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【16-007】中国の成長と衰退を考える

2016年 9月23日

和中 清

和中 清: ㈱インフォーム代表取締役

昭和21年生まれ、同志社大学経済学部卒業、大手監査法人、経営コンサルティング会社を経て昭和60年、(株)インフォーム設立 代表取締役就任
平成3年より上海に事務所を置き日本企業の中国事業の協力、相談に取り組む

主な著書・監修

  • 『中国市場の読み方』(明日香出版、2001年)
  • 『中国が日本を救う』(長崎出版、2009年)
  • 『中国の成長と衰退の裏側』(総合科学出版、2013年)
  • 『仕組まれた中国との対立 日本人の83%が中国を嫌いになる理由』(クロスメディア・パブリッシング、2015年8月)

中国9都市の家庭所得は日本を超えたか

 中国の2015年の都市住民平均可処分所得(住民一人当たり平均)は上海、北京だけでなく、蘇州も5万元を超えた。また杭州、寧波、南京、無錫など、平均可処分所得が4.5万元を超える都市は9都市で、その平均は48,332元である。

 2014年の上海と北京の平均家族数、2.415人で単純平均の家庭所得を計算すれば約180万円になる。9都市の都市住民人口は1億人を超える。

 2012年の総務省統計の日本の勤労所帯平均可処分所得は約460万円で、最近5年間の所得の平均伸び率で計算すれば、9都市の家庭所得が日本を超えるのは2025年頃と考えられる。

図1

 これは、統計上の話である。中国には統計に表れない所得が多いことは既に何度も述べた。その主体は私営企業や個体工商戸の小規模事業者、すなわち一般庶民である。

 今年の国家工商総局発表では、私営企業数は1,991.5万戸、個体工商戸は5,503.4万戸に達した。10年前の私営企業数は472万戸、個体工商戸は2,464万戸だった。両者の就業者数(2.87億人)は2014年の都市総就業者の73%になる。

 商事制度改革後、全国の1日あたり登記企業は1万戸と言われ、驚くスピードで私営企業と個体工商戸が増え、同時に統計外所得も増える。

図2

 前回の日中論壇 で上海の異常なアパートの家賃について述べた。家賃支払いで多くの家主が正規領収書を発行せず、家賃収入の多くは裏所得になる。

 私営企業や個体工商戸は登録事業者だが、中国では登録のない隠れ事業、アルバイト、副業が無数にある。上海の不動産投資者には地方の人も多い。1人で多くの部屋に投資し、それを貸す。地方に住み、部屋の管理ができないので、内装の手配、借主の募集、家賃交渉、契約代行を仕事にする人がいる。投資者を一房東(本当の家主)、管理を請け負う人を二房東(もう一人の家主)と呼ぶ。一房東の所得も二房東の所得も、その多くが統計にない。裏所得が消費経済を支え、経済成長率や輸出入増加率以上に消費が伸びるのはそんなことも影響する。裏所得や爆買いの光景を見ると、既に9都市の家庭所得は日本を超えているかも知れない。

図3

 筆者がこう語ると、中国は大きな格差社会で一部のお金持ちが平均所得を押し上げていると反論する人もいるだろう。だが日本で伝わっている情報の中には、中国が極端な格差社会との決めつけと思い込みもある。中国の固定ブロードバンド加入戸数は全所帯の60%を超え、加入戸数は近く80%になると予測される。中国農村ではアリババが運営するネットショップ「農村淘宝」の広告看板も目立つ。「大変な格差の国」と思われているが、現実はこのようである。

 今年5月までの新築住宅販売面積は前年比33.2%の増加だった。かつて、上海浦東新区の灯かりがない住宅で多くのメディアが住宅バブル崩壊を指摘した。浦東新区は90年代、「浦東の部屋より浦西のレンガ」(浦東の1部屋より、旧市街の浦西のレンガをもらうほうがいい)と言われたところであるが、今は浦東新区でも手頃な貸家を探すのに苦労する。都市中間層の拡大が住宅市場を支えているからである。

中間層の拡大が中国経済に与える影響

 次に、都市中間層の拡大が中国経済にどんな影響をもたらすかを考える。

 所得の増加は庶民に心の余裕をもたらす。貧しい時代には、人々は空腹を満たすことだけを考えた。中国人の挨拶、「もう食べましたか」にはそんな意味が込められた。

 お腹が空けば、冷めても、不味くても、お腹を満たさねばならない。それは「モノを求めた時代」でもある。

 爆買いもその名残である。中間層の所得増加が爆買いを支えるが、それは十分な答えではない。爆買いは「モノの時代」の延長線上にある。配給切符で列に並んだ記憶と「モノ」で安心を得た時代の名残が爆買い行動でもある。列に並ばないマナーが批判されるが、並んでは順番が来ない時代の記憶がそんな行動に走らせる。

 心の余裕は、その空しさも気づかせる。せっかくの日本旅行が家電量販店とドラッグストアではあまりにも寂しいことに気づかされる。社会の喧噪を逃れ、自分を振り返る静かな時を求める人も増える。成熟した日本の価値感に気づく人も増えて、旅行スタイルも変わる。そして爆買いも消える。

 「もう食べましたか」の挨拶は消え、ネットショップも少し高いが美味しいものが好評である。美味しいものを食べるために、並んで待つことも厭わない。待ち、並ぶことで、「モノ」の背後にある見えない価値を学ぶ。そして消費者は本物の価値とその由来に気づく。「中国だから(品質が悪くても)しかたない」の言葉も消え、これから中国製造業は、量、大きさ、外見で騙されない消費者と向き合わねばならない。

「消費者のニーズ」と「工業の実態」のギャップ

 だが消費者の変化の一方で、中国は「消費者のニーズ」と「工業の実態」のギャップの時代に向かう可能性も高い。

 消費社会の進化に比べ、工業社会の中国が立ち遅れているからである。「中国製造2025」は、そんな製造業の改革がテーマである。改革の中核は情報で、「中国製造(メイドインチャイナ)」が付加価値を高めることができるかが問われる。

 だがこれまで「中国製造」は、「見えない価値」を軽視し過ぎた。「中国だから安くできるはず」という言葉で品質、安全、耐久性に必要なものを削り、見える「モノ」だけを求めたのが「中国製造」でもある。変わる消費者と逆に「中国製造」は30年の改革・開放の過程で多くを学んでいない。

 ではこれから、製造業の改革は進むのか。そこには大きな問題も潜む。

 お金が貯まれば、国も人も、慢心と傲慢が頭をもたげる。製造業の改革にはコツコツした努力と時間が必要だが、お金は「技術を買う」ことに走らせる。そこに落とし穴がある。「モノ」は買えるが、努力や工夫、「モノづくり」に携わる人の心はお金で買えない。唯物主義の歴史の弊害なのか、中国は今もそれに気づいていない。

 それは、多くの産業で見られる。例えば環境対応である。

 日本は四日市喘息や水俣病を経験し、環境立国になった。垂れ流しの試練を経て、その反省から技術を積み上げた。経験から生まれた分析、測定、設計、メンテナンスなどのトータルエンジニアリング技術が環境立国を支える。だが、中国では未だに「モノ」さえ買えれば、という発想が強い。「モノ」しか見えず「1元でも安く」という思考から抜け出せない。

 その結果は、その場しのぎの環境対策である。それに行政末端の癒着もからみ、効果の乏しい設備が導入される。中国の製造業改革は、「早く」「安く」「多く」の否定でもあるが、ソフトや「見えない価値」を軽視する風土は、一朝一夕には変わらない。

「中国製造の改革」を阻むもの

 筆者は時々、中国を見てわからなくなる時がある。宇宙に人を送り、ジェット旅客機をつくる国に何故、品質、安全、耐久性の問題が日常的に起きるのか。

 その答えは難しいが、「中国製造の改革」の行方について、日頃感じることを述べたい。

 一つ目は、「仕事の生きがい」「役割への貢献」意識が希薄な風土の影響である。

 「個」の中国人は、生き生きとしているが、集団や組織では「個」は埋没する。

 “自分のため”の活力は組織の活力に繋がらない。過酷な歴史の影響だろうが、組織の中で自ら考えることの希薄さ、まじめさの欠如は製造業の改革には天敵である。

 日本の過去の経済成長は「日本人の真面目さ」がもたらしたと思うが、中国はその対極にある。先日もタクシーに乗ると、運転手は全ての信号待ちでタブレットのゲームに夢中だった。製造業の改革は現場の工夫が支えるが、国民性がそれを阻む。

  二つ目は、政府組織の問題である。「中国製造2025」は民主導だが、指導するのは政府である。13億人の中国は、一言でいえばバラバラである。バラバラの国がまとまるには大きな力がいる。民主導に導くにも強い指導力がいる。

 だが、そこには政府組織と役人の質の問題がある。

 改革開放で激変した中国で、唯一、無競争なのが政府組織と役人である。彼らは競争社会から隔絶した特殊な存在でもある。「唯物主義」と「権力」は今も多くの役人の心と行動を支配する。唯物主義で製造業を見れば「見えない価値」は軽んじられ、権力で人を動かせば、人の意欲が高まらず、現場の工夫も生まれない。能力の乏しい役人が「権力」で人を動かせば「言われなければ動かない」組織になり、進む方向も誤る。

 そんな役人が「製造業の改革」を指導する。そこに矛盾がある。

 改革の核心は情報である。産業が交流し情報が共有されて改革が進むが、協力や交流が苦手なのが中国の政府組織、役人でもある。強い腐敗対策で、役人は出る杭になることも避ける。身を守るために何もしないのでは、改革は進まない。

 三つ目は、契約やルールを守らない風土である。製造業の改革には多くの先端技術を海外から導入しなければならない。そこで大切なのは契約遵守である。

 しかし中国社会は、法律やルールに無頓着である。法律より個人の思いが優先する。

 道路を逆走する車、歩道を占拠する車、信号無視の歩行者、交通もビジネスも共通するものがある。その無頓着さが改革の足を引っ張る。

この10年は成長から衰退への分岐点になるか

 筆者が2013年に出版した『中国の成長と衰退の裏側』で次のように述べた。

 「中国社会から一歩一歩着実にという価値観が失われ、皆が安直に一攫千金を夢見ている。一つ一つ、今を積み重ねるのが農耕型社会なら、中国は狩猟型社会。耕すことなく目の前の利益を求める。これが中国経済の困難の要因になる。

 このままでは製造業の衰退とともに『世界の工場』が終わり、(中国は)慢性的貿易赤字国になる。お金で買えないモノづくりの風土が大切ということに中国は気づくべき。

 製造業の問題は豊かになる社会のニーズとのギャップが拡大することを意味する。こだわりを充たすモノが求められなければ、欲求は海外に向かう」

 製造業の改革が進まなければ、輸出が減り輸入が増える。中国は消費主導経済に方向転換しているが、13億もの民を消費で支えるのも難しい。また、変化する消費者ニーズに応えられないのは製造業だけではない。

 サービス業も同じである。「中国製造」の問題指摘はそのままサービス業にも当てはまる。「役割への貢献」意識が希薄な社会では、サービス業の発展も阻害する。そうなれば経済成長は止まる。

 筆者はこの10年が中国の正念場だと思う。道を誤れば、成長から衰退の分岐点となる。一方、中間層が拡大し、ニーズを充たす「中国製造」が不足すれば、日本企業の市場での出番が増す。だが、今も中国市場に懐疑的で躊躇する日本の企業が多いのはどうしてだろうか。