【16-04】民国史研究の苦渋

2016年10月25日

川島真

川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 教授

略歴

1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授
2015年 同教授(現職)

民国史がタブーに?

 昨今、中国のいくつかの出版関係者と食事をする機会があった。異なるときに異なる場所で複数の出版社の方々を相手にしたのだが、民国史をめぐる彼らの反応はおよそ重なっていた。

 その民国史関連の書籍の出版や研究が中国大陸で敏感なものになっているというのである。確かに、中国の民国史研究者がその著作の内容について党から指導を受けたといった話は伝え聞こえてきている。だが、民国史は中国においても重点研究領域であったはずである。これもまた習近平体制下の変化なのだろうか。

民国史とは?

 民国史というのは、中国近代史の中でも中華民国期の時代、すなわち1912年から49年までの歴史をいう。1920年代後半の南京国民政府の北伐成功を以て、民国期は前期と後期に分けられることが多い。この民国史は、中国近代史におけるひとつの重要な分野として長らく位置づけられてきた。むろん、1949年に中華人民共和国が成立するのであるから、民国期になぜ共産党が力をつけていったのか、なぜ国民党ではだめなのか、ということが民国史の主旋律になることは言うまでもない。だが、改革開放以後の民国史、とりわけ1980年代以降の民国史に与えられた役割は、決して共産党=ポジ、国民党=ネガという見方に裏打ちされた、暗黒の時代ということではなかった。

 1980年代から隆盛となった民国史には、革命史観を打破するという役割がまず与えられていた。つまり、「革命」を軸にする歴史から、「近代化」であるとか、「ナショナリズム」といったことも歴史叙述の軸のひとつとなり、さらには資本主義的な要素をも否定的には描かない歴史叙述が採られてきた。その時期の外交史も、帝国主義への抵抗ということだけでなく、ナショナリズムを背景とした国権回収が強調されながらも、一方で国際協調主義が重視された時代として描かれる。

民国史の隆盛

 これを見れば一目瞭然だが、1980年代以降の民国史の隆盛は、まさに改革開放政策の進展と連動し、改革開放政策の正当性に歴史的な根拠を与える側面があったことに気づかされる。いまひとつ重要だったのは、台湾との統一戦線だった。少なくとも、国民党が政権を握った南京国民政府の国家建設や、あるいは西安事件以後の蔣介石の抗日戦争への取り組みを肯定的に描くことによって、台湾の国民党との間の歴史認識問題を克服して、統一に向けての基礎としようとしたのである。

 無論、日本やアメリカの学界の民国史研究者に、統一戦線の意識があったわけではない。およそ中国の意図も理解した上で、「革命史観の克服」を目標として民国史研究を進めてきた。無論、清代と中華人民共和国期の間にあらたに「民国期」を設けたという面もある。従来、1919年の五四運動が現代史の起点と設定されており、民国期はいわば引き裂かれていた。それを一つの時代として括った上で、「清末民初」であるとか、あるいは「1949年前後」などの時代の連続性や非連続性などが議論されてきた。

 台湾では、1980年代以降の民主化に伴って、政治や社会の台湾化も進行した。歴史の分野では、台湾史が歴史叙述の主流となっていき、蔣介石が中国大陸で活動した民国期は次第に歴史の後景に退いていくことになった。しかし、その過程で蔣介石や国民党の中国大陸時代での事績はタブーではなくなり、急速に史料の公開が進んだ。檔案と言われる公文書のほか、スタンフォードで蔣介石日記などが公開された。台湾社会での関心の低下とは裏腹に、民国史研究は学問的には長足の進歩を見せたのである。これは中国でも同様だった。多くの中国人研究者が台湾の文書館で文書を閲覧し、またスタンフォード大学で蔣介石日記を筆写していた。それによって、「実証」的な民国史研究が多く中国でも出されるようになったのである。

 これは台湾の民国史との共同研究や合同シンポジウムを進める背景になった。しかし、台湾での民国史は国民党系、外省人系が主に担う分野になっていき、次第に社会での発信力を失いつつあったのである。このような傾向は、台湾での教科書問題においていっそう顕著になっていった。台湾の教科書問題では、実証的研究者とは言えない国民党系の「歴史」学者が担当委員になったりしたこともあり、かつての中華民国の国家史叙述や国民党的な歴史観が社会から批判されることになったのである。

民国史の苦渋

 中国では、民国史研究の長足の進歩が共産党を刺激した。すなわち、蔣介石日記や中華民国の公文書に基づいた研究が進められた結果、蔣介石、汪精衛、そして国民政府などについての事実解明が進んだ。蔣介石は決して抗日戦争に怠惰だったわけでもなく、また作戦が稚拙だったわけでもない。様々な可能性を比較、深慮の上で政策を練り上げていたし、共産党から学ぼうとした面もあった。そうしたことを理解した中国の研究者たちは実証研究を通じて理解していき、それを著作として発表していったのである。

 これは中国共産党の「正しい=政治的」歴史叙述とは異なる「正しい=実証的」歴史叙述の誕生も意味した。胡錦濤政権後半期から次第に力をつけてきた保守派は、当然、旧来からの「正しい=政治的」歴史叙述を重視する。特に、歴史学の場合、「党史」とよばれる共産党史の正史を描く人々がいる。彼らからしても、新しい民国史の叙述は「問題」であった。そのため、党の中央規律検査委員会が民国史の歴史叙述を問題視するようになったのである。

 他方、確かに新たな民国史研究は台湾の研究者との対話の場を増やした。これは前述のとおりだ。しかし、台湾では2016年の蔡英文政権の成立に見られるように、すでに政治や社会の台湾化は明確になり、「歴史」は台湾史が主軸となってきている。中国にとっても民国史を以て統一戦線を仕掛ける意味が大きく後退している。

 こうした事情があり、中国でも、台湾でも、そして両岸関係においても民国史は次第にその政治的、社会的意味を失いつつある。それどころか、政治的に敏感な存在になりつつあるといってもいいほどだ。むろん、学術的な研究を進める空間は残されているし、学究肌の研究者も少なからずいる。だが、たとえば大型の研究経費を獲得するなら、「民国史」ではなく、「抗日戦争」であるとか、何か別の正当性を看板にしなければならなくなるだろう。他方で、日本やアメリカの民国史研究がいかにこうした事態に対処するのか、ということも問われるようになってきている。


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