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【11-006】「第5回中国工業生物技術発展フォーラム」視察報告~JST沖村顧問ら日本代表団が招かれ出席~

米山春子(中国総合研究センター フェロー)     2011年 7月 5日

日中米欧の代表団300人余が出席

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 年々盛り上がりを見せている「第5回中国工業生物技術発展フォーラム」が、2011年5月25日、中国山東青島で開催された。

 中国科学院生命科学・生物技術局張知彬局長の招待を受け、独立行政法人科学技術振興機構(JST)顧問の沖村憲樹団長をはじめ、JST産学連携展開菊池文彦部長、財団法人バイオインダストリー協会(JBA)塚本芳昭専務理事、産業技術総合研究所(AIST)およびバイオ関連企業をあわせて20人余りの代表団が開幕式典に出席した。

 今回のフォーラムの主催は、中国科学院生命科学(CAS)・生物技術局、国家発展改革委員ハイテク産業司、科学技術部中国生物技術発展センター、中国バイオテクノロジー学会である。

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 中国科学院副院長李家洋、青島市常務副市長秦敏、JST顧問沖村憲樹が開会式であいさつした後、中国科学院植物研究所の匡廷雲院士、ハルビン工業大学教授任南琪院士、日本バイオインダストリー協会塚本芳昭専務理事、オランダDSM社中国生物技術センターReihard Karge主監などが基調講演を行った。

 参加者は、米国ボーイング、オランダのロイヤル・ダッチ・シェルグループ、フランスのトタルグループ、デンマークのノボザイムズ社および中国大学、研究機関、企業、銀行など計300人以上の専門家の方々だった。

 今回のフォーラムは 「工業生物技術イノベーションを急げ、持続的な経済発展を目指せ」とのテーマを掲げ、生物技術の産業化、産学連携の強化、日中、中米、中欧など国との技術移転の推進が狙いになっている。

 そのため、開会当日の午後、中国科学院の特別の配慮により、青島バイオエネルギー工学研究所で、「日中生物フォーラム」が開催された。日本側はJST産学連携展開部・剱持由起夫、AIST国際部・宮崎芳徳次長、中外製薬(株)渉外調査部・松崎淳一副部長、(株)プリベンテック・関川賢二代表取締役社長がそれぞれ発表し、中国側はCAS国際合作局・邸華盛副局長、生産産業科技創新連盟・李寅研究員、国家開発銀行評議二局・劉勇所長、CAS微生物研究所・馬俊才主任、宝山鋼鉄股份有限公司の代表らがそれぞれプレゼンテーションした。

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官民連携で驚異的な投資実績をあげた国家開発銀行

 その中でもとくに国家開発銀行評議二局・劉勇所長の「開発性金融が生物産業の発展を支える」と題とした発表は興味深いものであった。

 開発性金融の骨子は、銀行の融資先を政府の意向とうまく調和させ、一体化をさせることである。市場経済に合った投資計画を立て、社会発展に重要な領域に戦略的に集中投資し、成熟した企業になるまで育てる。

 銀行は単に投資だけではなく、情報提供、制度設計、財務担保、市場開拓、政府間との連携調整などさまざまな面で投資先の企業をサポートする。その結果、国家開発銀行の2010年の不良債権率は0.68%であり、連続23年間1%以内に抑えた。投資の純利益は353億元(1元約13円)に達した。

 また、国家開発銀行は中国科学院と共同で「政府、産業、大学、研究機関、金融」を一体化するイノベーション連合体の構築を続けている。このようなシステムはこれまでどこにもみられなかった。これは中国が急速に経済発展を遂げたひとつの要因であるかもしれない。

料理の達人を輩出する新郷はバイオ産業でも活況

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 会議後、中国科学院生物局と共同で設立した企業や地方政府が建設中の生物企業パークなどを見学した。まず河南省鄭州から車で1時間程度の新郷から見学をはじめた。新郷市では李慶貴市長、王戦営副市長などの市政府要人に歓迎され、新郷市について紹介された。

 新郷市は歴史のある町で中国では中堅都市である。面積はまわりの町や村をいれると約8千平方キロメートル、人口はおおよそ560万である。炭鉱、電力、水資源が豊富で工業を中心に繊維、食品、製紙、建築材料、エネルギーの5つの伝統産業を有する。

 都市人口の平均収入はまた低いが、物価も安いと言われている。ちなみに、歴史が長いことがあって、料理は満漢全席にはおよばないまでも、とても美味しく日本の会席料理によく似ている。優秀なシェフを輩出し、全国ナンバーワンと言われている。市は昔から教育には力を入れている、教育環境はとても優れている。現在7つの大学に12万人の学生が在籍している。そのほか68ケ所の職業訓練校があり、8万人在籍している。

 市は科学技術の発展を非常に重視し、科学技術、教育担当の楊書廷副市長は河南師範大学の教授も兼任しており、化学の専門家である。新郷市の意見交換会では楊副市長は新郷市生物産業の成長状況や重点企業について紹介した後、日本側はAISTイノベーション推進本部連携主幹三宅正人氏、武田薬品工業(株)シニアマネージャー渡辺敬介氏がそれぞれプレゼンテーションした。

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 会議後は、楊副市長とともに、市の重点企業の華蘭生物疫苗有限公司、新郷双鷺生物技術有限公司、豫北光洋転向器有限公司を訪問した。これらの企業は血液製剤、ワクチン、分子診断キットの生産や漢方薬、抗生物質の製造を中心に拡大しており、新郷市のバイオ産業の支えとなっている。

 これらの企業は外資系のもあれば、上海や北京に親会社があり、共同出資で作った子会社もある。いずれにせよ、政府のバックアップのもとで成長してきた企業に違いない。これらの企業には設立当時に安価な土地を提供し、融資の金利は地方政府が負担している、税金の減免など政府からの政策・制度の恩恵を受けたが、現在、市の中堅企業に成長し、地方の財源となり、雇用創出にもつながっている。

 このように、企業からの税収をさらなる新興企業を育てるのに用い、まさに理想的な循環になってきている。この循環には政府、大学、研究機関、企業、金融との連携は不可欠であり、「科学技術および教育重視の成果である」と楊副市長が言う。これからは、視野を広げ、世界に向かった活動にすると語っている。そのため、今年10月に開催されるJST中国総合研究センター主催の日中大学フェア&フォーラムに是非参加したいと述べていた。

中国文化発祥の地の湖州はイノベーション発祥へと転進

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 つぎの見学先は浙江省の湖州市であった。湖州市では沈建平副市長、王世傑副秘書長などの市政府要人が日本代表団と歓談した。歓談の中で湖州市について紹介された。

 湖州市は2300年の歴史のある都市であり、上海、杭州、寧波とも近く、太湖に隣接している。面積は5,818平方キロ、人口は259万である。湖州は中国文化の発祥地ともいわれ、シルクの産地でもある。昔から文人輩出の郷として有名であり、曹不興、孟郊、沈家本などなどの文人の出生地であり、習字の名人王義之、蘇東坂、陸羽らは「文房四宝」のひとつ「湖筆」を求めに立ち寄ったとも言われている。

 先人が教育に熱心だったお陰で、中国建国以来、約2千人の科学院、工程院の院士のうち、27人は湖州出身者である。湖州での会議前に、建設中の湖州南太湖生物(医薬)産業パークの建設現場を訪問した。現場にはまた何もなかったが、5年後の完成時の模型を見た。

 そのスビートに大変驚き、また疑問を持った。その後、5年をかけて完成させた南太湖科学技術イノベーションセンターを見学してわれわれの疑問は解けた。さすがに政府先導する開発速度は日本とは対象的だと団員たちは感銘した。

 その後、中国科学院上海生命科学研究院湖州工業生物技術中センターを見学し、湖州工業生物技術センター、湖州栄養・健康産業イノベーションセンター、湖州現代農業生物技術イノベーションセンターなどの責任者よりそれぞれの機関の研究開発状況を紹介された。その後、JBA先端技術・開発部長穴澤秀治氏、(株)レクメド代表取締役社長松本正氏がそれぞれ講演を行った。

かつてのシルクの最大産地の蘇州がサイエンスパークを設立

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 最後の訪問地は蘇州呉中区の科学技術パークだった。呉中区の金傑区長をはじめ、焦亜飛副区長、羅家栄呉中科学技術パーク最高責任者たちは中国中央政府要人がよく利用した東山ホテルでわれわれを迎えた。

 立派な迎賓館の中で日本代表団一行に蘇州呉中区の科学技術、経済の発展について丁寧に紹介された。蘇州は気候が温暖で、水資源が豊富である。太古から「魚米之郷」と称してきた。蘇州はシルクの最大産地であり、和服の帯の大半はここから輸入していると言われている。

 呉服の呉の字は呉中の呉を取ったと現地の人々は信じている。蘇州は上海に近い地の利があり、中国の改革開放初期からサイエンスパークやハイテクパークなどを数多く建設されている。現在蘇州サイエンスパークだけで4000件以上の日本企業が進出している。まさに日本の第2工場と言っても過言ではない。

 呉中区は蘇州でありながら、蘇州の中心部から高速道路を利用しても1時間かかる区である。ちなみに高速道路を利用すれば、蘇州から上海までは1時間程度である。蘇州市の広さは想像がつくだろう。呉中区の大半は太湖に突き刺さっている半島にある。

 太湖に囲まれ外部に隔離された島のような存在です。高速道路ができる前は、人々が自給自足で、食糧、野菜、果物、お茶、魚、家畜、養蚕すべて賄っていた。中国文化大革命さえここには及ばず、古い建物がそのまま残っている。ここは本当の世外桃園であった。高速道路が開通したお陰で、経済活動が活発になって、地形などの利点を利用して、バイオ産業、とくに実験動物の飼育、製薬などを中心に成長してきた。

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 われわれが訪問した蘇州薬明康徳新薬開発有限公司はその一つである。この会社は10年前に中国の回帰政策の呼びかけによって、留米中心の留学生たちにより設立された。2007年にはすでに従業員3700人の企業に育った。同年にはニューヨーク株式市場に上場した。2008年にはアメリカの同種企業を買収している。

 現在、世界の同業種で最もISO(国際標準機構)の認証標準の取得数の多い企業になり、アジア最大の臨床前の安全評価センターのひとつとなった。このような世界をリードする企業を今後この呉中科学技術パークで数多く育てていきたいと羅家栄氏は述べている。

 現在、バイオ医薬、ソフト開発、電子情報産業、新材料、新エネルギーの投資に優遇制度が適用され、国、市、区政府一貫の研究機関、企業、銀行などを巻き込んで、戦略的に新しい産業を育て、産業の発展をリードしている。官と民は一丸になって、将来の町設計、町作りを考えている。

循環経済モデルで中国は持続的な発展へ

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 これまでのように人力に頼る企業、いわゆる世界の工場は現在の政策に適応しなくなり、生存が厳しくなる。結果は内陸へ移さざるをえなくなる。なるほどこれは中国の沿海から内陸へ、人力依存からハイテクに切り替わる誘導的な循環経済のモデルではないかと思った。社会主義の計画経済と資本主義の自由経済をうまく融合していると感じた。これは中国経済がしばらく持続的に成長するカギであるかもしれない。

 このようなやりかたは、中国全土に広がっている。このような政策は若干の差が見られるものの、ほぼ国の方針に従ってできたモデルと思われる。アメリカのリーマンショック後、ドル基軸の世界の潮流から中国経済の進む方向は、かなり梶を切って独自の方向へと進んでいるように感じる。

 この動きは科学技術にも影響を及ぼしている。中米、中欧への積極的な推進からアジア連携、アジア共同体の構想が見えてきた。これは今後の日中のさらなる連携、互恵関係の強化に追い風になるに違いない。

 最後に、中国科学院生命科学・生物技術局張知彬局長は見学の途中で実家が不幸にあったにもかかわらず、蘇栄輝副局長および何名の職員とともに最後まで訪問団を引率された。ここでお礼を申し上げる。