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【15-04】中国経済の見方

2015年 4月 2日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 中国ウォッチャーの中国経済に関する見方は楽観論と悲観論に大別することができる。それと同じトレンドは書店でもみられる。書店の中国関連の本をみると、中国崩壊論や脅威論に関する本がずらりと並べられている。それに対して、中国の経済発展をチャンスと捉えるべきと唱える楽観論も散見される。こうした二極化される中国に関する見方において一番困るのは読者であろう。これからの中国はいったいどうなるのか、と多くの読者が戸惑っているのかもしれない。

 実は、悲観論と脅威論・崩壊論とは必ずしも同じものではない。悲観論は、中国経済に内包されるさまざまな問題を指摘し、いわゆるチャイナリスクについて警鐘を鳴らすものである。脅威論はむしろ中国経済が発展していけば、日本や世界にとり脅威になると主張する。その対極にあるのは崩壊論である。すなわち、中国の経済発展はうまく行かず、崩壊してしまうと予想する。換言すれば、過度な悲観論は崩壊論になるということである。行き過ぎた楽観論は脅威論になる。しかし、すべての論者は自分の見方について客観的なものと自負している。

問われる極論の論理性

 社会科学のいかなる研究でも、研究者は研究対象について論評する際、自らの好き嫌いの個人感情を念頭に描写すれば、必ずや歪んだ結論になってしまう。たとえば、中国のことが嫌いな論者の場合、中国経済が順調に成長していても、そのマイナスな部分を拡大解釈して問題を指摘する。一方、中国のことが好きな論者は逆に中国経済に内包される問題にまったく言及せず、すべてはうまく行くと豪語する。

 中国という被写体についてアメリカでも同じような極論がみられる。ジョージ・ワシントン大学のDavid Shambaugh教授(政策論)は長年アメリカの中国研究において親中論者として有名だったが、最近、自らの論文のなかで中国共産党の統治は終わりに近づいているとの論文を発表した。アメリカでもっとも影響力のある中国政治学者と標榜される同教授においていかなる変化があったのか明らかではないが、一夜にして楽観論者から悲観論者に変身したのは尋常ではない。おそらく何らかの出来事で同教授が中国について失望させられたのだろう。

 今の中国社会を概観して、共産党の統治が終わりに近づいているという兆しは見当たらない。個人的に共産党の統治に終わってほしいという願望があるのはその人の自由だが、中国共産党の運命を占うならば、客観的なエビデンスを提示しなければならない。

 そもそも中国という被写体は極度な複雑系である。それを白黒と二分化する決め方は適切ではない。たとえば、共産党統治の正統性を疑問視する見方がある。しかし、共産党統治を生んだのは中国の人民である。既得権益者は共産党統治の正統性を必ずや標ぼうする。それに対して、不利な立場に立たされている負け組の中国人は共産党を批判する。それで中国社会ではある種のバランスが取れて、簡単には変化しない。すなわち、共産党の統治は決して満足できるものではないが、それですぐに崩壊すると結論付けるのは軽率といわざるを得ない。

これこそ「新常態」

 中国に比べれば、日本は極端にシンプルな社会といえる。日本社会のシンプルさを念頭に、中国社会を眺望すると、往々にして間違った結論になりがちである。中国では、政府に迎合して発言する論者が多いが、日本では、世論に迎合して発言する論者が少なくない。そのなかで、触覚の鋭い在日中国人評論家の一部は日本の世論に迎合して日本人、往々にして右寄りの日本人が聞きたいことしかいわないものがいる。研究者や評論家は自分の利益を最大化するために、迎合的に論評することはモラルハザードであり、世論をかく乱してしまいがちである。ポリシーメーカーは何を論拠に政策を決めていけばいいのだろうか。

 あらためて中国という被写体を概観してみると、簡単には崩壊しないことが分かる。仮に、中国共産党の統治が崩壊しそうな兆しがみられれば、それこそ対岸の火事ではなく、対策を急がなければならない。たとえていえば、共産党統治の崩壊はビッグバンのようなものである。共産党自らがビッグバンを選択することは考えにくいうえ、中国人の大半も社会の混乱を望んでいないはずである。

 一方、たくさんの問題が存在しているのは事実である。貧富の格差、大気汚染などの環境問題、共産党幹部の汚職等々である。ある共産党幹部がいうには、世界でもっとも能力の高い政府は中国政府である。中国政府がやりたいことであれば、何でもできる。環境汚染が深刻化しているのは、政府活動のなかでプライオリティが低いからといわれる。まったく正しい指摘である。

 習近平政権は共産党幹部の汚職摘発に取り組んでいる。これまでの2年間、約70人の省知事・大臣級以上の幹部が摘発されている。民主主義の国であれば、汚職がここまで蔓延すれば、政権はとっくに崩壊しているのだろう。それに対して、中国政治のカルチャーでは、共産党指導部は幹部の汚職を問題としながらも、汚職を摘発した実績を誇張し、逆に共産党の偉大さをアピールしている。事実として、習近平国家主席への人民の支持が高まっている。

 ポリシーメーキングは解決すべきさまざまな課題を順序づけしていくことが重要である。政治の常は問題解決にチャレンジしなくてもいいときにはあえてリスクを取ってチャレンジしない。胡錦濤政権の10年間は名実ともに「無為政権」だった。すなわち、何もしなくても、胡錦濤国家主席は政権を全うすることができた。しかし、習近平国家主席は問題解決を先送りすることができなくなった。さまざまな問題のなかでもっとも優先的に解決しなければならないのは汚職撲滅だった。

 むろん、万年の政権など存在しない。いかなる政治でもいずれ終わる。今の共産党政権はいかなる形で終わりを迎えるかが明らかではない。しかし、見方を換えれば、今の共産党政権と毛沢東時代の政治とはまるで違うものである。毛沢東政治は1976年に終わったのである。それから30年間続いたのは鄧小平政治だった。習近平政治はまだ始まったばかりである。習近平時代がいつまで続くかを占うには、その中身を詳しく検証する必要がある。