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中国新型インフルエンザ研究最前線

2009年2月17日

顧 江

顧 江:北京大学 基礎医学院 院長 兼 汕頭大学副学長

1977年に中国吉林医科大学を卒業、1984年に英国王立医学部大学院で病理学博士号(PhD)を取得。アメリカNCI(国立癌研究所)、NIH(国立衛生研究所)での研究を経て、ニューヨーク市立大学の健康科学センターの臨床教授に就任。2003年北京大学、基礎医科学部部長。2007年汕頭大学の副学長に就任。現在、中国病理学会会長を兼任している

1.SARSの研究

 2003年、中国の北京や世界中が、重篤な急性免疫不全症候群(SARS)のひどい流行の脅威にさらされた。北京の人々は、呼吸器官の重い感染症状を示す未知の病気に罹患し、かつ北京大学の提携病院で死亡し始めた。しかしながら、この病気の原因は分からずじまいであった。4月の中頃に、病原体は新しいウイルスであるSARSウイルスと同定された。この病気の治療法はないように思われ、北京市をはじめ全中国はパニックに陥った。

 分子病理学を研究している小生が、この新規の病気の発生を研究するために、「北京大学健康科学センター」におけるSARS対策本部のリーダーに任命された。病理学者らからなる我々のチームは、中国科学技術省より、SARS犠牲者の死体解剖を行うための助成金を得た。チームは、SARSなしいはSARSが疑われて死亡した患者18症例を得て、その完全解剖を行った。このために、北京市内に、急遽ヒト死体解剖を行うための、生物学的安全性レベル3(P3)実験室が設立され、かつ世界で最大のSARSヒト組織バンクが立ち上げられた。

 引き続き、チームは、北京大学内の異なった学部の教授や研究者を組織化し、この感染症の病因を解明すべくチーム一丸となって努力を始めた。我々は、多量の臨床データと合わせ、分子生物学、分子病理学、免疫学、微生物学などの最新技術に本気で取り組んだ。そして、一連の重要な発見がもたらされた。

 最初にチームが発見したことは、当時多くの人々の信じていた「SARS感染は呼吸器官と肺に限られること」ではないことであった。我々は、このウイルスは消化器官、脳、免疫細胞にも感染し得ることを見出した。結局このウイルスは、体中の多くの組織や器官にも見出された。そのため、SARSは全身性の感染であって肺のみの病気ではなかった。肺は最初に感染し、かつ最も重篤な罹患器官であるに過ぎない。

 その後、チームはSARSウイルスの特性を明らかにした。我々は体内でのウイルスの正確な居所を探り、このウイルスに感染した細胞の種を同定した。我々は、肺の中のウイルスの主たる標的の細胞は、Ⅱ型上皮細胞であることを発見した(この細胞は細胞表面に穴を開ける界面活性剤の生産に応答するタンパク質に関わっている)。この細胞種が感染し、細胞表面に穴を開ける界面活性剤の生産が影響を受け、最終的に肺細胞に穴を開けられ死滅させた。さらに、肺の中へ広まった液体と白血球の浸潤がみられた。マクロファージの融合によって形成された多核巨細胞が肺胞嚢に多量に存在していた。肺の間質細胞はひどい損傷を受けていた。これらの病理所見から呼吸器機能の欠損がみられた。実際のところ、臨床的に70%の患者が呼吸器不全で死亡している。

 脳の中では、SARSウイルスによる神経細胞の感染が判明した。臨床的に多くのSARS患者が、重い頭痛、発作、意識不明、運動・感覚機能喪失を含む神経系症状に罹患しているので、この発見はそれらの原因解明に重要である。特に、通常の自殺発生率に比べ、SARS患者ははるかに高い割合であった。従来は、こうした徴候や行動は、社会的プレッシャー、高熱や脳の低酸素症状に起因していたが、我々は中枢および末梢神経細胞がこのウイルスに感染したことにより損傷を受け、また、その症状は直接ウイルス感染に起因して表われたことを突き止めた。

 我々のチームは小腸もまたウイルスに感染し、粘膜細胞がそのターゲットであることが判明している。このことはウイルスが便によって広がる可能性を示している。これは他のグループによって報告された「SARSウイルスを便の中に検出した」という事実と一致している。排泄物による感染が報告されていないが、消化器管経由のSARS伝染の可能性が高い。このことは、SARS患者の排泄物を取り扱う際には、さらなる防御手段を取る必要性があることを意味する。

 最も重要なことは、リンパ球、単球、マクロファージを含む免疫細胞がSARSウイルスに感染していたことである。これらの感染細胞は、ウイルスの全身感染に関わる可能性がある。また、研究チームは末梢血や脾臓中に大量破壊された免疫細胞が観測された。このことからSARSウイルスが患者に一般的にみられる白血球減少やリンパ球減少の主な原因であるかもしれない。

 分子病理学の解析と大量の臨床データに基づいて、我々のチームは下述するような仮説を立てた。SARSウイルスが呼吸器官経由で患者に入り込んで、気管や肺の上皮細胞に感染し、咳、発熱、呼吸器系などの初期症状を引き起す。その後、ウイルスはすばやく免疫細胞に感染し、この細胞を通じウイルスを消化管、脳およびその他の器官に運ぶ。同時に、多数の免疫細胞、特にリンパ球が感染され、損傷を受けた末リンパ球減少症を起こす。最終的に患者が急性免疫不全症に罹患すると防御の手だてがなくなってしまう。呼吸器官に感染したウイルスは、その後、免疫細胞にたまたま遭遇せずに、肺や他の臓器に拡がり得る。そのため、SARSの感染は、ほとんどの症例で重篤となる。また、老人や慢性疾患の患者は、よりSARSの攻撃を受けやすいことを示している。患者共通の特徴は、つまり全員の免疫力が弱いことである。SARSの発見に関する知見は、医学研究雑誌「Journal of Investigative Medicine」に掲載され、その病因の研究結果はアメリカ病理学雑誌「American Journal of Pathology」で発表された。これらの論文は病気に関する全ての臨床症状や実験室での知見を説明し、かつ病気の予防、診断、治療、患者のフォローアップに対するマニュアルとなっている。

2.ヒトに感染する鳥インフルエンザウイルスH5N1の研究

 鳥インフルエンザは、今日において人間の健康に対する潜在的な一つの脅威となっている。1977年以降で初めて、ヒトでの感染症例が報告され、世界的には300症例以上が報告されていて、約60%が死亡している。幸いにも、感染症例の発生は散発的でかつ隔離されていた。また、限られたヒトからヒトへの伝染は起こり得たが、大規模のヒトからヒトへの伝染があったという確たる証拠はなかった。ヒトからヒトへ感染させることが困難であることは、次のように説明される。つまり、一群の人達が、同じ地域において同時ないしは続発的にその疾病を発生させたとしても、人から人への感染を立証するのはほとんど不可能である。つまり、人々が「同じ病原体に曝された可能性はない」と言い切れない。しかし、この疾病がこうした高死亡者数でかつ有効な治療法がないまま、いとも簡単に、まともなヒトからヒトへの伝染が本当に起こってしまうとすると、その重大性は想像もできないほどである。世界的に流行し、蔓延さえ考えられるこうした新しい疾患に直面して、最初に行うべき仕事は、ヒトでの疾患の病因を研究することにある。我々のチームはH5N1感染死亡者の研究からこの難問に立ち向かった。

 我々はまず鳥インフルエンザ感染した2症例の死体解剖を行った。その内の1例は、すでに胎内に4ヶ月齢の胎児を持つ妊婦であった。これが今まで唯一の妊婦の症例である。SARSの研究で確立した技術を用いて、当チームは鳥インフルエンザ感染した死体解剖で得た組織サンプルの解析を行い、一連の重要な発見をした。

 SARSと同様に、研究チームは気管の上皮細胞を含む上気道管がH5N1ウイルスに感染していることを発見した。このことはウイルスが肺の深部細胞のみに感染するため、ヒトからヒトへの感染は困難であるという一般的な認識とは逆の結果となった。また、H5N1ウイルスの肺中の標的細胞はⅡ型上皮細胞、Tリンパ球、マクロファージ、好中球であることを同定した。In situ ハイブリダイゼーションの技法を用いて、H5N1ウイルスのDNA断片は肺の中に局在していることが判明した。興味深いのは肺の中のほんの数個の上皮細胞のみがウイルスを含んでいるに過ぎないのに、肺の病理症状は極めて広範に亘っている。このことは、組織損傷はウイルスの直接的な攻撃に起因するのではなく、むしろ免疫系の過剰反応に因るらしいことを示している。当チームは、さらにこうした患者の肺中のサイトカインの発現を調べた。その結果H5N1感染した肺は免疫応答障害を引き起こしたことを立証した。

 その他、H5N1ウイルスは脳神経細胞、脊髄、末梢神経にも感染し、感染は広範囲に及んでいることが分かった。チームは、脳のほとんどの神経細胞にウイルスのRNAやタンパク質を観察した。また、消化管、リンパ節、免疫細胞中にこのウイルスを発見している。そのため、鳥インフルエンザのヒト感染もまた全身の疾患であって、呼吸器官にのみ限定されている病気ではない。

 これらの研究結果が10月号の「The Lancet」で掲載された時、医学界および世界の注目を集めた。H5N1ウイルスが死亡した24歳の母親胎内の4ヶ月齢の胎児からも検出された。しかも胎児の血液の単球、肝臓のマクロファージ、肺の上皮細胞にもウイルスが発見されている。母親の肺の中で観察された感染細胞は数個しかなかったが、障害はすでに胎児にまで広がっていたことを示した。こうした観察から多くの結論につながるかもしれない。

 第一、ウイルスは母親から胎児に伝染することが証明された。4ヶ月齢の胎児は独立の遺伝型や表現型を持つ人間でありながら胎児が母親以外の環境からウイルスに感染した可能性はない。この事実は、疑いなくウイルスは人から人へ感染し得ることを意味している。この症例では、ウイルスは母親から胎児に感染し、ヒトからヒトへの伝染が立証された。
つぎに、母親と胎児のウイルス分布から分かったことは、H5N1の感染による病変は、ウイルスによる直接的な損傷よりもむしろ免疫系障害に誘起されたものであることである。胎児の免疫反応は不充分なので、侵入したウイルスに対する充分な免疫応答が備わっていると考えにくい。そのため、胎児の肺の損傷はごく僅かで済んだ。この結論はSARSの場合と全く異なっている。H5N1感染の犠牲者は大概が30歳以下の若年層であって、40歳以上はめったに感染しない事実を説明する理由の一つとなっている。
2人のH5N1感染犠牲者肺中のサイトカインやケモカインが研究された。結果は疾患の病理学メカニズム、いわゆる「サイトカイン攻撃」理論を支持するものであった。さらに、チームはH5N1ウイルスおよび通常の風邪ウイルスの受容体分布を調べた。そして、両方の受容体が気管の上皮細胞に存在し、組織サンプル中のH5N1ウイルス分布と一致することを発見した。したがって、これまで知られてない新たなウイルス受容体の相互作用によるメカニズムの存在が示唆された。

結論

 この研究ではヒトに感染するSARSと鳥インフルエンザ間の重要な類似性と相違性が明らかにされた。両疾患とも最初は呼吸器官経由で感染し、そして他の器官に広がって、ついには全身に広がる。ウイルス量が充分である場合、免疫細胞を含む一連の細胞に感染を引き起こす。ウイルスは、咳、体液、消化管排泄物を介して感染する。従って、このウイルスを扱う際には、予防的な手段を講ずる必要がある。
しかしながら、この両疾患間の違いはやはり注目に値する。とくに、この両疾患の免疫系は極めて重要な役割を果たしている。SARSの場合には、ほとんどが免疫細胞へのウイルス攻撃によって、結果として免疫不全を引き起こし、最終的に死に至る。一方、鳥インフルエンザにおいては、免疫系の過剰反応ないしは乱れ、またサイトカインの過剰発現が高死亡率の主たる原因となっている。

 これらの研究結果に関しは、英国のSCI雑誌にほぼ30報の研究論文を発表した。これによって、我々のチームはこれらの疾患の病理学と病因解明に指導的役割を果たした。その後北京大学および汕頭大学ではこうした新しい疾患についての更なる研究が進められている。


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