【14-01】第一次世界大戦と中国(2)中国外交の新展開

2014年 8月18日

川島真

川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 准教授

略歴

1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授(現職)

 1914年に勃発した第一次世界大戦に際して中国は中立を宣言した。これは、中国自身が参戦しないということだけではなく、中国の領土全体を中立地とすることを含意していた。しかし、日英同盟を理由に参戦した日本は、イギリスと共にドイツの膠州湾租借地を攻撃するとの名目で山東半島に1914年に上陸し、ドイツ軍を撃退するとともに、以後1922年まで占領統治したのだった。中国は、山東を戦場とすることを認めなければならなかったのである。だが、日本の山東占領は、少なくとも大義名義の上では、中国にドイツから膠州湾を返還するためにおこなわれた。だが、日本はいったんドイツの利権を継承してから中国に返還しようとしたのに対して、中国はドイツから直接中国に返還することを求めていた。1915年1月の二十一箇条要求は、山東利権をドイツから日本が直接継承しようとするものであった。

 中国は1915年5月にこれを受諾し、最終的に中国が山東半島を日本がドイツから得ることを認めたことになったのだが、二十一箇条要求の交渉の時期から、戦争終了後の講和会議で「決着」をつけるということを考えていた。

 中国では、1916年に袁世凱が死亡し、段祺瑞らを中心とする新政権が組織される。二十一箇条要求をつきつけた結果、中国との関係が悪化していた日本は、これを好機ととらえて関係の改善をはかるため段祺瑞政権支援政策をとった(援段政策)。二十一箇条要求にせよ、この段祺瑞政権支援政策にせよ、列強との協調性を欠くものであったため、日本は列強から批判を受ける可能性があるところであったが、戦争遂行中ということもあって、戦場とならなかったアメリカからの目線が厳しかったものの、総じていったんは列強からも黙認されている感さえあった。そのアメリカも、1917年に大戦に参戦すると石井ランシング協定を締結して、日本の在華権益を容認する姿勢を示したのだった。

 だが、アメリカが参戦すると、中華民国にも参戦の圧力が強まった。中華民国内部は参戦賛成論、反対論があったものの、既に国内にドイツ軍やオーストリア軍はいないこと、また戦局からして協約国に加わっておけば、大きな負担を追わずにすむこと、戦勝国になればドイツ、オーストリアとの条約改正ができること、さらに戦後の講和会議に戦勝国として参加でき、さらに戦後にできる国際組織(国際連盟)にも原加盟国として参加できること、などを理由に参戦を決定し、1917年3月14日にドイツに宣戦布告したのだった。阿片戦争の敗北以来、70年以上を経て、たとえ実際の戦闘に加わらなかったにしても、はじめて「戦勝」の二文字を中国が得ることになったのである。

 ただ、中国が大戦にまったく関与しなかったというのではない。工場で働く代わりに授業などが免除されるという形式で留学する学生が多く渡欧したし、また日本の支援もあってシベリア出兵に参加し、その一環で外モンゴルを再占領したりした。

 第一次世界大戦が終了すると中国は戦勝国となった。これは阿片戦争以来はじめての「戦勝」だったと言っても良いだろう。1919年のパリ講和会議は、一面では対独講和会議であり、また別の一面では国際連盟について話し合う場であった。ここに戦勝国として加わることができたことは、象徴的であった。まして、ドイツは義和団事件において、ドイツ公使が殺害されたことを理由に、もっとも激しい軍事行動をとった国家のひとつであった上に、もっとも賠償金を取得した国家だった。それだけに、中国側にとってこの勝利は意味があった。

 この勝利に外交的意味があったのは次の理由による。まずは戦勝国になったので、この義和団賠償金支払いが以後免除されることはほぼ間違いなかったからであった。またドイツが中国に持っていた天津租界など数多くの利権が中国に返還されることも容易に想像できたからである。しかし、ドイツの最大の在華利権、すなわち膠州湾租借地が問題であり、パリ講和会議でこれを中国がドイツから継承することが求められた。しかし、1919年にはじまった講和会議ではそれが実現せず、日本の手に譲られた。だが、日本はそもそも中国に返還すると言っていたので、これは1921−22年のワシントン会議の際に、一定の条件の下に中国に返還されることになった。だが、結局、二十一箇条要求の時に日本側が求めた旅順・大連租借地の期限延長など、南満洲の諸利権の延長は認められることになったのだった。

 他方、ドイツとの講和条約において膠州湾利権の中国への返還が認められないことがわかると、中国代表団は調印を拒否した。そのため、中国とドイツは1921年に単独で平等な条約を結び、国交を回復するとともに、ドイツは種々の在華利権を中国に返還したのだった。これはまさに戦勝国としての果実であった。第一次世界大戦は、二十一箇条要求など、中国にとって厳しい機会でもあったものの、同時に戦勝国としての新たな外交を展開する機会ともなったのである。こうした外交は、1920年に成立した国際連盟でも観られることになるのだった。


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