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【15-09】中国を探す

2015年 9月17日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 35年前に、ある中国系アメリカ人作家は40年ぶりに親族訪問のために一時帰国した。当時、米中の間には直行便がなく、香港経由で中国に入るしかなかった。具体的に香港から中国国境に近いところまで電車で行き、それから中国の列車に乗って広州、さらに、北京へと行く。中国と香港の境にある駅は羅湖である。今でも、深センに行くには、羅湖駅を降りることになる。この作家は香港側の羅湖駅を降りて、それから荷物を持って「国境」の長い橋を渡った。中国側にたどり着いたとき、作家は自分の歩いた道を振り返って心のなかで複雑な気持ちが沸き起こった。「気が付いたら、長い道を歩んだ」と感嘆した。

 海外在住の中国人は帰国するたびに、変わる中国と変わらない中国と遭遇する。しかし、この30年あまり、変わらない中国も変わってしまい、記憶にある古き良き中国は二度と見られなくなった。すなわち、中国人は帰国するとき、心のなかで目的地の中国に近づこうとするが、自分の意識のなかの中国と二度と出会うことができない。中国の土地に降り立って、目の前に現れているのは、どこにでもあるような鉄筋コンクリートでできた冷たい町ばかりである。

 中国の為政者は鉄筋コンクリートの高層ビルが近代化の象徴と考えているようだ。また、彼らはとてつもない巨大なスケールの奇抜なデザインの建築が文化の象徴とも考えているようだ。だいぶ前のことだが、ある友人は自分の会社のオフィスを北京の天安門広場と繁華街の王府井に近いところにある東方広場という大規模なオフィスビルに移転した。ある日、その友人を訪ねて、「便利なところだね」と言ったら、友人からは、「外からみると、立派な建物だが、建物の質が悪く使い勝手はよくない」と愚痴った。このなんでもない会話こそが「改革・開放」政策に潜む真の問題の象徴である。すなわち、「改革・開放」政策では、ハードウェアは立派になったが、ソフトウェアは粗末にされている。

総合的な国力の強化

 さる9月3日、中国政府は北京の天安門広場で抗日戦勝70年の軍事パレートを開催した。その意味は、中国が大国であるだけでなく、強国にもなることを内外に対して宣言したことである。中国国内メディアでは、10年以上前から「総合的国力の強化」が流行語のように使われている。

 中国の人口と国土面積から、大国であることは否定のできない事実である。しかし、強国にはなっていない。強国とはなにか。軍事パレートで展示されたミサイルなどの最新兵器は強国になった象徴といえるのだろうか。そして、総合的な国力を強化するといわれているが、総合的な国力の中身にはどのようなものが含まれているのだろうか。

 歴史学者によれば、軍事大国は強国になれないといわれている。確かに、旧ソ連は軍事大国で、外国に侵略されず、国内でも暴動が起きなかったが、一瞬にして崩壊してしまった。実は、ほんとうの強国は必ず文化や教育の大国である。もし総合的な国力は文化的レベルの向上を含めたものであれば、正しい認識といえる。

 問題は、中国の文化面の進歩が経済建設に比べて大きく立ち遅れている点である。なぜ文化面の進歩が遅れるかについていえば、共産党中央宣伝部は小説、映画などの作品をすべて審査するからである。共産党中央において文芸作品は党を謳歌するのが使命であり、むやみに社会批判を行う作品は審査で発禁処分とされてしまう。

 中国を旅すると、大都市の公園や広場で夕方になれば、年配の人々がダンスを踊る光景に出会うことが多い。そこで歌われる歌や流れる音楽は文革のときのものばかりである。実は、今、多くの60歳前後の中国人は文革のときの紅衛兵だった。彼らは毛沢東や共産党を謳歌する歌や音楽しか知らない。文化大革命は最低でも2000万人以上が犠牲者になったといわれる大惨事にもかかわらず、その時の歌や音楽が大都市の公園や広場で流れる。そこにはどんな亡霊の感触があるのだろうか。

中国を探す

 最高実力者だった鄧小平が残した遺産のなかでもっとも優れたものは「事実求是」という言葉である。「事実求是」とはすべてのことが事実に基づいて何が正しいかを判断するという意味である。リアリズムの典型的な考えだ。残念ながら、実際の政権運営において政府共産党は多くの場合、事実求是で物事に対処していない。

 8月に天津港の化学品倉庫で大爆発が起きた。その原因究明が十分になされないまま、環境が汚染されていないと天津市政府は宣言した。仮に環境がほんとうに汚染されていなければ、事故現場周辺の数か所で水質と大気のサンプルを計測し、その値がどれぐらいかを公表すべきである。その前に、今回の爆発が起きた原因を明らかにしなければならない。また、あの倉庫にどのような薬品が保管されていたか、会社の書類と税関手続きの書類を公表しなければならない。専制政治の弊害の一つは事件や事故の責任があいまいに処理されることである。

 もともと中国という国はとても美しい国だった。30年前に、安徽省にある黄山を登ったとき、あの山の美しさに心から傾倒した。しかし、15前、出張のついでに三峡を下ったとき、がっかりした。目で楽しめる景色はほとんどなかった。途中で下船して発展が大きく立ち遅れている農山村を目のあたりにしても言葉はなかった。しかも、三峡下りの観光客が増えたせいか、港でピーナツなどを売りに来る農民風の商人は狡猾な者ばかりだった。杜甫の詩に書かれている通りの風景かもしれない。「国破れ山河在り」。ただし、国は敵に破られたのではなく、自分自身が国を壊してしまった。

 習近平国家主席は2年前から中華民族の復興を国民に対して唱えている。具体的に中華民族のなにを復興させるのだろうか。これ以上、巨大な鉄筋コンクリートの建物を建設しても、中華民族の復興にはならない。重要なのは中国の文化の復興である。社会主義中国が成立してから60年あまり、中国の古典文化は文革のときにほとんど壊されてしまった。「改革・開放」以降、人々の関心は金儲けに移っている。だれも中国文化の復興に関心を示さない。

 総合的な国力を強化するというが、一人ひとりの国民のモラルを高めることが先決である。否、その前に、人民の模範になるべく共産党幹部はモラルレベルの高い存在にならなければならない。しかし、現実的に、共産党幹部は特権階級になっており、捕まった幹部の生活の腐敗ぶりは限度を超えたと言わざるを得ない。いつになったら、中華民族は復興するのだろうか。