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【13-09】日中友好を考える

2013年 9月30日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 日中関係は国交回復して以来、最悪な状況に陥っているといわれている。ほんとうにそうなのだろうか。筆者は日本で仕事し生活している。仕事と日常生活のなかで自分が中国人だから日本人に不愉快なことをされた覚えはない。しかし、なぜか国と国の関係になると、互いに敵視してしまいがちである。日本の政治家による靖国神社の参拝や歴史認識の違いを発端に国民感情は急速に悪化してしまう。何よりも、尖閣諸島の領有権をめぐり日中双方は激しく対立する。本来、島の領有権の問題は政治と外交による解決を試みるべきだが、国民感情の悪化により問題解決の糸口はいまだにみえてこない。

 日中国交回復以来の40年間を振り返れば、日中関係の基本は友好関係でなければならないといわれてきた。その代表的な言い方は一衣帯水とか世世代代の友好とかということである。しかし、かつて、田中角栄首相と周恩来首相が北京で会談し日中関係の礎を築いたとき、何とも言えない近視眼的なやり方で日中友好の方向性を定めてしまった。すなわち、日中間のさまざまな問題、たとえば、歴史認識の問題や尖閣諸島の問題、について小異を忘れ大同を求めるといって、すべての問題を封じてしまった。ところが、忘れてはならないことは国家間には小さなことなど存在しないことである。これは周恩来首相自身のことばが証明している。すなわち、「外事無小事」(対外関係では小さなことなど存在しない)である。極論すれば、今日の日中関係の難題はふたりの偉人が残した負の遺産といって過言ではない。40年前に、二人の首脳は問題を封じてもやむを得なかったのかもしれないが、将来、これらの問題を解決するルールを決めメカニズムをつくるべきだった。

1.問われる日中友好団体の役割

 40年前に、日中友好の懸け橋の役割を果たしたのは両国の友好団体だった。日本に日中友好7団体が存在する一方、中国には中日友好協会(対外友好協会の下部組織)という団体がある。政府間で解決できない問題はこれらの友好団体、すなわち、民間の努力で解決を試みた。しかし、誤解してはならないことだが、中国の中日友好協会は民間団体ではない。正確に表現すれば、比較的自由に動ける政府組織であり、サブの外交部のような存在だった。

 それに対して、日本の日中友好7団体は名実ともに民間の組織であり、今の言葉でいえば、NGOという存在だった。ただし、会員数の多さから政治に大きな影響力を誇示していた。近年、これらの団体の会員は徐々に高齢化し、人数も急速に減っている。したがって、彼らの政治への影響力も低下している。また、不思議なことに、両国間の人的交流が盛んになるにつれ、これらの友好団体の使命も終えつつあるように思われる。すなわち、両国の友好団体という懸け橋を経由しなくても、両国間の人的交流が立派にできているということである。

 無論、これらの友好団体はまったく必要がないわけではない。彼らは引き続き重要な役割を果たすとすれば、少なくとも二つの努力が求められている。一つは、中国の中日友好協会がほんとうの民間団体に転換しNGOになる必要があるのに対して、日本の友好7団体は若返りを図らなければならない。そして、もう一つは日中双方の友好団体はそれぞれ自国政府に対する政策提言能力、すなわち、コンサルタント機能を強化する必要がある。要するに、中長期的な日中関係の在り方を展望し、それぞれの政府に政策を提言し、それが実現できるように努力することが求められている。

2.脱ゼロサムゲームの日中関係の在り方

 個人的には、今の日中関係が最悪とは思わない。両国が持っている人的資源から考えれば、今の日中関係は本来のあるべき姿と思われる。今の日中関係は今後の両国関係の前提であるように考えるべきであろう。目下の両国関係に不満を感じるならば、その関係改善に向けてより多くの人的資源を投入すべきである。振り返れば、1980年代の初期、日本の若者三千人が中国を訪問し、中国の若者達と一週間も交流した。今の日中関係をみると、ビジネス活動が盛んになっているが、ほんとうの意味での人的交流・文化交流などは30年、40年前に比べ激減している。

 40年前の日中関係と比較すれば、これからの日中関係の改善は政府主導ではなく民間主導でなければならない。政府・政治主導の関係改善を図ると、必ず政治家のメンツがどこかで邪魔してしまう。民間主導の関係改善を図れば、ほんとうの意味の心の通じ合う関係が実現できる。

 かつての日中関係はプラスサムゲームだったとすれば、今の日中関係はゼロサムゲームになっている。こうしたなかで指摘しておきたい点が一つある。それは日中双方でナショナリズムが急速に台頭している点である。なぜナショナリズムが台頭するのだろうか。それは相手国によって触発されたからというよりも、自国の指導者の指導力とカリスマ性の低下により国民の信頼が損なわれているからである。国民は自分の指導者を信用できなくなれば、ナショナリズムが台頭するようになり、自国の指導者に対する不満はときには外に向けて噴き出してしまう。

 1988年、筆者は留学のために、来日してから25年間の歳月が経過した。その間、日本の総理大臣は19人も変わってしまった。これは日本の政治の弱体化を物語っている証左といえる。

 一方、中国でも指導者のカリスマ性は急速に低下している。公式なマスコミでは、人民は指導者を批判することが許されないが、私的な会話では指導者に対する批判は信じられないほど増えている。指導者の号令では、人民が動かない時代になっている。これからの主役か官ではなく、民であるはずだ。

2.今後の日中関係の在り方の再考

 結論的に、今後の日中関係は日中友好を前提とすべきではない。友好な関係は両国民の努力の結果である。最終的に友好な関係を築くことができるかどうかは明らかではないため、差しあたって互いに知ることからスタートすべきである。

 そして、両国民は平常心を持って互いに接するべきである。そのためには、両国の間に存在する様々な問題を封じるのではなく、それに直面し解決するための知恵を出し合わなければならない。双方が忌憚のない意見が述べられる雰囲気を醸成することが前提であろう。

 日中両国民にとって過去の歴史問題を忘れてはならないが、ことあるたびにそれを持ち出すことも生産的ではないはずである。不幸の歴史をいずれ終わりにすることができなければ、新たな関係構築ができない。そして、領土領海の領有権の問題は簡単に解決しない。歴史の専門家が提起する種々の歴史書物の記載は議論の材料にはなるが、歴史をどこまで遡るべきかについて結論は出ていない。もっとも愚かな行動として、誰も住んでいない無人島のために、犠牲者を出すおそれが挙げられる。それは絶対に避けなければならない。

 両国の政治家がもっとも恐れているのは自分が自国民に売国奴と罵られることであろう。でも自分の立場だけ心配しても問題の解決に寄与しない。両国の政治家は互いの立場を十分に尊重し、半歩ずつ譲歩することが重要である。

 何よりも、両国の国民が主役であることを忘れてはならない。領土領海の領有権問題について短期的に決着する見込みがなければ、棚上げが一つの方法であることは否定できないはずである。