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【16-02】2016年全人代

2016年 3月28日

富坂聰

富坂聰(とみさか さとし):拓殖大学海外事情研究所 教授

略歴

1964年、愛知県生まれ。
北京大学中文系中退。
「週刊ポスト」(小学館)「週刊文春」(文芸春秋)記者。
1994年「龍の『伝人』たち」で第一回21世紀国際ノンフィクション大賞受賞。
2014年より現職。

著書

  • 「中国人民解放軍の内幕」(2012 文春新書)
  • 「中国マネーの正体」(2011 PHPビジネス新書)
  • 「平成海防論 国難は海からやってくる」(2009 新潮社) ほか多数

 第十二期全国人民代表大会第四回会議が三月十六日に閉幕した。翌十七日の新聞各紙は閉幕後の内外記者との会見に臨んだ李克強総理の写真を一面に掲載し、全人代を総括していた。

 その特集に目を通してあらためて感じたことは、焦点のはっきりしない全人代であったということだ。もちろん全人代の最大のテーマが何かと問われれば、それが圧倒的に経済であったことは言うまでもない。しかも石炭や鉄鋼など重厚長大産業を中心に起きている低迷は大規模なリストラを避けられないほど深刻である。その意味では問題ははっきりしていたというべきだろう。

 だが、会議の焦点が何となくぼやけているように感じたのはなぜだろうか。

 一つには、そもそも経済が最大のテーマであるのは三年連続(つまり習近平政権後ずっとということ)であることがある。そして今回、全人代の開幕前にはすでに十三次五ヵ年計画もあらかた明らかになり、全人代で修正や補足がされたとはいえ劇的な変化はなかったことが指摘されるのだろう。

 さらに二つ目として議題の提案が低調であったことが挙げられる。これは事前に「過激な提案をしないよう」(中国語では「不要過份的」という表現であったとされる)といったお達しがあったからだという。

 つまり問題があっても誰も踏み込んで発言しない会議だったということができるのだ。

 そんななか、大きな注目を集めたのはポスト習近平世代のホープの一人と目される陸昊黒竜江省長(同党委員会副書記)の発言をめぐる騒動である。

 三月六日、全人代開幕時に記者会見に応じた陸省長は、中国が抱える大きな問題の一つ、炭鉱の構造不況問題にからんで焦点となっている龍煤集団の改革について訊かれると、「龍煤の抱える炭鉱現場で働く八万人の労働者のなかでわずか一カ月でも給料の遅配が出ている者はいない」と断言してしまったのが騒動の発端だった。というのも現地では一か月どころか半年分が未払いであるなど深刻な遅配が当たり前に起きていたからである。

 陸省長の話が現地に伝わると、たちまち労働者たちが抗議の声を上げ始め、それが動画サイトに次々にアップされるという連鎖を生んでしまったのである。

 国務院の関係者が語る。

「動画は出れば削除されたのですが、アップされる量の方が圧倒的に多く、たくさんの人の目に触れることになりました。労働者たちの怒りは自分たちの抗議の様子を動画で流すだけでは収まらず、バスを雇ってこれから北京に乗り込もうという盛り上がりをみせるようになっていったのでした。全人代の入り口でそんなことになったら、それこそ大きな社会不安にも結びつきかねません。この騒動によって全人代を包む雰囲気はたちまち厳しいものになっていったのでした」

 事実、ネットの中には陸省長の発言直後から全国の炭鉱労働者に対して「北京に行って抗議しよう」と呼びかける書き込みがあふれたのだった。東北三省はもちろんのこと、山西省、内モンゴル自治区など大きな炭鉱を抱え、賃金の支払いが滞っているといった問題はいまや全国が共有していることだ。そんななかで呼びかけが広がれば、大きな混乱は避けられない。

 火元となった陸省長は間もなく、自らの発言が事実と違っていることを認めて謝罪。それと同時に「下からの虚偽の報告に対しては厳正に処分する」ことを付け加えることも忘れなかった。

 「要するに、自分は『騙されたのだ』ということを強調したかったのです」

 と語るのは党中央の関係者だ。

 「炭鉱の現場で遅配があるというのは新聞でもしょっちゅう報じられていることです。しかも石炭の値段は暴落し、いまや重さ単位ではミネラルウォーター一本分の利益にしかならない産業です。龍煤集団のような巨大国有企業にしてもそれは同じで、遅配の現実だって十分に予測されたことでした。ただ、下からの報告が耳触りの良いものであったことも事実なのでしょう。そうでなければ勝手に断言はできませんから。ただ、都合が良い報告を無批判に受け入れたことは問題だったのでしょう」

 習近平指導部の下で進められてきた反腐敗キャンペーンなどの引き締め策で、中央は地方官僚へのコントロールを強化したはずなのに、実態はいまだにこんなウソの報告が上がってくるほど緩んでいたということだ。このことは、中国が抱える問題の根深さを示していると同時に、コントロールタワーが実態を把握する大きな障害となっている問題を抱えていることも意味しているのだ。

 こうした現実に対する党中央の焦りは、治安強化という反応によって示された。

 「この直後から各県レベルの公安局長や信訪局長が呼び出され、急きょ部下を連れて北京に入りました。同時に高速道路のパトロールが強化され、二十四時間体制で不審者や不審な同乗者がいないかをチェックしはじめたのです。そして、一番驚いたのは久しぶりに〝維穏〟という言葉が復活したことです。これは、とにかく安定が大切と強調することで、厳しい問題が予測されるときに党が用いる言葉です」(北京の新聞記者)

 全人代の最後の会見で李克強首相は、「(中国経済は)困難と希望が同居しているが、希望の大きさは困難を上回っている」と発言したが、希望の見積もりが正確かどうか。世界の疑いは、この陸省長の騒動でより深まったのではないだろうか。