【15-03】環境問題:加害者=被害者

2015年 3月 9日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 中国中央電視台(CCTV)の元キャスター、柴静氏は自費で大気汚染に関するドキュメンタリーを作成し、インターネットで公開した。その内容はあまりにも衝撃的なもので、インターネットのSNSはそれによって炎上している。柴は内陸の山西省に取材に行ったとき、ある小学生に「ねぇ、星空をみたことがある?」と尋ねたところ、その子供はまるで星空とは何なのかというような口調で「ない」と答えた。中国の政治家はいつも口癖のように「われわれは子孫にきれいな山河を残さなければならない」と繰り返す。しかし、柴静とこの小学生との対話を聴いた政治家指導者は恥じるべきである。

 唐の時代の偉大な詩人杜甫は「国破れて山河在り」という句を残した。しかし、今の中国を目のあたりにして思ったのは、「山河破れて国在り」といったところである。10数年前に三峡ダムが作られるので、一度でもいいから長江下りをしたほうがいいといわれ、遠路遥々重慶まで行ってそこから乗船し宜昌まで長江を下った。一言感想をいえば、がっかりした。

 長江を下る前に、一度、ドイツでライン川を下ったことがある。ライン下りは実に時間を楽しむ旅だった。両岸の古城とうっそうとした緑は目の保養にもなった。それに対して、長江下りは痛々しい旅だった。しかも、三峡ダムの建設に纏わるさまざまな汚職について、その後耳にしていっそう強い憤慨を思えた。三峡ダムは電力を作るためのダムではなく、環境汚染をもたらし、幹部の腐敗を助長した。

環境汚染はモラルハザードの結果

 では、なぜ環境汚染が深刻化するのだろうか。一部の論者は、環境汚染とは経済成長の副産物であると指摘する。たとえば、かつてイギリスも日本も高度成長期に環境汚染が深刻化したといわれている。かつて、中学校で英語を勉強していたとき、ロンドンは霧の都と呼ばれていた。実際は、今の言葉でいえば、それはPM2.5のようなものだったのだろう。同じように日本でも川崎、四日市、北九州などで大気汚染は相当酷かったといわれている。

 しかし、環境汚染が経済成長の副産物、すなわち、その必然的な結果のような結論には賛成できかねる。環境汚染は政府、企業とその土地の住民のモラルハザードの結果である。モラルハザードとは無責任な行為である。政府がきちんと監督責任を果たせば、環境汚染はそれほど深刻化しなかったはずである。企業は社会責任、今の言葉でいえば、コンプライアンスの役割を果たせば、汚染物質を排出しないはずである。そして、住民にも責任がある。多くの住民は自分の力が限られているので、努力してもほとんど意味がないと思い込んでいる。これでは、環境は改善せず、すべての住民は環境汚染の被害者になる。

 2014年3月3日、北京に出張したとき、北京のPM2.5の値は史上最悪の550μmだった。その日の午後、習近平国家主席は北京の街を視察し、日本でいう大衆食堂のような料理屋で肉まんを食べたと報道されている。この報道をきっかけに、中国国内の一部の論者は大気汚染が実に平等のものであると皮肉る。すなわち、国家主席だろうが、ホームレスだろうが、吸う空気は同じだということである。

 柴静のドキュメンダリでPM2.5の原因について、一番は石炭の燃焼、そして、二番は車の排気であると指摘されている。もともと肉眼で見えないPM2.5はさまざまな汚染物質とくっつくと同時に化学反応を起こし、発がん性の物質に変わる。

 実は、かつてのロンドンの大気汚染の原因も石炭だった。その後、イギリス人は、石炭をきれいに洗ってから燃やすようにした。そして、家庭で石炭を燃やさず、集中的に熱を供給するようにして、空気の質は大幅に改善された。それに対して、中国のエネルギー消費の約7割は石炭に頼っている。しかも中国産の石炭の質は悪く、それをほとんど洗浄せず燃やしている。

 一方、輸送機器の排気も深刻なレベルに達している。中国の自動車の保有台数はすでに1億台を超えている。ガソリンについて中国政府はユーロ基準を参考にして厳しい基準を導入したが、実際にガソリンスタンドで販売されているガソリンは政府が定めた基準をほとんど満たしていない。また、船のほとんどは重油を燃料にしており、海運と内航も大気汚染の原因の一つとなっている。

加害者と被害者

 大気汚染が深刻化すれば、そこで生活するすべてのものは汚染から逃れられず被害に遭う。にもかかわらず、政府も企業も住民も日々深刻化する大気汚染をみてみぬふりをする。たいへん残念なことだが、多くの中国人は大気汚染が自分と関係ないことであると思っているようだ。大気汚染がどんなに深刻でも、車に乗るものはそれをやめられない。また、多くの中国人はたとえ車に乗るのをやめても状況は変わるわけがないと思われている。

 大気汚染による人々の健康への被害は徐々に現れてくるものである。どんなにPM2.5の濃度が高くても、公園などで太極拳を楽しむ人が散見される。むろん、中国人の体は鉄でできたものではなく、詳細な統計は公表されていないが、北京などの大都市では、喘息患者や肺がんの患者が急増しているといわれている。

 では、なぜ政府はもっと大気の質の改善に取り組まないのだろうか。

 それは経済学者が政府に大気汚染の改善が経済成長を減速させると吹き込んでいるからである。政府、共産党にとり経済成長は、自らの正統性を実証する唯一の手段となっている。最高実力者だった鄧小平はかつて「経済発展はこのうえない理屈だ」と豪語したことがある。すなわち、中国政府の経済政策の支柱は経済発展至上主義である。

 とくに、地方政府には大気汚染を退治できない切実な理由がある。すなわち、汚染物質を排出する工場の存在は明らかだが、それを操業停止に追い込めない理由は雇用を確保しなければならないからである。また、これらの環境汚染をもたらす企業は政府に税金を納めている。多くの地方政府にとりこれらの企業は欠かせない存在になっている。

 むろん、環境問題を解決せずには、中国経済は持続可能な発展を成し遂げることができない。短期的には、政府は環境汚染をもたらす企業から税金を徴収し、これらの企業はいくらか雇用の創出に貢献する。しかし、環境汚染の深刻化によって人々の健康被害も重大化している。ただでさえ社会保障能力の弱い中国社会で環境汚染がより深刻になることによって、社会保障制度はさらにひっ迫してしまう恐れがある。

 こうした理屈は明々白々だが、政治指導者は自らの在任期間中のことしか心配しない。柴静のドキュメンタリーのなかで主要都市のPM2.5の問題が深刻化したのは、2004年ごろからであるといわれている。要するに、胡錦濤政権(2003-2012年)のとき、改革などまったく進めなかったのである。温家宝首相は記者会見を行うたびに、命を賭けて改革に取り組むと豪語した。しかし、終わってみれば、胡錦濤政権は実に「無為の政権」だった。

 こうしたなかで柴静というCCTVを退職したジャーナリストは自費でこのようなドキュメンタリーを制作し、中国社会に対して警鐘を鳴らしたことに敬意を表する。このドキュメンタリーは中国における環境改善に向けたマイルストーンになるに違いない。


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