免許試験問題の一つでもあった。日本では運転免許を取得するための教習費はとても高く、筆記試験に何回も落ちる人も少なくない。 

 それは、出題はあまりにも難しくて、100点中90点の正解が要求されるからである。残りの10点は大体「たまごの中から骨を探し出せ」(困らせる)のよ うな出題である。例えば、「赤信号は止まれ、青信号は進め」という問題に「○」「×」をつけよと要求される。試験場では、1問題は1分間しかなく、ざっと 見るとつい「○」をつけるのが当たり前のことだ。しかし、残念ながらまんまと1点を失ってしまった。誰が「青信号は進めの命令だ」という勇気をもっている か?車の前方に歩行者が居れば、青信号でも進んではいけないのである。 

 日本の交通では、クラクションはほとんど緊急事態以外に鳴らしてはいけないような存在であり、一般道路にはほとんど鳴笛が聞こえない。特に高速道路は尚更 静かである。運転手同士は互いに車線を奪わないばかりでなく、一種の奇妙な譲り合いが見られる。例えば、私はある日本人を乗せて高速道路を走っていたとき に、後ろについたホンダ車が私を追い越そうとしたが、元々譲ってやる気がないので、堂々と前を走っていた。すると、同乗していた日本人が「先に行かせてや れば」と私に頼んだ。「なぜ?」と聞き返すと、その日本人は「私たちの車もホンダだから」と答えた。なるほど、日本人は顔を合わせたことが無くても、ま た、相手方が誰なのか分からなくても、車のメーカーが同じだけで、「同」という字が見つかれば自然に親しみが生まれてくる。私はあっさりとそのホンダが与 えてくれた「同」という行列に割り込んで、一応仲間になってしまおうと納得し、後ろのホンダに車線を譲ってあげた。すると、その車は私を追い越して前に走 り出し、後ろの左右ウインカーをピカピカ三回点滅させ、減速もしないまま進んで行った。実はこの信号は停車しているときに出す合図であるが、減速の意向は さっぱり見えない。また、高速道路はもともと停車してはいけないので、私は減速すべきかどうか分からなくなってしまった。同乗の日本人が私の迷った様子を 見て、「その合図は感謝を示す意味だ」と教えてくれた。その後、誰かが私に車線を譲ってくれたら、私も無意識(反射的)にサインを出して感謝の意を表示す るようになった。

 その外、日本は交通の面で、身体障害者に対する配慮が重視されている。交差点の信号は殆ど盲人のための手動ボタン或いは音楽装置を設置してある。電車の駅 に点字案内板が設置され、駅のホームに点字ブロックや車椅子が通行するエスカレータが殆ど設置されている。法規が備わっているから、その分、交通規則に違 反した場合、言い訳の余地がなく、警察は優しく丁寧に運転記録に合理的なマイナス点数を記録し、もちろん自分はそのマイナス点数に対して何の文句も言えな いのである。

5.学習成績は何よりも重要

 留学生にとって学習は当然一番重要なことであ る。何故このテーマを5番目まで取り上げなかったかと言うと、一般には先ず勉強が出来てから社会へ踏み出すが、日本では状況が異なって私費留学の場合は経 済生活を自分でやって行かなければならないので、最初にぶつかる難題はいつも話題にのぼる「パート」だからであった。パートと勉強は矛盾したことである が、それを対立させるかそれとも両立させるかは重要なポイントである。如何に自分の優勢を利用して仕事をすることで学習を促進し、学習することで仕事を充 実させ、学習と仕事を両立させるかが、大學の成績を保証する鍵となるのである。日本人に中国語を教えるのが格好な仕事で、人に教えると共に人に習うことに もなり、単に言葉と文化を教えるだけでなく友人として付き合うこともできる。結局日本人に中国語を教えることが出来たと言うよりは、寧ろ日本人から日本語 を学ぶことが出来たと言ったほうが相応しいかもしれない。充分な日本語能力を以って大學の講義を受けるのが、優秀な成績を保証する前提である。優秀な成績 は奨学金を受領する条件であり、また奨学金は学習と生活の保障である。三者の間は循環関係となっている。即ち、成績が良ければ良いほど奨学金が多く、パー トの時間が少なければ少ないほど勉強の時間が多く、そして成績が更に良くなり、三者は良性循環になっている。これが逆になると即ち悪循環である。悪循環に はまった留学生がそこから抜け出して、よい循環に入るためには、思い切った方向転換と辛抱強い努力が必要となるのである。 

 積極的な勉強態度と教授に良い印象を与えることは、成績を高めるための疎かにしてはいけない側面である。留学生は教室で講義を受けるとき、普通ならば質問 されるのを避けるため、なるべく教授から離れた席を選んで座ろうとする。私も入学した直後には、自然に皆と同じく席を選んだのであった。ところが、あると き何百席もある教室で、後ろの席が殆ど埋まっているのに前の席が沢山空いていたので、私はやむを得ず思い切って教授の目の前の第一列に座った。結局、教授 が私を特別に勉強に熱心だと誤解し、私を模範にして日本人学生に「意外に最前列に座っているのは留学生であって君たちではなかったね!」と刺激を与えた。 その時、私は誉め殺しされたのかどうか分らなかったが、とにかくそれから後ろに座ることが出来なくなってしまった。果たして、前に座ったせいでしょっちゅ う教授の質問を受けることなり、そのため沢山の本を読んだり、資料を調べたり、ときにはビデオ講義を先に見てから授業を受けるようなことも必要となってい たのである。それにもかかわらず笑い話のようで笑えない失敗談も避けることが出来なかった。日本語の法律用語が非常に難しいものであり、「六法全書」の大 部分は文語体で書かれていて、普通用語でも理解しにくい。特に中国語の意味で勝手に解釈すると大きな間違いを招くこともある。民法の教授に「相殺」の意味 を質問されたとき、私は実はその意味を知らなかったが、どうしても中国語で推測してみたく、ぱっとひらめいてとっさに「相互に殺し合う」と答えてしまっ た。この答えに対してどれだけの日本人学生が笑いを堪えられなかったのかわからないが、教授は「なるほど、中国語の意味ではこのように解釈されるのか、言 うまでも無く「六法全書」の大部分の文語体は留学生にとってどんなに難しいことか。」としみじみ話をしてくれた。実は日本語の「相殺」は中国語の「相互抵 消」の意味であった。私は「留学生の皆さんが教授の同情と理解に感謝すると共に、きっと自分が翻訳するときに中国語の意味で勝手に推測しないように注意す るであろう」と信じる。正に漢字が同じだからこそ、笑い話にまでなった誤訳と言えよう。

 日本の教授は比較的に勉強態度を重視する。貴方の実力がどうであれ、答えの出来がどうであれ、積極的で真面目な勉強態度をとっていれば、基本的には教授に 良い印象を与えることができる。ある選択科目では試験の点数だけによらず、出席状況などの学習態度によって総合的に評価され、もちろんこれらは学習成績を 左右する要素の一つだと言える。留学生として卒業後の進路は概ね三つあって、其の一つは日本の会社での就職、一つは大学院への進学、そしていま一つは帰国 しての活動である。いずれの場合も大学での成績の重要性は今更論ずるまでもなく、殆どの会社で新入社員募集の前提条件は大学の成績であり、まして大学院へ の進学選考に於いては特に重視される。

6.学校と指導教授の社会効果を重視する

 私は学校の掲示板で「2003年6月13日付けで桐蔭横浜大學が全国に先駆けて、文部科学省から法科大学院設 立の審議が受理された。」という告示を見た。この情報は日本の各大学に爆発的な反響を呼んだ。私は、自分の指導教官である法律学科長の山城教授が新聞記者 にびっしりと囲まれた写真を見たときに、本当に心から嬉しいと感じた。法科大学院は裁判官や弁護士を養成するための専門大学院で、司法試験の合格率が高い のである。たとえ留学生にとってそんなに大きな関係がないとは言え、学校並びに指導教官の社会的名誉と信頼が高まり、ひいては我々にも好ましい社会的な効 果がもたらされるのであろう。

 博士課程に進んでからは大学生時代の単調さとは打って変わって、更に深く社会調査に入ったり教授を手伝ったりするのが一般的である。学長の鵜川先生は非常に中国との友好を重視しておられることから、三年前に中国遼寧大学に対して学費免除の形で大学院生を受け入れた。遼寧大学から派遣された留学生の中に学校の先生や大学院生や学部卒業生が居り、彼らは皆山城教授の 指導の下に学業を完成したのである。私は彼らのために通訳をすることで、また彼らの勉強の取り組み姿勢を見てとても勉強になり、また啓発されるところで あった。彼らは既に卒業して帰国し、大學または裁判所で活躍しているが、そのうち必ず桐蔭横浜大學に留学したことで社会的な効果が得られると私は信じる。

 ある理由で私は修士論文を完成させるために三宅教授の 指導を受けた。三宅教授は四十年間の裁判官の経歴を持ち,日本の民事保全法、民事執行法、破産法、民事再生法等の立法提案者として活躍し、退官後は教授兼 弁護士をなされており、外国人の人権を非常に重視され、外国人の援助に取り組んでおられる。在日中国人は日本語能力の不足や社会関係の欠如によって民事紛 争が起きたときには、本当に心細いだろうと思われる。割に大きな民事事件に逢ったときに、被害者を先生のところに紹介して相談に乗って頂き、前向きに困難 を解決できたこともある。勿論学校が違えば専門が違い、それによってもたらされる社会効果も違ってくる。大学院院生としての留学生が自分の得意な専門知識 を発揮し、学校及び先生たちの社会信用の下で、在日中国人が困ったときに少しでも助けになるよう微力を尽くすことは、自己存在感を高める方法の一つとも言 えるのであろう。

7.日本人に中国文化を紹介する

 言葉こそが相互理解の窓を開ける鍵である。何年か前に私は中国語教室で講義中に、何人かの生徒から不思議な目付きで「先生、中国にはテレビがあり ますか?」、「中国には汽車がありますか?」、「中国の女性は皆灰色か藍色の服ばかり着ているのですか?」と質問され、当時それらの質問にどう答えたらい いか困ってしまった。ちょうど米国から帰ってきた日本人が米国のことについて雑談をしていたが、米国のある子供に「日本人って、あの和服姿で日本刀を差し ている人たちですか?」と質問されたそうだ。これらの質問は私に「世界中はこれほど相互理解に欠けている」に気づかせてくれた。留学生として、これらの話 を聞くにつけ、当然ながら自分は民間使節となって日中両国の相互交流を促進し、理解を深めていく重任を果たしたいのである。

 私は今も中国語を教えているが、その訳は言わなくてもお分かりのことと思う。教室で教えるだけでなく、中国からの訪問団が来た時には出来るだけ学生たち を説明会に参加させ、宿題として感想文を書かせたりして中国人に接触するように仕向けている。機会があったら自ら学生たちを中国に連れて行って現地視察を 行い、学生たちに肌で中国のことを感じてもらうようにしているが、これは私が教室で説明するよりも遥かに良い勉強が出来るからである。日本人が中国語を勉 強する目的は人それぞれであるが、きっと沢山の中国の方がそれを知りたいだろうと思う。社会人教室では新学期が始まる際に、私は、決まって、先ず学生に 「何故中国語を勉強したいのですか?」と質問するが、彼らの答えは「子供が大學で中国語授業を選択したので、親として付き合いが出来るように」、「自分は 高校を卒業して大學に合格したので、中国語の授業を選択しょうと思いまして」、「子供が日本銀行の駐在中国事務所に働いているので、仕事に取り組んでいる 子供を支えることができれば」、「自分は中国で生まれたので、第二の故郷を見に行きたいと思って」、「会社で中国との取引が増えて来て中国語が出来なけれ ば仕事にならないので」などなど、彼らの答えは実に素朴で極めて現実的である。これらのことから考えて、中国語を教えることによって日本人に中国の文化を 伝えることは、留学生が国際社会の橋渡しの役割を果たすための一つの重要な方法であろう。

8.「愛国心」に対する理解

 一人の留学生は、どんな国においても、母国の玄関を出て他国に足を踏み入れたときから、家を離れて他人の故里に入った ような感じがする。まるで子供がよその土地に修学するようなもので、自宅に何かトラブルが起きたときには、在宅の家族よりもずっと心配になるはずで、これ は人情というものかもしれない。覚えているのは私が留学生会の副会長をしていたとき、中国で数日に亘る暴風雨の後に河南省で発生した洪水災害のニュースが 入り、中国各地から来ている留学生たちは、あたかも自分の故郷が災害に遭ったように心配して、何かできる限りの救援活動をしようと考えていた。ちょうどそ の頃に大学学園祭の活動が進められていて、年一回の学校キャンパスを市民に開放する行事があったので、皆で知恵を出し合って、餃子を作って市民と交流し、 同時に中国の被災地を救済するための募金活動を行った。其の売上と募金成果は全て大使館を通して被災地に献金した。今にして、当時の留学生たちが台所に 立って、そのような心配ごとを抱えながらも沈着な表情で、背中が汗びっしょりになるまで忙しく働いていた情景と素朴な姿を思い出すと、やはり彼らの心に は、如何にして被災地の困窮を解消するために目の前の仕事をうまく成し遂げるかということしかなく、まさに誰かが自分たちに「愛国心」という美辞をつけて くれるなどとは思ってもみなかったであろう。私自身も含めて留学生の代表たちが献金を中国大使館に届けに行ったときでさえ、大使館になるべく早くそれを被災地まで転送するように願い、被災者たちが一日も早く危険な状況から逃れることを望むだけであった。

 この間の新型肺炎流行の折にも、在日中国人博士協会の 人たちは矢も盾もたまらぬ思いで、毎日協会のメールで大使館の官員と関係者たちが緊急対策を検討している様子を見守った。特に医学専門の博士たちは国家の 心配事は即ち自家の心配事に他ならないとし、北京のある病院における院内感染の状況を見て、医学関係の協会メンバーを緊急会議に招集し、活動支援するため 皆の献金でマスクなどの医療資材を送ることにした。私は準会員として当然のことだと思うが、一般留学生の名前まで献金名簿に載っていたのである。

 災難の時ばかりではなく、我々の国家に喜ぶべきことがあった時も、国内に居る方よりは外国に居る留学生のほうが、喜びもひとしお大きいのである。WTO の加入、オリンピック申請の成功など、数々の良いニュースは留学生に心からの喜びをもたらしている。留学生にとっては嬉しいことも心配事も、全て母国の出 来事によると言っても過言ではなかろう。最近は多くの留学生が帰国して事業を創立し、自分の才能を直接的に国内で発揮しているが、また多くの方が外国で母 国のために自分の能力を間接的に発揮している。たとえ何処に居ようとも、彼らは出来るだけ母国のためにすこしでも役に立つことをしようと努力しているのだ。

春木 悠里

春木 悠里 (中国名:傘春玲) :
北京天昊聯合知識産権代理有限公司日本連絡処代表

略歴

 中国遼寧中医薬大学職業技術学院卒、内科医師。1995年来日留学。2000年桐蔭横浜大学法学部卒業後、公認会計士事務所国際業務に従事。02年桐蔭 横浜大学大学院法学修士。04年日本国籍帰化。05年同大学院博士後期課程満期退学。07年3月、東京理科大学専門職大学院知的財産戦略専攻(MIP)修 士。