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【15-10】インドと中国人

2015年10月30日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 だいぶ前のことだが、調査研究のためインドに一週間の日程で出張したことがある。バンガロールに入って、それからニューデリーに移って、そこからバンコク経由で日本に戻ってきた。インドに行ったことのない中国人にとり、インドは三蔵法師が仏教の経典を取りに行く西域である。なんとなくロマンスのような意味合いがある。

 しかし、実際にインドに行ってみたら、そこに中華街はなく、華僑の人もほとんどいない。世界を旅して、華僑の人がいないのはおそらくインドだけであろう。華僑の人がいないのは、そこに定住してビジネスで生計を立てている中国系の人がほとんどいないということである。

 世界でもっとも大規模な中華街といえば、サンフランシスコの中華街であり、まるでミニチャイナのような存在である。そのなかで生活する中国人は一生英語を話さなくても、何も困ることがないぐらいである。ワシントン、ニューヨーク、ロンドンなど世界の至るところに華僑の人がいて、中国人のライフスタイル・食文化などをそのままそこに持ち込んでいる。

 ある程度の経済力が培えれば、中国人の生活エリアを中心に中華街(チャイナタウン)が建設される。日本では、横浜と神戸の中華街がもっとも有名である。一つの傾向として中華街は世界の港町に多く点在する。では、なぜインドに中華街がなく、華僑の人がいないのだろうか。

中国人にとってのインドカレー

 インドに行ったときは直行便がなくバンコク経由だった。バンコク国際空港を離陸した飛行機のなかは、ほとんどインド人だった。聞いてみたら、そのほとんどはバンコクで出稼ぎしている労働者といわれた。筆者にとり飛行機に乗った瞬間からたいへんな思いだった。飛行機のなかはカレーに使われる独特な香辛料の匂いがしてくる。

 中華料理も八角や山椒などの香辛料が使われるが、インドカレーに使われる香辛料の匂いとまるで違う。実は、中華料理に使われる香辛料はどちらかといえば、香料というよりも辛料、すなわち、辛い調味料である。それに対して、インドカレーは辛料もあるが、香料のほうが強い。中国人は辛料がたくさん使われる料理を平気に食べるが、香料がたくさん使われる料理は苦手である(例外として香菜(コリアンダ)などいくつかの香料が好まれる)。

 実は、中国にも中華風カレーたるものがある。それは「咖哩」と呼ばれるものである。たとえば、鶏肉をカレーで煮込んだ料理や咖哩(カレー)餡かけご飯といったものである。中華風カレーはインドカレーのなかの香料を減らし、辛料を強調したものである。

 中国人にとり日本風カレーはまだ食べられる。日本風カレーは香料も辛料も減らし、日本人向けにアレンジされているマイルドなカレーである。

 今年、何回か東京のある政党本部での講演を依頼されたことがある。講演の前に決まって、そこの名物のカレーライスが出される。名物といわれているからおいしいものと期待して食べてみたら、見事に外れた。御世辞でもおいしいものとはいえない。失礼ながらも、あの料理には味がない。これからその政党本部での講演をお断りする所存である。どうしても断れない場合、食事だけお断りしたい。

 中国人にとり、料理は人生そのものである。フランス人と日本人にとり料理は文化である。アメリカ人やイギリス人にとり料理はただの食事である。ある日、中国の高官といっしょに静岡にある高級な温泉旅館に泊まったことがある。温泉のあとの夕食は高級懐石料理だった。その高官は料理をみて思わず「柯先生、我々に文化をご馳走してくださるのか」と喜んでくれた。

 繰り返しになるが、中国人にとり、料理は文化というよりも、人生である。中国人と付き合うとき、食事で接待するとき、何よりも注意を十分に払う必要がある。

 ある実話を紹介しておこう。

 中国社会科学院アメリカ研究所元所長の資中筠教授は、現役時代、イギリスにビジタースカラーとして滞在したことがある。ある日、ケンブリッジ大学のある教授にインタビューするために、アポを取った。その日、約束の時間にその教授の研究室に行ったが、「ロシアの客人が来ているので、外で待ってください」といわれた。資教授は我慢してだいぶ待たされたが、夕方になってもその教授の面会はまだ終わらず、やむなくもう一度その教授の研究室のドアを叩いた。すると、その教授は、「今からロシアの客人たちとディナーを食べにいく。帰ってきてからにしよう」といわれた。

 いくらなんでもこれに我慢できず、資教授は面会を諦め、ロンドンに帰ってしまった。ロシア人との面会で約束の時間を少しずらすのはやむを得ないかもしれない。中国人はそんなに時間をきちんと守る民族ではない。おそらく資教授にとって最大の侮辱はロシア人との会食に入るイギリス人教授の無神経ではなかろうか。

 立場を置き換えれば、このケースにおいて中国人だったら、ロシア人との会食に訪問に来た資教授もいっしょに誘ったに違いない。ここで無神経なイギリス人教授を攻めても意味がない。イギリス人にとり、料理は重要ではない。

 あらためてインドと中国人の関係を考察してみよう。

 一週間ほどインドで調査研究を行ったが、インド人と中国人の間に微妙な距離感があることが分かった。その距離感は近すぎず遠すぎずである。おそらく中国人とインド人は面と向かって激しく論争ないし喧嘩することができない。両者は互いに罵ることが考えられない。

 インド人と中国人の民族性はあまりにも違うものである。すべてにおいて控えめなインド人は積極的に生きる中国人と衝突するのを避けようとする。インド人は仏教の教えの忍耐を持って相手を感化させようとする。中国人にとり一番苦手なのは我慢することである。おそらく三蔵法師といっしょに仏教の経典を取りにいった中国人は当初、インドに残りそこで修練しようと思ったはずだが、口にするインドカレーは体が受け付けず、インド人の性格と会わないこともあり、経典を持ち帰り、誰もインドに残ることなかった。中国とインドの間、領土をめぐる対立があるが、本格的な戦争に突入することはなかろう。