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【21-02】「四史」教育の強化と共産党100周年

2021年06月04日

川島真

川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 教授

略歴

1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授
2015年 同教授(現職)

 前回のコラム で、「四史」(党史、新中国史、改革開放史、社会主義発展史)が中国での新たな公的歴史物語の基軸となってきており、それが教育現場にも浸透しつつあるということを述べた。その後、本年7月の中国共産党百周年に向けて、その傾向は一層強まっている。

 5月下旬、中国共産党中央弁公庁は、「党史、新中国史、改革開放史、社会主義発展史の宣伝教育を社会において全面的に展開することに関する通知」を発した。この通知によれば、「党史の知識を普及させ、党史学習を推進することによって、群衆の中に深く入り、基層に深く入り、また人心に深く入ることで、広汎な人民群衆が中国共産党の国家と民族に対する偉大なる貢献を、深く認識するのを引導し、また中国共産党が始終人民の初心にそう姿勢を変えないという宗旨を深く感じるように引導する」ことなどを目標としていた。これは、「党の話を聞き、党とともに歩み」、共産党の目標である社会主義現代化強国をうちたてる上で必要なことだとも位置付けられている。

 興味深いのは、この運動を展開する対象として、「広範な人民群衆、特に青少年に対して中国共産党がなぜできるのか、マルクス主義思想がなぜ良いのか、中国的特色のある社会主義がなぜ良いのかといった基本的な道理を明確に理解し、党の歴史に対する理解や把握度を深め、また党の理論の理解と認識を深めていくことを引導する」ことが想定されていた点だ。中国共産党やマルクス主義が良い、正しいといった価値判断を人民群衆、特に青少年に理解させること、つまり価値判断を改めて浸透させようというのである。

 では具体的に何をすることが想定されているのか。すでに大学教育などでは四史を思想政治の必修授業に組み込むことが決まっており、教材の編纂も進められているが、この通知では次のような具体的な方策を提示している。例えば、党史に関わる読書活動、基層社会に対する巡回宣伝活動などにおいて「小さい物語から大きな道理を導く」こと、また幹部を招いた報告会を開くこと、そして共産党色たる「紅色文化」の内面に迫るような体験学習、紅色旅行などを組織することなどが挙げられている。

 このほか、革命先烈を顕彰する活動も挙げられている。これは革命烈士の記念日などの重要な記念日などに、墓参活動をしたり、また烈士の子孫を尋ねたりするなどして、英雄精神を高めるとされている。革命烈士だけでなく、党や国家に貢献のあった先進模範も学習となった。老戦士、老同志(1949年以前からの共産党員)、前線支援をしてきた模範的人物、烈士の遺族などを訪ねて、彼らの生活上の困難を解決するのを助けることも想定されている。

 そして、国防教育活動も提唱されている。ここには中高大の学生に対する軍事訓練も含まれていた。集団を対象とした活動には、美術展やデジタルの文芸作品の展示会、映画上映会、演説大会なども挙げられている。

 興味深いのは、かつて「雷鋒に学べ」運動の際に歌われるようになった「唱支山歌給党聴(党のために山歌を歌おう)」を「群衆」が皆で歌い、広場でともに踊ったり、農村部の新年の風物詩になりつつある『村晩』などの活動をしたりすることが想定されていることだ。

 これらの群衆での歌唱活動については中国共産党宣伝部がここ数年強調しているものであり、また村晩についても同様だ。ここで挙げられている様々な方法も、いずれも伝統的な宣伝手法である。ただ、対象が基層、群衆に置かれていることには留意を有する。今回の通知は中国共産党の中央弁公庁から出されているが、この政策を総体として進めているのは中国共産党宣伝部とりわけ理論局だと思われる。この群衆を対象とした工作(群衆工作)は習近平が総書記に就任した2012年の第18回党大会から習近平が特に重視した政策として知られているし、昨今も習近平は群衆工作能力を幹部に必要な能力だとしている。

 習近平の新時代の、そして共産党の領導を強化する上で必要と思われている、新たな歴史としての「四史」は、大学などでの思想政治科目としての必修化だけでなく、このような群衆工作にも組み込まれている。この四史の強調は、共産党百周年のためにだけ行われているわけではないようだ。むしろ、7月の百周年以降に四史がどのように扱われるかということが考察対象となろう。そこでは国家史と共産党史とのバランスがどのようにとられていくのかが重要となるだろう。