【08-05】長江の北と南

寺岡 伸章(中国総合研究センター シニアフェロー)  2008年3月20日

1.黄色の北、緑色の南

 北京空港を発って広州まで南下すると、面白いことに気付かされる。河北省、河南省、湖北省と黄色い農地が広がるが、長江に近づくと風景が一変す る。湖北省の南部に入ると、突然緑が広がる水田地帯になる。1 1 水量も大変多くなる。更に進むと、安徽省辺りから緑豊かな山岳地帯になる。後で、地図で確認し てみると、長江の北と南では地形も随分異なることが分かる。中原は平地だが、長江以南は概ね山岳地帯である。そ の山岳地帯の地図をよく見ると、安徽省の黄 山、福建省の武夷山、湖南省の張家界、四川省の九寨溝、広西自治区の桂林、雲南省の石林は有名な石灰岩からなる奇岩の景勝地であると分かる。これらのかな り広い範囲はかつて海の底であった。それが、インド大陸のアジア大陸への衝突か何かが原因で隆起したのだ。石灰岩地帯は、海の桂林と言われるベトナムのハ イフォン湾まで続いている。  

 また、中国語にも、北方人と南方人という言葉があるように、その身体の特徴や文化や性格が随分異なるようにも見受けられる。 

 長江を境に、これだけ地形が異なるということは、それが文明や人種や歴史に大きな影響を及ぼしていてもおかしくはない。このような視点に立って色々と調べてみた。

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2.人類の中国への二つの侵入経路

 生命科学の研究成果は人類考古学にも大きなインパクトを与えている。世界各地の民族のミトコンドリアDNAを解析することにより、人類の脱アフリ カの「足跡」が分かるようになってきている。米国人学者・0 0 スティーブン・オッペンハイマー著「人類の足跡 10万年全史」によると、我々の直接の祖先は、 約10万年前にアフリカを脱出し、アラビアの海岸沿いに東進し、約8万年前にインドに到着する。その後、カ イバル峠を経て中央アジアに行くグループと東南 アジアを経てオーストラリアまで到着するグループに分かれる。中央アジアのグループは、西に進むのと、東に進む組に分かれ、東の組はシベリヤを経て北中国 に侵入する。 

 東南アジアにたどり着いた人類の一部は、インドシナの海岸沿いに北上し、中国や日本に到っている。別のグループは、メコン川やメナム川を上流し、雲南省経由で南中国に侵入している。 

 つまり、北中国にたどり着いた人類と南中国に到着した人類はその経路が異なるだけでなく、移動の過程で進化を遂げ、異なる人種になった可能性が高いと記 している。実際、歯型を調べてみると、長 江を境に、北は北モンゴロイドで、南は南モンゴロイドに分類されると記している。新人類は約4万年前に北と南とい う別のルートで中国に侵入してきており、今でも余り交じり合っていないというのだ。

3.黄河文明と長江文明

 近年、長江の洪水が運んできた土砂から遺跡が次々と発見されると、長江文明の偉大さがクローズアップされるようになった。 

 中国では、1万4千年も前に、長江中流域で稲作が始まる。長江域では、上流の三星堆遺跡、中流の城頭山遺跡、良渚遺跡、石家河遺跡、下流域の河姆渡遺 跡、羅家角遺跡、馬 家遺跡が発見されているように、様々な都市文明が起こった。長江文明は稲作農耕漁労を特徴とする文明だ。それに比較して、黄河文明は畑 作狩猟を中心とする文明である。両 方の文明はある時期までは並存していたと考えられる。しかし、4100年前に、中央アジアの突然の寒冷化が黄河文明を襲 うと、生存の危機を察知した人々は長江へと南下していく。黄 河文明の人々は鉄と馬を既に使用していたので、長江文明の人々との戦いに容易に勝つことができ た。敗れた長江文明を築いた人々の一部は貴州や雲南へと逃れていく。苗(ミャオ)族 はその文明を受け継いだ少数民族という。また一部は長江をくだり、東シ ナ海へと船で逃げて行く。現代で言うボートピープルだ。彼らは日本にやってきて、長江文明の継承者となる。日本人の祖先の一部であり、彼 らが日本に稲作を もたらした。

 中国人研究者はこの二つの文明は対立したのではなく、融合したと主張するが、いずれにしても、両文明がかつて並存していたことは明らかになっている。中国 の北と南は文明発祥時から異なっていたのである。中国の正統な文明は黄帝を始原とする黄河文明とされているが、長江文明の発掘によって、中国でどのような 「歴史認識」の変化があるのか興味があるところである。 

 「南船北馬」は南北の移動の手段の相違としてしばしば言われることであるが、黄河文明から生まれた北の中原と長江文明の流れを継いだ長江地帯とは異質な文 明である。隋 の時代に大運河によって北と南が結ばれるが、豊かな江南地域から穀物を北へ運ぶためであった。北は食料で南に依存しているのである。

 あるとき、中国の有名大学の大学院生の面接の時に、「今までもっとも辛かったことは何か」と聞いたことがある。その若者の回答は、「小さい頃、毎日米食で あったが、別 の地域の大学に入るとパン食に変えざるを得なかったことだ」と真顔で答えていたのには驚かされた。また、日本政府の国費留学生は訪日前に、東 北地方の長春で日本語の特訓を受けることになっているが、こ の制度が始まった80年代初頭、稲作地域からやってきた学生2名がパン食のために身体を壊し、 訪日が実現出来なくなったそうである。黄河と長江の両文明、稲作と小麦の違いはかくも大きいのである。

4.マウスは長江を渡れなかった

 動物の世界ではどうであろうか。 

 理研のマウスの専門家の話では、長江の北と南では、マウスの種が異なるそうだ。そもそもマウスが長江を渡って対岸で繁殖することがなかったとも言える が、マ ウスは人間の移動について移動するとも言われる。貯蔵穀物の一部を失敬するからだ。そう考えると、古代から近世や近代まで、中国は激動の歴史を経験 してきているが、人 の移動は長江を境にして乗り越えることは意外と少なかったとも言えよう。 

 南の山岳地帯には、多くの少数民族が生きている。土地は石灰質であるため肥えていないが、それぞれの文化を保存し現在に到っている。 

 中国は現在沿岸部と内陸部の経済格差がしばしば指摘されるが、更に北と南の差異も見過ごせない。中国は、東西南北に大きな文明的差異を抱えて今存在している。


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