【14-08】天水会について―中国の天蘭線建設と日本帰国後の活動―

2014年11月19日

橋村 武司(はしむら たけし):
龍騰グループ 代表、天水会 会長、NPO法人 科学技術者フォーラム 元理事

1932年5月生。長崎県出身。1953年中国より引揚げる。
1960年3月 中央大学工学部電気工学科卒。大学卒業後、シチズン時計㈱入社、水晶時計、事務機器、健康機器の研究・開発を歴任。
1984年㈱アマダ入社、レーザ加工機の研究・開発、中国進出計画に参与。1994年深圳地区で委託加工工場を立上げ。
1995~97年JODC専門家:北京清華大学精儀系でセンサ技術指導。国内では特許流通アソシエイト:地域産業振興を促進。2000~2009年北京八達嶺鎮で防風固沙の植樹を北京地理学会と共同活動。中国技協節能建築技術工作委員会 外事顧問:省エネ・環境問題に参画。
現在、龍騰グループで日中人材交流、技術移転、文化交流で活動中。
(論文)「計測用時計について」(日本時計学会誌、No.72、1974年(共著))
『センサ技術調査報告』(日本ロット学会、共編)

新中国建国直後の一時期、日本の鉄道関係者が中国西北部で鉄道建設に協力した事実を知る人は少ないのではないだろうか。中国人と協力して甘粛省の天水と蘭州を結ぶ鉄道を建設した技術者や当時、天水で学生だった人たちの親睦団体「天水会」の橋村武司会長に、いまだに中国の指導者たちから感謝されている天蘭線建設に関わる興味深い話などを寄稿してもらった。

 1952年10月1日(国慶節)に天蘭線は開通し、毛沢東主席直々の祝電を拝受し関係者一同感激した。この大任を果たした翌53年春、日本に引き揚げた。終戦後留用になり8年の歳月が経過していた。そして帰国後の翌54年春、天水会は産声を上げた。“光陰矢のごとし”昨2013年還暦を迎え、60周年記念大会を盛大に祝った。

写真1

写真1 毛沢東主席の祝電

 新中国建国後間もない1950年晩秋、突如私たちに東北(トンペイ:現中国東北部)を立ち去る命令が下った。終戦直後留用になった時の命令と大きく異なっていたのは、対象者が各地に分散していた鉄道関係者全員であり、携行荷物に生活用品の持参が認められていることであった。移動は二等客車で快適であったが重病人にとっては辛い道中だった。噂(うわさ)では帰国できるのではないかとのことで、思いは祖国日本へと飛んだ。集結地が天津、北京、済南の大都市と知り帰国の夢は大いに膨らんだ。しかし天津では噂のようではなく、当然ながら帰国請願運動は盛んになった。結果は西北地域が新任地に決まり落胆と不安に襲われたが、若者にはまだ見ぬ彼地の物見高さの期待もあった。

 さて、天津から3日客車に揺られ、西安を経て宝鶏に到着。それから先は試験線路とのことで、有蓋(がい)貨車に乗り換え途中脱線事故で九死に一生を得て、未だ見たこともない“天水”に到着した。北京、済南からも三々五々、技術者300余名、家族を含め約900名の日本人が駅周辺、天水城内に集結した。

 天水は三国志にも出てくるシルクロードの交通要衝の城砦であったが、「水を買う」「電気が無い」など環境が今までにない激変した辺境の地であった。しかし、各人の住居が割り当てられ、貨車に乗せた生活用の荷物を受け取るまでの間は、料理店で朝夕二回の食事の接待が受けられた。その処遇と配慮に満足した。住居は旅館や旧地主住居跡、四合院内の一室などに分散して住むようになった。

 天水はその名の通り清水が滾滾(こんこん)と湧き出る小泉が南門の近くに在り、樹木も茂り黄土高原のオアシスの地である。一方、隴海鉄路の終点であり、行く手を3,000m級の山また山、黄河の支流や谷また谷に阻まれ、難工事に長らく手付かずの鉄路建設基地であった。目標は西北幹線鉄路を建設する国家プロジェクトであり、全国から優秀な鉄路技術者が動員された。中国と日本の技術者および工人(労働者)が協力してトンネル54坑と橋梁113脚に挑戦することになった。物資は少なく、時には工具から造らねばならない場合もあった。日本人技術者は主に路軌道敷設と信号、機関車、車輛の整備と運転などの職場に多数が就き、夫々任務に最善を尽くし協力して、計画よりも半年早く、蘭州まで354kmの難工事を完成させた。天水、蘭州駅では盛大な開通式典が行われた。

写真2

写真2 天蘭線開通

 後年、呉儀副首相の来日記念晩餐会の席上、王毅大使(現外相)の機転で、短い会話の機会を得た。呉儀女士は、驚きの表情で「私は玉門で仕事していたの。石油を沿岸地区に運ぶ鉄路をとても待ちわびていたわ。謝謝!」と強く手を握りしめて下さった。潤んだ目元が忘れられない。西北鉄路幹線の建設目的は玉門はじめ西北地域の石油を沿岸地区に運ぶことだと聞いていたが、まさにその通りだったことを改めて知った。

 天蘭線の建設を終えた翌年春、突如帰国の知らせがあった。寝耳に水とはこのことだ。天水駅での盛大な腰鼓の音、別れを惜しむ涙の同僚・同窓生たちの見送りを受け、感傷につかる間もなく、心はまだ見ぬ祖国へと逸る。

 上海では久しぶりに女性の旗袍(チーパオ)姿を見かけカルチャーショックを受けた。大都会の空気を吸いながら、里帰りの衣服等を整えた。7日間の滞在の後、第1船の高砂丸に乗船し一路日本を目指した。

 1953年3月23日、日本海の舞鶴港に投錨。簡単な通関を経て各自は全国各地の故郷へ帰って行った。しかし夢にまで見た祖国での生活は生易しいものではなく、「アカ」のレッテルを貼られ一生正業に就くことが出来なかった第一世代(天蘭線建設に従事した人々)の人も居た。

 1954年5月20日に天水会は皆さんの強い想い、郷愁で結成された。団結の心意気!会則もなければ、会費もない、自立独歩の組織である。非常に珍しい会で、幹事・世話人の奉仕で運営を続けている。その伝統は一貫しており先輩世話人の後塵を拝して、今は第一世代の後を受け第二世代(天水で学生だった面々)の私たちが中継ぎし、第三世代(天水出身、或いは関心ある若人)へバトンタッチするのが最大の使命と心得、微力を尽くしている。

 思うに「組織の要は事務局」にある。歴代の事務局長に敬意と感謝を表する。今は第二世代の伊藤(小池)禮子さんが担当している。鉄中同窓で語学力抜群、事務処理は会社仕込み、会員の連絡網を押さえ、会報の編集長までこなす重鎮である。天水会「会報」は創刊号(ガリ版)から60号(A4版)まで毎年発刊され会員および関係者に配布している。また国会図書館に寄贈し実践記録として残している。また毎年行われる天水会の会場は東京新宿御苑を皮切りに、地元有志の力添えで九州、岡山、大阪、東北を転々と催し、主に東京の市ケ谷を中心に日々親睦、日中友好草の根活動を続けている。現在、会員は96歳の第一世代から天水生まれの第二世代の若者まで150名である。

写真3

写真3-1 会報(旧)

写真4

写真3-2 会報(新)

 想い起こせば天水会の最大の活動事績は1999年9月の天水「中日友好桜花園」の建設開園(桜1,000本、記念石碑)にある。碑文に記した天蘭線建設の事績は当地また観光客の人々に広く知れつつある。しかし、半世紀以上も前に日本と中国の技術者が力を合わせて敷設した天蘭線のことは、今の若い人たちには殆ど知られてなく、知ると非常に驚き感謝される。今まさに伝承の大切さを痛感している。今春もきっと満開の桜が趣を添え市民の憩いの場になったことでしょう。

 双方が日中友好を祈願して創った「日中友好桜花園」の開園式には、張津梁市長と南谷正直前会長(92歳)の臨席の下、盛大に行われた。開園後一途にこの桜花園の管理をされている市政府に衷心より感謝している。お蔭様で、天蘭線建設の事跡は石碑に刻まれ永遠に天水に根を張り継承されている。更に日本からの天水訪問団は9回にも亘り、天水との絆をより強固なものにしている。

写真5

写真4 桜花園開園

 昨春、「中華人民共和国建国後、天水に留用された日本」の中文訳を、北京の周秉徳女士(周恩来元総理の姪)に進呈し大いに感謝され誇らしく思った。本稿はDr.堀井弘一郎先生の労作で学会誌「現代中国」に発表されたもの。天水会の貴重な記録で第三者が60数年前の生活・事跡を論文にして下さったことに意義があり感謝している。私たちも先生の日本大学での講演に協力している。我々の願望は、中国と日本の青年たちに新中国建国間もない1950年代初めに日中両国の技術者が協力して難工事を克服し天蘭線建設を成し遂げた事実を知ってもらうことにある。

 昨今の日中間の騒ぎを見るにつけ、日中友好交流には相互理解が不可欠と考える。そのための天水会会員による中国語学習活動は意義があり既に15年の歴史がある。神奈川では橋村武司が中国フアンを増やすため語学のみならず習慣・文化・歴史の勉学に励んでいる。『日本語と中国語の妖しい関係』の著者松浦喬二君は大阪でネイティブな語学力と長年のコンサルタント実務・経験を生かして中国語の教師を務めている。兵庫の小宮紀元君もまた6グループ(市の依頼・後援)の中国語教師を通して多くの仲間を輩出している。

 また、前述の第二世代小宮紀元君は、日本初1963年、LT貿易の㈱クラレ「中国へのビニロンプラント輸出」に参加。横山寛君もLT貿易、広州貿易会、中国研修生の受け入れ業務とフォロー。清末好夫君は九州日中友好協会で中国帰国者への日本語教育。松浦喬二君は国際コンサルタントとして貢献(資生堂、三共製薬など)。岡田浩祐君は広島大学退官後も中国人看護士・介護士の育成や診療所で社会貢献。橋村武司は電子腕時計の輸出、清華大学での研究支援、人材交流、技術移転に邁(まい)進するなど。夫々の立場で活躍している。これもひとえに第一世代の先輩たちのお手本・ご指導の成果だと思う。

 天蘭線の事跡を陵駕するのが、我ら第二世代が第一世代へ「恩返しをする」最大の方法と心得ている。胸に男のロマン「新大陸横断ランドブリッジ」(連雲港~天水~オランダロッテルダム、1万2千km)を抱き、「龍騰グループ」を立ち上げ、人材・貿易・文化交流のため日夜努めている。

 天水鉄中には優秀な技術者の子弟が集っていたので大学進学率は95%以上と聞いている。素晴らしい老師と環境に恵まれ、秀麗な良き友たちと勉学・起居を共に出来たのは、またとない機会だった。今、母校は新疆ウルムチに在り、開校70周年記念を今年の秋迎えた。幾久ししい中日交流の場を得、同学たちとの交流は60年の時空を越え今も綿々と続いている。天水会の会員は中国を第二の故郷と思っている。これからも天水会の良き伝統を守り、子々孫々の日中友好草の根活動の灯を燈し続ける所存である。どうか、ご指導ご鞭撻の程お願いしたい。

以上

写真6

写真5 中国同学

写真7

写真6 第二世代集合


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