【17-09】全身全霊で研究に取り込んだ日々

2017年11月27日 只金芳(中国感光学会光触媒専門委員会秘書長・常務副主任、中国科学院理化技術研究所研究員、博士課程指導教官)

―花のように、蕾をつけ、香りを放ち、賛美の中で咲いた

藤嶋昭研究室での最初の日々

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筆者(左)と藤嶋昭先生(右)

 私は1980年に南開大学化学科に入学した。1984年には学士学位、1987年には修士学位を得て卒業すると、南開大学化学科に残って教職に就いた。南開大学で教えていた時期、国家教育委員会の公的派遣による日本留学のチャンスを得た。日本留学前には、国家教育委員会の言語訓練拠点である中国日本留学予備校(東北師範大学、長春市)で一年間にわたって日本語を学習した。

ここで学んでいた間に日本側の指導教員と連絡を取り、当時京都大学で学んでいた南開大学の同僚の紹介を経て、当時東京大学教授だった藤嶋昭先生の下で学習したいと申請した。この申請の手紙は、当時藤嶋先生の留学生だった劉忠範院士の目に留まった。幸いにして私の能力と条件とを評価した劉忠範院士は、藤嶋先生に私を推薦し、研究室に受け入れられることとなった。同じ時期に藤嶋先生の下で学んでいた中国人留学生には姚建年さんや蔡汝雄さん(シンガポール在住)、姚小斌さん(福州在住)などがいる。姚建年さんは帰国後、研究活動に尽力し、今では中国科学院院士に選出され、国家自然基金委員会副主任を務めている。

 中国で一年間の言語の学習を終えた後、私は日本に予定通り到着し、半年の研究生として学習した後、入学試験に順調に合格した。そして、東京大学の博士課程の学習を開始し、正式に藤嶋先生の研究室の一員となった。

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東京大学に留学したときの写真(前列右から2番目が筆者)

 日本に到着して最初に直面したのは、言語と文化の壁だった。仕事に熱心な藤嶋先生だったが、留学生の生活にも気を配ってくれた。研究室の日本人学生に、外国人留学生が学習や生活で必要となったとき適切に支援をさせた。留学生を客としてしばしば家に招きもした。夫人も留学生の生活に細やかに気を配り、社会的なつながりを利用して、日本文化の体験など留学生向けの活動を組織した。さらに調理具や食器、衣類などの日用品も留学生に提供し、学生生活の隅々までの支援を行った。藤嶋先生と夫人の親切さと気配りは、異国に身を置く留学生に温かさを感じさせた。私も、中国と日本の文化と言語の違いを段々と克服し、日本での仕事と生活に徐々に適応していった。

 国費留学生(文部省奨学金)だった私は、ほとんど当時の最高と言える学習条件に恵まれていた。中日両国の文化の差異を克服した私は、徐々に研究にも実績を出すようになり、研究室に入ったばかりの学生としての熱意を抱きながら、学生生活のすばらしい序幕を開いていった。

藤嶋先生と師弟関係の深まり

 仕事熱心な藤嶋先生は、毎日10時間以上は仕事をしていた。仕事中は冗談も言わず、研究や学術の面での学生に対する要求は厳しかった。だが藤嶋先生にも穏やかで親しみやすい一面があった。出張帰りには必ず、研究室の職員や学生にお土産を買ってきた。コレクションしていた美酒を学生を誘って一緒に味わうこともあった。そんな時の藤嶋先生はにこにこと笑う好々爺の表情になった。学生に気を配って日々の暮らしや家族、祖国のことを聞くこともあった。聞いた後は学生が直面する困難を覚えており、できる限りの援助を与えた。生活費や住居など留学生を悩ませる厄介な問題をめぐっても、学生が仕事と学習に集中できるよう、学生の心配を取り除こうと尽力してくれた。

 1980、90年代に日本に留学した学生は苦労人が多く、国外での学習という得がたいチャンスをとても大切にしていた。当時の学生の学術に対する態度は非常に真剣で、深夜まで仕事をしていることはしょっちゅうあり、夜が明けてやっと研究室を離れることもあった。

 努力は豊かな実を結ぶ。研究者らは日本留学中に多くの高い水準の論文を発表し、藤嶋研究室に輝かしい足跡を残した。私もその一人に加えられただろうか。まるで開花を待つバラのように、異国の沃土で力強く成長していったように思う。

 中国人学生の真剣さと聡明さは藤嶋先生を慰め、鼓舞し、中国に大量の優秀な研究者を送り出したと思う。藤嶋研究室に留学した中国人留学生は皆、目先の成果を急ぐ心理を克服し、全身全霊で研究活動に取り組んだ。私もまさにこの時期に、自律的で厳しく、実務的な研究態度を身につけた。実質を重んじ、真実を追求し、役立つことを求めることが一種の習慣となり、研究や学術でそれぞれがその後に際立った成果を上げるための良好な土台を築いた。

困難を克服して高みを目指した日々

 私は卒業後、NOK先端技術研究所に就職した。同研究所に勤務中も藤嶋先生とは緊密なつながりを保ち、仕事でのトラブルや困ったことがあれば藤嶋先生に相談した。学生にとって必要ではない面倒を減らすため、藤嶋先生は、日本の会社で3年働いた後は研究室に戻ってポスドクとして仕事を続けないかと私に提案してきた。私は喜んでこの提案を受け入れた。1999年8月、藤嶋先生は再び、科学技術振興機構(JST)のポスドクの仕事を私に紹介してくれた。申請した資料が一回でパスするよう、藤嶋先生は申請資料のすべてを自らチェックしてくれた。

 1999年10月、私は妊娠していることに気づいた。仕事を始める手続はまだ終わっておらず、3年にわたって続くポスドクとしての仕事と研究に全身全霊で取り組むことは妊娠してはできないと考え、申請したポスドクの仕事は諦めたいと藤嶋先生に告げた。だが藤嶋先生は、こうした機会はなかなか得られるものではないので簡単に諦めるべきではない、困難を克服して研究を深めるべきだと私を励まし、今後もサポートすると約束してくれた。藤嶋先生はその言葉通り、仕事や生活のさまざまな面で、それまで以上に気を配り、面倒を見てくれた。

 私は当時、つくば市に住んでいたが、勤務地は神奈川県川崎市だった。両地は遠く、往復で約4時間かかる。妊婦にとってはきつい条件だ。こうした状況も私をためらわせていると気づいた藤嶋先生は、東京大学の自らの研究室で働くことを提案した。そうすれば往復時間は半分になるし、東京大学の向かいに住居を見つけることもできる。

 藤嶋先生の気遣いとサポートは私を感動させた。私はこうして、生活上の不便や心中の雑念を取り去り、研究活動に専念し、出産1週間前まで働くことができた。出産後3カ月の産休が終わると、藤嶋先生は私の苦労を察し、自宅で論文を書くという名目で3カ月の育休を追加してくれた。その後、私は母親に頼んで子どもを中国で養育することにし、再び研究活動に全力で取り組んだ。私は藤嶋先生のサポートを受けて3年の仕事を順調に完了した。

 当時の思い出は、私の心に深く刻み込まれ忘れることはない。私と藤嶋先生の国を超えた師弟間の友情は、留学生の間で美談として語り継がれている。

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藤嶋研究室の活動写真

数々の成果 「努力はいつも報われる」

 私は夫とともに日本で12年間暮らし、安定した仕事と収入を得ていた。日本にとどまろうとすれば難しいことはなかっただろう。だが日本で長年生活しても、私の求めていた達成感は得られなかった。帰国して仕事をすることこそ自分の道かもしれない。博士とポスドクでの学習も、帰国して仕事するための土台作りではなかっただろうかと思うようになっていた。藤嶋先生も私の決意に賛同し、祖国に帰って研究を続けるよう励ましてくれた。これは正しい選択となった。

 私が帰国の準備を始めた頃、藤嶋先生は、帰国するほかの中国人留学生に対するのと同様に、各方面での支援を与え、各種の学術活動やフォーラムに推薦してくれた。藤嶋研究室を卒業して帰国した先輩らも、帰国して事業を展開するための多くの支援を与えてくれた。帰国して研究室を設立した私を藤嶋先生は全力で支援してくれた。私はこうして、国内での研究を順調にスタートさせることができた。

 私は、藤嶋先生の下で学んだ中国人留学生のうち、先生の研究領域である「二酸化チタン光触媒」を継続して研究している唯一の学生だ。そのため帰国後も、藤嶋先生と緊密な交流を保つ機会を得ることとなった。私はこうした背景の下、中国光触媒学会を設立し、秘書長(事務局長)を兼任することとなった。中国光触媒業界の7件の国家基準の中心となって制定したほか、日本と協力して1件の国際ISO規格を制定した。藤嶋先生も中国光触媒産業の発展を実際に支援し、中国の光触媒企業を何度も訪問し、事業の指導を行った。私は2013年、藤嶋先生の在籍する東京理科大学の研究室の教員とともに、中日国際協力重大プロジェクト(MOST-JST)を担った。同プロジェクトは2016年末に順調に完了し、多くの有意義な成果を実現し、中日双方の今後の環境・エネルギー分野の研究協力の新たな扉を開くものとなった。

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中日国際協力プロジェクトMOST-JSTの写真

帰国してから現在まで私は、中国の科学技術が発展し、中国と日本の研究面での差が徐々に縮まるのを目にして来た。自らの実験室にも多くの最先端の機器設備が加わり、いくつかの点では日本を超えてさえいる。だが私は、日本人研究者の研究に対する厳しく堅実な態度は、中国側が学び手本とすべきものだと考えている。私は光触媒学会を通じて、中日間の学術・企業の交流協力を推進してきた。中国の光触媒分野の研究者や企業家を率いて日本での交流や視察を何度も行うなど、両国の同業者による幅広い協力も推進している。日本企業の製品が中国市場に参入する際の指導やサポートも提供している。

 私はここ数年、光触媒や電気化学、バイオセンサーなどで幅広い研究を行い、成果を上げてきた。「道のりは苦しくても、努力はいつも報われるものだ」と感じている。

 電気化学バイオセンサーの応用研究では、ダイヤモンド薄膜表面の微細構造改質体系の設計と特性評価、ナノダイヤモンドのバイオ医学上の応用などを展開した。

 有機-無機ナノ複合光機能材料の開発では主に、抗菌や有機汚染物質分解、自浄化の機能を備えたナノ光触媒を機能性添加剤として複合した各種高分子材料(繊維、塗料)の製造、各種の無汚染・無毒性のナノ光触媒複合材料の開発などを展開した。

 微生物センサーの研究では、微生物(大腸菌や酵母菌など)の独特の性能を利用し、環境や薬物、食品の残留農薬などの検出に用いる各種の新型バイオセンサーを開発するなどした。

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卒業生との記念写真(左から2番目が筆者)

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只金芳研究室のメンバーたち(2017年6月撮影)

 私の研究室は、中国の光触媒分野における先端研究チームであり、光触媒分野の7件の国家基準と1件の国際ISO規格を中心となって制定した。帰国以来、私が率いる研究開発チームは、「863」や「973」などの国家重点プロジェクト、科学技術部の国際協力重大プロジェクト、国家自然基金委員会や北京市自然科学基金の重大プロジェクト、北京市科学技術委員会のプロジェクトなど、複数の科学技術プロジェクトを担当してきた。すでに発表した論文は90本余り、認可を受けた特許は15件にのぼり、そのうち6件の特許はすでに産業化に成功し、実際に生産に利用されている。

 私は、産業・大学・研究所の一体化という方針を堅持し、応用型研究に尽力し、基礎研究から市場応用までの絶え間ない探索を通じて、多くの産業化の経験を蓄積して来た。私は、風雨に負けずに生長するバラのように、古いものを捨て新しいものを取り入れながら、大きな花を咲かせようと努力している。


日本語版編集:馬場錬成(特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、科学ジャーナリスト)


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