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【16-07】お茶博物館を通した日中文化交流

2016年11月25日

小泊重洋

小泊 重洋

 1940年大分県生まれ。静岡県茶業試験場場長、お茶の郷博物館館長、放送大学非常勤講師などを歴任。現在、茶学の会会長、袋井茶文化促進会会長、NPO日本中国茶芸師協会理事長、世界茶連合会顧問、日本中国茶協会顧問、中国国際茶文化研究会栄誉理事等を務める。

 日本には、茶道に関連した歴史資料や文物を主体とした博物館(資料館)は、充実したものがあり、その分野で活発な活動を行っている。しかし、茶を総合的にとらえた博物館は存在しなかった。

 1998年(平成10年)4月、静岡県最大の茶産地、牧之原台地の一角にオープンしたお茶の郷博物館は、我が国初のお茶の総合博物館であった。この博物館は、金谷町(現島田市)という人口2万人ほどの小さな町が、30億円を投じて建設したものである。この博物館の設立理念は、世界に通じる茶の博物館として、町民が誇りにする施設を目指すものであった。総合監修者は、当時、国立民族学博物館教授の熊倉功夫氏である。したがって、高価な展示物を買いそろえるのではなく、世界の喫茶風俗や歴史を実地に即して展示する方法がとられた。まさに、茶産地静岡にふさわしい博物館であった。同時に、単なる物の展示博物館ではなく、世界を対象とした積極的な情報の受発信、人や物の交流に主眼が置かれ、いわゆる「行動し、育つ博物館」として発足した。

お茶の郷博物館の概要

 この博物館は大きく二つの区画からなる。ひとつは、茶畑の中にそびえる白亜の本館である。エントランスを入ると、最初に3階に導かれる。目の前に大井川そして、その先に富士山を望むことができる。さらに、西側の展望ロビーからは一面に広がる茶畑、これは、全国の茶園の10分の1、静岡県の4分の1の茶園が集積する牧之原台地の典型的な風景である。この博物館からの眺望は、まさに静岡県を代表するものである。3階の内部には、上海にある有名な湖心亭茶楼の一角を模したもの、トルコのアンカラに実在するチャイハネ、ネパールにあるチベット族の民家の一部が復元され、それぞれに特有の喫茶文化が紹介されている。湖心亭では週に一度中国茶の呈茶も行われる。2階には、ひときわ目を引く巨大な大茶樹がそびえる。これは、雲南省邦蕭(ばんわい)に現存する千年古茶樹といわれる古木である。勿論、作り物であるが、よく本物と間違えられる。そして、もう一区画が、他に類例のない茶室と庭園の復元である。これは、江戸時代初期に活躍した建築や作庭でも有名な大名茶人小堀遠州ゆかりの茶室と庭園である。ここに復元した茶室と庭園は、既に失われていて現在目にすることのできないものであるが、各種の史料を基に、綿密に復元した大変貴重なものである。ここには、「綺麗さび」で知られる遠州の繊細、華麗、さらには前衛的と言ってもよい大胆でモダンな様式がふんだんにみられる。

写真1 お茶の郷博物館内の上海の湖心亭を再現した部屋

日中文化交流

 開館後、すぐに中国の博物館との交流が始まった。当時、中国には浙江省杭州市に1991年に開館した中国茶葉博物館があった。龍井茶の産地である杭州市郊外の広大な敷地に建てられた博物館は、建物の面積だけでも7000平方メートルにおよび、茶に関する様々な文物が展示されていた。当初は、お茶の郷博物館の方が整っているように見えたが、年ごとに充実し、現在では展示物だけでなく様々な文化活動は、はるかにお茶の郷をしのぎ、新たに分館も建設されている。館内は無料となっているので、子供たちも自由に見学ができ、茶文化が生活の中に溶け込んでいる様子はうらやましい限りである。現在は、周辺に茶館やレストランなども並び、市民憩いの場所として、休日には長い車の列である。

写真2 中国茶葉博物館の呉勝天館長

 1998年9月には、中国茶葉博物館から代表団を招き、友好提携協定書の調印式を行った。翌年には、交流のシンボルとして茶経の全文が刻まれた重さ100キロの巨大急須が寄贈され、現在も「湖心亭」の一角に展示されている。一方、日本から茶手揉み保存会のメンバーがホイロを持参して、龍井茶と製茶共演を行った。その後も、博物館同士の交流は継続し、杭州市を訪れるごとに立ち寄り、近くの田舎料理店で杯を酌み交わすのが楽しみであった。中国から静岡を訪れるお茶の関係者の多くは、よくお茶の郷博物館に立ち寄る。特に人気なのは、茶室での喫茶体験である。中国では正座の習慣がないので、一服のお茶も難行苦行である。希望者には、和服の着付けも行い、喜ばれている。

写真3 中国茶博と友好提携調印(1998年)

 陝西省にある法門寺は、唐代の茶具が出土したことで有名である。ここの博物館は、宝物を警護するため軍隊を持っていることでも知られる。この博物館とも交流があり、彼の地で開かれたシンポジウムにも何度か参加した。茶文化の素晴らしさに最初に魅せられたのもこの地であった。

 さらに、2002年に福建省漳州市にオープンした「天福茶博物院」は、おそらく茶の博物館としては最大のものである。そこには、立派な日本の茶室も建てられ、本格的な茶の湯でもてなしてくれる。2004年には四川省楽山にも分館が作られた。こじんまりしているが内容は充実している。両博物館の設立に携わった阮逸明氏とは、台湾茶業改良場の長時代からの知己であり、建設や運営についてよく意見交換した。その他にも、小規模な茶関連の博物館は各所にあり、博物館を通じての交流は中国各地に広がっている。このような人とのつながりにより、各地で行われるお茶のシンポジウムや茶の品評会にも招かれ、一層、交流の輪が広がった。これも、同じ博物館という仲間意識があったからではないだろうか。

写真4 天福茶博物院(2002年)

 中国には、驚嘆すべき歴史文物が無数にある。あまりに身近過ぎて看過されがちなところもある。直接産業と結び付かない茶文化への関心がいまひとつなのは、日本も同様である。しかし、生活に潤いを与えるのが文化であり、いまほど生活にゆとりと潤いが求められる時代はない。

 博物館を通じての文化交流を一層活発に行う必要を痛感している。


※出典:「お茶博物館を通した日中文化交流」『和華』第10号(2016年4月),pp.26-29,アジア太平洋観光社。