第26号:日中の再生医学・再生医療
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アジアと科学技術外交~iPSを科学技術外交元年に

2008年11月5日

西川 伸一

西川 伸一(にしかわ しんいち):
(独)理化学研究所 発生再生科学総合研究センター
幹細胞研究グループ グループディレクター兼 副センター長

1948年 6月生まれ 1973年 京都大学医学部医学科卒業専門:再生医学 幹細胞生物平成11年 フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞平成14年 財団法人 持田記念医学薬学振興財団 持田記念学術賞受賞

 昨年から我が国では山中博士のヒトiPS樹立成功にはじまる騒ぎが続いている。政府やJSTなどの公的研究支援組織は、まわりの雑音に左右されずしっかりとサポートしようという意思を固めて、諸外国と比べて十分とは言えないにせよ、精一杯支援を続けている。もちろん、このような騒ぎを苦々しい気持ちで不快に思っている人たちも多くいる。苦々しいとまではいかないにせよ、iPS研究推進を目的とするworking groupの座長を務めている私は、多くの冷やかなまなざしを感じる。だからこそ、今年からiPSや再生医学の研究助成を申請するのはきっぱりやめた。その上で、iPSに熱狂する一人の純粋なサポーターとして、出来る限りお手伝いをすることにした。 座長をしながら思うのだが、iPS研究にお金が流れているという理由を除くと、日本でのiPSへの熱狂は研究者の間ではあまり感じられない。流行に惑わされず、一つのことに集中するのが日本の伝統なのだろう。しかし、いったん日本を離れると煮え立つ熱気を感じる。私がアドバイザーを務めている、ケンブリッジの幹細胞研究所も、カナダの幹細胞ネットワークも、マウスでの研究成果が報告された時点で、iPSの部門や研究所を設け、優秀な研究者がいち早く研究を始めている。もちろん、アメリカでも、ヨーロッパでも、アジアでも、iPSと何らかの接点を持った研究が急速に広がっている。この急速な広がりは、iPS作成という技術が決して高根の花でなく、誰の手にもとどくからだ。研究の範囲も、リプログラミング過程の解析という基礎的な課題から、疾患iPSを使った臨床的な研究まで多岐にわたる。そのため、比較的容易に自分の研究と接点を見つけることが出来る。だからこそ、世界中iPSに熱狂している。かく言う私自身も、リプログラミングについても多能性についても研究していたわけではないが、遅まきながら自分の仕事の発展にもiPSは確かに大きな可能性をもたらすと確信している。というより、これまで敷居の高かったリプログラミング、多能性といった問題が自分の研究の対象として手の届くところにきたというのが印象だ。やはり、国内の科学者の間でもっとiPSへの熱狂が感じられてもよいのではと少し残念だ。

 多分私だけが興奮しやすいのかもしれない。実際、山中さんの話を最初にキーストンシンポジウムで聞いた時の興奮は今も表現のしようがない。最近、山中さんから指摘されたのだが、このシンポジウムで彼の座長は私が勤めていたらしい。ところが、私はてっきり山中さんの話を聴衆として聞いたと勘違いしていた。座長をしていたことなど忘れるほど興奮したのだ。

 ぼやいていたところで仕方がない。国は大きなお金をこの分野に投資したいと思っている。しかし、iPSに熱狂して研究を始める研究者が我が国にあまりいないのなら、結局日本だけからこの分野の人材を求めることは難しいということだ。本当にやりたいと思っている人がいないのに、予算が来たから完全消化してしまうと、テーマとは関係ない研究がiPSの名のもとに進められているという批判を受けることになる。これまではそれでも良かったかもしれないが、iPSに関しては注目度は格段に高く言い逃れはできない。実際、私がプロジェクトオフィサーを務めるさきがけ研究でも、iPSに熱狂したメンバーを選ぶことにもっとも気を配ってきたが、いつまでそんな日本人研究者を選べるのか不安だ。とすると、予算を減らすか、あるいは日本人以外の熱い研究者をリクルートするしかない。世界中から人材がリクルートできるからこそ、アメリカではどんな研究分野でも、お金をかければかけるだけそれに見合う成果を上げることが可能になっている。アメリカでのiPS研究領域も同じで、外国人研究者が大きな役割を演じている。

 しかし、諸外国と比べた時日本に外国から研究に来てもらうことが実際には難しい。もちろん日本には特有の言語や文化の壁がある。私がかって務めた熊本大学や京都大学での経験から考えると、新しい大学を作らない限り、英語環境を既存の大学に実現することは至難の業だ。もう一つ深刻な問題は、一流の研究室でも英語を公用として用いる決心がつかないことだ。公的行事を英語にすると、コミュニケーションが減り、アクティビティーが落ちるとほとんどの研究者が恐れている。留学生がいる研究室ですら、プログレスレポートやジャーナルクラブなども日本語というケースが多いのではないだろうか。私のラボでは、京大のときから全ての公的行事は英語で行っているが、学生や若手研究者は戸惑っていることがよくわかる。しかし、犠牲を恐れず始めてみるしかない。私はポスドクとしてドイツの大学で過ごしたが、全て英語で事足りた。多分ドイツで過ごした研究者のほとんどは、同じようにドイツ語を習わなくても十分研究ができたと思う。言葉の壁はまず研究室レベルからなくす努力を始めないと、日本の大学に英語環境は永遠に根付くことはないだろう。現在学術振興会によるポストドクトラルフェロープログラムは大変よく設計されている。私のラボも、半分以上の外国人研究者は、このプログラムに一度はお世話になっている。ただ、英語公用語化をもっと促進するため、受け入れ研究室は公的行事を全て英語にすると誓約することを採択の条件にしたらどうかと思う。そこに留学する外国人研究者が審査員だ。

 もちろん個別の研究室が英語環境にする決心がついてもまだまだ壁がある。現在私が勤めているCDBは事務系も含めて完全に英語環境が整っている研究所だ。しかし、外国から研究者を募集してもなかなか日本人の候補を押しのけて採用したくなる研究者の応募がない。たまに優れた研究者の応募があっても、採用を決めた段階で他の国の研究所を選んでしまう。この困難は研究室や研究所レベルで解決できることではなく、社会や文化に起因する困難だ。実際、日本に来ても将来設計は立ちにくいだろうし、家族の生活にも様々な困難が予想される。とすると、他に同じようなポジションがあればわざわざ日本に来るはずはない。たとえばシンガポールと比較されると、多くの面で日本の競争力は心もとない。

 いずれにせよ、これらの問題を克服するためには、日本でのポジションを一段と魅力的にするしかないだろう。ポスドクに限って考えてみると、興味をそそる研究テーマ、最先端の情報と学習機会、いい論文を書けるチャンスのあるレベルの高い研究室、そして給料をはじめとする研究条件がそろえば日本は魅惑の国となる。財政的なしっかりとしたサポートさえあれば、世界と比べて高いレベルの研究室は日本には数多く存在しており。もちろん山中研を中心とする日本でのiPS研究ならまったく不足はないはずだ。予算の増加分を、本当にその目的のために使うためには、研究者のリクルートにしっかりと見通しを立て、準備をすることが重要だ。人が得られないとどれほどお金をかけても研究は進まない。現在大きな予算が動くカリフォルニア再生医学研究所でも、シンガポールのAスターでも、基本的には外から人がリクルートできることを前提として計画されている。

 さてこのような条件がそろったとして、今後日本で研究してくれる外国人の多くは、アジアからの研究者になるだろう。将来の日本を考える時、私はアジア、オセアニアとの付き合いは、他の諸外国と比較してもう少し意図的に違ったものであってもいいのではと考えている。

 アメリカの研究をみても、優秀なアジア人の貢献は大きい。しかるにほとんどの日本のラボでは、アジアからのポスドクに対してそれほどいい印象を持っていない。アジアからの応募は多いのだが、優秀な人材はまず欧米の研究室に行ってしまうのが現実だ。ここでも、日本には外国研究者の将来を託せる可能性が少ないことが大きく影響していることは間違いがない。しかし、もう一つ見逃してはならないのが、アジア各国の研究が歴史的に分断されているという事実ではないだろうか。すなわち、日本、中国、韓国、シンガポール、台湾など、アジア諸国での戦後の科学研究の歴史は、基本的に欧米とのつながりを軸として進んできた。留学をすれば、当然その国との関係は深まる。国同士で様々な研究会議も、やはり欧米諸国と行われることが多い。さらに、何よりも科学研究のシェアーを考えると、今でも圧倒的に欧米が大きく、日本を加えてもアジア全体の位置はそれに及ばないだろう。とすると、アジア諸国の各研究室は今後当分は欧米とのつながりが主軸のまま続くだろう。日本の研究がかなり発展を遂げた今でも、ヒューマンフロンティアサイエンスプログラムに大きなお金を拠出し、欧米に対していわばメンバーシップフィーを払い続けているのがいい例だ。この主軸の方向性が変わらないと、アジアの優秀な人材はこの軸を伝ってまず欧米に向かい、主軸以外での実りある出会いのチャンスは極めて低い。もちろん、主軸を外れてもいい出会いがあるだろうし、それが将来新しい軸を形成していくだろう。しかし、意図的にこの主軸の方向性を変えることができれば、アジア、オセアニア域内での人の動きは大きく変わるだろう。

 私はアジア全体が経済的に発展し、科学的力をつけてきた今こそ、この軸の転換をアジア内で意図的に図ることを議論し始めたらどうかと提案する。この転換には、アジア、オセアニア各国の研究が同じレベルであると仮定して議論を進めることが必要である。このようなことは明確な意図を持って、戦略的に進めないと何も実現しない。もちろん、科学交流の地域主義を目指しているのではない。目指しているのは、EU域内でのレベルまでポスドク、研究者の交流がアジア域内で進むことである。すなわち、アジア域内での各教室が、それぞれをよく知り、信頼に裏づけられた関係を深め、様々なレベルで研究者の動きが活性化されることが目的だ。域内で研究室レベルの交流が盛んになれば、研究予算に応じて、どの国であれ、優秀なポスドクや研究者を域内からリクルートすることも容易になはずだ。

 ただ、この目標のため各国は、予算を通して意図を明確にしていく必要があるだろう。そして、iPSは新しい関係構築のきっかけとなる可能性を持っている。もちろん、得るところもないのにアジアの国際会議などを増やしてもあまり意味がないだろう。そうでなくても、この分野でアジアだけでも多くの会議が毎年行われている。私見だが、EMBOのサマースクールのような若手主体のトレーニングコースや、会議にアジアの研究者全体で取り組めばどうかと思う。そのために、ヒューマンフロンティアの経験を生かして、日本のイニシアチブで、アジアのどこかに、参加国全体の合議のうえで運営できる財布となる組織を設立すればよい。EUはフランスの実業家シューマンが示した理想に向けて困難を乗り越えるという意図を示したことにより可能になった。ヨーロッパ各国と比べた時、アジアではまだ様々な政治的問題が残っており、EUなみの連合を図るためには、時間がかかるだろう。しかし、科学、あるいは科学の一分野からまず統合してみるのも一計ではないだろうか。この目的のためには、世界中が熱くなったiPSは、日本の科学技術外交元年の大きな旗印になると確信する。