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【07-08】きらきら輝いている人々~理想的な人材紹介会社の追求~

今井 寛(筑波大学大学院教授・中国総合研究センター特任フェロー)  2007年8月20日

 きらきら輝いている人とはどんな人か

 5月号で紹介した徐向東さんの書評中で、ドキドキわくわくを感じさせる社会の実現を期待したいという一文があった。それから折に触れ、ドキドキわくわくを感じさせる社会ってどんな社会だろう?と 考えていた。 

 「ドキドキわくわく」ということは、ときめきを感じるということか。では、人はどんな時ときめきを感じるのか。 

 例えば、キラキラと輝いている人を見たとき。 

 じゃあ、キラキラと輝いている人とは、どんな人か。 

 つらつら考える。 

 本人が楽しくて充実してるって思えることを実行している人か。そして、それは本人にとって意味があることで、周囲の人にとっても有意義なこと。しかも、 できればありきたりじゃないこと。そ んなことに実際に取り組んでいる人が、社会のあちらにもこちらにもいたら、毎日ドキドキわくわくを感じるのではないだ ろうか。

例えばオリンピックの選手

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 ではそんなキラキラと輝いている人とは、具体的にはどんな人か。 

 来年北京でオリンピックが開催される。例えば、このオリンピックに出場するアスリートはどうだろうか。

 先日新聞に、女子陸上三段跳びに出場する中国の選手の話が出ていた。貧しい家庭で育ったが、恵まれた素質を活かし、嵐の中でも日々のランニングを欠かさ ないような根性を持って、ひたすら練習に励み、今 は中国の代表として金メダルをねらっているというエピソードだ。すごいきらめきだ。

 また、日本や中国の大学で科学の勉強を始め、その後米国等の一流大学へ留学して一心に研究に打ち込む。そして、世界的な研究者になり、ノーベル賞など国際的な賞をねらっているという科学者もいる。& amp; amp; lt; /p>

 このような国際的なアスリートや科学者は、ものすごい努力をして激烈な競争を勝ち抜いた人だ。そのきらめきたるや尋常ではない。

 ただ、ある程度ルートは決まっている。

 子どもの時に才能を現す → 省の代表選手 → 中国代表選手 → 金メダルを獲得

 大学院で研究 → 米国等の一流大に留学 → 国際的な科学者 → ノーベル賞など国際的な賞を獲得

 ロールモデルもあるし、目標は明確で分かり易い。そのかわり競争への参加者も多く、勝者は一握りである。その勝利はまぶしいが、それはもしかしたら、「キラキラ輝く」とか「ドキドキわくわく」の 水準を超越しているかもしれない。

市井の人が輝く

 普通の市井の人が、「もしかしたらこんなことが大切かも」と思ったことを実際に取り組んでみて、きらきらと輝くというケースもあるかもしれない。 

 先日新聞で、「石田倉庫アート集団」(2007年8月7日東京新聞夕刊)という記事を読んだ。東京立川市のある地域には、戦時中は軍需工場が数多くあっ たが、戦後は閉鎖された。経 済的に厳しい時代の中で、ある倉庫や施設の経営者が、芸術の大切さを理解し育てるために、作品の制作にスペースを必要とする芸 術家達にアトリエとして倉庫を貸し続けたという話だ。そ の倉庫からは世界的に活躍しているアーティストが生まれるとともに、芸術を地域社会に溶け込ませる ための様々な試みがなされるなどアートの一大拠点となっている。 

 オリンピック選手のように超人的な努力の末達成したという訳ではないが、経済的な効率をひたすら追求する社会においては、ありきたりの話ではない。何だかいいなと感じてしまう。 

 こういう決断をした人はキラキラ輝くした人だし、巣立っていったアーティスト達も輝いている。こんな人達が社会で増えていけば、ドキドキわくわくを覚える機会も増えるのではなかろうか。

自分にとって理想的な人材紹介会社の設立

 今年2月に大連でお話をきいた謝世晶さんは、そんな市井できらきら輝いている女性だ。 

 謝さんは、とても明るく穏やかな話し方をする。現在、人材紹介会社を経営している。 

 彼女は大連外国語学院を卒業した後、80年代後半から90年代前半まで大連市政府で通訳として働いていた。 

 それから一念発起して日本へ留学。福岡の建設コンサルタント会社で勤務した後、子供の教育(小学校)のことを考えて、大連に帰った時には三十代になっていた。 

 自分が生まれ育った町に対して、日本で得た経験や知識を活かして何か貢献したいと考え、大連の人材市場に行ってみた。その当時の人材市場とは、就 職を希望する人達の話をきいて企業を紹介する公的な組織だそうだ。 

 基本的には二十代の人を対象としていたとのことで、担当官は彼女をじっとみた後、冷ややかに言った。「あなたに紹介できる仕事はない」と。

 筆者だったら、ここでどうするか。「やっぱり年齢が合わないから仕方ない」と思うか。それとも「でも冷たいよな」と愚痴り、やけ酒でも飲むか。まあそんなところだろう。 

 彼女の場合は違う。「対応が冷たい」と思うところまでは一緒だが、それから考えた。 

 「海外から帰ってきた人材は、能力や経験はあっても、まだその土地に慣れていない。もっと優しく接してあげてはどうか」 

 そこで、自分が考える理想的な人材紹介会社を、自分でつくることにしたのだ。 

 2000年11月に、大連で民間の人材紹介業を営むことが解禁された。ちょうどこの年に、日本から帰国したというタイミングの良さが追い風になった。

人材紹介業の今

 現在、日系IT企業などの外資系企業400社が、謝さんの会社の顧客となっている。大卒以上の中国人が1万3千人登録(無料)しており、実際に紹介、派遣されたのは、そのうちの5%くらい。あ と日本人も400人が登録し、80人が紹介、派遣されている。

 日本企業の本当のニーズを把握するため、企業の人事担当ではなく日本人の総経理に対して、謝さんが直接インタビューするようにしている(必ずしもイメージ通りの人材が採用できていないこともある)。日 本で培った日本人とのコミュニケーションの経験がここに活きている。 

 また、登録者を紹介した後のアフターフォローも重視した結果、紹介者の定着率は高くなっている。このため営業マンは必要ない。

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 人材紹介の登録は一日当たり10人程度。丁寧に行うので、これくらいが限界だそうだ。 

 登録者には、まずパソコンで自分の履歴を入力してもらうのだが、やり方については特に説明しない。これができないようでは、そもそも企業では仕事ができない。 

 それから海が見えるゆったりとした部屋で、登録希望者にインタビューする。話し易い環境をつくったのは、謝さん自身の経験による。 

 インタビューはまず中国人が、次に日本人が行う。あくまで日本企業の立場に立ってチェックする。 

 能力的に大丈夫だと判断した場合はもちろん登録するが、現時点では能力不足だが潜在的な力は持っていると認められる場合でも、じっくり話を聞く。 

 それまで勤務していた日本企業に対する文句ばかり言う人もいるが、独りよがりな場合はその点を指摘する。また、何故日本企業へ就職したいのかなど、話を掘り下げていく。 

 登録者と企業とのベストマッチングが得られることを、最も重視している。

 創業以来の6年間を振り返ってみると、当初は登録が無料であること自体がなかなか理解されなかった(どうしてタダなの?)けれども、次第に口コミで登録する人が増えたし、日系企業の顧客もついてきた。& amp; amp; amp; #160;

 最初の頃の登録者は「仕事があれば良い」「給料が高いから外資系」という人が多かったが、今は「自分はこうなりたい」と自分のキャリアについての目的意 識を持った人が多い。行きたい企業についても、先 のことを考えて選択するようになっている。全体的に教養レベルが高くなっている感じだ。特に日本への留学 経験者は、人材としての質が高いそうだ。 

 また、以前より仕事のことで、本当に悩む人が増えてきている。これは仕事そのものについて、真剣に考えてきている証拠である。

 一方、大連の日系企業のニーズを見ると、進出しているのが主としてメーカーということもあり、日本企業の特徴を理解している人材を重視する傾向がある。いずれにせよ、日 本人と中国人との間に信頼関係がまず有ってこそ、成り立つ話だ。 

 日本企業のマネージャーを対象として「中国の高級人材」に関するセミナーや、初級ビジネス中国語会話などの講習会も開いている。日本では主として技術開 発に従事していて、大 連に来て初めてマネージャーになったような人だと、色んな仕事を一度にやらなくてはならず大変のようだ。 

 基本的に中国人にとって、日本企業は信頼感がある。福利厚生の規定などをきちんと遵守してくれるという期待感があるとのことだ(以上インタビューの文責は筆者にある)

 こんな風に、自分の厳しい体験にもめげず、逆に分析し、そこから社会が求めているものを創り出す人は、きらきら輝いている人と言えまいか。 

 そんな人が増えていければ、日常のドキドキわくわく感も、どんどん大きくなるだろう。