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【10-006】教育、研究を通しての中国からの留学生、研究者との交流

2010年11月30日

向井楠宏

向井楠宏(MUKAI Kusuhiro):九州工業大学名誉教授

1940年9 生まれ。1968 名古屋大学大学院工学研究科博士課程金属工学専攻単位取得満期退学。工学博士。1969九州工業大学工学部助教授、1986同大学教授、2004同大学退職。他に、1985年 Univ. of Toronto客員教授、2005年 Imperial College London, Royal Inst. of Tech. 客員教授、2008年 北京大学客員教授、2010年 重慶大学客員教授。中国東北大学名誉教授。著書は化学熱力学の使い方、共立出版、1992、高温融体の界面物理化学、アグネ技術センター、2007。

1.はじめに

 中国からの留学生、研究者と私との交流は、極めて個人的な色彩の強いものであり、交流の範囲も狭く限られたものである。一方で、そのことが、良い意味でも、悪い面においても、この交流全体を特徴づける大きな要素になっていると思われる。以下に、その様子を、主に過去と現在を振り返る形で、紙面の許す限り具体的に述べてみたい。

2.留学生、研究者の受け入れ

 1988年に、九州工業大学工学研究科に博士後期課程が設置され、‘国費外国人留学生’の受け入れが可能になった。そのことを知った中国東北大学の博士前期課程の学生の一人が、私の研究室への留学を希望してきた。後でその学生に、志望の動機を尋ねたところ、‘向井の論文を読んで、ぜひその分野の研究をしたい’とのことで、うれしく思ったことを覚えている。その学生が大変優秀だったので、あとに続いて応募してきた中国からの留学生は、可能な限り受け入れるよう努めた。

 1995年には、九工大にサテライト.ベンチャービジネスラボラトリー(SVBL)が設置され、その施設長を任された。時代の要請で、‘起業を起こす学生、職員を、大学の中から生み出す環境を醸成する’ということが主な目的であった。しかし、学生に起業を起こすことを勧められるような社会環境が、当時のわが国にはまだ整っていないように思われた。そこで、SVBLのメンバー(教官)と話しあって、‘研究、教育を通して、起業家精神に富む学生を育成する’ ことに主眼を置くことにした。

 幸い、SVBLにはそのような研究、教育を行うための財政的基盤が、十分ではないにしても、ある程度整えられていた。その中には、他大学の教授の招聘枠とポスドク枠があり、私はこれらの枠を利用して、外国からの教授、ポスドク研究者を積極的に受け入れた。その主な理由は、私の研究室の職員、学生が優秀な外国の研究者と接することによって、大きな刺激を受け、視野を広め、自らすすんで物事に当たる意欲と強い心を培うことができるようになると考えたからである。この思いは、私が二十五年前に、カナダのトロント大学に客員教授として招かれて、一年間あまり滞在した時の経験から身にしみて感じたことであった。この思いは、間違ってはいなかったようで、私の研究室の学生は、目に見えて研究に対して、意欲的、積極的になっていったようである。私の研究室の学生のなかで、卒業後に会社を起こした学生は、今のところ出ていないが、中国の留学生の中からは、帰国後、三名の社長が生まれている。この違いは主に、日本と中国の社会環境の違いによることが大きいのではないかと思っている。

 国費外国人留学生およびSVBLのポスドク研究者、それに加えて私費による二名の留学生のいずれもが、殆どが中国からの個人の応募によるもので、大学、研究所の組織やリーダーを通してのものは、一人を除いて皆無である。このようにして、退職するまでに受け入れた中国からの研究者、留学生の総数は十七名に上る。

3.留学生、研究者の学内外での交流

 すでに述べた最初の留学生とその次に受け入れた留学生は、とりわけ優秀であった。当然のことながら、最初のうち、日本語での会話は十分にはできなかったが、彼らの知識と感性がその障害を簡単に乗り越えてしまい、私の意図するところをよく理解し、さらにそれ以上のことを自ら考えて研究を遂行していった。当時のことを思い出すと、彼らと討論しているときの私は本当に幸せだったように思う。

 その他の多くの留学生、研究者も優秀であり、おかげさまで私は、自分が取り組んでみたいと思っていた研究テーマの大部分を、彼らとの共同研究の形で成し遂げることができたと思っている。

 彼らの滞在中には、必ず一回以上は自宅に招くようにして、家族を交えて談笑する機会を設けることを心がけた。しばしば、彼らは、私の家の台所に入って、持参してきた食材を用いておいしい水餃子を作ってくれた。何人かは彼らの自宅に、私と妻を招いてくださり、日本の食材を工夫して作った中国料理をご馳走してくれた。

 私の研究室の学生ともよく交流していたようで、特に食事の時などの会話を通して、彼らは日本語を速やかに習得していったようである。また、学生達を招いて、中国料理をご馳走したり、あるいは学生達が彼らと一緒にソフトボールをしたり、街に連れ出して、飲食を楽しんだりしていた。

 初めのころの留学生は、学内に居住する施設が整っていなかったので、近くの民家の下宿や、アパートに住んだ。1994年に国際交流会館がキャンパス内に建ち、多くの留学生、研究者はそこに入ることができたが、その後も彼らの一部は、下宿やアパートを借りて生活をしていた。学外に居住した殆ど全ての留学生、研究者は、口をそろえて、彼らと係わった地域住民の皆様の温かい支援を今でも口にすることが多い。

 一人の留学生は結婚していて、奥さんが日本に来て間もなく出産し、女の子を授かった。沢山の人の世話になって無事出産できたことに感謝の意をこめて、子供に‘蜜恩(ミースー)’という名前をつけた。‘蜜恩‘の意味するところは、’沢山の恩(をいただいた)‘ということだそうである。もう一人の留学生の奥さんは、’十数年間日本にいたが、会った人の全てが良い人ばかりで、心から有難く思っている‘と言っている。また、何人かは、’戸畑のお母さん‘、’どこそこのお母さん‘と言って慕い、日本に来るたびに立ち寄って、再会を喜んでいる。歌の上手な留学生もいて、研究室のコンパや国内の研究会のあとの懇親会で歌ったり、歌ってもらうことがあった。彼は大学近くの地域の祭りののど自慢大会にも出て、沢山の褒美をもらい、評判になっていた。

4.彼らのその後の活躍

 中国からの教授の受け入れは一名であったが、すでに故人になっている。研究者の中からは、帰国後、4名が北京大学重慶大学、東北大学などの教授に昇進している。また、すでに述べたように、三名が社長、一名が副社長、五名が日本、英国、カナダの企業の社員として活躍している。なお、残念なことに、残りの三名については、音信が途絶え、行方がわからなくなっている。一名は招聘した教授の推薦による学生、もう一名も、招聘した教授の大学の卒業生でしかも同じ時期に滞在していて、親密な間柄のようであった。この結果から見る限り、私には、個人の応募で受け入れた留学生、研究者のほうが、滞在中、滞在後の活躍が優れたものになっているように思われる。

5.中国からの招待

 上述のように、彼らが中国で次第に活躍するようになると、今度は私を中国に招待してくれるようになった。

5.1 東北大学からの招待

 私が退職する二年前の2002年、中国の東北大学に招待され、名誉教授の称号を授与された。招待くださった東北大学の教授は、名古屋工業大学に留学し、帰国後母校の教授に昇進した方であり、日本の研究会ではしばしば激論を交わした仲でもあった。しかし、かえってそのことがお互いをより深く理解し合えるようになったのかもしれない。その彼が私を招待してくださったのである。ちょうどその頃、同じ東北大学出身で、私の研究室を出た留学生も、日本と中国との合弁会社で活躍していて、中国での私に終始付き添ってくれた。東北大学での私の講演の通訳(日本語から中国語への)、その後の研究所の訪問、講演の通訳や休日の観光旅行にも同行くださった。温かく細やかな心遣い、誠実な心がひしひしと伝わってきて、忘れられない思い出になっている。

5.2 北京大学からの招待

 退職して四年後の2008年の10月、今度は北京大学の教授からの招待をいただいた。彼はSVBLの研究員として、私と一緒になって多くの共同研究に励んだ後帰国し、北京大学の教授に任用された。発足したばかりの工学部を立ち上げつつある最中の、多忙を極めていたときにもかかわらず、本当に手厚く遇してくださった。北京大学に着くなり、彼の研究室の学生が総出で迎えてくださり、花束までいただいた。また、幾度となく食事に誘っていただき、北京ダックなどの北京名物をご馳走くださるなど、心温まるもてなしを受け、客員教授としての一ヶ月を本当に楽しく過ごすことができた。

 私はその二年前に癌が発覚し、療養中の身であったが、そのことをしっかりと受け止めて、さまざまの温かい配慮をしてくださり、私は滞在によって、むしろ体調がよりよくなったように思っている。

 一ヶ月間の滞在にしては、数少ない講演、講義であったが、それが終わってほっとしていたある日曜日、一人の学生が友達をつれて、質問と討論をするために私の宿舎を訪ねてきた。彼の質問内容はいずれもポイントをよく理解したものであり、また私の講演から思いついたという研究テーマについても具体的に述べ、それについて彼が行った流体力学を用いての見積もりまで示し、私の意見を求めてきた。彼とは私が日本に帰ったあとも今に至るまで、emailでさまざまに意見を交換している。

 2008年の10月は、北京オリンピックが終わったすぐ後の時期であり、この時期の北京の様子をゆっくりと見たり、感じたりすることができ、貴重な体験をさせていただいた。その時にも、上述の合弁会社の社員は上海からわざわざ北京にまで出向いて、オリンピック村の案内や北京名物の北京ダックをご馳走してくれたりした。

 この北京大学教授と上述の合弁会社の社員(博士)はその後、共訳の形で、私の著書、‘高温融体の界面物理化学’(アグネ技術センター、2007)の中国語版(科学出版社、2009)を出版してくれた。

5.3 重慶大学からの招待

 今夏(2010年)、重慶大学の一人の教授がひょっこり私の家を訪れてくれた。彼は私の研究室における中国からの最後の研究員だったと記憶している。帰国後、研究、教育に打ち込み、重慶大学において最年少で教授に昇進したとのことである。再会を喜んでいると、彼は、今秋にでも私を重慶大学に招待したいとの話を切り出した。突然のことで、戸惑いもあったが、有難い話であったので、私の健康状態を納得してもらった上で、招待に応じることにした。なお、この招待には、私の研究室に滞在したさらにもう一人の研究員(現在、中国の国家公務員として活躍中)も尽力してくれたとのことである。

 ちょうどその時期に、尖閣諸島問題が日中間の政治問題に急浮上し、心配してくれる人もいた。しかし私はこのようなときにこそ、時勢に流されることなく、学術分野の交流を維持発展させることが大切であるとの考えを持って、10月中旬に日本を発った。そして、約一ヶ月間、客員教授として無事重慶大学での滞在を全うすることができた。

写真1

写真1 重慶大学での講演時の質疑

 滞在中は、心温かく篤いもてなしを受け、同行した妻ともども感激し、帰国後もその思いはいまだに消えることがない。北京大学滞在時に比べて、健康状態がさらに良くなっていたので、講演、講義の回数も多くし、重慶市の他の大学、重慶科学技術大学、重慶理工大学でも一回ずつ講演を行うことができた。日本に十年ほど滞在した教授の通訳の助けもあり、講演、講義の後の質疑(写真1)も活発で、私自身もその場を十分に享受することができた。また、教授の研究室の学生職員を交えた日本流のコンパに類する晩餐会(写真2)も開いてくださり、学生達と打ち解けて話し合い、楽しく過ごすことができた。

 さらに、九賽溝と楽山の大仏の見学、三峡下りなどの観光旅行も用意くださった。そのうえ、それぞれの旅行には、日本語のできる修士課程の学生、英語のできる修士課程の学生を同行させていただき、二人とも、心温かくまことに好感の持てる青年であったので、快適な楽しい旅ができた。

 あるとき、教授に尋ねた。‘なぜこのように私を手厚く遇してくれるのか’と。彼は即座に、中国には次のような諺があります、すなわち、’受入滴水之恩、当泉涌相扱‘と。私は彼のこの返答に接して、胸が熱くなるのを抑えることができなかった。

写真2

写真2 重慶大学教官、学生達とのコンパ

 滞在中に、上海や大連近くの都市在住のかつての留学生達も重慶市までやってきて、三度にわたって食卓を囲む機会を設けてくださった。そして、彼らと日本語で楽しい時間を過ごすことができた。

 滞在中には、妻と街中に出て昼食をとったりもしたが、言葉が通じず戸惑ったりしていると、皆さん、ものめずらしそうに、周りに寄ってきてあれこれと世話を焼いてくれた。

 このように、滞在中、学内外で不快な目にあったことは一度もなく、温かい雰囲気のもとで快適に過ごすことができた。ところが、日本に帰国後、会う人からは殆ど例外なく、‘中国では大丈夫だったのか、部屋に閉じこもって外に出ることもできなかったのではないか’という類の言葉に遭遇し、いささか戸惑っている。滞在中、日本ではどのような報道がなされていたのか知らないが、私たちの狭い体験ではあるが、その体験と日本の人々の中国内の状況の認識との差には驚くばかりである。

6.おわりに

 留学生や研究者の受け入れのための財源は国の予算から支給されたものであったが、交流の形はすでに述べたように、極めて個人的なプロセスを経てなされた。このような交流の形態が特殊なものなのか、あるいは他の多くの大学でも行われているものなのか、よくはわからないが、結果をみるかぎり、十分に肯定的に評価して良いように思われる。

 私はすでに退職して六年目に入っており、教育、研究の現場から遠ざかって久しい。心がけるべきは、若い人たちの邪魔になったり、邪魔をしたりしないようにすることであると思っている。ただ、求められれば、そしてそれが少しでも役に立つことであれば、その時には、喜んで役目を果たしたいと思っている。上述の中国からの招待は、この私の思いにかなった大変有難いものである。今後とも、体力と能力の許すかぎり、彼らとの温かい交流を続けていきたいと願っている。また、このことが、まことに微力ではあるが、現今の厳しい日中関係の改善に少しでも資することができれば、そのこと自体も大変うれしいことである。


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