【07-08】異文化の中で成長した留学時代~国際色豊かな研究室の中で広がった学問の視野~

2007年11月20日

 日本へ留学しようと決めたのは90年代はじめのことで、私が南開大学で化学系の教師を務めて3年目の時だった。中国国家教委の英語試験に合格し、 日本の文部省の国費留学生に選ばれた私たち同期80人は、まず長春の東北師範大学にある留日予備校で10ヶ月間日本語を勉強し、その後日本への留学の旅が 始まった。振り返ってみると、日本での12年間は私の人生にとって、かけがえのない貴重な歳月だった。

 中国で留学の準備をしていた頃、日本で一体どんな生活になるのか、はっきりと予想することはできなかった。ただ、私にとって大きな挑戦だということはわ かっていた。期待と不安でドキドキしながら北京から成田空港に着いたとき、空港の雄大さ、先進的な設備、快適な環境、一流のサービスなどに驚いた。敗戦 後、勤勉な日本人がたった50年あまりで奇跡的に世界第2の経済大国を築いたことに感心した。このような国に留学にきたので、学ぶことはきっといっぱいあ ると思った。

 今、振り返って見ると、日本に来てから博士課程を修了するまで、とても充実した留学生活をすごすことができたと思う。それは日本文化や習慣の理解、またいろいろな人や新しい学問との出会いによってもたらされたものであろう。

留学生活

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 私が勉強した藤嶋昭研究室は、 東京大学でも数少ない大きな研究室だったが、学生の数が多いために研究室が狭くなったので有名であり、NHKの番組にも取り上げられるほどだった。学生達 は、東大本郷キャンパス工学部5号館の一階と地下にある実験室の空間を利用して、屋根裏部屋のような研究室を造った。当時まだ講師であった橋本和仁先生 (現在、東大生産技術研究センター教授)のオフィスはそのような中二階の所にあった。私はその中2階の階段斜め下で3年間実験していた。 

 国際色豊かなことが藤嶋研究室の特色の一つで、中国、韓国、マレシーア、インドネシア、インド、タイおよび、アメリカ、イスラエル、ロシア、ウクライナ、ルーマニアなど常に10人以上の留学生が研究室にいた。

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 藤嶋先生は、修士課程以上の学生を積極的に海外へ派遣し、共同研究や国際会議などに参加させた。また、世界各国から多くの研究者を迎え、共同研究を展開していた。さらに、国際会議の主催も頻繁に行った。このように国際化した研究室に居る留学生の私はとても幸せだった。

 特に、人種も国籍も多様な多くの友人に恵まれたことを嬉しく思う。日本人の顔立ちをしながらやさしいアメリカ人のLarryさん、頭が良く韓国大会社社長 の子息のキムさん、いつも元気でニコニコしていたインドのTataさんとSaradaさんご夫婦、敬虔なイスラム教徒であるインドネシアのP.Sawunyamaさん、ウクライナのウォリさん、また、とても日本人らしい酒井さん、優しい心を持っている秘書の高橋洋子さん、お互いに助け合った中国 の留学生たち、みな魅力に溢れる友達だった。お互いに下手な日本語と英語を使って会話をしたので、時々意思伝達において誤解も生まれたが、大事な事は結局 みんな同じ人間であり、国と言葉は違っても心は通じるということである。

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 東京大学は、日本および世界で一流の大学であり、学生も優秀だ。しかし、初めて日本の学生に接した時に、この優秀さはあまり感じられなかった。みんな静 かで、こつこつと仕事をしていたが、実際には能力が高く、器用で、実験の設計から装置の作製まで何でも自分でやっていた。やはりものづくり世界一の国に来 たのだなあと感心した。

  東京大学工学部での全体の印象を一言で言えば、大学院生たちは大変自由にいろんなことが出来るということだ。朝、何時に来ても大丈夫、夜、何時に帰っても 問題なし。みんなアパートでの一人暮らしなので、とても自由なのかなと思う。中国の場合はこれとは違って、みんな学生寮での集団生活なので、回りのことも 気にしなければならない。

 指導教官は基本的に毎週のセミナーの時に学生に対する指導を行っているが、学生が多いので、通常、1人の学生は1年に2、3回行うプレゼンテーションの時 に指導教官から個人指導を受ける。その間、先輩から後輩への指導はとても役立った。修士1年生あるいは学部の4年生たちが研究室に入ると、先輩からいろん なことを教わる。研究室の規則をはじめ、資料の調べ方、文献の読み方、分析装置の使い方、廃液の捨て方、また、セミナーの資料の準備やOHPのチェックな どで、みんな先輩の責任で後輩に教える。

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 後輩としては先輩の話はとても貴重な指導であるため、必ずやり尽くさなければならないことだと思っている。日本人同士の先輩と後輩の相互関係は、大学や 会社でよく見られる。たいていの場合、最も経験のある学生や社員、もっと正確に言えば、その組織により長く所属している、あるいはその中で最も早く入学 (入社)した人たちが、自分より経験の少ない人たちのために「先輩」の役目を引き受ける。このような関係を通じて、研究室の規則、人々に求められるそれぞ れの役割や行動までもが新しく入った人たちに伝えられ、その秩序はピラミッド状の構造で保たれている。個人の能力によって評価される他の国のシステムとは 違っている。

 私は、博士課程とポストドクトラルを合わせて、東大工学部に7年近くいたが途中、日本の会社に5年間就職したこともある。東大で習った最も重要な ことは学問の世界を広げたことである。博士課程3年間の先生方の熱心な指導および日本の友人からの親切なアドバイスなどのおかげで、博士課程の研究は順調 に進んだ。今ではそれが大変役に立っている。

異文化理解への挑戦

 他国の土を踏んで、そこの景色を見、そこの空気を吸い、その国の人と接することには、新鮮さと感動があると同時に、衣食住などの生活面及び人と接する 過程における精神面の不適応など、さまざまな問題も伴ってくる。もちろん、時が経ち、根気よく辛抱すれば、自国と違う生活様式を理解し、受け入れることが できるようにもなる。したがって、外国で生活するということは、継続的な適応と学習、浮き沈み、愛憎を繰り返す中での成長過程である。それは、人間社会を 理解し、うまく生活していくために、自分自身の理解の方法や理論的枠組みを破らなければならないということを経験する。

 同じアジア人で同じ肌の色、同じ漢字を使っている日本と中国は永遠に縁が切れないことが分り、日本で暮らして、日本の文化や習慣などにも触れたとはいえ、まだ知らない日本のことがたくさんある。

 はじめのうち、日本人が状況によって使い分けているあいまいな表現を理解することは難しかった。例えば、「ちょっと難しい」という表現がある。中国人は感 じたことや経験を単刀直入に表現することが普通であるが、日本人は遠慮勝ちで、遠回しの表現を使い、簡単に気持ちを表さない。その深層には内容を重視する 中国と形式を重視する日本の文化の違いがある。 

 最初はそれに慣れず、間違って理解したり、どう理解していいか戸惑ったりして、日本人と付き合うことが嫌になった時もあった。その後、日本人同士の会話 に耳を傾け、自分の中で分析するようにした。すると少しずつコツを掴むようになり、相手の本音を理解できることが多くなり、また自分もそのような婉曲な表 現を用いようとした。

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 日本滞在初期、なかなか日本食に慣れることができなかった。特に“おでん”というものはなかなか受けいれられなかった。野菜や卵、豆腐など一緒におなべに 入れ、水で煮るのは、人間の食べ物として考えられないと思った。それで、長い間“おでん”という食べ物を口に入れるのを拒否していた。でも、今は、北京に ある日本のセブンーイレブン「好沌」(おでんの中国名)の大ファンである。週1、2回ほど食べるようになった。

 中国に帰ろうと思った時の心配のひとつは日本料理を食べられなくなることだった。この一例から、外国での生活が長くなるにつれて、少しずつその国の文化や習慣を自然に理解するようになるのだと思った。それは本来の学問とは別の貴重な体験であった。

 12年間の日本での生活は、すばらしい成長の経験となっている。日々学ぶ機会があり、大学での生活や教授、学生、一般の人々との交流から学んだり、研究室 での先輩・後輩と過ごす時間や、留学生の間との交流からもまた学ぶことがあった。日本人とだけでなく、世界の国々の人々と相互関係を持つ機会は、ここでは 日課となっている。いつの間にか、問題に取り組んだり、解決したりするための手段が広がっていた、ということに突然気づく。つまり、世界は小さな村である という見方ができ、そのような見方が私の中にずっと残っていくことであろう。

中国へ帰る

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 私が12年間過ごした日本を去ることを決意したのは2003年の時だった。難しい決断だった。日本で生まれた息子はもう3歳になって、子供の教育問題およ び将来のことをいろいろ考えた上、中国へ帰る決断をした。現在、私は中国科学院理化技術研究所の研究員として元気に働いている。東京大学での留学生活を通 して得た経験を生かし、これからの人生をしっかりと、自分の足で、マイペースで生きていこうと思う。

 この場を借りて、お世話になった方々、私を支えてくださった方々への感謝の気持ちを伝えたいと思う。 

日本に感謝、人生に感謝…

只 金芳

只 金芳:中国科学院理化技術研究所 教授

略歴

87年、中国南開大学化学系有機化学専攻修士。 
87~90年、南開大学化学系教師。 
95年、東京大学大学院工学系研究科応用化学工学博士。同年日本メクトロン社に就職。 
00~03年、日本科学技術振興事業団特別研究員。 
03年7月、中国科学院理化技術研究所の"海外優秀人材引進計画”に選ばれて帰国。 
現在、中国科学院理化技術研究所研究員(教授)。主に光電気機能材料、電気化学センサーの研究に従事する。


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