服部健治の追跡!中国動向
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【15-03】「中国の台頭」から学ぶべきこと

2015年12月 2日

服部健治

服部 健治:中央大学大学院戦略経営研究科 教授

略歴

1972年 大阪外国語大学(現大阪大学)中国語学科卒業
1978年 南カリフォルニア大学大学院修士課程修了
1979年 一般財団法人日中経済協会入会
1984年 同北京事務所副所長
1995年 日中投資促進機構北京事務所首席代表
2001年 愛知大学現代中国学部教授
2004年 中国商務部国際貿易経済合作研究院訪問研究員
2005年 コロンビア大学東アジア研究所客員研究員
2008年より現職

 「中国の台頭」が話題に上って久しい。確かに世界における中国の影響力は増大している。その「台頭」を牽引しているのは、言うまでもなく今世紀に入ってからの中国の経済発展である。2010年にGDPで日本を抜き、今や購買力平価基準では米国を抜いたと見られている。ちなみに2014年の各国際機関の統計では、貿易総額4.2兆ドル、対内直接投資1285億ドル、外貨準備高3.9兆ドル等々といずれも米国を上回り世界第1位である。近年来中国が渇望してきた「大国崛起」の雄姿が近づいている。

 確かに中国は「大国」である。だが「強国」とは言い難い。強国を支えるには経済力のほかに、もとより政治力、軍事力、文化力も重要なファクターである。この10数年拡大の一途をたどる中国の軍事費さえまだ米国の35%で、海軍力も劣っている(ストックホルム国際平和研究所2014年レポート)。文化力(ソフトパワー)に至っては、世界を敬服させる理念、思想、倫理、芸術の姿は見えてこない。経済発展でさえも、中国がみずから認めるように巨大な労働力と膨大な投資(資金)によって達成されたもので、技術革新などの全要素生産性からくる付加価値は高くはない。ましてや正常な経済運営を保証する法治は未だ前世紀の様相だ。

 ではなぜ中国の「台頭」がもてはやされるのか。一つはイアン・ブレマーが『「Gゼロ」後の世界』で解説したように冷戦終結以降、特にこの数十年世界からグローバル・リーダーシップが失われてきたからである。その顕著な表れが、G7の凋落とG20の脚光である。そうした状況のもとで中国の動向が相対的に目立つのである。

 2つ目は中国の巧妙なパフォーマンスが功を奏している。米国に「新型大国関係」をもちかけるとともに、南シナ海では攻撃的な態様をとり、他方経済的にはユーラシア大陸をカバーする大経済圏「一帯一路」を打ち上げた。軍事的にも経済的にも対外進出のアピールを強めている。こうした行動が取れるのは、いくつかの条件があるからだ。それは、中国と経済的に緊密化な関係にある国々の増加、中国の利害をめぐる米国とEUの分裂、中国とロシアの軍事的連携、BRICSに代表される新興国家の発言力の高まりなどである。中国はこうした混沌とした時代に戦略性をもって政治、経済運営をしようとしている。

 3番目は日本に限って述べるなら、マスメディアの対応が多分に中国の動向をミスリードしてきたといえる。ここ十数年中国で発生する事象に対して毀誉褒貶でもって感覚的に繰り返してきた。それが良くも悪くも中国への関心を高め、「台頭」を増殖させてきたともいえる。ある時は中国を大きく見せ、時には上から目線で小さく見せている。その基底には、これまでクラスで成績が一位だった日本が中国に完膚なきまで敗れ果てて、焦燥感と寂寞を募らせている感情がある。その反動として、中国のGDPが6.9%と発表された時(10月19日)、日本の大手新聞社の各紙一面トップではこぞって異口同音に「中国成長率7%割れ、6年半ぶり低水準」とはやし立てた。そして書店では“中国崩壊”がまだぞろ蠢動し始めた。2008年の北京オリンピック後の景気低迷から今年まで、中国は日本によって5回“崩壊”させられたと言われている。北京五輪と上海万博の後、2013年のシャドーバンキング、14年の不動産バブル、15年の株価乱高下等々である。

 なぜ中国の「台頭」に振り回されるのか。それは自身に“自信”がないからである。では“自信”がある見方とは何なのか。第1は筆者が以前から唱えていることであるが、等身大で中国を見ることである。それには中国を規定する要素を知ること。自明のとおり「国土が広い」「人口が多い」「歴史が長い」が中国のもつ3大要素といえる。そのため人間が係る物事がすべて複雑になる。複雑な物事を円滑に解決する方法は時間をかけることである。それが中国共産党のずっこけない漸進主義、試行主義、追認主義、灰色決着に行きつく。

 また、中国は年代の違う経済的、文化的レベルが併存していると認識すべきである。“腐敗した清朝末期”、“超国家主義に向かう1930年代の日本と似た姿”、そして“高度経済成長期の日本の姿”といった3つの時代的様相が混在しており、分散プリズムの如く見る方角によって変化する。ただ、プリズム光線を発する内部は常に不安定で人々の心に連帯感はない。それを覆い隠すがごとく外部に対しては強硬に出てくる。

 第2に中国の事象は短期の一局面だけを見るのでなく、中長期に見ていくことである。様々な変動はあるにしろ中国繁栄の最大の条件は「開国」にある。中国の経済基盤は外国との交易に依存しており、したがって外国と対立がある場合、他方でそれを回避しようとするベクトルが作動する。日中関係も同様である。

 「開国」の路線は社会システムまで根付き強固なものとなっており、これからも変更することはない。教科書的にいうと、第1の開国は言うまでもなく1978年の三中全会の決定であり、第2の開国は1992年の南巡講話、第3の開国は2001年のWTO加盟である。ここまで共通している根幹は外資依存の発展戦略であり、強いていうなら受動的であった。今中国は第4の開国を模索しており、その象徴が「一帯一路」構想といえる。中国経済の“世界化”であり、能動的に動き出したと言える。分かりやすく言うと、モノのみならず、カネ、ヒトの拡散である。

 同時に理解しなければならないのは、この「開国」路線は中国共産党の権力維持と直結しており恒真命題といえる。開国路線は共産党の権力保持を助け、共産党が権力を維持するには開国をせざるを得ない。権力維持には「覇」が必要であるが、長期にわたると他国を支配しようとする権力欲が肥大化する。ハンス・モーゲンソーの政治論を踏襲するなら、中国共産党は「開国」という“道徳基準”でいかに権力欲を抑制するかが問われている。

 では中国共産党は権力維持のために何から学んできたのか。学習材料は何か。それには3つある。一つは1989年の6・4天安門事件である。多くの中国国民がマルクス・レーニン主義・毛沢東思想を信じていない現実に直面し、90年代初めから共産党政権の正当性を培養するために、狭隘な歴史教育の実施と愛国主義の鼓舞を謳い始めた。2つ目は1991年のソ連と東欧の共産党政権の崩壊である。30年にわたる中ソ対立があったものの、やはりソ連共産党は兄貴であった。ソ連の崩壊は中国共産党にとって深刻であり、真剣に学習した。その結果、崩壊の要因は党内にあると見て、中国版ゴルバチョフやエリツィンの輩出を阻止するために、「太子党」の育成を重視した。貧しいソ連の反省から経済的豊かさの達成、米国との協調も模索された。3つ目は日本の戦後の発展とバブル崩壊からの教訓である。政府主導の経済成長、国内企業の保護、国内市場の漸進的開放、金融政策の統制などを学んだ。

 では、中国人民は共産党政権を支持しているのか。結論からいうと支持している。その第一の理由は、権利としての自由は制約されているが、共産党は国民に金持ちになることだけの「自由」は与えていること。次にアヘン戦争以来の歴史的屈辱を雪ぐといったナショナリズムを高揚させていること。3つ目に共産党という組織はイデオロギーよりも社会的安定を保障する物理的安全弁の役割を果たしていること。大多数の中国庶民は、日本人にはなかなか理解できないが、これまでの中国歴史の動乱からくる不安定を忌諱して「安定」を求めているからだ。その意味で党は「必要悪」として支持している。

 “自信”がある見方の第3は傲慢にならないことである。自然と上から目線で中国を見る姿勢は、日本人の歴史的経験から来ている。“上から見て”いて、どうしても上から見られなくなると不必要な感情が沸き起こってくる。やっかみ、侮蔑、嘲笑、あらさがしといったことである。

 中国がGDPで日本を抜いて世界第2の経済大国になったが、アジア諸国は中国から学ぼうをしているかといえば、残念ながら広大な市場を利用しようとするものの敬意の念はない。アジア諸国が中国から学ぼうとする気持ちが起こらない理由は、ニセモノの横行、食品の安全性の欠落などの経済事象、独裁政治、民主主義の欠如といった政治事象、腐敗の蔓延、マナーの悪さなどの社会事象にある。しかし、筆者は中国から学ぶべきものは5つあると考える。VITALITY、SPEED、FLEXIBILITY、WOMEN、STRATEGY である。

 中国は日本と比べて格段に元気である。また意思決定は早く、方針に融通性がある。そして社会における女性の活用は日本の比ではない。そのうえ物事を行うのに戦略的見方で以て実施する。

 日本は傲慢にならず、卑屈にもならず、中国共産党史観を排して中国と接していくことが肝要である。