【18-03】上を目指す視点を磨いた藤嶋イズムの研究室

2018年 3月 8日

本稿は中国総合研究交流センター編『縁遇恩師 ―藤嶋研から飛び立った中国の英才たち―』より転載したものである。

江 雷: 中国科学院院士、アメリカ国家工程院院士、発展途上国科学院院士、中国科学院理化技術研究所研究員、北京航空航天大学化学学院院長

 「自然界の多くの現象はごく当たり前のものに見える。だが成熟した現代の科学技術において際立った成果を上げるには、見慣れたものの中から非凡な要素を見つけ、偶然のチャンスをとらえてインスピレーションを得なければならない」

――私語録

「青信号」を追いかけた奮闘の毎日

 1992年から1994年まで、私は中日両国の共同育成する博士課程の大学院生として日本の東京大学に留学し、吉林大学の李鉄津教授と当時東京大学にいた藤嶋昭先生の下で学んだ。博士課程の卒業後、私は1999年の帰国まで藤嶋研究室に残って研究した。この間の経歴は、私の現在の成果にとって大きな意義を持つものとなり、研究面でのさらなる発展を可能としただけでなく、藤嶋先生との師弟間の友情を育てるものとなった。私の学生育成の道も、藤嶋研究室での経験からインスピレーションを得ている。

 私の研究室には、「天道酬勤」(天は努力に報いる)と書かれた書が掛けられている。これは1992年に私が日本留学に発つ際、おじが送ってくれたものだ。この文字は、日本での7年の間、勉学に励む私に付き添い、その後も一生を照らす一枚の鏡となった。私はその学術の道において「天道酬勤」を堅持して来た。私の人生は表面的にはいたって順調に見えるが、その背後には、人並み以上の頑張りと努力がある。私は、自らの人生の歩みについて、歩いてきたのではなく足を止めない馬のように駆け続け、一時も休まずに進んできたのだと思っている。

 「最初の交差点で赤信号にぶつかれば、その後も赤信号にぶつかる機会は多くなる。逆に、最初の交差点が青信号なら、その後も青信号に当たる確率は高まる。青信号が赤信号に変わる前にスピードを上げて交差点を過ぎれば、次の青信号に間に合うことができるかもしれない」

 囲碁の大家である陳祖徳が自伝で語ったこの赤信号・青信号の法則は、私の人生哲学ともなった。

 私は1987年、吉林大学の修士課程で学び始めた。私が「青信号」を追いかけ始めたのはその時からだった。私は、実験データこそが研究の根本だと考えている。修士課程で学んだ時には、私は一年早く研究室に入り、生の実験データを先に手に入れていた。ほかの学生が後から研究室に入ってきた時には、私は自分の実験データをすでに持っており、論文の執筆にすぐに着手することができた。修士課程の間に私は10本余りのハイレベルな論文を書いている。そのうち1本は博士課程の学生の論文とも肩を並べるもので、吉林大学の科学技術論文コンクール「青春杯」で特別賞を獲得した。これが私にとっての研究面での最初の「青信号」になった。この「青信号」で私は、国家教育委員会が管理していた吉林大学と東京大学の博士共同育成の枠を獲得し、海外での学習を始めることができた。

 私の修士段階での指導教員である李鉄津先生は、中国の有名な化学者であり、学術面で藤嶋先生と多くの交流があった。私は早くから藤嶋先生の名声を聞いていた。東京大学で学んでいた間に、藤嶋先生がちょうど中国で会議に参加することがあり、藤嶋研究室ですでに学んでいた先輩にあたる陳萍研究員が私を藤嶋先生に引き合わせてくれた。二人はすぐに打ち解けることができた。私はこうして、藤嶋研究室の博士課程の大学院生となった。

 藤嶋研究室に入ってからも、私はやはり、馬がひづめを止めないように、青信号を追いかけ続けた。当時、中国と日本の科学技術の水準には大きな差があった。外国に行けば言語も違う。留学時には言語を学習し、アルバイトで生活費を稼ぎながら研究に取り組まなければならなかった。私は「天は努力に報いる」をかなえるためには、すぐに行動しなければならないと考えた。日本に着いて2日目には、私はもう研究室に飛び込んでいた。藤嶋先生も、私の日本での生活のため、十分な資金を確保してくれていた。

 藤嶋研究室に在籍していた頃、ナノ界面材料の研究は世界でもまだ始まったばかりだった。これは当時まったく新しい分野であり、私の生物模倣スマート材料の研究もここから出発した。各国の科学者は、異なる構造の物質によってさまざまなものを形成することができ、性質の異なる材料の接触と融合を活用すれば、ナノ級界面の特異な機能特性を生み、特殊な機能と特異的な形状を備えた無数の新型材料を創造し、産業化を実現できると考えた。だが物質の2次元表面に特殊なナノ界面構造を形成した二元共同界面相、それが示す通常を超えた客観的物性、そのミクロメカニズムの研究は、世界的な新課題であり、界面物理学や界面化学、さらには界面生物学などの分野にも及ぶもので、研究の難度は非常に高かった。私は、ナノ界面材料が世界の科学研究の先端分野であり、今後の世界の科学技術と経済の発展において重要な役割を果たすことになると敏感に察知した。

 この認識に基づき、日本に留学した6年間、私は、宿舎と研究室、食堂の3つの場所を行き来しながら、懸命に研究に取り組んだ。私はこの時期、電子顕微鏡とレーザーパルス計器とともに過ごした。研究熱心な私は、光電界面の新材料・新構造を求めて実験を重ねた。研究室で徹夜で一週間働き続けたこともあった。私がほとんど休んでいないのを見た藤嶋先生は、東大の山上会館で休息を取れるよう手配してくれた。

 私は教員として学生を愛し、学生の学習と生活を常に気にかけている。私は普段から、自分の学生にとても気を配り、学生の研究や学習を辛抱強く指導するだけでなく、学生の生活の細々としたことにまで配慮している。私は、知識を教え、人を育てることを、教員の最も大事な職務だと考え、学生も私の深い愛を感じている。愛は教員の徳の魂であり、あらゆる教育事業の基礎である。私はこれを指導教員の藤嶋先生から受け継いだ。私は、師弟間の愛や友情を、自分の学生にも伝えている。

 私はしばしば、藤嶋先生のもとで学んでいた頃、藤嶋先生が正月3日に留学生を自宅に招いてくれたことを話す。1997年の正月3日のことは私はとりわけ印象深くおぼえている。私がこの日、藤嶋先生の家に招かれ、お喋りをしていた時、藤嶋先生が突然、壁にかかった鄭板橋の「難得糊塗」と書かれた書を指差し、私に「この意味がわかるかい」と聞いた。若かった私は、その字が意味することだけを考えて、「困難にぶつかった時はぼんやりしているくらいがよく、あまり聡明すぎてはいけないということではないですか」と答えた。

 藤嶋先生は笑って、自分の理解を私にこう語った。人間の一生の間にはぼんやりしていることがあってもいい。重要なのは、一生をかけて何かをやること、とりわけ自分の好きなこと、そのために一生の心血を注いでもいいと思える事業に身を投じることだ。人間の精力には限りがある。困難を前にして人はしばしばなすすべを失う。だが自分が選んだ事業には、細心の注意を払い、常に向上を心がけるようにしなければならない。

 この話は私の心に深く刻まれ、しっかりと努力することをさらに心がけるようになった。一つの物事をやり遂げることは私にとってもはや小さな事ではなく、一生努力してもいいと思えるような大きな事になった。このような決意と理想を持っていたからこそ、私は一歩一歩、勤勉な学習と着実な科学研究を通じて、科学研究に対する畏敬の思いを保ちながら、夢と気骨、目的意識を持った科学研究者になることができた。私は、理論研究をしっかりと行っただけでなく、これをわかりやすい形に変え、自分の研究を現実生活のさまざまな分野に応用した。

 博士課程で学んでいた間、私は、藤嶋研究室の大量の高水準の学術論文に貢献し、人びとが目を見張るような学術上の実績を積み上げた。藤嶋先生の中国人留学生への評価もこれでさらに高まった。博士課程の卒業後、藤嶋先生は私を、神奈川科学技術アカデミーに推薦した。最初は上級研究員として入り、後には5年にわたって「光電界面相変化制御」課題グループの代表を務めた。

 私は科学研究を楽しいことと考えている。一見無味乾燥な科学研究も私にかかれば生き生きとした作業となる。私の研究は成果の多さで際立っている。日本に留学した6年余りで発表した研究論文は60本以上に達し、そのうち筆頭著者として署名した論文は30本を超える。

突然舞い降りたインスピレーション

 1998年春、私は日本化学会で、「二元協同ナノ界面構造」理論を提起した。二元協同原子材料は20世紀初めにはすでにステンレス鋼に用いられていた。1930年代に入って、物質の分子レベルで二元分子協同材料が開発された。電子受容体と電子構造が結合して形成された有機超伝導体や有機強磁性体などがこれにあたる。1980年代に入ると、二元協同のさらなる研究開発が原子レベルと分子レベルで行われた。

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原子間力顕微鏡を調整している筆者

 ナノ材料はそのサイズの特殊性から、その他の材料とは異なる多くの性能を備え、その表面の性能はとりわけ際立っている。自然界の各種の物質・材料は千変万化だが、そこに内在する統一的な法則を見つけることができるものだ。ナノ材料の構造特性に基づき、対立するかに見える矛盾を調和させれば、さまざまな新たな効果を生むことができる。これは弁証法における対立物の統一に対応する。

 1998年、日本化学会の年次総会での発表資料を準備していた私は、突然インスピレーションを得た。あらゆる物質が各種の協同・相互補完する二元的な基本的粒子からなっていることが現代科学で証明され、二元協同も新材料の開発に用いられているならば、これをナノ材料界面にまで広げることはできないだろうか。

 この発想を得た私はすぐに、過去の研究成果のまとめを始めた。ある物質にある種の特殊な表面加工を施すと、メソスケールにおいて、2種類の異なる性質を持った複雑な二元的な表面のフェーズを形成することができる。この二つの違ったさらには真逆の理化学的性質を持つナノフェーズは、ある種の条件の下で協同作用を生み、材料のマクロ表面に通常とは異なる界面を形成する。私はこうして、「二元協同ナノ界面材料」に対する認識を深めていった。

 この認識を土台として、私はさらに、中国の道家の「陰陽合一」の哲学に連想を広げた。「万物は陰を負いて陽を抱き、沖気を以て和を為す」。この哲学は、物質は陰陽の二つに分かれ、陰陽の転換が万物を生み出すと我々に伝えている。私はここから、親水と疎水の性質を持ったナノ構造が物質表面に存在しているのではないかという大胆な仮説を立てた。私はすぐに同僚とともに、この仮説に基づき、親水と疎水の性質を併せ持ったナノ構造を複製し、ガラス表面に処理を施し、ガラス表面が親水と親油の特性を持ったことを証明した。

 親水・親油の材料を作ることができるなら、疎水・疎油の材料も作れるはずだ。

 大自然の中では、泥から生えたハスの葉が、強力な疎水・疎油の性能を持っていることがわかる。ハスの葉の表面には特殊な構造があるのではないか。私は走査型電子顕微鏡を使ってハスの葉の表面を観察し、大量のでこぼこしたナノ構造を発見した。これこそ私が求めていた答えだった。私は、マイクロナノ構造と中国の古代の伝統文化である老子の陰陽学説を結合し、ナノ界面上で通常を超えた性質を示す界面物質材料を作り出し、これを「二元協同ナノ界面材料」と名付けた。当時、私の共同育成の吉林大学側の指導教員だった李鉄津先生に自らの最新の研究の進展を電話で報告すると、李先生もこれは偉大な発見だと驚いた。

 ナノ級界面を出発点とし、新たな法則や新たな材料を見つけることで、藤嶋研究室は、ナノ界面材料の研究で世界をリードする位置にあり、ナノ材料分野では長年にわたって大量の資金が投入されていた。私の発見は、藤嶋研究室にとっても嬉しい驚きだった。私は1998年5月、ナノ材料研究での誇るべき成果によって、文部省の支給する若手研究者向けの特別奨励基金を獲得した。

さらに上を目指す踏み台に

 祖国に報いることは、私の出国にあたっての初志だった。中国科学院は1998年、「百人計画」の実施を始めた。100人余りの優秀な若手学術リーダーを国外から誘致・育成し、中国の科学技術の発展に向けて指導者の重任を負うことのできる指導者を育てようという計画だった。「百人計画」では、優秀な人材に対し200万元の経費による支援が行われた。これには研究経費や機器設備費、住宅手当などが含まれ、研究者の研究と生活を強力にサポートするもので、「百人計画」への選出は、研究者の学術的な能力に対する高い評価を意味した。私は1998年、その優れた研究能力を評価されて「百人計画」に選出され、科学技術戦線におけるホープとなった。

 「百人計画」に入選する前、私は日本で、当時の中国科学院化学研究所の所長だった朱道本院士に会った。私は朱院士に自らの「二元協同ナノ界面材料」の考えを語った。二人は交流後、意気投合し、年の差を超えた友情を結んだ。中国古代の哲学をヒントとした「二元協同ナノ界面材料」の発想は、日本ではなかなかなじまず、私は壁に直面していた。朱道本院士は「百人計画」を推薦し、帰国後1週間もしないうちに「百人計画」申請のための電子メールを私に送って来た。

 1998年5月、私は自費で北京に帰り、海外の若手科学者によるシンポジウムに参加した。国内の人材需要の市場環境もその足で視察し、国家科学技術部基礎研究司の邵立勤・副司長(当時)に会った。簡単な交流後、邵立勤はすぐに、私の研究活動に理解と興味を示し、帰国して事業を展開するよう勧め、国家「973」計画プロジェクトを推薦してくれた。

 当時中国科学院の副院長を務めていた白春礼院士は、ナノ科学の専門家であり、私と同様に海外留学の経歴があった。中国科学院の「百人計画」を担当していた白春礼院士は、私の宿泊していた招待所に自ら足を運んでくれた。二人はナノ界面材料の研究について、応用基礎研究や企業化運営をするためにはまず、基礎研究をしっかりと行わなければならないとの共通認識を達成した。国内の科学者のサポートは私を鼓舞し、帰国という道がいよいよはっきりして来た。

 私は学術面で大きな成果を獲得し、藤嶋研究室の在籍期間中も、光電界面材料の製造と理化学的性質の研究で多くの成果を上げていた。日本や米国の多くの大学や多国籍企業からも仕事のオファーがあった。母校の吉林大学の兼任教授の招聘状と「長江学者」申請の招待状もすでに手元にあった。藤嶋先生は早くから高待遇のポストを約束してくれていた。だが一番縁があったのは中国科学院だった。

 1998年8月、私は北京に帰り、世界の若手ナノ科学者によるシンポジウムに出席した。中国科学院化学研究所は、化学研究所の見学と講義に私を招いた。私の講義は出席者の認識を一変させ、大きな衝撃を与えた。私の研究所でのポストの審査は1週間で通過し、3つの部屋と大広間のある住宅も手配され、研究経費の申請も行われた。同年12月、化学研究所は私の「百人計画」の質疑応答を認め、専門の助手をすぐに配置し、二元ナノ界面材料研究室の設立を進めてくれた。

 私の中国国内での科学研究の凖備はこうして整った。手塩にかけた学生が離れていくのは残念だったと思うが、藤嶋先生は、私の帰国を応援し、自分の祖国に帰れば、活躍する空間ももっと広がるだろうと言ってくれた。藤嶋先生と橋本仁教授はさらに、帰国後すぐに研究できるようにと、私に数千万円の実験設備を提供してくれた。恩師に対する感謝と惜別の念を胸に、私は中国に戻った。

 私が築いた二元協同界面材料の理論的土台に基づき、私はその課題チームのメンバーとともに、ハスの葉や毛筆、ウツボカズラなど自然から発想し、自然を活用したナノ新型機能の材料をすぐに開発した。私は、二元協同ナノ界面材料に対し、より体系的な研究をするようになった。この材料を用いて織物を処理すると、水や油をはじく性質を織物に備えさせることができる。タイルやガラスの処理に用いれば、自浄機能を持たせることができる。

 中国科学院化学研究所の産業化の発想は、藤嶋先生の影響を受けた私の産業化開発と一致した。私はそこで、ナノ技術の移転と普及を積極的に開始し、関連企業との幅広い協力をすぐに展開し、戦略パートナーシップを形成し、基礎研究の実際の生活への応用を実現した。

 化学研究所と中国商品交易センターは北京中商世紀ナノ技術有限公司を共同設立し、「ナノ自浄ネクタイ」や「ナノ自浄スカーフ」などの驚くべき製品が生み出された。普通のネクタイやスカーフと変わらないが、ナノ技術による処理が施され、特殊な機能が備わっている。ハスの葉に汚水が落ちても、浸透することはない。同様にこれらの製品も、手でもんで浄水で洗い流すだけで、汚れや油の痕は消えてしまい、洗浄剤を使う必要はまったくない。

 1999年末、私が首席科学者を務める中商世紀公司は記者発表会を開き、「超双親性二元協同界面材料技術」(親水・親油)と「超双疎性界面材料」(疎水・疎油)を初めて打ち出し、美しい「ナノ自浄ネクタイ」を社会各界に披露した。

 ナノ技術処理を施した各種の紡織材料は、まるで魔法のように、防水や防油が可能なだけでなく、殺菌や放射線防護、防カビなどの特殊な効果を持つ上、繊維強度や染料親和性、耐洗浄性、ウォッシュ・アンド・ウェア性などもともとの織物の各種の性能は保持することができる。

 2000年春、国家ナノサイエンス指導協調委員会首席科学者の白春礼院士は、国務院の指導者向けに中南海でナノサイエンスについての講義を行った。白春礼院士がその場でデモンストレーションを行った防汚ネクタイには朱鎔基総理も興味を示した。現在、化学研究所が提供した双疎ナノ技術を活用し、中商世紀公司と寧波艾力特公司はナノネクタイを共同で打ち出し、市場への大規模な投入を行っている。

 さらに「中国科学院」の字の入ったネクタイは、外国の貴賓に贈られる礼品となり、「ネクタイ大使」として活躍している。中国国家大劇院もこの種の材料を率先的に取り入れている。私は、この超双親界面材料技術は今後、都市のカーテンウォールのガラスや浴室の鏡、各種のメガネ、自動車ガラスなどで幅広く応用されることになると信じ、二元協同ナノ界面材料の研究をさらに進めている。

 産学研協力をさらに深めるため、バイオニック知能界面科学研究センターはすでに、多くの企業と協力し、技術譲渡の実現に成功している。例えば自浄ガラス生産技術の譲渡を受けたNano Solutions有限責任公司は、面積20万平方メートルに達する自浄ガラスの生産と応用を実現した。油水分離膜の譲渡を受けた北京Binary Century ナノ技術有限公司は、800隻以上の汽船の油分浄化への応用に成功した。

 北京中科納新印刷技術有限公司には、緑色印刷技術が譲渡された。織物表面の超双疎(疎水・疎油)処理技術の譲渡を受けた寧波艾利特控股集団公司は、自浄ネクタイと自浄スカーフの生産への応用に成功した。鄂尓多斯(オルドス)集団や杉杉公司などの一連の企業とも協力を展開した。

 バイオニック知能界面科学研究センターはさらに、北京の北京賽特超潤界面科技有限公司と戦略パートナーシップを結び、研究センターを設立し、衛生やエネルギー、農業などの分野に用いる先進材料を開発し、科学技術成果の転化を加速している。

 私の研究室は2001年、「超双疎カーボンナノチューブ配列膜」の開発に成功し、ドイツの学術誌Angewandte Chemie にその成果を発表した。一連の高水準の成果が発表されたことで、私は、材料分野で国際的に権威のある雑誌Adv. Mater. 編集長の目に止まり、研究成果に関するまとまった文章の執筆を依頼された。

 藤嶋先生は学生の事業を応援し、学生の発展を常に気にかけていた。2000年12月1日、藤嶋先生は私に会うために中国を訪れ、私がこれほど短い時間で注目すべき成果を上げたことを知り、驚くと同時に心からの賞賛を送った。帰国後、私と藤嶋先生は緊密な交流を保ち、毎年一回の中日両国による会議で顔を合わせているほか、私は日本を訪れるたびに恩師を訪ねている。

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藤嶋先生と

多くの成果を上げた教え子たち

 人に授けるに魚を以ってするは、人に授けるに漁を以ってするに如かず――。私は、研究事業の展開を重視するだけでなく、学生の育成にも力を入れている。毎年、新入生が入って来る度、私は最初の授業では、専門知識を教えるのではなく、科学研究に従事する者として守るべきルールを教える。

 学生には、「まずは正しい人間となり、その後に学問を深めなさい」と言う。私は、「誠実、団結、自信、礼儀」を心がけるよう呼びかけ、その中でも「自信」は特に重視すべきだと語る。学生には、自分が生まれたからには必ず用途があるとの信念、研究成果を左右するのはどの大学を卒業したかではなく個人がいかに努力するかなのだという信念を持たせなければならない。研究チームは精錬炉となり、銑鉄がどこから来たのであっても、すばらしい鋼鉄に精錬しなければならない。

 学生に対しては、厳しさと緩やかさの両方で臨むことが大切だ。厳しさとは、学生の勉学精神や研究方向はしっかり指導し、一人ひとりの学生の研究における大きな問題をきちんと管理するということだ。緩やかさとは、普段の研究は、できるだけ彼らに任せて自分でやらせるということだ。細かく管理しすぎれば、学生は教員の指導通り実験をするだけになる。そうなれば何でも考えやってみるという若者の力を発揮させることはできないし、ロボットと同じだと私は考えている。

 私が最初に指導した博士課程の大学院生の一人である馮琳は、私の指導の下、重要な研究成果を収め、わずか3年で世界的に有名な化学専門誌Angew. Chem. Int. Ed. と材料専門誌Adv. Mater. に論文を4本発表し、全国優秀博士論文100本にも論文が選ばれた。私のもとには北京大学清華大学の学生はおらず、ほとんどはあまり有名でない大学の出身者だ。そのため学生が国際学術誌に論文を発表すると驚く人もいる。彼らが成果を上げることができたのはほかでもなく、自信を持ち、苦労をいとわずに努力したからだ。馮琳から始まって、私の一人ひとりの学生は、先輩や同輩、さらには後輩に鼓舞され、多くの重大な研究成果に皆が励まされながら、研究に専念する闘志をよりいっそう高めてきた。

 どんな小さなことでも見逃さない観察力、豊富で多彩な想像力、どんな困難にぶつかってもめげない精神、強靭でゆるぎのない意志、深い内容をわかりやすく説明する表現力。これらが私が学生に求める基本的な能力だ。実験にあたって最も大切なのは観察だ。良好な観察力がなければ、研究者は、実験で最も重要な発見を見逃して捨ててしまうかもしれない。

 科学における想像は、根拠のない妄想とは違う。大量の読書と幅広い知識、積極的な交流の上になされるものだ。研究室は面白みに欠け、データは味気なく、研究過程は単調で、科学研究は決して楽な仕事とは言えない。私はよくこう語る。「科学者にとっては、どんな困難にもめげない精神、強靭で揺るぎのない意志が欠かせない」。科学研究は重要だが、それを伝える能力も非常に重要だ。2時間で話そうと思っていた報告を5分にまとめ、重点をはっきりと伝えなければならない。

 私に育てられた学生らは、しっかりとした理論の土台と柔軟な対応能力を身につけている。卒業した学生の多くは中国内外の大学に勤め、自分の研究チームを作った人も多い。「長江学者」として任用された教え子や、「国家傑出青年科学基金」の獲得者、「優秀青年科学基金」の獲得者も数多い。重点研究機構の研究員や国家重点大学の教授、自らの分野の学術リーダーとして活躍する人もいる。

 例えば孫涛壘は現在、武漢理工大学化学化工・生命科学学院の院長を務めており、「長江学者」(2009)に選ばれただけでなく、「国家傑出青年科学基金」(2013)の獲得者でもある。王樹涛は現在、中国科学院理化技術研究所業務処処長を務め、「国家傑出青年科学基金」(2014)の獲得者であり、「長江学者」(2016)でもある。

 聞利平は現在、中国科学院理化技術研究所生物模倣材料・界面科学重点研究室副主任を務め、「国家傑出青年科学基金」(2016)の獲得者だ。夏帆は現在、中国地質大学(武漢)材料・化学学院院長を務め、「国家傑出青年科学基金」(2015)の獲得者である。柏浩は、浙江大学化学工学・生物工学学院教授を務め、2015年には中共中央組織部「青年千人計画」に入選したほか、「優秀青年科学基金」(2017)の獲得者でもある。

 劉明傑は、北京航空航天大学化学・材料学院教授で、2015年には中共中央組織部「青年千人計画」に入選したほか、「国家傑出青年科学基金」(2017)の獲得者でもある。侯旭は、アモイ大学化学化工学院教授で、2016年には中共中央組織部「青年千人計画」に入選した。

 田雪林は、中山大学材料科学・工学学院教授で、2016年には中共中央組織部「青年千人計画」に入選した。趙勇は、河南大学化学化工学院教授で、2016年には中共中央組織部「青年千人計画」に入選した。郭維は現在、中国科学院理化技術研究所研究員を務め、「優秀青年科学基金」(2015)の獲得者である。

 劉歓は、北京航空航天大学化学・環境学院副教授で、「優秀青年科学基金」(2016)の獲得者である。田野は、中国科学院化学研究所緑色印刷研究室副研究員で、「優秀青年科学基金」(2017)の獲得者である。

 私は、中国の生物模倣スマート材料分野の専門家であり、業界を引っ張る人物でもあると考えている。生物模倣スマート材料の第一人者になったのかもしれない。1987年から1992年まで私は吉林大学で学び、物理学科固体物理専攻の学士学位と化学科物理化学専攻の修士学位を取得した。1992年から1994年まで中日共同育成の博士課程大学院生として東京大学に留学し、帰国後、中国科学院化学研究室に就職し、博士学位を取得した。

 1994年から1996年まで東京大学で博士研究員を務める。1999年には中国科学院百人計画」に入選し、2009年12月には中国科学院院士に選出された。私は、交差学科の研究者であり、化学と物理の両方を学習した経歴は、生物模倣スマート材料分野の研究で大いに生かされたのではないだろうか。

 神秘的な大自然は人類の最良の教師である。私は、交差学科の強みを拠り所とし、生物模倣スマート界面の研究を長期にわたって行い、自然から学びハスの葉の表面の超疎水性や蜘蛛の糸の超強力定向集水性、魚のうろこ表面の水中超疎油性などにかかわる科学的なメカニズムを明らかにした。一連の超浸透機能材料を開発し、中国国家大劇院や船舶などを含む世界の産業に貢献したとすれば大変うれしく思う。

 私の研究室には現在、研究室主任1人、研究室副主任2人が配置され、固定人員は21人で、そのうち学術中堅人員は13人(正高級8人、副高級5人)に達する。研究室は学術レベルが高く、団結力が強く、青壮年の学術リーダーを核心とした優秀な研究チームを擁し、中国科学院院士1人、研究員8人(そのうち1人は「千人計画」選出の外国人専門家)、副研究員5人(1人は高級エンジニア)が含まれる。

 中国科学院百人計画」選出者1人、「国家傑出青年科学基金」獲得者3人、国家「万人計画」青年優秀人才1人、「長江学者」1人、「優秀青年科学基金」獲得者1人、「盧嘉錫青年人才」受賞者1人がいる。研究室には、「生物模倣超浸透界面材料研究センター」「生物模倣粘着材料研究センター」「マイクロナノ構造加工センター」の3つの研究センターがある。

 現在は、「生物模倣超浸透界面材料」「生物模倣粘着性界面材料」「生物模倣イオンチャネル構築・応用」「有機パターン化材料デバイス」「生物模倣構造色材料」「複雑微細構造超回折レーザー加工・応用」の6つの分野の研究活動を重点的に展開している。

 私は、中国科学院北京航空航天大学化学学院に勤めるほか、第三世界科学アカデミー会員や全米技術アカデミー外国人会員、英国王立化学協会会員、中国材料研究会ナノ分会主席、オーストラリアモナシュ大学とオーストラリアウーロンゴン大学、吉林大学の兼任教授を務め、さらに関連分野の国内外の重要な学術誌(Adv.Mater.Funct., Small, ACSNano など)で編集顧問や副編集長などを務めている。

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第三世界科学アカデミー化学賞受賞

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NAE8066-1697全米技術アカデミー外国人会員

 生物模倣スマート材料分野の専門家として、私は、研究室を率いて世界一流を目指すと同時に、社会的な評価も得ている。2014年にはMRS Mid-Career Researcher Award を獲得、2015年には「中国科学院傑出成果賞」と「中国ナノ大賞」、2016年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)ナノサイエンス貢献賞と日経科学賞、さらに第三世界科学院化学賞を獲得している。

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2014-MRS Mid-Career Researcher Award(中国大陸初の学者として)

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2015 年、「中国科学院傑出成果賞」受賞

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China NANO Award 2015.09(中国大陸初の学者として)

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2016 年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)ナノサイエンス貢献賞受賞

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2016 年5 月 日経賞受賞

日本語版編集:馬場錬成(特定非営利活動法人21世紀構想研究会理事長、科学ジャーナリスト)


日本語版「縁遇恩師 ―藤嶋研から飛び立った中国の英才たち―」( PDFファイル 3.08MB )


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「中国高速鉄道の発達で「南轅北轍」が可能に」

北京便り

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2018/4/2更新
「北海道大学北京リエゾンオフィス開所式・中国科学院大学丁仲礼学長北海道大学名誉博士学位授与式」

印象日本

2017/3/9更新
「莫邦富の「莫談国事」:日本の高級ホテルの無料Wi-Fi未開通問題で議論沸騰」

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