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【13-006】日本短期研修の記録(その6)中国から再び日本を振り返る-日本短期留学で見たこと思ったこと

徐 露怡(復旦大学)   2013年 4月24日

 夏休み中の日本への旅が終わってからもう半月になるが、11日間にわたった日本の旅は今なおありありとして眼の前にあるかのようだ。思い返すと収穫は少なくない。思い出してみると、日本での体験は四字で総括することができる。大、小、多、少だ。

日本の「大」

 中国と隣り合っている日本に「大き」なところを探すのはとても難しい。日本の国土面積はとてもではないが大きいとは言えない。しかし大きくないがゆえに、日本独特の「大き」さが発生することになる——密度の大きさだ。

日本の国土面積は世界第60位であるのに対して、人口は11位に位置しており、潜在的な人口密度が見てとれるだろう。しかし昼間の日本の街角からは、ほとんどそれは感じ取れない。東京でさえもだ。それは昼間、人々がそれぞれの職場で勤務しているためだ。しかし夜になると、人は四方八方から街に溢れ出す。私は渋谷の街角でその勢いを十分なまでに感じた。夕方5、6時になると、人がまるでスズメバチのように交差点に集まって来て、信号が青になる瞬間、堤を切った洪水のように片側から片側へとあふれ出し、二つの人の流れは交差すると、再び対岸で次の激流とぶつかる。渋谷の夜はいつもこんな様子で、深夜12時が人の流れのピークなのだという。つまり、私が目撃したのは大海の小さな波に過ぎず、更に大きな怒涛が湧いてきて東京の夜闇を呑み込むということになる。それにしても奇妙なのは、日本の大型ショッピングセンターやドラッグストアは夜早い時間に店仕舞いし閉店時間になると客を外に送り出すほどで、ここでも日本人の時間厳守が現れているが、しかし私たちの目には真っ当に見えるこれらの店が早々と閉店した後で、この一群の人々が向かうのは日本の特色に溢れる夜の店に違いない——夜の街で特に男性に招待券を配るメイドたちも、この膨大な産業の中の一部分なのだろう。

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 これは私が抱いた疑問のひとつで、日本人の勤勉さは世界が認めるところだが、近年多くの人が日本企業の終身雇用制が一群の怠け者たちを生み出してしまったと指摘している。それに加えてこの豊富なナイトライフで無意味に精力を消耗しながら、日本人はいかに中国人一人当たりのGDPの10倍以上を達成しえたのだろう?

 しかしこの疑念は数日後の見学の中で徐々に消えて行った。日本にはもうひとつ「大き」な特徴があり、日本国内で見かけるのは難しいが、実際は世界中に分布している。それは日本の産業である。日本全ての生産現場を見ることはできなかったものの、アサヒビールの工場を見ただけでも全体の様子を窺うことができた。高い効率と技術で機械化された生産ラインを有しているため、工場の人は確かに少し多すぎるようだった。ゆえに日本人は半日の時間をかけてビールを味わった後で販売、設計、管理について考えるということが可能なのだ。

 京セラを見学した時、ある学生が日本企業が工場を中国のような発展途上国に開設するのは、わざと汚染を発展途上国に押し付けているのではないか、という疑念を提起した。これは確かに先進国の企業の多くに存在する問題だ。私は日本企業が国外で、外国への汚染を如何に抑制しているのかについて調べた事は無いが、もし抑制したとしても中国の環境保護体制の中では簡単に基準を満たすことができるのではないだろうか。いずれにせよ、力のある企業だけが国外に工場を持つ事ができるのだから、我々にとって日本の工場の運営モデルを学ぶのは良い機会だと言えるだろう。技術をそのまま自分のものにするのは無理かもしれないが、少なくとも参考にすることはできるだろう。京セラのような企業は私を驚かせるに十分だった。名前からは陶器を製造する企業のように見えるが、実は世界最先端の各種ハイテク製品の製造会社だという。もしいつか、私たちが独自で世界トップレベルの製品と工場を独自に開発研究、設計することができるようになれば、このような不平も無くなることだろう。もちろんそれを実現するためには政府の支援にも頼らねばならず、任務は重く道のりは長く一挙に完成させることはできない。

日本の「大き」いところはもうひとつある。空間の「大き」さだ。日本の空間が「大き」いなどと言ったら大笑いされることだろう。日本の国土は大きくない。住宅が大きいはずもないのはなおさらだ。私は何も無理に日本の「大き」いところを作り出そうとしているわけではない。しかし、日本の土地利用の効率の高さは驚嘆すべきものだ。東京の市外を歩いていると、道路は少しも広くはないし、ビルも高くないと感じる。土地が貴重な日本において都市を発展させるのは容易ではない。それに加えて日本は環太平洋火山带の上に位置し地震が頻発する—東京で朝地震で揺られて目が覚めた経験は深く記憶に残っているが、このような理由から高すぎる建物は建てられないし、島国なので大きな災害の誘発を防ぐためむやみに森林を伐採することもできない。土台を安定させるために、日本人は家屋を下に向かって発展させている。世界で他に地下五階まで建設する国があるのかどうか知らないが、国土面積を拡張するため海の上にも陸地を作っている。お台場はその成功例だ。国土面積が小さいので、如何に小さいものを「大きく建てるか」、最も効率よく限られた空間資源を利用するということが彼らの得意分野となっている。しかし私たちは広大な国土を有しているからといって、乱伐していいというわけではない。——多くの天災は、実際には人災に端を発している。また記念工事の類を乱発していいわけでもない。必要もないのに土地資源を浪費することは、人口の負担が元々重くのしかかる我々の国家にさらなる災難を加えることになる。

 お台場といえば、もうひとつ私が発見した日本の「大き」いところを思い出した。——お台場の観覧車は、おそらく私が今まで見た中で一番大きいものだろう。しかし日本においてこの種の大型建築物はそんなに多くはなく、「ランドマーク的建築物」である大型公共建築物の数は適正な数である。——しかしお台場の自由の女神像は例外で、日本人の「学習」の実力を見せられた。一方中国においては、この種の体裁と見栄えを追及する建築物は単純に外国の風格を剽窃したものがほとんどで、独自の点もなくただの無駄になっている。これら「大国」のやりかたを真似することもできておらず、我々が反省すべき点は実に多い。

いずれにせよ、日本という小さな国の「大きさ」は吟味に値するものだ。

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日本の「小」

日本の「小さ」い所は、非常にたくさんある。面積が小さい(中国と比較して)、人が小さい——当然、一部牛乳を飲んで背が高い人も居る。各種の食べ物、食器の全てが小さい。「和民」は我々が日本に着いて初めて入った日本式の飲食店である。一つ一つどんどん注文してもやはり食べ足りなかった印象がある。どの料理はとても小さく、各人が一度箸をつけただけできれいになくなってしまう。中には親指と餃子の記念撮影をした人もいたが、餃子は親指の長さにも足りないものであった。日本人が小さいのも頷ける。お腹一杯にならないのだから。中国人は日本で食べ放題に行くほうが良いと言うのも頷ける。一つ一つ頼むより絶対に割に合う。

しかしこの「小さ」さはわけも無くただ小さいというわけではない。本当に日本料理が好きな人が楽しむのは、その量の多少ではなく、料理の精緻さだ。料理にしても料理を盛り付ける器にしても、みな細やかな心配りで設計されたもので料理人の心血が注がれている。この時、食事はすでに一種の芸術体験に変わっており、誰が多い少ないを気にするだろう。料理は適切な器に盛られて初めてその味を引き立てることができる。

 料理だけでなく、日本の「小さ」さの多くは「枝葉末節」への細やかな気配りに現れている。例えば、私たちが最初の食事をした和民のテーブルの上に置いてあったナプキンの一枚一枚には「森林を守るため、できるだけナプキンの使用を減らしてください」(意訳、具体的な内容は省略)と印刷されており、環境保護がこの国においてはすでにスローガンを叫ぶ状態から脱し、深く人心と日常生活の細かなところまで入りこんでいることが見てとれる。彼らの環境保護理念が最も現れているのはゴミの分類であろう。公共の場でゴミの分類をするのは難しい事だと思っていたが、行ってみて日本では公共の場でも分類されたゴミ箱を設置し、しかもそれぞれのゴミ箱にはどの種類のゴミ用かはっきりと書いてあって、私たちのように到着したばかりの外国人でも簡単に分類できるということを知った。ここまでのことを成し遂げるのはまったく容易でない。

 その他にも、日本のサービス業の従業員は小心翼々としていて、お客様第一の理念を実践に移している。普通の手作業の工房でさえ商品を丁寧に包装し、両手で渡してくれる。一度同行の友人とデパートで買い物をした時、値札に間違いがあったので、友人は5円多く支払うこととなった。友人はこんな細かいことを気にもとめていなかったのだが、デパートの店員はしきりに謝り、私たち一人ずつに資生堂のサンプルをプレゼントしてくれた。

日本のウォッシュレットトイレは有名だが、他にも音姫という装置も備えており、私の注意を引いた。これは女性が用を足す時、音で恥ずかしい思いをしないように作られたそうだ。ここまで細かい事に思いをめぐらせた事も無く、果たしてこんなものが必要あるのかと少し疑問にさえ思った。

 日本の公共トイレにおいては、紙が無いというような状況は絶対に発生し得ない。デパートのトイレには外に座席が設置されていることもある。同行の人が用を足し終わるのを待つための場所だ。

 大阪の街を歩いていると、マンホールの蓋にまで花の模様が施され芸術品になっていて、これは都市の美化、歩行者の受ける印象への配慮等、細やかな心配りがなければ簡単には思い至らない事だ。

これらの事例は観光客だけでなく、ただ通り過ぎるだけの人にも注意を払っていることを感じさせるもので、よく行き届いていて人への配慮に溢れている。中国のサービス業にとっても良い手本となるだろう。

日本の「多」

日本には「多」くの人がいる(当然中国と比べるとわずかではある)——浅草寺の雷門前や渋谷の夜の街でそれは強く感じられる。日本には「多」くの製品があり、各種各様で数多い。私にとって最も印象深かったのは、日本人のルールの「多」さである。

 日本人には多くの規定や規則があり、大きなものでは国全体の風俗習慣に関するものから小さいものでは各業種に関するものまで、各自が一そろいの規則を有している。初めて日本に来た外国人は一日中たくさんの規則に縛られて何をするにも自由にならず、居心地悪く感じるだろう。しかし、地下鉄の駅で、ドアの前に整然と二列になって並び、エスカレーターでは自主的に左側(東京)あるいは右側(大阪)に立つのを見ると、知らず知らず見よう見まねで自分も同じ事をしていた。このようにして初めて良好な社会秩序が形成されるのだ。しかしこれらは決して法律で規定されてるわけではなく、ルールを破っても捕まえられ処罰を受けるということはない。ただそのようにすべきだと人に言われるので、皆そのようにしているだけだ。日本の市民のモラルに感嘆しないわけにはいかない。しかし上海万博の開催とメディアの呼びかけによって、上海人のマナーにも大きな改善が見られている。いつの日か全中国13億人のマナーも1ランク上がる日が来ることを期待したい。日本には決まりが多いため、日本人が多くの人に与える感覚は大変礼儀正しいということである。しかしこの礼儀正しさの背後に人々がどのような考えを抱いているのかについては、たった数日のうちに完全に見破る事はできなかった。

 日本でもうひとつ「多」く、あまりの多さに感嘆してしまうのはコンビニエンスストアだろう。私たちの訪れた全ての街において、100歩のうちに必ず1軒コンビニがあるという様子だった。日本では大型ショッピングセンターの開店が遅く閉店が早いのに閉口したが、これら24時間営業のコンビニには随分助けられた。考えてみると、これらのコンビニの存在は日本の社会全体の運行と生産効率に強力な後方支援を提供しているのだろう。近年中国の大都市にも多くのコンビニがオープンしたが、提供するサービスが人々の差し迫った要求を満足させられるかについては、まだまだ考慮が必要であろう。

 最後の数日は京都に滞在したが、深い感銘を受けたのは文物や古跡が多く保存されている点だ。これを五千年の文明と歴史を有する中国と比較するというのも、いささか不適切な感じもするが、それでもくどくど言わずにはいられない。もしかしたらこれは彼らが自分の文明の起源に対して中国ほどは自信に満ちていないがゆえに、伝統文化や文物の保存をここまで重視するのかもしれない。自分の国の文化と伝統を尊重する民族こそが世界からの尊重を得られるはずで、「才能を頼んでおごりたかぶる」と私たちが言う時の「才」は現代の中国人の産物とは限らないのだ。あるいは私たちはすでに自分たちが払うべき尊重を失ってしまったのかもしれない。

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日本の「少」なさ

 日本は実に物資に欠けた国である。これは彼らの経済とも関係があるとは言え、価格の高い食料、食材からそれは見てとれる。しかし、資源にこれほど欠けていながらも彼らは世界第二の経済大国の地位を占めており、彼らが単純に資源に頼っているのではなく、その知恵に頼って経済を発展させていることが見てとれるだろう。そうでなければ日本という島国に暮らす人々は18代前には餓死していただろう。

 この一点だけを見ても、我々にとっては十分な警告になるだろう。中国は現在「地大物博(土地が広大で資源が豊富である)」という言葉をあまり引用しなくなったが、次の世代の繁栄は資源をいかに合理的に配置し使用するかにかかっている。なぜなら現在危機に向き合っているのはこれらの小さな島国だけでなく、世界全体なのだ。

 あるいは地球は数十万年後には人類に破壊された環境を取り戻し、新しい種や文明を育んでいるかもしれない。しかし人類にとってこの時間は長すぎて、待つことはできない。一旦資源が消耗されつくされれば、我々は滅亡に向かうしかないのだ。

もし我々が以前と同様に 制限無く飲み食いし浪費して行けば、2012年に世界最後の日を迎えるというのもただの想像で終わらないだろう。

 たった数千字で今回の日本旅行の全てを言い尽くすことはできないが、深く啓発されたことだけは真実だ。両国にはかつて捨て去ることのできない民族的な深い恨みが存在していた。しかし私は日中両国が長きに渡って友好的に交流していけることを望んでいる。なぜなら長く我々の隣国であるこの日本という国は、現在我々が学ぶべき点を実に多く有しているからだ。


■編集部注:筆者は2010年7月18日~28日、研修プログラム「翔飛日本短期留学」に参加し、日本を訪問した。所属は当時の在籍大学名。原文は中国語で、ウェブサイト「客観日本」向けに出稿されたものを日本語に仮翻訳した。