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【19-005】プライバシーの行方 開けっ広げ気質からIT社会へ

2019年3月22日

斎藤 淳子(さいとう じゅんこ): ライター

米国で修士号取得後、北京に国費留学。JICA北京事務所、在北京日本大使館勤務を経て、現在は北京を拠点に、共同通信、時事通信のほか、中国の雑誌『瞭望週刊』など、幅 広いメディアに寄稿している

 最近は、しばらく忘れていた「プライバシー感覚」の違いについて考えることが増えた。感覚にはお国柄が出るが、北京らしいのが一昔前のタイプのおばさんの会話だ。先日も、地下鉄でこんな会話が聞こえた。

 60過ぎのお婆さんが「年を取ると足腰が痛くてねえ」と言いながら、座席を詰めてくれた若い女性に話しかけ「おいくつ?」と聞く。「26です」と女性。「じゃあ、お子さんいるの?」「いいえ、まだ結婚していませんから」「あら! でも若いうちに仕事に打ち込むのもいいわね」「仕事は忙しい?」「給料は?」と矢継ぎ早に質問を投げかける。一方、若い女性の方は慣れた様子で適当にぼかしつつ明るく対応している。

 中国では、日本より「アッケラカンと開けっ広げだな」と感じることも多い。例えば、小学校の保護者会で回ってくる家庭調査には両親の年齢、学歴、勤務先をその場で皆が見られるノートに書き入れて回覧するのがこちら風だ。さらに、病院でも診察室の中に多くの患者がいて、まるで「集団診察室化」していることも珍しくない。最初は面食らったが、慣れるとおしゃべりおばさんも嫌味はないし、診察室で患者同士で情報交換を始めたりして牧歌的な側面もある。

 しかし、最近中国では、世界最先端のIT社会が突如到来し、プライバシーは熱いおばさんではなく、冷たい機械によって組織的に覗かれるようになった。例えば、昨年11月に、中国配車サービス最大手の「滴滴(DiDi)」は安全対策を理由に、運転手のスマホから自動的に車内での会話を録音・収集し始めた。他都市では、車内のビデオ撮影も開始している。

 昨年は、街の至る所でこんな風にカメラやマイクが稼働しだし、私は窒息感のあまり倒れそうになった。ところが、周囲の中国の人たちは涼しげな顔だ。「別に見聞きされて困ることはないから」「監視対象は悪い人。私には関係ない」という。

 普段は性悪説で用心深い彼らが、なぜこうも無頓着なのだろうか?考えてみると、中国語でプライバシーは「隠私」と書き「恥ずかしいから隠したい私ごと」という主観的な響きが強い。やはり、英語の「パブリック」と相対する「不可侵に守られるべき個人的領域」という個人の権利意識が中国に根付いていないからだろうか?

 とはいえ、北京は急速にグローバル化している。「僕たちはプライバシーに関して大盤振る舞いし過ぎじゃないか?」と同胞に警鐘を鳴らす記事も目にする。

 また、先の「滴滴」が録音を開始した2日後、同社はアプリ上で「ネット配車の車内はプライベート空間か、公共空間か?」と問うユーザー投票を実施した。その時点で約29万人超が参加し、29%が「プライベート空間を支持」と答え、約2.3万人は「録音・録画はプライバシーののぞき見の疑いがあり、設置すべきでない」と回答していた。少数派だが、違和感を示す人も意外といる。

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滴滴の意識調査。「ネット配車の車内は乗客のプライベート空間か、公共空間か?(車内で録音・録画はできるか?)」と聞いた。答えは前者が29%、後者が71%だった。携帯写真/筆者

 北京は急速に「スマート化」され「経済成長のエンジン」ともてはやされるデータは膨大な規模で日々集められている。この超未来社会の到来により、プライバシーの感覚は覚醒するのだろうか。それとも「利便性」と「安全性」の前にプライバシーはこのまま葬り去られるのか? かつての牧歌的な香りの残る大らかな社会から、高度IT化社会に変貌した北京で、この街のプライバシーの行方に思いを馳せている。


※本稿は『月刊中国ニュース』2019年4月号(Vol.86)より転載したものである。