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【13-007】日本短期研修の記録(その7)桜のない季節

劉 臣劉(東華大学)   2013年 4月30日

----前書き

 すべてはかくも静謐であった。この夏の盛りに私たち東華大学各学部の学生たちは、ひとつの目的のために東の島国への旅程に踏み出した。この旅はあまりに多くの意義を有している。人生における多くの初めての体験が、今回の旅行によりこの上もなく精彩を放ち出した。初めての外国旅行が同じ学校の、あるいは違う学校の、さらには違う国からの学生たちとのものになるとは。このことは間違いなく私に多くの特別な思い出を残してくれた。飛行機に乗り初めて大海原を見下ろす喜びをかみしめていると、夕日が沈むのにともなって灯りの煌く島国が、次第に私の目に入ってきた......

 私の日本への第一印象は、飛行機に搭乗したところからすでに始まった。隣の日本人のおじさんは偶然知り合っただけだというのにとても親切で、私に彼の母国について沢山紹介してくれた。私は彼の言葉から日本人特有の親切さをより多く見出していた......恐らくこれも中国にいては体験できないことだろう。別れ際、おじさんは私に特別な「記念品」をプレゼントしてくれた。ささやかな特産物だったが、深く印象に残った......

(一)古典と現代の融合した息吹

 一つ目の目的地は日本の首都東京だ。国際金融の中心ではあるが、上海とほとんど代わり映えがしないため、私は奇妙に思ったが、自身の体験を通して、すぐにこの国独特の魅力に気付いた。私の印象では、日本人ないし日本の国全体が保守的な民族だと思っていたが、東京に来てみてこの考えは徹底的に打ち砕かれた。街中はお洒落な人で溢れ、老若男女みな流行の装いに身を包んでいるのが目に入り、私は強い衝撃を受けた----少なくとも視覚の上では。中国人と日本人のどちらがより保守的だろうか......と自問せざるを得なかった。東京が私に与えた文化体験と衝撃はこれだけに留まらず、浅草のアニメ・漫画と家電、街に溢れるコスプレイヤー、路上のメイドの衣装を見につけた女の子、それらは私に心の底から一種の震撼を覚えさせた。もしかしたら、これこそが本当の文化なのかもしれない。ある民族の文化が日常生活と街の隅々に浸透し、至る所でそれを感じ触れることができる。このような文化こそが、真に牢固で真実のものなのであろう。それでは私たちの文化は一体どこにあるのであろう?私にはわからない。おそらくその中に身を置いていると感じ取るのが難しいものなのだろう。しかし間違いなく言えるのは、私たち独自の文化はだんだんと人々の生活からは離れ、特に伝統文化は、外来文化の衝撃を受けて今まさに失われつつある......

 一方、日本では、京都、大阪に来て私は独特の風情、一種の伝統が色濃く残る日本の古典文化の息吹を体験した。それらは来た者をすぐにその中に融合させ、魅惑させる。街に溢れる伝統工芸品、日本特有の茶道、芸妓。これらは日本の伝統文化でしっかりと保存・伝承されていて、しかも外来文化の中に溶け込みながら両者が同時にひとつの国に存在している。そして、これこそが日本という国の魅力であろう。古典と現代の息吹の融合は、この国を魅力と活力に溢れさせている。

(二)礼儀を重んずる国の思いやり

 同志社大学の紹介ビデオの中で、ある外国人が次のように日本を論評していた----この国は思いやりに溢れる国である。私は、これは礼儀を重んずる国、という言葉よりもより直感的な日本のイメージだと思う。この国では、少なくとも私が行った先では、いわゆる思いやりをそこかしこで体験した。この国の人は見知らぬ人に対しても友達に接するかのように礼儀正しく親切で、私という一人の中国人を驚かせたばかりか、感動させた。このような国で生活していると、人間関係においてお互いの親切さと礼儀を感じることができ、素晴らしいことだと思う。路上では運転手が自ら歩行者に道を譲り、クラクションの騒音は少しもない。店員は客に対して常に笑顔をたたえ、来店する全ての客に対して最大級に丁寧な言葉遣いで接客し、仕事中はこの態度を崩すことがない。このことは、礼儀を重んずる国と呼ばれる国から来た私を少し耐えられない気持ちにさせる......さらには、見知らぬ人に道を聞くと、その人が目的地まで連れて行ってくれることさえある。このような思いやりは他の国では、少なくとも私の国では絶対に感ずることのできないものだ。もしある国が国民の一人ひとりに「礼儀」の二文字を深く心の中に植え付け、血の中に溶けこませ、特殊な状況の下ではなく、常日頃の行動の中で実践させることができれば、この国は本当に「礼」を重んずる国だと言えるだろう。このことから、日本の犯罪率がなぜ驚くほど低いのかという問題の答えを、私たちが見つけることも難しくないであろう。

(三)細部が勝敗を決定する

 日本はなぜかくも強大なのか。私は数日の生活体験の中で、その理由のひとつを発見した----日本人は非常に細部を重んじている。細部が勝敗を決定する、という道理を日本人はよくわかっているがゆえ、細部にまでとても気を配っているのかもしれない。例えばトイレにはトイレットペーパーが備え付けられ、ゴミは細かく分類する等々......。私が一番驚いたことについて述べよう。日本の旅館のお風呂の鏡は----入浴時は普通曇って使えなくなるようなものだが----日本のホテルでは宿泊客がよく使うであろう部分に特殊加工を施し、湯気の影響を受けず普通に使えるようにしているのだ......私はこれには非常に驚いてしまった......サービスの細やかさがここまで来ているとは、この民族がいかに細部をよく処理しているかが見てとれる。細部への気配りによってこそ顧客を満足させるだけの製品とサービスを提供することができ、また製品を世に認めてもらうことができるのだ。これこそが、日本製品が多くの人に愛される理由なのではないだろうか。それに比べると、中国の全てがはるかに劣って感じられる。細部の上でもサービスの上でも、中国は「まだまだですね......」と言わざるを得ない。

(四)青い山と緑の水をたたえた島国の風情

 日本の環境は素晴らしい。これは全世界に共通した認識だ。確かに、この国は環境保護にとても努力している。しかし、驚くべきなのは、銀座、渋谷、新宿等の、上海で言うと南京路にあたるような場所にほとんどゴミ箱が無いことだ。これがもし中国だとしたら、ゴミが街中に溢れていることだろう。しかし日本ではそんな状況は発生していない。とどのつまり、人々の環境保護意識が非常に高いからで、またいわゆる素養があるからであろう。自分の国を家と同じように考え、自分のゴミは自分で家まで持ち帰り処理するという常識があるので、ここではほとんどゴミ箱が必要ないのである。もちろん、私たちのように到着したばかりの観光客にとっては、戸惑いを感じてしまう状況ではあるものの、この種の強い環境保護意識によってこそ、この国は山紫水明で空気も新鮮なのである。旅行中は、多くの名勝と風景を見ることができた。浜名湖は波間に光が透き通り、嵐山にはさらさらと川が流れ、箱根には山峰がそびえ青い山がそれを取り囲んでいた。これらの風景は桃源郷のように私の記憶の中に漂っており、私の心に刻み込まれている。夏の盛りの嵐山は、帰国前最後の観光地になったが、私たちを恍惚とさせると同時に感傷的にもさせた。ゆっくりと流れる川の傍らで、静かな山の村が一日の終わりを迎えていた。夕陽が河の水に映り、また私たちの名残惜しい気持ちをも映していた。もし本当にここに定住し、静かな生活を楽しむ機会に恵まれれば、それはとても素晴らしいことだろう。

(五)友情

 短い10日間の収穫は風景だけではない。旅行の間に、同じ学校の違う学部から来ている同級生たちと知り合うことができた。このような機会は本当に貴重なものだ。さらに復旦大学、広東商学院の学生、それから日本の学生たちと知り合った。広東の学生たちからは尋常ではない熱意を感じた。私たちは単に知り合っただけではなく、篤い友情を結んだ。それから日本の学生たち。同志社の交流会で、私たちは異国に留学する同胞に知り合った。お互い知り合った時間は短かったものの、人生の中の貴重な出会いには違いなく、お互いの記憶の中に残り続けることであろう。また何人もの学生たちが日本にいる間に誕生日を迎え、龍猫お兄さんが遠くからケーキを買って来てお祝いしてくれて感動的だった。日本で誕生日を迎えるとは、人生の中でも本当に貴重な思い出だ。みんなの祝福の中ロウソクの火を消すことで、心の中には永遠に消えることのない友情の炎が点されたことだろう。

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(六)別れ

 時間とは終わりに近づくと速く過ぎ去るものだ。最終日の夜バスの中で鄭さんは泣いていた。10日という時間は、やはり短くはない。歌声がかすれ、歌っているのは歌ではなく別れの悲しみだった。バスの中はかつての熱気はなく静まりかえり、別れの前奏のようであった。みんな疲れて外の夜景を眺め感慨にふけっていた。10日間の思い出も、しかし時間と共に忘れられていくだろう。数年後には鄭さんも、大きな目の郎さんも、劉さんも、愛すべき車先生も、李先生も、そしてとても親しみやすい運転手のおじさんも、人生という旅行の中で見知らぬ人になっていき、記憶の中にのみ存在するのであろう。ここでお別れだ。私は突然『ロード・オブ・ザ・リング』の結末を思い出していた。様々な人が指輪のために集まり、指輪を守る使命を終えてまたそれぞれ別の道へと別れていく。もしかしたら、私たちも同じでこの留学プログラムが終わったらもう再び会うことはないのかもしれない、でも友情はいつまでも続くだろう......その夜はかくも静かであった......。

(七)結び

 飛行機はゆっくりと離陸した......島国は徐々に小さくなり、最後には視界の中から消えていった。この島国は「桜の国」という美名を与えられているが、私たちは桜の無い季節にここにやって来た。日本人は自分の一生を桜のようにきらびやかに咲かせたいと願っているという。私は桜が咲き乱れ、人々を感動させる光景を見ることはできなかったが、この国の人々が私に見せた美しさの前にはその心残りも消えてしまう。たとえ桜が無くても、日本の美しさはいつまでもそこにあり続けるだろう。ここに来る全ての人の心の中に......。

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■編集部注:筆者は2010年7月18日~28日、研修プログラム「翔飛日本短期留学」に参加し、日本を訪問した。所属は当時の在籍大学名。原文は中国語で、ウェブサイト「客観日本」向けに出稿されたものを日本語に仮翻訳した。