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【20-04】雇用の悪化と露店経済への期待

2020年6月19日

柯 隆

柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員

プロフィール詳細

 毎年の全人代(国会に相当)は3月5日に北京で開かれるのが慣例だが、2020年の全人代は新型コロナウイルスの感染拡大によって2か月以上遅れて、5月22日にようやく開かれた。例年の全人代は10日間ほどの会期だが、今年は7日間に短縮された。しかも、李克強首相が行った政府活動報告も例年に比べ、3分2ほどに簡素化された。なによりも、李首相は政府活動報告のなかで2020年の経済成長目標を掲げなかった。その代わりに、「就業」を39回も繰り返して強調した。ちなみに、2020年の調査失業率の上限目標は6%と設定されている。この失業率上限目標は農村からの出稼ぎ労働者「農民工」が含まれていない。したがって、実際の失業率はこれより遥かに高いとみられている。図に示したのは2019年5月から2020年4月までの調査失業率の推移である。

図 中国の調査失業率の推移

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注:調査失業率とは、都市部においてサンプリング調査の結果をもとに推計された失業率であり、農村からの出稼ぎ農民工の失業が含まれていない
資料:CEIC

 一般的に、景気が減速し、企業業績が悪化すれば、失業率は次第に上昇していく。政府にとって雇用の悪化は社会不安をもたらすリスクとなる。新型コロナ危機において、日米などの先進国は失業手当に加え、給付金を充実するなどセーフティネットを強固にする措置を取られている。

 理論的には、景気が減速すれば需要が弱くなり、物価が下がる傾向になる。しかし、政府活動報告のなかで物価目標は、2019年の実績の2.9%よりも高く3.5%に設定されている。これはオーソドックスな経済理論に反する動きである。経済学の教科書にフィリップス曲線という命題がある。要するに、失業率が上昇すれば、家計の可処分所得が減少し、その分、需要が弱くなるため、物価が下がるという論理である。逆に、失業率が下がれば、雇用が改善され、家計の可処分所得が増え、物価が次第に上昇する。ちなみに、マクロ経済学が唱えるもっとも理想な経済状況はインフレなき完全雇用である。インフレ率と失業率が同時に上昇すれば、経済はスタグフレーションになる可能性が出てくる。

 あらためて2020年の中国経済を考察すれば、新型コロナ危機によってサプライチェーンが寸断されたが、中国の一般家計の貯蓄率は30%に達している。したがって、中国経済のファンダメンタルズは著しく悪化しているわけではない。正しい経済政策を実施すれば、景気減速を食い止めることができなくはない。中国国家統計局が発表した第1四半期の経済成長率は-6.8%と未経験の落ち込みだった。しかし、新型コロナ危機の影響を考えれば、この落ち込みは想定内のものといえる。なによりも、4月に入ってから、労働者は徐々に職場復帰を果たした。物流と流通のいずれも正常化している。

 むろん、問題も山積している。中国経済の基本モデルは大きく変わっていない。すなわち、輸出製造業が中国経済をけん引する構図になっている。中国の輸出は対米貿易戦争によって阻まれている。そのうえ、新型コロナ危機によってヨーロッパなどウイルスの感染が拡大している国と地域から注文が取れなくなっている。したがって、輸出製造企業の業績は著しく悪くなる可能性が高い。

 サプライサイドについて、多国籍企業の対中直接投資はサプライチェーンの安定性を考えて、中国国内市場向け製品の生産ラインはそのまま中国に置いておくだろうが、輸出用の生産ラインをベトナムなどへ移転する動きがすでに出ている。多国籍企業のasset reallocation(資産の再配置)の合理化努力は結果的に中国の世界の工場としてのステータスを弱めることになる。実は、この動きは新型コロナ危機が発生する前からすでにみられていた。その背景にあるのは中国の人件費の上昇である。ただし、多国籍企業が中国を完全に離れる可能性は低い。なぜならば、2019年、中国の一人当たりGDPはすでに1万ドルを超えており、中国は有望な市場になりつつあるからである。

 総じていえば、中国の経済構造は低付加価値製造業を中心とするものから中付加価値と高付加価値の経済構造に高度化しようとしている。喩えていえば、1970年代半ばの日本とよく似ている。ただし、当時の日本と大きく違う点は、所得格差と教育格差は予想以上に大きく、それは経済構造の高度化の妨げになっている。

 2020年全人代閉幕の記者会見で李首相は記者の質問に対して、「中国には、6億人が依然として月収1,000元未満(約1万5,000円)で生活している」ことを明かした。もともと、習政権は2020年に貧困を完全になくし、全国民が小康生活(そこそこのレベルの生活)を送れるようにすることを公約していた。李首相の話が正しければ、14億人の42%の人は1日500円未満の生活を送っているという計算になる。なかには貧困層が少なくとも2-3億人含まれているといわれている。これでは、経済構造の高度化は実現不可能である。

 一方、雇用の悪化を手当するために、李首相が率いる国務院は露店経済を推奨しているといわれている。すなわち、失業者は失業手当を申請する代わりに、自らが露店を開いて自己救済の道が奨励されている。露店経済の推奨は仕方がない選択であるかもしれないが、雇用の改善にはそれほど寄与しない。なぜならば、失業者が露店を開くことは既存店舗の雇用を奪うだけであり、全体の雇用機会が増えないからである。しかも、露店のほとんどは「闇経済」であり、営業税と増値税(消費税に相当)を徴収することができない。そのうえ、飲食業の露店は衛生面の問題もあり、新型コロナ危機が完全に終息していないことを考えれば、露店の推奨は百害あっても一利ない愚策であるといわざるを得ない。

 中国経済が新型コロナ危機によって予期せぬ窮地に陥っていることは間違いない。ここで重要なのは市場経済の原点に立ち返ることである。すなわち、中国では、雇用創出にもっとも寄与しているのは中小企業である。そのほとんどは民営企業である。中小民営企業は経済危機に弱い。日本の例を鑑みれば、経営難に陥った中小企業を助けるのは中小企業信用保証制度である。すなわち、中小企業信用保証協会が中小企業がお金を借りやすいように、信用保証を行う。中国には日本のような中小企業信用保証制度が存在せず、多くの中小民営企業の資金難に陥っている。

 そして、中小企業の市場参入は国有企業という高い壁に阻まれている。というのは、国有企業が独占する業種の多くは民営企業が参入できない。このような民営企業に対する差別を完全に撤廃する必要がある。結論的にいえば、国有企業に経済をけん引する役割を期待しても無駄である。この命題は「改革・開放」が始まる40年前に、すでに立証されている。政府は国有企業と民営企業を公平に扱わなければ、中国経済に秘めている活力が出てこない。