第26号:日中の再生医学・再生医療
トップ  > 科学技術トピック>  第26号:日中の再生医学・再生医療 >  幹細胞の臨床応用:発展と試練

幹細胞の臨床応用:発展と試練

2008年11月

wangx-picture

王欣(Wang Xin):中国科学院上海生命科学院生物化学・細胞生物学研究所研究員

 アメリカ ニューヨーク州立大学バッファロー校に留学し、分子薬理学Ph.D.を取得。 1998-2003 アメリカ オレゴンヘルスサイエンス大学でポストドクターを務める2003-2006 アメリカ ミネソタ大学 幹細胞研究所および医学部病理学のテニュアトラック助教を務める。 2006 –現在  中国科学院上海生命科学院生物化学と細胞生物学研究所研究員、幹細胞実験 室主任を務める。 研究分野: 肝臓幹細胞生物学分野で系統立った研究活動に従事。血液幹細胞が肝臓実質細胞に転化する分化メカニズムの解明、成体膵臓における原始内胚葉幹細胞の肝細胞への分化と機能の証明、幹細胞内のプロトタイプ幹細胞(卵円形―オーバル細胞)の分離・純化、またその肝細胞に分化する細胞機能の識別など分野の発展に貢献。現在の主要な研究動向は胚性幹細胞の肝細胞と神経細胞に向けての分化の調節メカニズム研究である。

 昨年10月、『ニューズウィーク』アジア版に表紙の文章を書いて指摘したが、20世紀を支配していたのが物理学であると言うならば、21世紀を支配するのは生命科学であろう。生命科学の研究では、世界は既に遺伝子へのフィーバーから幹細胞への関心に移行している。今や幹細胞は研究にとどまらず、街中で話題になっている。人々は、幹細胞の科学的定義を知らなくとも、それについて疑問を呈することはない。むしろ幹細胞への期待は大きく、幹細胞は多くの人にとって希望であり、患者にとってはチャンスであり、研究者にとっては一種の挑戦である。ここでは最近10数年の幹細胞の研究・開発の歴史を振り返り、またこの分野の今後の展望について、筆者は以下にいくつかの側面から簡単に紹介をしようと思う。ここで述べる観点は筆者の個人的理解によることを断っておきたい。

1.現代の幹細胞研究ブームの起源

“幹細胞”という語が最初に使用されたのは1961年で、カナダの放射線学者ジェームズ・ティル博士(Dr. James Till)およびアーネスト・マカロック博士(Dr. Ernest McCulloch)がマウスの多能性幹細胞を識別できる体外コロニー法、即ち脾臓コロニー形成単位(CFU-S)を確立したときである。致死量の放射線を照射されたマウスに正常なマウスの骨髄細胞を注射したところ、14日後にはレシピエントマウスの脾臓に多くの結節が形成されているのが発見され、脾臓から取り出した1つの結節の切片染色から、1つの結節には顆粒細胞と赤血球、赤血球と巨核細胞など2種以上の造血細胞が含まれていることがわかった。彼らは1つの結節中の異なる種の細胞は1つの共通の細胞に由来していると考え、これを多能性幹細胞と呼んだ。というのは、注射したドナーの骨髄細胞が分散して脾臓に“種植”される様子が、植物に成長する1粒の種子が土壌に種植されるのと似ているからである。1つの細胞から生み出されるあらゆる次世代の細胞はクローンもしくはコロニーという。

 突発的なできごとによって歴史の転換期が訪れることがある。胚性幹細胞研究の先駆の1つとして1998年、ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授(Dr. James Thomson)とジョンズ・ホプキンス大学のジョン・ギアハート教授(Dr. John Gearhart)が、それぞれ不妊(体外受精)治療で余った胚胎と流産した胎児組織を用いて、胚性幹細胞の分離に成功し、細胞の樹立にも成功した。これによって社会全体が幹細胞研究分野に対して特別な関心を寄せるようになり、幹細胞研究ブームはこれから始まったのだが、これ以前にも、幹細胞研究は地道に続けられていて、発生生物学と血液学分野で既に長期にわたる研究の蓄積をしていた。

 現在、“幹細胞”概念は広がっていて、造血幹細胞にとどまらず、その供給源となった部位で区別して、胚性幹細胞、成年組織特異性幹細胞、成年組織非特異性幹細胞および間充織幹細胞などを含んでいる。また、個体発生のプロセスで区別して、万能性幹細胞、多能性幹細胞および成体幹細胞などを含んでいる。

2.難病治療に対する幹細胞への期待

 幹細胞の臨床治療への応用はもうはや夢ではなくなり、次第に現実になってきた。幹細胞を用いた臨床治療は、幹細胞自身または幹細胞由来した細胞を用いて、機能が失われた体細胞もしくは臓器に取って代わる、あるいは修復することにある。これらの機能的な欠損は、主に遺伝的要因あるいはけが、老化によるものである。損害を受けた部品を交換して修繕する機械と同じように、人体でも老化や損傷を受けたパーツを取り替えて再び正常に作動させればよい。血液幹細胞は血液疾患の治療、特に白血病の治療に広く応用されている。1960年代に、アメリカのミネソタ大学で世界初の骨髄移植が行われた。つまり骨髄移植を用いて血液疾患の治療に成功した。この後、血液系の細胞移植事例では血液幹細胞がよく使われ、移植効率を高め副作用を軽減するという顕著な効果を得ることができた。血液系の研究では、サンプルの入手が容易であり、また患部修復の特殊性もあり、血液系の幹細胞研究はその他の組織や臓器の幹細胞研究に先駆ける必然性があった。。

 血液系以外の細胞については、修復を実現するのが複雑で困難であった。まず、これらの細胞は血液細胞のように容易に入手することができなかった。次に、これらの細胞の代謝は血液細胞のように活発ではない。幹細胞研究はニーズに基づいて研究が進み、疾患発生の頻度や深刻さによってその重要性は決まる。このため、現在パーキンソン病、循環器官や血液系の疾患、肝臓および膵臓の疾患(糖尿病など)など細胞が大量に死亡もしくは激減する退化性疾患の研究が、幹細胞応用研究の大半を占めている。

 幹細胞もしくは幹細胞に由来した細胞が、機能を失ったあるいは死亡した細胞に入れ替わり、病変や損傷した組織を再び正常な機能を回復するのが、幹細胞研究の目的である。幹細胞の研究および開発は難病の患者に希望をもたらすばかりではなく、研究者に成功のチャンスを与え、またビジネスチャンスでさえあり、さらには国家予算にも影響し、国力を判断する重要なファクターにもなっている。この点で幹細胞研究は社会的ニーズと一致している。幹細胞研究は生命科学の研究分野の一つというよりも、社会のニーズに基づく研究であり、国の方針に従うものであるかもしれない。

3.幹細胞研究における課題

 幹細胞研究は細胞を主な研究対象とする。幹細胞には自己更新および多種細胞への分化潜在能力があり、その定義には2つの要点からなる。第1は、自己更新能力である。第2は、幹細胞自身は生理機能を持たないが、生理機能のある細胞に分化することができる。この厳密な定義によれば、現在議論されている多くの幹細胞は定義を満たしていない。これが幹細胞研究はまだ初期段階にあり、困難に直面していることを表している。多くの現在の研究では、幹細胞であろうがでなかろうがより、幹細胞的特徴を解釈することを重視している

 科学技術の進展は2つの要因で決まっている。つまり、研究対象に対する知識の蓄積と実験道具の改良である。幹細胞研究の発展も同様で、現在比較的進んでいる分野にはいずれも多くの基礎研究の蓄積がある。ヒトの胚性幹細胞研究がその一例である。マウスの胚性幹細胞研究は1980年代に大きな進展があり、胞胚腔内細胞集団から分離した細胞が培養環境のもとで増殖を実現した、これが最初のES cell(Embryonic Stem cell―胚性幹細胞)であった。培養増殖した細胞を再び新たな胞胚腔内に戻した時、その胚の発生に関与し、新たな個体の1部となった。このように、1つの細胞から個体クローンが実現した。遺伝子組み替えマウスはこの生物学的の手法を用いて得られたものである。このような成熟した技術手法があったからこそヒト胚性幹細胞研究が急速に発展してきて、ヒト胚性幹細胞についての体外培養と増殖が実現したのである。一方、もう1つ進んだ幹細胞研究は細胞の分化誘導である。これも長期的な知識の蓄積が役立った。幹細胞を体細胞に変えようとするとき、幹細胞の成長微小環境(niche―ニッチ)を改善しなければならない。微小環境では関連分子の影響のもと、所定の方法にしたがって幹細胞が心臓細胞や肝臓細胞のような体細胞へと分化する。現在分化誘導に用いられる生物因子のほとんどはこれまでの胚の発生研究で発見されたものであり、これらの発生生物学と発生学の基礎知識がなかったら、現在の細胞の分化誘導は実現することができなかったであろう。

 幹細胞の臨床への応用という大きい仕事は、主に3つ問題を解決しなければならない。1つ目は幹細胞の供給源、2つ目は体細胞への分化、3つ目は人体への移植および移植した幹細胞の機能の発揮である。現在、より進んでいる研究は、幹細胞の供給源である。最初に得た胚性幹細胞はヒトの胚に由来していたため、倫理や宗教の面からの激しい論争を生み出した。それがこの分野の発展に大きな影響を及ぼした。動物では核小体を取り去った卵母細胞に体細胞の核を移植することで動物の個体クローンを形成することを実現した。ヒトでも同様の方法でドナーの卵母細胞に同一個体の体細胞の核を移植することによって初期胚が得られた。さらにこの初期胚を実験素材として、拒絶反応がない個体に的を絞った多能性胚性幹細胞を確立した。この研究手法は医学的に優れた手法であるが、倫理および宗教の論争や衝突は激しくなった。

 現在この論争は沈静化している。2007年11月20日に『Cell』および『Science』の二つの権威誌はアメリカと日本のそれぞれの研究チームによる論文を同時に掲載した。二つのチームは皮膚細胞が“遺伝子直接リプログラミング(direct reprogramming)”を経て、胚性幹細胞の特性を持つ細胞に転換することを実証した。この発見は胚を利用する研究における論争を沈静化した。この技術を利用すれば胚を使用しなくても全能性幹細胞が得られる。これが幹細胞の供給源の制限をより少なくしたのである。京都大学およびウィスコンシン大学マディソン校の2カ所はそれぞれ独自に研究しているが、方法はほぼ同じである。また、偶然にも同時にそれぞれ二つの雑誌の審査を通過した。遺伝子直接リプログラミング技術が確かに有効であることをともに証明している。使用した方法はいずれもウィルスを用いて4つの遺伝子を皮膚細胞に送り込んで、皮膚細胞を変化させ、最終的には胚性幹細胞の性質を持つ細胞に変身させた。この細胞は誘導多能性幹細胞(iPS)と呼ばれる。この結果から、幹細胞が必要になったら、遺伝子発現調節方法で誰でもその個体のES細胞に類似した多能性幹細胞をつくることが可能である。この結果は世の中に自信をもたらした。最近、後続研究が多く報道され、幹細胞研究には旺盛な活力が復活し、幹細胞研究に対する信頼も再び高まった。

 しかし、幹細胞研究が発展している現在のこの好ましい情勢のもとでも、多能性幹細胞の確立の成功とうらはらに、誘導分化研究は厳しい問題に直面している。研究者たちは争って幹細胞の誘導分化の研究結果を報告しているが、実際にこれらの進展はかなり遅れて、幹細胞の供給源研究のように順調でもなければ顕著な成果もない。たとえば、ES細胞を体細胞に分化させる研究では、通常の発生プロセスに従わなければならない。ES細胞は時期的に発生の初期胚であり、次第に後期胚に導くメカニズムがあり、その後早・中・晩期ステップを踏んで成体胚へ分化する。胚発生の多様性および複雑さに関する知識の欠如および体内の複雑な培養環境を真似できないなど技術の問題があるため、結局ES細胞は効率よく最終のターゲット細胞への誘導分化に至らない。

 多能性を獲得した幹細胞以外に、成体幹細胞あるいは組織特異性幹細胞と呼ばれる生体に留まった胚時の幹細胞がある。ほとんどの組織に特異性幹細胞の存在が報告されたが、しかし現在大いに論争を展開している。はっきりした血液幹細胞の研究を除いて、他の組織の幹細胞については明確な証拠がなく、多くの研究をより深化させない限り、臨床への応用はまだ遠い。

4.肝臓病患者への幹細胞の応用

 筆者は約10年間この分野での研究を続けているので、これまでの研究結果および今後の展望について紹介したい。筆者の考えでは、肝臓疾患における幹細胞の応用にはまず大量の幹細胞の供給源が必要である。大量の幹細胞を確保するため、既に大量のマンパワーと資金を投入している。胚性幹細胞、成体骨髄、胚および成体肝臓、臍帯血、成体血液、成体脂肪組織、成体唾液腺、膵臓などの組織から、大量の幹細胞の供給源を獲得している。

 動物実験において、幹細胞から肝臓実質細胞(肝臓で代謝機能を持つ主な細胞)を得ることができたとのさまざま報告があったが、その証明に用いているマーカーはアルブミンの検出であった。しかし、アルブミンは肝臓細胞中に数百、数千個のたんぱく質の1つにすぎない。より進んだ結果を得た報告もある。たとえば、動物の肝臓に細胞を移植して、一定時間経過した後、移植された肝臓内に移植した細胞を見つけたあるいは移植細胞の数が増えた、また移植された動物の損傷が緩解し、肝臓機能が回復したなどを観察したものがある。これらの研究では、細胞がヒトに由来するものであれば、疾病治療に採用できると主張している。確かに人体の多くの部位には、胚から成体までの成長の間に肝細胞に変化できる幹細胞がある、それらを体内から取り出すことができれば、無限に増殖することも、肝臓細胞に転化することも、それから肝臓に移植して肝臓疾患を治療することも可能かもしれない。その他の組織や器官に比べると、肝臓から幹細胞を分離して獲得する可能性が大きい。しかし、現在の研究は実験条件や技術に限界があり、やらないといけないことが沢山ある。幹細胞由来の細胞が肝臓細胞であるか否かに関する証明法さえ、研究者同士の間に共通の認識を欠いている。どの幹細胞が本当の肝臓細胞を生み出すことができるのかを、社会のニーズを含めて、研究者は考え直すべきだ。ここで述べた問題は次の研究段階の焦点となるだろう。

 以上に紹介した幹細胞を誘導して肝臓細胞に変える方法は、すべて体外で細胞培養という環境のもとで実施されている。この培養環境で、多くのたんぱく質の生長因子とたくさん生物化学の分子を用いて、肝臓細胞への誘導の可能性を観察している。これらのあらゆる因子と化合物は生物学の長年にわたる基礎研究で発見されたものである。当然一定の条件では、多くの因子や化合物の効果は明らかであるが、しかし有効な物質とはいえ、あくまで体内の生理環境を真似できないことが研究者を悩ませている。たとえば、体内の肝臓を取り出して体外でしばらく培養した後には、正常な生理機能状態に戻すことができなくなる。しかし、体外培養の幹細胞を肝臓細胞へ誘導する時間はそれよりずっと長い。そのために、体内の肝臓内外の環境を完全にシミュレートして、幹細胞を肝臓細胞へ誘導する研究はまだ厚い壁に直面している。

 現在幹細胞を肝臓疾病にどのように応用するか、あるいは幹細胞を用いてどのような肝臓疾患を治療するかはあまり進んでいない研究である。これも幹細胞研究が依然として初期段階にあることの反映である。細胞の供給源と分化の問題を解決しなければ、これらの研究について議論はできない。 ヒトの肝臓疾患分野について言えば、臨床問題には、長期病毒性肝類がもたらす肝繊維症、肝硬変および肝癌、遺伝性肝代謝機能障害症候群および急性損傷などがある。この他にも、アルコール性肝障害および肝硬変も比較的重要な問題である。これらの問題について、最良の方法は肝臓移植である。幹細胞もしくはその派生細胞の移植ができれば問題は解決できる。筆者は細胞移植治療を試みるべきであろうと考えている。幹細胞移植が成功している例は、現在のところ少量の肝細胞で機能障害を補うことのできる遺伝性代謝異常の患者に限られている。大量のドナー細胞をレシピエントの肝臓に移植し、もとの肝細胞に置き換えることはいまのところ実現できていない。その主な原因は移植細胞がレシピエントの肝臓内で有効に増殖できないことである。ドナー細胞を移植した後に大量増殖させたい場合、2つの条件を満たさなければならない。1つ目は移植細胞がより成長、生存しやすい優位性を与えること。2つ目は、レシピエントの肝臓細胞の増殖を抑制することである。この問題が解決すれば、細胞移植治療の実施が可能となる。肝臓繊維症や肝硬変の治療については、肝臓内に移植した細胞に治療する潜在能力もなければならない。これは幹細胞に対して特別な遺伝子修飾が必要である。このような機能が付加できないと細胞移植治療の実施ができない。長い目でみれば、幹細胞は人工肝臓やほかの臓器を作る候補である。作られた人工肝臓あるいはほかの臓器が体内ではなく、体外で働くことも考えられる。これらの構想は既に幹細胞生物学の問題ではなく、生体工学(Biomedical Engineering)の問題であるかもしれない。

 肝臓癌の発生問題については、幹細胞を用いて破壊された肝臓を救う研究のほかに、幹細胞生物学は新たな課題すなわち腫瘍幹細胞生物学を生み出した。この研究では腫瘍にも幹細胞が存在すると考えている。この腫瘍幹細胞は正常な幹細胞が癌化した産物か、あるいは一般的な癌細胞が幹細胞に変わったのか、また明らかでない。多くの研究結果があるが、腫瘍幹細胞があるのかどうか、あるいは腫瘍幹細胞があらゆる癌に存在しているのか、現在のところまだかなりの論争がある。

 幹細胞研究は医学の発展と挑戦に最良のチャンスを提供しており、臨床医学への広範な応用という将来性もある。特に組織工学分野では、臨床の組織、器官不足や拒絶反応に長期にわたって悩まされてきたが、幹細胞はこれらの難題を解決し、人工培養した組織や器官を用いて病変組織や器官と自由に交換できることになることを期待している。しかしながら、幹細胞生物学は、自然科学のほかの研究と同じように、自然のもたらす試練による困難を乗り越えることができないこともあり得るため、幹細胞研究が最終的に我々にもたらすチャンスも限りのあるものとも考えられる。