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酸化チタン光触媒反応を発見した藤嶋昭教授と日中研究交流 プロフィール

2007年1月19日

藤嶋 昭:
財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長、東京大学特別栄誉教授、
日本化学会会長、中国工程院院士

略歴

藤嶋昭

 藤嶋昭教授は1942年に生まれで、横浜国立大学卒業後、東京大学大学院工学系研究科に進学した。1967年、大学院生だった藤嶋教授は、酸 化チタンを電極にして光を当てると水を分解する現象を発見した。これは「ホンダ・フジシマ効果」と呼ばれ、世界中に知れ渡った。
博士課程修了後、神奈川大学工学部講師、東京大学工学部講師、助教授、教授などを歴任した。東京大学を退任後、財団法人神奈川科学技術アカデミー理事長に就任した。
東京大学の在任中から留学生を数多く受け入れ、中でも中国からの留学生が圧倒的に多かった。研究での指導だけでなく、生活面からも暖かく支援してきた。留 学を終えた教え子たちは中国に帰国していま大活躍している。
彼らは中国科学院北京大学などの研究と教育の最前線で、活発な研究活動と教育者として大きな成功を収めており、現在「中国科学院院士」、「長江学者」、「 973計画」(国家重点基礎研究発展計画)首席科学者などに次々と選出されている。
藤嶋教授は1979年から中国に足を運び、中国研究者への指導、そして研究交流を精力的に行ってきた。こうした功績が認められて、2003年、藤嶋教授は中国工程院)院士に選ばれた。中 国工程院は中国工学科学の最高諮問学術機構であり、政府の諮問機構でもある。今まで、中国工程院院士となった外国籍の者は35人である。
藤嶋教授の業績に対しては、日本化学会進歩賞(1975年)、朝日賞(1983年)、光化学協会賞(1988年)、井上春成賞(1998年)、電気化学会学会賞(1999年)、日本化学会賞( 2000年3月)など数々の賞を授与されている。
2004年には「日本国際賞」、「2004年度日本学士院賞」、「内閣総理大臣賞」を次々受賞している。
2006年から、藤嶋教授は会員3万4000人による日本化学会初の会長直接選挙で選出され、会長となった。

姚 建年:
中国科学院化学研究所副所長、教授、中国科学院院士

略歴

姚建年

 姚建年教授は1953年に福建省で生まれ、文化大革命後の第2期生として福建師範大学化学部に入学した。卒業後、化学部で助手、講師を経て、1988年東京大学藤嶋昭研究室に私費留学した。
姚教授はアルバイトで学費を稼ぎながら苦学し、1990年修士、1993年博士を取得した。博士在学中、姚教授の論文が科学誌「Nature」に掲載されるほど研究実績をあげた。1990年代初頭の中国では、外国で学位を取得した研究者を帰国させようとしており、姚教授は1995年8月に帰国した。
帰国後、中国科学院感光化学研究所で副研究員、研究員、所長補佐を経験し、1998年から中国科学院化学研究所の研究員となり、わずか1年半後当研究所の副所長となった。
姚教授の主要研究テーマは、機能性有機ナノ構造の作製および物理化学特性の研究、新しいフォトクロミック材料と光触媒材料の研究である。2004年、「新しい光触媒材料の基礎研究と応用探索」で国家自然科学2等賞を受賞した。
現在は「863計画」(ハイテク研究発展計画)、「973計画」など多くのプロジェクトを担当している。さらに、多くの研究実績を出し、「Nature」、「J.Am.Chem.soc」など世界トップの学術誌に掲載された論文が148本に達した。
こうした功績が認められて、2005年、中国科学院院士に選ばれた。中国科学院院士は、科学者に与えられる中国の最高の終身名誉称号である。院士の獲得をめぐり、各地方が高い年収と広い住居を提供し、熾烈な競争を展開している。そのため、毎年行う院士補選は社会からの注目度が高く、競争も年々激しくなっている。2005年に授与された中国科学院院士の人数は50人であった。
姚院士は腰が低くまったく威張らない。その物腰は人間としての魅力にあふれている。中国化学院化学研究所副所長のかたわら、中国化学学会常務理事、秘書長をも務めている。また、中国政治協商委員会の委員として非常に人望がある。この委員会は、各民主的党派や、人民団体、各民族及び各界の人々が政治に参加し、協力しあう重要な場所となっており、中国でレベルの最も高い協商諮問機関となっている。中国科学界のリーダーとしてますます活躍が期待されている。

江 雷:中国科学院化学研究所 教授

略歴

江雷

 江雷教授、1965年に吉林省で生まれた。1983年に吉林大学物理学部固体物理学科に入学し、大学院修士課程まで学び、1990年吉林大学の修士となった。1992年、中・日 共同養成コースの博士として東京大学藤嶋昭研究室に国費留学し、1994年に博士号を取得した。
その後、ポストドクターとして東京大学で研究を続け、1996年から研究の場を神奈川アカデミーに移した。
1999年4月、中国科学院「百人計画」に入選し、教授として中国科学院化学研究所に戻った。
専門分野は機能界面材料、有機・無機ナノ複合材料、光電子変換材料、SPM材料であり、積極的に研究成果の産業化を推進してきた。
特に2002年から、機能ナノ界面材料技術を紡績、建材などの分野に応用し、超親水・超撥水特性を持つネクタイ、セーター、スーツー、そしてガラス、タイル、塗装材などを開発した。光 触媒ネクタイは中国に来訪したアメリカのブッシュ大統領にも贈呈して世界中に紹介された。また、光触媒技術は国家オペラ座のガラス面などにも使われた。
こうした業績が認められ、2000年に「中国化学会青年化学賞」、「中国科学院10大傑出青年」、2001年に「国家自然科学基金委員会傑出青年」、2002年に「中国科学院百人計画優秀賞」、2 003年に「中国化学会青年知識イノベーション賞」、第8回「中国青年科学技術賞」などを次々と受賞した。
現在、国家科技部「863計画」(ハイテク研究発展計画)ナノ科学技術専門家グループリーダー、国家ナノ科学技術センター首席科学者、分子科学センター学術委員会副主任、中国科学院ナノ科学センター副センター長、吉林大学客員教授、北 京市科学技術委員会ナノ材料専門家グループリーダー、中国光触媒製品標準化委員会委員長など数多くの役職を兼務している。
研究だけでなく、江雷教授の教育実力も高く評価されている。馮琳は江雷教授が化学研究所に来てから指導した最初の博士課程学生で、地方大学出身者にもかかわらず、2003年に中国科学院院長特別賞( 毎年、中国科学院3000人余りの博士修了生中、15人程度受賞)、2005年に全国優秀博士学位論文賞(全国数万人の博士修了生中、100人受賞)を受賞し、30歳で清華大学助教授となった。
また、2004年に江雷教授が指導した学生は、今までにない前例をつくり初めて修士で中国科学院長優秀賞に受賞した。このように研究活動だけではなく、研究指導者としても優れた手腕を発揮している。

劉 忠範:北京大学化学部 教授

略歴

劉 忠範

 劉忠範教授は1962年吉林省で生まれた。1979年に吉林工学院化学工程学部に入学し、卒業した翌年に、国費で横浜国立大学に修士として留学した。修 士修了後、博士課程から東京大学藤嶋昭教授の研究室に入った。
博士在学中に、劉教授がアゾベンゼンの単分子膜を使ってナノスケールの針で記録させる超高密記録材料の理論を確立した。1 平方センチで10の12乗ビットを記録する材料の開発であり世界中から注目を集めた。
博士号取得後、大学共同利用機構・分子化学研究所の井口洋夫博士の研究室で研究を続行し、1年後の31歳のときに北京大学の助教授として帰国した。そのころ中国では、若 手研究者を抜擢登用する機運がにわかに盛り上がり、劉教授はわずか3ヵ月後に教授に昇格した。
1995年には弱冠33歳の若さで中国科技部「攀登計画」B首席科学者と北京大学化学・分子工程学部現代物理化学センター長に就任した。1996年1月、劉教授は客員教授として再び来日し、東 北大学で3ヶ月研究を行った。
北京大学に戻ってからまもない劉教授は、博士指導教官に認定され、その後にも研究活動と若手研究者の指導者として順調に業績を蓄積している。1999年には「長江学者」に指定された最初の一人となった。
現職は、北京大学ナノ科学技術研究センター長、中国科技部「973計画」首席科学者、自 然科学基金委員会イノベーション研究グループ学術リーダー、教育部イノベーション団体「表界面ナノエンジニアリング」学術リーダー、国家ナノテク・工程研究院副院長である。
また、中国化学会副秘書長、常務理事、中国材料研究学会常務理事、中国ミクロナノテク学会常務理事、『化学通報』編集委員会副委員長など多くの要職を兼務している。
劉教授は多大な研究業績を上げる一方、出身中学に多数のPCを寄付するなど、地方の学校で苦労して育った自身に重ね合わせながら後輩の人材養成をも手がけている。

孟 慶波:中国科学院物理研究所 教授

略歴

孟慶波

 1964年生まれ。1983年吉林大学物理学部に入学し、1987年に卒業した。1997年中国科学院長春応用化学研究所で博士学位を取得し、その後も中国科学院物理研究所でポストドクターとして研究を続けていた。
1999年、日本科学技術庁特別研究員(STA Fellow)として来日し、東京大学藤嶋昭研究室と神奈川科学技術アカデミーで研究を行った。2001年の日本に滞在中に「中国科学院百人計画」に入選し、翌年、帰 国して中国科学院物理研究所の研究員になった。
2003年7月、孟教授は研究員として再び来日し、日本地球環境産業研究所で6ヶ月間研究を行った。
孟教授は学問にひたむきに取り組む研究者で、いまエネルギーの研究に没頭している。
近年、「APL」、「JAP」、「PRB」、「J.Am.Chem.soc」、など世界一流の学術誌に50 本余りの論文を発表している。さらに、国際特許2件、日本特許1件、中 国特許1件を取得した。

顧 忠沢:東南大学生物科学・医学工程学部 教授

略歴

顧忠沢

 顧忠沢教授は1968年に江蘇省で生まれた。地元の高校を卒業後、南京にある東南大学生物医学部に入学し、大学院修士課程まで学んだ。修士課程在学中に、すでに化合物の理論計算で「 フィジカルケミストリー」に論文を掲載するなど頭角を現していた。
1994年、科学技術部の顧問の推薦で、東京大学工学部藤嶋昭研究室に国費留学した。東京大学ではモルフォ蝶の羽の色が光沢を帯びた鮮やかな色をしていることを構造的に解明し、ド イツの学術雑誌の表紙を飾って注目を集めた。
そして1998年3月に博士号を取得し、4月から神奈川科学技術アカデミーの専任研究員となり、研究を続行した
2002年12月、顧教授は出身大学の東南大学生物科学・医学工程学部教授として帰国した。帰国後の翌月に、中国の科学研究者として最大の名誉の一つになっている「長江学者」となった。
研究テーマは主としてバイオマテリアルとバイオインスパイアードマテリアルであり、「J.Am.Chem.soc」、「Angew.Chem.Int.Ed」、「Phys.Rev.Lett」な ど世界一流の学術誌に60本余りの論文を発表している。
こうした功績が認められて、2004年に教育部重点実験室東南大学分子・生物分子電子学実験室副主任、2005年に国家重点実験室東南大学生物電子学実験室副主任に就任した。

只 金芳:中国科学院理化技術研究所 教授

略歴

只金芳

 只金芳教授は1963年に天津市で生まれた。1980年地元の名門大学である南開大学化学部に入学し、大学院修士課程まで学び、1987年南開大学の修士となった。その後、同大学で講師を勤め、4 年後の1991年に東京大学工学部藤嶋昭研究室に国費留学した。
藤嶋研で1995年に工学博士を取得し、日本メクトロン株式会社開発本部で研究員として勤めていた。只教授のご主人も一緒に東大で勉強して相前後して学位を取得し、同じ会社で働いていた。
2000年、只金芳教授はJSTの研究公募に応募してパスし、科学技術特別研究員として神奈川科学技術アカデミーで研究を続けた。特別研究員期間終了後、海 外での優秀人材として中国科学院理化技術研究所に招聘され、2003年8月に同研究所の教授として戻ることになった。ご主人もこれを機会に北京の知的財産権を扱う専門企業に再就職し、一家で北京に戻った。
只教授の専門分野は、光電気化学材料の開発、光触媒の応用技術、新型電極材料の開発である。帰国後は、国内外で学術論文30余編を発表し、現在も国家自然科学基金プロジェクト、「973計画」( 国家重点基礎研究発展計画)など研究プロジェクトのリーダーとなっている。
その一方で、中国光触媒製品標準化委員会副委員長、中国抗菌材料・製品業協会専門委員会委員など数多くの役職を兼務し、光触媒技術の応用展開を積極的に展開している。と くに中国の光触媒の標準化の策定では、日本とも連携を図りながら推進に努力している。