【13-05】「中国・スイスFTA交渉の終結に関する覚え書き」の意味―TPP・TTIPの形成と中国―

2013年 6月25日

川島真

川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 准教授

略歴

1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授(現職)

中国−スイス関係史

 中国とスイスが国交をもったのは第一次世界大戦後のことである。中国の外交担当者は当時、スイスとの平等条約締結を目指したが、スイスは中国と不平等条約をもつ英仏とスイスとの平等、つまり中国との不平等条約締結を求め、最終的に中国は、第一次世界大戦の戦勝国でありながら、不平等条約締結を余儀なくされた。中国がスイスとの国交樹立を急いだのは、国際連盟の本部がジュネーブに置かれることも視野に入れてのことだったであろう。1949年に中華人民共和国が成立すると、スイスは社会主義国ではなかったが、1950年初頭には中華人民共和国を承認した。そうした意味では、中国とスイスは古い友人関係だということになる。実際、中国がWTOに加盟すると中国の市場経済国としての地位を認めたのもスイスであった。

李克強総理のスイス訪問−FTA交渉終結−

 2013年5月23日、そのスイスに李克強総理が降り立った。李総理のスイス滞在時のひとつの目玉は、「中国−スイスFTA交渉終結に関する諒解についての備忘録」の締結であったが、実際、両国首脳の見守る中で、24日に担当相(中国側は高虎城・商務部長)同士が調印した。中国とスイスの間では、2011年1月から交渉が始められており、2年強を経ての調印となった。中国のFTA政策は周辺国を中心として進められてきており、FTA協定締結それ自体に新鮮味はないように思えるが、このスイスとのFTA締結について、中国側、とりわけ商務部は特別な意味を見いだそうとしているようだ。『人民日報』の日本語版も、「中国・スイスFTAは『並大抵でない意義を持つ』」との記事を5月26日に掲載(http://j.people.com.cn/94476/8258388.html[6月17日アクセス])し、このFTAが、中国にとって世界経済ランキングのトップ20以内の国と締結した最初のFTAであること、また内容的に包括的であること、などを強調した。

李克強総理のTPP関連発言

 しかし、とりわけ興味深かったのは李克強総理が5月24日にスイスの経済・金融界の諸氏と昼食会をおこなった際の発言である。

  • 我々は、アメリカが現在TPP交渉を進め、欧米がTTIP交渉の準備を進めていることに注意しなければならない。これらの協議に含まれる国は多く、また経済力も大きいので、グローバルな経済貿易の枠組み、また投資自由化の進展に対して大きな影響力をもつことになる。我々は、貿易投資自由化や地域経済統合にとって有利なあらゆる協力に対して、原則として開放的な態度をとっている。それが多角的な貿易ルールに依拠し、開放、寛容、透明性確保という原則を保っていれば、我々としてはその成果を楽観的に受け止められる。欧米は世界の主要な経済主体であり、多角的な貿易枠組みの主要な構成員である。我々はこうした交渉が、ただ欧米の経済貿易にとって有利なだけで無く、ドーハラウンドの交渉過程にとっても有利なものとなり、自由貿易の良さが発展途上国の民衆に対してもより多く及んでいくことを望んでいる。

 GATTからWTOへと至る世界貿易の枠組み作りが頓挫し、欧米そして日本を中心とした新たな枠組み作りが進む中、BRICS間をはじめ途上国では、こうした先進国中心の枠組み形成に疑義をとなえる向きも強い。だが、すでに一定の競争力をもつ中国は、これらの新たな枠組み形成をただ座視することは、逆に将来の中国にとって不利になるのではないか、ここで早めに新たな枠組みに参加した方がいいのでは無いか、という懸念をもつのだろう。

商務部スポークスマンの発言

 李総理が北京に戻った後の5月30日、商務部のスポークスマンである沈丹陽は記者会見で次のように述べて話題になった。

 問:アメリカの商務省のサンジェス副大臣が日本を訪問した際、もし先に加入している国々と同様の高水準の自由化義務を受け入れることができるというのなら、中国のTPP参加を歓迎すると言っているが、中国側としてはこれをどう見るのでしょう。TPPに参加することは考慮されるのでしょうか。

 答:中国側は自由貿易地域をつくるに際して、当事者がそれぞれ開放、寛容、透明性確保という原則を掲げ、とりわけ発展程度の異なる経済主体が当事者になる場合には、さまざまな可能性を担保すべく、各経済体の一体化の過程で多くの選択肢があるようにしている。

 中国側は、一貫してTPP交渉の進展状況を重視し見守っており、また不断に国内諸部局や産業界のTPPに対する見方を聴取している。我々は真剣に研究をおこない、それを基礎として、平等互恵原則に基づいて、TPPに加入する利害と可能性について分析し、TPP加盟国との間で相互に交渉の情報や資料について交流することを希望している。(http://www.mofcom.gov.cn/article/ae/ag/201305/20130500146218.shtml

 この発言は、日本も含め海外で中国もTPP参加に意欲を見せたものと報じられた。下線部の「開放、寛容、透明性確保という原則」という部分はスイスでの李総理の発言にもあった部分である。中国は国際社会の新たな経済貿易のルール作りに高い関心を示したということである。

 日を同じくするように、『新華財経』には「FTA戦略配置 中国の次の一手が決まった(自贸区战略布局中国“举棋已定”)」という記事が掲載された(http://news.xinhuanet.com/fortune/2013-05/30/c_115976349.htm)。そこでは、もともと中国のFTA戦略は周辺諸国を中心にした二国間関係からはじまり、それが多角的な、面的な関係へと発展してきたが、ここにきてスイスやアイスランドなど、周辺以外の国々ともFTA締結をはじめている。こうした戦略全体は、TPPやTTIPなどとも深い関わりがあろうことを示唆している。

米中首脳会談

 6月におこなわれた米中首脳会談では、TPPをめぐる問題が頭出し的に話題になったという。これはドニロン大統領補佐官が8日(現地)におこなった記者会見で明らかになった。ドニロン補佐官は、TPPが主要議題であったとの誤解にならないよう言葉を選びながら、あくまでも“a bit(ほんのすこし)”話題になったとした。習主席は、TPP交渉の進捗状況について尋ね、今後とも透明性を確保し、情報提供をしてほしいとオバマ大統領に求めたという。

 この流れも、基本的に上記の対スイスFTAから商務部発言に至る流れに合致したものだが、あくまでも“関心”という程度に抑制されている点に注目しておくべきだろう。また、ドニロン補佐官が会談の模様を伝えると同時に、実際に中国がTPP交渉に加われることは困難だと示唆したことも留意しておいていい。TPPはFTAと異なり、国内に於ける経済制度の改革にも深く関わる。国内に多くの国営、国有、公営、公有の経済体を有する中国にとって、たとえ世界経済の新たな枠組みに加わる意欲があるとはいえ、国内に多くのメスをいれることには躊躇があるだろう。

TPPは中国包囲網か?

 日本政府がTPP参加を決断する過程で広まったひとつの言説に、TPPは中国包囲網だということがあった。前述のように、TPPは世界経済の新たな秩序形成の要の一つであり、また加えてさまざまな基準を国内にも適用するものである。そうした意味では、中国は一面で参加を望もうとも、実質的にこれほどの厳しい制度を国内に適用するのは困難であり、現段階での参加は現実的ではない。だが、実際に困難であったとしても、TPPなどの新たな貿易枠組みにとって、中国を除外すべきかどうか。これについてアメリカのスタンスは明確だ。TPPはあくまでオープンだが、そのハードルは中国に対して特別ということはない、ということだ。むしろ、アメリカから見れば、参加困難と思われた第三の経済大国・日本が参加に踏み切ることで、いっそう参加困難と思われた第二の経済大国・中国を引きずりだすことに成功しつつある、ということだろう。

 では、日本としては中国の参加は不利益だろうか。今後の交渉過程しだいであろうが、中国がTPPの諸制度を受け入れ、国内の経済貿易障壁を撤廃し、いっそうの透明化をはかるというのなら、中国の国営・国有企業系の組織の独占的地位を牽制し、利益団体にメスを入れることにもなるので、歓迎すべきだろうし、そうした変化に反対することは国際社会からの支持を受けられまい。無論、現実的に参加は困難である以上、日本がTPPに参加することは中国に圧力をかけるという意味でヘッジになるし、もし中国が諸条件を受け入れるのなら歓迎するというメッセージはある意味でエンゲージにもなる。こうしたヘッジとエンゲージを織り交ぜながら、中国と対話を進めていくことが当面の対中政策になるのではあるまいか。

 中国のTPP参加反対という一辺倒にならず、日本が参加して中国にプレッシャーをかけつつも、同じ条件を受け入れるなら中国の参加を歓迎するという姿勢を示すことが必要になるのではないだろうか。自分たちにとって望ましい中国像を示しつつ、現状を批判するという姿勢が目下のところ必要だと筆者は考えている。


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