【15-01】AIIB 論議の陰に隠れて

2015年 5月22日

服部健治

服部 健治:中央大学大学院戦略経営研究科 教授

略歴

1972年 大阪外国語大学(現大阪大学)中国語学科卒業
1978年 南カリフォルニア大学大学院修士課程修了
1979年 一般財団法人日中経済協会入会
1984年 同北京事務所副所長
1995年 日中投資促進機構北京事務所首席代表
2001年 愛知大学現代中国学部教授
2004年 中国商務部国際貿易経済合作研究院訪問研究員
2005年 コロンビア大学東アジア研究所客員研究員
2008年より現職

 今年に入り、特に英国が参加を表明した3月以降、中国が提唱するアジアインフラ投資銀行(以下AIIB)に係る話題がマスメディアで沸騰している。これほどまでに耳目を集める背景は何なのか。その第一は、アジアのほとんどの国々がAIIBに参加を表明し、しかもG7の主要な西欧先進国もこぞって参加し、さらに米国と同盟関係にある韓国、豪州までも参集する中、孤高を保つがごとく日本が参加を見送ったがゆえに、日本政府の判断と行動の成否が問われているからだ。AIIBの先輩格ともいえるアジア開発銀行(以下ADB)を主導している日本は参加すべきか否かを迫られている。

 2つ目はAIIBの設立が、2013年秋以降に明るみになったユーラシア大陸を包含する“シルクロード経済圏”(「一帯一路」政策)の構想と密接にリンクしており、中国の大掛かりな国際的な経済・金融の制度設計がアメリカを中核とする戦後世界経済体制への挑戦といった印象を与えているからだ。より具体的には、ブレトンウッズ体制を支えてきた国際復興開発銀行(通称、世界銀行)、国際通貨基金(IMF)、そしてADBといった既存の国際金融機関への対抗と捉えられている。さらに久しく話題となっている人民元の国際化戦略との絡みでは、ドルを基軸通貨とする国際通貨制度への揺さぶりとの推測も呼んでいる。

 同時にAIIBの問題は安全保障の議論にもまとわりついて、“中国の台頭”に対する警戒といった論調を盛り上げるまでに至った。特に尖閣諸島での中国船による領海侵犯や南シナ海のスプラトリー諸島(南沙群島)の要塞化といった挑発的な行動を展開する昨今の中国に対し、まさに往時の「中華帝国」を夢想するもの、或は「中華思想」の膨張の始まりと見立て、AIIBはその先鞭と見なす見解も登場してきた。

 話題が沸騰する三番目の要因には、中国国内の事情が挙げられる。近年中国経済の成長は明瞭に鈍化してきており、習近平政権も「新常態」(ニューノーマル)を主張する。高度経済成長路線から安定成長路線へ、外資依存型発展戦略から内需喚起型発展戦略へといった2つの転換を図ろうとしている。そこで問題となるのは、リーマンショック以来の対策、つまり4兆円の景気浮揚策で残された過剰な設備と在庫、余剰人員の処理である。その多くが国有企業である素材産業、エネルギー産業、建築・建材産業、そして一部の製造業の活性化と余剰産品のはけ口として、AIIBが先導役となって、アジアのインフラ投資に向かう筋立てが描かれている。

 さらに貧富の格差が深刻化する中国にあっては、周辺諸国のインフラ整備事業を掘り起し中国経済との緊密化を一層進め、それが経済活性化の下支えとなって国内矛盾を解消しようとする思惑もあると考えられている。

 以上のような沸騰する背景に押されて、日本政府の不参加を正当化し、様子を見てからでも遅くないといった論調がマスメディアをリードしようとしている。より直接的な不参加の理由としてAIIBのもつ組織的性格、つまり中国政府が影響を行使する組織運営上のガバナンス問題、具体的には理事会構成と常設化か否か、出資比率の妥当性、どの言語が公用語かといった問題等々が明確になっていないと提起されている。さらにプロジェクト審査の不透明性が提議され、環境保全、人権尊重、事業の経済効果、資金の回収などが担保できるのか疑問視されている。

 しかし、AIIBの組織運営のあり方や設立の意図などを詮索し追究するまえに、考えなければならないことは、AIIBをめぐり過熱化する論調の陰に隠れて見過ごされている重大な問題が存在することだ。それは参加を見送った日本政府の外交的、戦略的弱点のことだ。日本が参加しなかったことは、日本外交の「敗北」という見解もあるが、何も競争したり闘争したりしているわけで無いので「敗北」ではない。むしろ「失敗」である。不参加の正当性が声高になればなるほど、日本の「失敗」を覆い隠そうとしているようにも思える。

 日本の失敗の第一は、AIIBをめぐる中国はもとより世界の主要国の動きに関連する情報を的確に収集、把握していなかった点である。中国政府からAIIB参加の働きかけが各国に本格的に始まったのは、2014年初めからである。残念ながら、日中両国政府の関係は、14年11月に安倍・習両首脳の会談が実現するまで緊密な接触ができなかったので、中国についての情報収集には限界があったかもしれない。

 だが、中国政府によるEU諸国への働きかけは捕捉できたはずだ。日本は、アジア諸国の多くはAIIBに参加するであろうが、EU、とりわけG7の国々が中国主導の組織に参加するはずがないとみくびっていた。あにはからんや英国がAIIBに参加を表明するとは、日本政府にとって寝耳に水といった有様であった。単に中国から英国政府へのさまざまな働きかけを把握するだけでなく、英国自身の思惑も十分に分析し勘案しておくべきだった。英国の金融界はシティーが人民元の決済センターの地位を確保することを目論んでいる。英国は香港の維持ということもあったので、歴史的にみて中国共産党政権とは関係が深い。さらに韓国、豪州の参加も想定外であったと思われる。

 日本は、情報収集はもとより、先入観なく分析する判断能力も欠落していると言わざるをえない。くしくもAIIB問題で露呈したのは、日本政府のインテリジェンス能力の低さである。

 失敗の第二は、日本が中国に対してもつ“上から目線”の姿勢である。その端的な表れが、日米が参加しない限り、AIIBの信用格付けは高くならないし、資産、債券の価値は低くなるという主張だ。腐敗まみれの中国政府が主導する運用だから安全性、リスク回避は弱いとはなから決めつけている。そもそも日本のプレゼンスの信頼性がそんなにも高いものなのか不明だが。また、AIIB参加に伴う出資金は日本国民の血税であり、透明度が低く法的規律が脆弱な中国のような国家が主宰する金融組織に金は出せないという論陣もある。いずれにしろ基底にあるのは根っからの中国軽蔑にすぎない。

 そもそもAIIBへ予想外の参加国が結集した大きな要因の一つに、IMFはじめ既存の国際通貨機構に対する発展途上国の不満がある。日本は途上国の不満に無頓着であったし、中国の心情を理解していなかった。またEU諸国は中国はじめアジア経済の潜在的発展の強さに期待しており、その発展の動力になるインフラ需要の膨大さに関心を注いでいた。そうしたことがAIIBへの参集を促したが、日本はアジアに位置しながら、アジアの盟主になろうとする中国の国際的な地位上昇の意味を真に掌握できていなかった。経済、外交はじめ中国が実行する政策遂行能力に対する過小評価だ。安全保障面のバイヤスが強すぎ、かつ中国の後進性を誇大に強調しすぎる。アジアで日本だけが参加しない(北朝鮮は例外)といったいびつな結果を招いた帰結には日本の傲慢な矜持があり、中国に対するあざけりを含んだ一面的な浅見が横たわっている。そうした見識のなさ、後発国から学ぼうとする勇気の欠落が失敗を招いた。

 第三に日本の戦略性の欠如を指摘しなければならない。日本は現時点でAIIBに不参加を決めたが、中長期の戦略的見通しを持って決断したわけでない。不参加の口実はいくつか表明されているが、これからのアジア発展へのかかわり方、とりわけ中国への対応などが基本にあって拒否したわけでない。行き当たりばったりと言っても過言でない。あるいは米国の動向に追従したにすぎない。戦略性の欠如の根底は対米従属のスタンスからきており、長年米国に追随することに慣れてしまったサガといえる。

 ADBが設立された当時(1966年)、高度経済成長期の日本は、現在の中国のように「円の国際化」戦略をもっていたのか。1997年アジア通貨危機に苦しむアジア諸国を代表して「アジア通貨基金」構想を掲げた日本は米国と対抗する侠気が本当にあったのか。

 今や中国の巨大さは現実である。政治経済から外交軍事まで各領域で中国が放つ合理的、協調的側面とかたや非合理的、強圧的側面とをじっくり見極め、柔軟に対応する思考と能力が問われている。その場合、参考になるのは、抗日戦争初期に述べた毛沢東の言葉である。『戦術的には重視し、戦略的には軽視(楽観視)する』と。「戦略」とは長期的な視点に立った構想であり、他方、「戦術」とは短期の対応策である。

 中国と対峙するにあっては、長期的に見た場合、共産党独裁システムを堅持する限り、民意をくみ上げ、社会的参加を生み出す(アンガージュマン)仕組みも言論・表現・結社の自由もなく、“前衛党主義”のパワーエリートが支配する体制であり、それは人間を幸福にする社会的、法的制度でないし、21世紀をリードする価値、思想、文化は創造できず、いずれ深刻な矛盾が爆発すると根底的に楽観視することである。そのうえ、巨大な人口オーナス、膨大なエネルギー不足、分配の不平等性といった経済構造が待ち受けている。他方、短期的には中国の対応を重視し、当面の施策においては、接触、協議、包囲、対決など硬軟両様でもって真剣に対処していくべきである。

 アジア諸国が求める膨大なインフラ整備は厳然たる事実であり、その意味でもAIIBに日本も参画し、内部でいろいろ善処し改変を模索していくべきだ。日本が参加することによって、政治的に緊張関係にある中国に対して心証をよくしリップサービスができる。そして、AIIB内部にあってあまりにも「中国的」横暴と非合理性が顕著になれば、他の先進諸国に呼びかけ脱退も辞さないとするマヌーバーを発揮すべきだ。日本の脱退はAIIBに大きな打撃を与えることになり、中国自身の反省を促すことになる。AIIBの内部に入らない限り、日本の主張も影響を与えられないし、日本の持つ“すばらしさ”も行使できない。米国の煙幕の中では、日本独自の「戦略・戦術」は生み出せない。


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