【17-02】春の日の友情

2017年3月14日

楊保志

楊保志(風生水起);広東省科技庁科技交流合作処副調研員

河南省潢川県出身。入学試験に合格し軍事学校に入学。26年間、軍務に就き大江南北を転戦し、その足跡は祖国の大好河山に広くおよび、新彊、甘粛、広東、広西、海南などの地域で銃を操作し弾を投擲した。メディア、組織、宣伝、人事などに関する業務に長年従事し、2013年末、広東省の業務に転じた。発表した作品は『人民日報』『光明日報』『中国青年報』『検査日報』『紀検監察報』『法制日報』『解放軍報』『中国民航報』などの中央メディアの文芸・学術欄に、また各地方紙、各軍関連紙軍兵種報紙にも掲載され、『新華文摘』『西部文学』『朔方』などの雑誌や、ラジオ、文学雑誌にも採用され、“中国新聞賞”文芸・学術欄銀賞、銅賞をそれぞれ受賞し、作品数は500篇に迫る。かつては発表を目的に筆を執っていたが、現在は純粋に「自分の楽しみ」のためとしている。

 初めて日本人に接したとき、私は複雑な気持ちになった。

 それまでは、新聞や雑誌、テレビでしか日本人を見たことがなかった。たまに大通りで日本人を見かければ、言葉や服装、肌の色や行動パターンから、日本人であることは容易に判断できたが、彼らが日常に入ってくるようなことはなかった。

 ところが、一昨年から突然、仕事の関係で日本人と直接つきあう機会を得ることとなった。私は内心、不安を感じざるを得なかった。

 ご存じのとおり、中日友好の歩みは、歴史から十分に知ることができる。唐代には、日本人は大量の遣唐使を派遣して中国に学んだ。中国からは鑑真和尚が日本にわたって戒律を伝えた。当時の交流は友好的で、互いに敬意を表していた様子から、思いは熱かったと言えよう。後にさまざまな王朝を経て、誤解や齟齬、争いのある時期もあったが、兄弟のような両国の友好関係は、反目し合う近隣国の常に一歩上を行くものであった。しかし、近代に入ると、両国は最も乗り越えがたい歴史の1ページに直面することとなった。これこそが互いの猜疑心、軽蔑感、不信感の根源であり、この状態は100年以上続いた。清代には、彼らの祖先が領海に侵入して戦った末、私たちが負け、広大な領土を失った。民国期には、彼らの祖父の代が中国内地で戦いを繰り広げた結果、私たちは負けこそしなかったが、痛ましい代価を払うこととなった。新中国成立後、今度は両国の父親世代が互いを敵視し合いながら、20年間を過ごすこととなった。こうして、1970年代までの長い間、過去の世代の知識人たちは、その大局観、未来観、決断力をもってしても、歴史の霧を晴らすことはできなかった。しかし、今こそ、中日友好の船を新たにこぎ出そうではないか。これは、まさに天からの啓示であり、神に感謝しなければならない。ところが、近年、一部の輩が両国に仲たがいするようけしかけており、歴史の負債を再び掘り返している。そのせいで、かねてより友好関係を重視してきた両国民も、過去の傷を蒸し返すようになり、互いに嫌悪感を募らせ、攻撃しあうようになってしまった。このような状況に、不安を感じずにはいられるだろうか。

 こうして、長年をかけて、私の中の日本人のイメージは、その時々の世相によってころころ変わるようになってしまった。礼儀正しく謙虚な君子に感じられることもあれば、善良な顔つきの凡人として映るときもあり、またあるときは軍刀を持った殺人鬼となった。これでは、彼らと直接つきあうことになった今になって、落ち着かない気持ちになるのもおかしくはないだろう。

 そんな中、昨年の冬、私は日本を訪れる機会に恵まれた。日本は清潔で、礼儀正しい風土があり、法を重んじる国であることを目の当たりにするとともに、効率と高品質の追求も大和民族の特徴であると感じた。彼らと付き合う中で、その謙虚さと誠実さのために、礼儀正しい印象を与えるのだと感じたが、意外なことに、そのふるまいにもどかしさや不快感、距離感を抱くことはなかった。宿泊先の旅館では、汚染の心配をすることなく、いつでも水道水を飲むことができた。デパートで買い物をすれば、店員はいつでも嫌な顔一つせず質問に答え、冷たくされたり、ののしられたりすることなどなかった。工場見学のために、バスで遠くまで行った際も、彼らは手を振って歓迎の意を表し、至らない点はなかったかと心配してくれさえした。特筆すべきは東京の交通で、車の量は多かったが、その流れは整然として秩序があった。信じられないかもしれないが、何か用件を済ますために車での外出を選択するのは、日本では合理的な考え方だ。中国の一部の都市のように、車で出かけたら午前中いっぱいかけても用事が終わらないのとは違う。東京は世界最大級の国際都市であるのに、である。訪日でこれだけ多くの知見を得た今、私は内心、胸を高鳴らせながら、まさかこれがあの悪評高い日本ではあるまいと自問し始めている。東京が現実となって目の前に現れた今、私は、日本を改めて観察せざる得なくなった。日本は教養の高い隣国であり、尊敬に値するライバルでもあり、学ぶべき手本でもある。両国は互いに切磋琢磨し、共に発展し、共に重視し合うために、友情を結び直すべきではないかとさえ思うようになった。

 このような思いを抱きつつ、私は彼らと真摯に、しかし慎重につき合いはじめた。私の担当する対日科学技術交流と協力事業は、双方の努力によって、わずか1年の間で称賛すべき成果を挙げた。これは、事業効率の高さもさることながら、相互の信頼感と期待感の賜物であろう。日本人とつきあう中で、日本側カウンターパートは一つ一つの事柄に対して、非常にまじめであることを感じた。例えば、何時に待ち合わせと決めれば、必ずその時間に到着する。また、決して失言はせず、双方で分担したミッションについても、決められた期限までに必ず完了させる。その一方で、日本人も酒をはさんで友情を深めるのが上手なこともわかった。当方には、外国客をもてなすときは赤ワインをふるまっても良いという決まりがある。日本の友人たちと宴会を開くときには、まず彼らに何杯か多めに飲んでもらう。そうすれば、中国人と同じように心を開いてくれることがわかった。それでも、同じテーブルを囲むすべてのメンバーに乾杯を勧める際も、彼らは礼儀正しく、大声で騒ぐことはない。だれか一人に酒を勧める際も、わざわざその人の目の前まで行って、まず頭を下げてから酒を飲む。飲めば顔も紅潮するが、決して失態は見せず、赤ら顔で笑顔を作るのみだ。肌の色やふるまい、体格からは日本人とはわからないため、知らない人が見たら、自分たちと同じ中国人としか思わないだろう。しかし、私たちは酒を酌み交わし、協力し合い、実践の場を共にすることで友人同士になったのである。相手が友人と見なしてくれるのに、こちらも友人としてつきあわない理由があるだろうか。現実社会は往々にして、傷だらけの歴史をかいくぐってきた結果だ。そして、歴史は、現代を生きる人々に向かって、それぞれに特有の手段によって、過去の事実を伝えようとしている。つまり、中日友好を期待する人々や、中日間の協力によるウィンウィンの関係の成立を願う人は大勢おり、そのルートや方法、チャンスはすでに与えられている。ここで言えることは、人には誰でも、よくなりたいという思いがあるのだから、その気持ちに光を当て、大樹に育てるべきということだ。逆に、心の中の「悪魔」については、檻に閉じ込めてしっかりと見張り、決して鍵を開けないことだ。そうすれば、アラジンと魔法のランプのように、いつまでもその中で眠っていてくれるだろう。

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写真1 筆者は「広東省科学技術庁・近畿経済産業局包括協力文書交換式ならびに
日中環境・省エネ技術ワークショップ」に参加した。

 すべては理屈にかなったことだ。この1年間、私は仕事で出会った日本人以外に、日本国籍を獲得した多くの中国人と知り合うことができた。流暢な日本語を操る彼らからは、日本人としての自信と充実感が感じられた。かつては同胞だった彼らも、今では海外に住む「僑胞」として、中日交流の大きな一端を担い、両国を頻繁に行き来し、人々の善意や願いを草の根で伝え続けている。友人だった彼らが日本に行きついたとしても、友人であることに変わりはない。友とは小さな火花のようなもので、彼らの存在さえあれば、やがては広野を焼き尽くすほどの広がりを見せる。中日友好のかけはしも、彼らの協力によって徐々に幅が広がり、美しく整備され、やがては障害が取り払われてスムーズに通じるようになると確信している。

 2016年1月9日、中国科学技術大会が北京で開催され、日本の沖村憲樹先生が2015年度「中国国際科学技術合作賞」を受賞した。7名の受賞者の1人となった同氏は、70歳を過ぎた現在に至るまで、何十年もの長きにわたって中日間を奔走し続け、科学技術交流や協力のために心血を注ぎ、次世代に友好を伝えるべく労をいとわなかった。また、中国人が日本を訪れて見学するために、交流や研修の機会を数多く準備し、滞在中の食事やホテル、往復の航空券を提供するなど、まさに至れり尽くせりである。中国人にとって、沖村憲樹先生はただの友人ではなく、今や「老朋友」(ラオポンヨウ。古い付き合いの親しい友人)とも呼ぶべき存在である。同氏は、利益を追求せずに与えることばかりを考え、中国人のために生涯尽くそうと決意を固めた真の友人なのだ。物には、それ相応の価値がある。義理人情は、金ほどの硬い物をも穿つ。同氏こそ、この賞を受けるべくして受けたと言える。2015年11月11日、日本での滞在を終えて帰国する日の朝、夜も明けぬうちから、沖村先生はご自身が70歳を過ぎていることも忘れて駆けつけてくださり、どうしても私たちを送ると言って車に同乗されたうえに、一人一人と握手して、記念撮影までしてくれた。あの時、先生とのツーショットを撮っておけばよかったと後悔している。そうすれば、同僚たちに写真を見せながら「ほら、このかたが中国の科学技術賞を獲得した沖村憲樹先生だ。日本の『老朋友』なんだ。羨ましいだろう」と自慢することもできた。

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写真2 筆者が所属する団体が日本の各所を見学した。帽子を被ったグループは中国側参加者。

 ここまで書いて、最後に言えることは、中日両国は一衣帯水の隣国で、海を隔てて互いを臨んでいるということだ。「青山依旧在、友誼万古長」(山なみの青さが古来より変わらないように、友好の思いも永遠に続く)。私は、両国間のあの辛い歴史が本当でなければよかったのに、と心の底から願っている。何もかもが起きていなければどれほどよかったことか、とさえ思う。中日友好のために尽くし、あたかも数千もの船が通り過ぎるほどの営みを経た後、私たちが目にするのは、きっと春の日にちがいない。それは、春の美しい日以外にありえないとさえ、私は思う。


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