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【15-001】アベノミクスは中国進出企業に何をもたらすか

2015年 1月29日

和中 清

和中 清: ㈱インフォーム代表取締役

昭和21年生まれ、同志社大学経済学部卒業、大手監査法人、経営コンサルティング会社を経て昭和60年、(株)インフォーム設立 代表取締役就任
平成3年より上海に事務所を置き日本企業の中国事業の協力、相談に取り組む

主な著書・監修

  • 『中国市場の読み方』(明日香出版、2001年)
  • 『中国が日本を救う』(長崎出版、2009年)
  • 『中国の成長と衰退の裏側』(総合科学出版、2013年)

アベノミクスの誤算

 新年互礼会で財界経営者が今年の景気予想の質問に答えている。彼らの景気予想は前向きで、笑顔でアベノミクスに期待を込める。だがその多くは、銀行、証券、建設、外需型企業である。消費税の駆け込み需要や株価上昇、公共投資で潤った企業である。

 アベノミクスは経済停滞原因がデフレにあるとして、消費者物価上昇率2%を目標に、2013年4月に無制限の量的、質的金融緩和、いわゆる異次元金融緩和を決めた。

 日銀が大量に国債を購入し、マネタリーベース(現金+日銀当座預金)が増加し、日本の長期金利は下がった。金利が下がれば、お金は金利の高いところに動く。そのため円は売られドルが買われた。

 円安は輸出を増やし、銀行に余る資金は設備や住宅投資に回る。投資は所得を増やし、消費が増え、賃金が上がると考えたのがアベノミクスである。

 だが、現実は違う。誤算の一つは輸出である。いざなみ景気(2002年から)を支えたのは中国輸出だった。それから10年、多くの企業は部品加工も中国に移し、コストダウンを進めた。機械設備や電子機器など輸出産業の海外移転の結果、円安が輸出に寄与していないのである。

 一方日本は、燃料資源、食糧などの多くを海外に依存する。円安でも輸入を止めるわけにいかない。だから輸出は伸びず、輸入が増える。円安で日本の安売り、バーゲンセールをして強い日本をつくる。何だか変だ。

図1

 さらなる誤算は賃金上昇がないことである。企業が投資を増やし、賃金を上げるには実体経済が動く実感が必要だ。インフレ期待が賃金を引き上げるのではない。

 一部の大手企業だけが賃上げをしても、社会全体の賃金上昇とは必ずしも一致しない。既に成長率と所帯賃金上昇の相関が崩れ、いざなみ景気でも日本の平均賃金は上がらなかった。

 大手企業が賃上げをすれば、そのツケは中小企業への厳しいコストダウン要求として跳ね返る。そして日本の所帯平均賃金は上がらない。まして成長戦略が何かが見えねば、賃金は上がる筈がない。

図2

異次元金融緩和の狙いは「期待」

 日本の金利は低水準で、既に金融緩和が投資に繋がらない状況にあった。多くの経営者は「タダでお金を貸すと言われても、使うものがない」と語った。

 異次元緩和に反応したのは株価である。日銀は資産バブルに加担したことにもなる。そして持つ者と持たざる者の格差を拡げた。輸入インフレが実質賃金を下げ、持たざる人の生活を直撃して消費は低迷する。

図3

 実体経済が動かねば、株価上昇と一部の企業の賃上げで「経済が動き始めた」と言い、期待を引き伸ばさざるを得ない。狼が来ると言い続ければいつか狼は来るかも知れない。それは異次元緩和の出口が無いことに通じる。

 世界の工場での日系企業のウェートは大きい。中国からも日系企業が世界に輸出している。円安が輸出に寄与しないことは予測できたことでもある。

 では、異次元金融緩和の狙いは何か。それは「期待」である。異次元の言葉で、「何かが変わる」という期待が生まれる。期待は政権への支持になる。期待が冷めない間に、念願の政治課題に進む。それが異次元緩和の真の狙いとも読める。

 中小企業は中国でやっていくしかない

 こんな状況下で、銀行、証券、外需型企業経営者がアベノミクスに賛意を示す。だが筆者は中国進出の中小企業の立場から異議を唱え、楽観論に釘を刺したい。

 パナソニック、シャープ、ダイキン工業、キヤノンが一部製品の生産を中国から日本に移管するとの報道が伝わった。中国の人件費が上昇し、円安である。日本の輸入コストは上昇し、日本回帰は利潤最大を求める企業の当然の対応でもあるのだろう。回帰は加速するだろうが、それはアベノミクスの狙いでもある。首相も回帰に期待を込めて語る。

 しかしその発想は単純すぎる。回帰すればすべてが上手くいくというものではない。グローバルな経済はもっと複雑な市場戦略と長期ビジョンの下で動いている。日本回帰が可能なのは大手企業である。多くの中小企業はそうはいかない。大手企業は製品の企画、開発、組み立てを行う。部品調達の目途がつけば身軽に日本への回帰が可能だ。だが中小企業はそうではない。中国に多額の投資をし、設備も簡単には動かせない。また日本の工場を閉めて進出した企業も多い。彼らは中国でやっていくしかない。

 多くの中小企業は大手企業に歩調を合わせ中国に進出した。「面倒を見るから」という甘い約束のもとに進出した企業も多い。だが、その多くは口約束である。担当が代われば約束は引き継がれない。現実は過酷だ。進出後は「中国だからもっと安く」と、厳しいコストダウンに迫られた。中国企業が技術力を高めると、今度は大手企業が加工先を中国企業に切り替える。そのため工場閉鎖を余儀なくされ、撤退した企業も多い。「面倒を見る」との言葉は何だったのかと悔し涙で思う経営者も多いだろう。

日本回帰には企業モラルも問われる

 日本回帰を決めたある大手のトップは理由を聞かれて、「生産現場の人材の質は日本が圧倒的に高いことが大きい」と答えた。この言葉は多くの人の反発を招き、自身の顔に唾をかけるに等しい。人材の質と労務風土との戦いは、加工を担う中小企業が直面する問題だ。大手企業はその苦労の結果を組み立てるだけである。

 中国への進出は、日本との文化の相違や、人々の経験や能力、考え方も違うことを想定しての進出の筈だ。異国の困難を組織力や管理力で補い、生産性を高めることを考えての進出ではなかったのか。さらにこれまで、安い人件費を大いに活用した筈だ。人件費が上がってから人材の質云々というのは、中国と中国人にも失礼だろう。その企業が、これまで現地で何をしてきたのかも疑う。企業モラルが問われる言葉とも思う。

 「人材の質」発言企業は広東省にも現地法人を持つ。その駐在者達の夜の世界の無節操な行動は、ひと頃現地で有名だった。日本回帰の発表に際し「人材の質を高める努力、生産性向上の努力が不足した。申し訳ない」と、むしろ語るべきではないのだろうか。駐在者の中には、異国の社会、労務風土と戦い非常な苦労をする人も多い。だが、任期を楽しむことだけが目的なのかと疑う人も多い。その違いが人材の質や生産性に影響する。

円安倒産はこれから本格化する

 中国に進出した中小企業は、急激な円安の影響をまともに受ける。中小企業には、日本への輸出と日系大手企業への部品供給の比重が高い企業が多い。大手企業の日本回帰で発注が減少しても、すぐに中国企業との取引が進むわけでもなく、多くの進出企業が苦境に陥る。

 一方、大手企業が日本に回帰しても、日本で部品が調達できるとは限らない。もはや加工する工場がないという問題に、また労働力不足にも直面する。不足する労働力は日系ブラジル人や技能研修生に頼るだろう。それでも問題なら、中国から調達せざるを得ない。

 だが、円安で部品の輸入価格が上がれば回帰の目的は達成できない。そこで厳しいコストダウンの要求が出される。リスクを回避するため円建て輸入が進めば、現地企業の人民元受け取り代金は減少して、工場の維持の問題にぶつかる。大手企業が日本で部品を調達するにせよ、中国から部品輸入を行うにせよ、中国に進出した多くの中小企業は工場の存続の問題に向き合わなければならない。

円安が進出企業に有利に働くのは市場対応ができてこそ

 円安は進出企業に負の側面をもたらすだけでもない。現地で利益を蓄積した企業は、円安で円での配当が増える。市場を開拓して人民元を稼ぐ企業にも円安は有利に働く。

 しかし多くの企業はそうではない。輸出で円を稼ぎ、人民元に替えて工場を維持する。市場の開拓は思うように進んでいない。筆者は、市場対応は中国企業との協力で進めるべきと語って来たが、それも緒に就いたばかりで市場対応の動きは鈍い。

 円安が進出企業に追い風となるのは、市場に対応できてこその話である。日本の紙おむつや炊飯ジャーが中国で人気であり、円安でその購入も増えている。だがそれは、日本国内での話だ。中国人が求めているのは品質と安心だ。日本企業が中国で生産する製品には、日本で生産するものと品質が違うものもある。中国人には、日本や香港で買ってこそ安心と考える人も多く、そのため日本への買い物ツアーが人気となる。

 彼らは観光のためだけに日本に来るのではない。「日本なら安心」という成熟社会の価値を求めに来ている。中国ということで品質を落とせば市場は受け入れない。円安を生かすには市場対応の課題が残る。

 円安で訪日中国人旅行者が増加する。だがそれも手放しで喜べない。2014年11月に中国の海外旅行者数は年間1億人を超えたが、1月~11月の訪日中国人は221万人である。トップの台湾からの262万人、韓国からの248万人にも及ばない。

 これは日中間の政治問題が影響した結果であり、政治問題が無ければ旅行者はそんな低い数字にはならない。仮に年300万人の訪日旅行が失われたとすると、旅行者の日本での消費を平均20万円としてもその損失は6000億円になる。訪日で日本を見直す中国人も増えている。それを考えれば、お金では量れない定性的損失も大きい。

図4
図5

市場が開花し、日本の技術が必要となると同時に生産拠点が消滅する

 円安で中国進出企業が苦境に陥ることは、日本経済の大きな損失である。中国は経済構造改革を進めている。価格一辺倒から良い物、安心できる物にお金を使うように消費者の価値観も変わる。耐久性があり、安全なものが求められる。その対応には技術の向上が必要である。そこで日本の技術の出番が来る。

 だが大手企業が日本に回帰すると、多くの中小企業が中国で工場を維持できなくなる。日本の技術が求められる時代の到来と同時に、中国の生産拠点の多くが消滅する。

 中国市場に対応するために投資をする企業にも円安は不利に働く。円安で輸出競争力が高まると言われるが、それは安直なとらえ方である。海外市場に対応するには準備もいるし、資金もいる。その資金負担も増すわけで、競争力が高まるだけでもない。

 ゴリラ研究の第一人者、京都大学長の山極寿一氏は、サル化している日本社会を語る。サルは力の強いものが食べ物を独占するが、身体の大きなゴリラは小さな子供ゴリラに食べ物を譲ると言う。ゴリラなど類人猿とサルの距離は類人猿と人間の差より大きいそうだ。類人猿は人間が共同体に対して持つ意識、同情心、信頼、共同体へのアイデンティティなどで人間と共通するが、サルは自己の利益を最大化するため群れをつくり、相手の気持ちをおもんばかることがないそうである。

 人件費と円安で安直に日本回帰を決める大手企業が、サル社会の仲間入りなどしないことを切に願っている。