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新型インフルエンザに備えて-ベトナムでの鳥インフルエンザ(H5N1)への臨床的対応の経験から-

工藤 宏一郎 泉信有 高崎仁 秋山徹 新保卓郎 間辺利江(国立国際医療センター国際疾病センター・研究所) 2009年2月18日

工藤 宏一郎M.D.

工藤 宏一郎(くどう こういちろう):
国立国際医療センター国際疾病センター長

専門は、臨床呼吸器学、国際感染症、国際保健。東京大学医学部卒。東京大学医学部物理療法内科、マニトバ大学免疫学教室(カナダ)、国 立国際医療センター副院長などを経て、2004年10月より現職。日本呼吸器学会、日本アレルギー学会、日本内科学会、日本感染症学会、日本結核学会、日本肺癌学会など多数の医学学会の評議員、代 議員などを努めると共に、各医学学会の認定指導医として、医師の卒後教育にも尽力している。2004年SARSパンデミックの発生を受けて新興・再興感染症への臨床対応を確立すべく設立された、国 立国際医療センター・国際疾病センターの初代センター長となる。後、ベトナムにおける研究拠点を形成し、アジア感染症ネットワークを構築するなど、臨床活動と研究活動の統合を図り、アジア諸国の医師・研 究者と呼吸器感染症及び新興・再興感染症の共同研究や、アジアの国々の専門医育成や医療従事者への技術向上を目的とした人材の育成など、積極的に活動している。最近では、鳥 インフルエンザ(H5N1)や新型インフルエンザなどの新興感染症の臨床研究に取り組み、世界的な感染症対策に貢献すべく活動している。

はじめに

 WHOの報告によると、2003年から2009年2月現在まで、世界15の国々で407例のH5N1鳥インフルエンザが確認されている。うちベトナムはインドネシア、中国に次いで、1 08例という多くの症例数が確認されている。
我々は平成17年からベトナムに研究拠点を形成し、ベトナム・ハノイ市内の基幹病院及び省病院と共同で、ヒトH5N1への臨床対応というテーマで臨床研究活動を実施している。
我々の目的は本症を“普通の感染症”にすることであり、同時にパンデミックにも備えることである。
本稿では、ベトナムとの研究活動を通して、鳥インフルエンザ(H5N1)患者に実際に接した我々の臨床経験と我々の“普通の感染症”への取り組みを紹介する。

H5N1感染症の臨床像及び病態

 ヒトH5N1感染症は、その致死率の高さが示すように、通常型インフルエンザとは全く異なる。これまでの報告の多くから、大多数の症例の進行は急激で、ほぼ一週間で胸部X線上、肺 野全体が真白になってしまうほどのARDSを引き起こす(図1)。これは、二次性の細菌性肺炎でなく、H5N1ウイルス感染そのものに起因する肺炎である。重症例ではウイルス血症も見られ、同 時に激しいサイトカインストームを起こし、多臓器障害にも陥る。この意味では、全身の重篤な病態は全身炎症性反応(SIRS)であり、その分症の肺の病態としてARDSを呈するとも言える2, 3)。一 般にARDSの多くの組織像はDAD(Diffuse Alveoler Damage)と呼ばれるびまん性肺胞障害で、肺胞上皮と血管内皮細胞が障害され、臨床的には急速な重篤な呼吸不全を呈する。H 5N1重症肺炎の病態は、このような概念にあてはまる。ヒトH5N1の肺病理の報告は少ないが、一致することはDADを呈していることである。我々の得た数少ないベトナムでの肺標本からも、初 期に死亡した方の病理は、滲出性期のDAD、後期は激しい増殖期、繊維期の像を示す知見が得られている4)。肺に感染したH5N1ウイルスは、主に肺胞Ⅱ型上皮細胞に、他 に一部末梢細気管支上皮細胞に感染していることがわかった。これは2006年Natureに発表された新也、河岡らのインフルエンザウイルスに対するレセプターの解析5)と合致し、感 染する細胞は中枢側気管支上皮ではなく、肺胞、細気管支上皮細胞のようである。

 さて、H5N1感染例の死亡率の高さは、ウイルスの病原性が強いことに加えて、進行が急激であるにもかかわらず、発症してから治療が導入されるまでの平均的期間が一週間も経過していることにも起因する。我 々の研究チームが2004~2005年にかけて、ベトナム・ハノイ市内の国立感染症熱帯病研究所に入院した29例の臨床像を調査したところ表(表1)のような所見6)が得られ、こ れは2008年のインドネシアからの報告7)とも類似している。発症から入院までに経過している日数は平均6.9日であり、これは本症が一般的に急速に進行するものとすれば、やや時間が経ち過ぎているが、都 市部と農村部との経済的、社会的背景の相違や医療制度の遅れなどの事情を反映していると考えられる。つまり早期診断・早期治療が適応されていないことが重要な要因になっていると思われる。我々は、ベ トナムでこれらの症例を扱った医療機関で診療にかかわってきたが、実際の診療を通して、早期診断・早期治療の重要性について強く認識し、Comprehensive Therapy for Human H5( CT-H5)と名付けた包括的治療をベトナム側に提案するに至った。ベトナム側も賛同し、患者側に早期受診を促すことも含めた包括的治療として、共同研究を開始するに至った。

Comprehensive Therapy for Human H5 (CT-H5)

 CST-H5は大きく3つのStepに分類(図2)され、それぞれのStepは早期受診・早期診断・早期治療を促進することにある。それぞれのStepの内容を次に紹介する。

図2 Comprehensive Therapy for Human H5(H5N1に対する包括的治療)

1)ステップ1:①地方住民に対する教育・宣伝活動 ②早期受診の奨励

 ベトナムの地方では、地域住民の生活と家禽類は非常に密着している。田畑にはアヒルや鶏が放し飼いにされ、住民はそれらを自分で絞めて食べる。また集団飼育場も散在している。国やWHO、米 国CDCなどは教育プログラムやポスター等で禁止のキャンペーンをしているものの、病気や死んだ鳥との接触回避や昔からの習慣を拭うことは難しい。
我々のプロジェクトはこの習慣を変えることには触れず(既存のプロジェクトがある)、第一に死亡または病気の家禽との濃厚な接触があり、高熱、そして悪寒、頭痛や筋肉痛があった患者には、速 やかに受診することを促すポスター(図3)やリーフレットを作成して地域住民に配布したり、村の集会所やコミューン・ヘルス・センターに掲示している。また、住民を集めた教育キャンペーンも実施している。

2)ステップ2:①早期診断 ②早期治療(抗ウイルス薬の導入)③感染拡大防止

進行が急激なH5N1感染の患者に対して発症後の早期診断・早期治療は特に力を入れるべき事項である。

① 迅速診断

 ベトナムでは決まった施設でのみ施行されるPCRにてH5N1の確定診断がなされるが、省病院、それ以前のCommuneやDistrictレベルで発生した症例の診断を得るまでには、時 間を要しているのが現状である。CT-H5では、我々の研究グループが開発した免疫クロマトグラフ法によるH5迅速診断キット(後述)を使用し、迅速にH5陽性、陰性の検査を行う8)。こ の方法ではPCRの確定診断を待たずに、抗ウイルス薬を使用した早期治療を開始できる。

② 早期治療

 ヒトH5N1インフルエンザヒト感染に対する治療は、有用性が明確な方法は存在しない。WHOで推奨している方法は、薬物療法は、抗ウイルス剤として、オセルタミビルが第一選択薬で、通 常量150mg/日が標準療法であるが、倍量の治験も他の外国機関主導で続行中のようである。一方、現在日本では新しい抗ウイルス剤の開発が進行している。オ セルタミビルと同様の作用機序を持ち長時間持続型のCS-8958、ウイルスの増殖に関与する酵素「ポリメラーゼ」を阻害するT-705などである。我々のCT-H5プロジェクトでは、現在CT-H5 #1として、抗ウイルス剤として現行で有効と考えられているオセルタミビルを第一選択薬としている。有効性の高い前述の新規薬剤への期待も大きい中、今後、#2、# 3として新規の抗ウイルス薬を組み入れる事も検討したい。

③ 感染拡大防止

 我々のCT-H5では、省病院にて迅速診断キットで陽性と判断された場合は、速やかに基幹病院へと患者を移送することとなっている。感染を疑って診療、検査に入る際は、P PEの着用など感染拡大防止策をとるが、この迅速診断キットによる判定は防止策の継続についての判断に有用である。

3)ステップ3:①重症肺炎に対する集中治療 ②新規治療法

 本症の重症肺炎の病態病理の見地(びまん性肺胞障害‐DAD)からは、先ずウイルス量を抑える抗ウイルス薬と、ウイルス感染による生体側の炎症を抑制する抗炎症療法の併用療法が必要と想定する。前 者については先項で説明した。後者について、我々は現在、ポリミキシンB(PMX)カラム療法を含む血液浄化療法を始動させている9, 10)。PMXカラムは、患者の血液を体外循環させ、本 カラムを通過させることで血液中よりエンドトキシンを除去する治療で、エンドトキシンショックを伴う敗血症に対し1994年より本邦で保険適応となっている。この療法は、こ れまで敗血症性ARDSにおいて有用性が報告されており、その作用機序としてエンドトキシン以外の炎症性メディエーターや、炎症細胞の吸着除去なども推定されている。本療法を適応することで、ARDS( 組織像はDAD)を呈する他の疾患に対してと同様、鳥インフルエンザ肺炎においても致命的なDADへの進展を阻止することが期待できる。

H5 迅速診断キット

 最後に、先のStep2で述べた我々の研究グループが開発したH5迅速診断キット8)について少し触れたい。

図4 H5迅速診断キット

 ヒトインフルエンザの検査法には、ウイルスを分離する方法、抗体を測定する方法、ウイルスの遺伝子を検出する遺伝子診断法などがある。近年では、比較的迅速検査法も開発され、臨床応用されている。A 型でもあるH5N1の検出に、通常のヒトインフルエンザ迅速・簡便検査法を用いてみたものの、陽性とはならなかった。従ってWHOでは、H5N1ウイルス感染の確定診断には、現 在のところ遺伝子診断であるPCR法を推奨しているが、この方法では「遺伝子増幅」の作業が必要で、検査だけで6時間、特定の検査機関への検体輸送などに時間がかかる。我々の研究チームは、P CRでの確定診断を待つ間の迅速診断として、診断薬メーカーのミズホメディーと共同で、わずか15分でH5ウイルス診断ができるキットを開発した5)。原 理はウイルス抗原をクロマトグラフィー法で検出するものである。キットは手のひらサイズであり(図4)、第一に患者のベッドサイドで用いられることで、患者への早期治療を可能にする。ま た空港の検疫所などで簡便に使用出来る為、感染の拡大防止に有用だと思われる。本検査法の有用性・正確性は、ベトナム側の共同研究者らの協力を得て、2004~2007年の間に検出保存されていた検体( H5ウイルス)、及び2008年1月~2月に実際にH5N1疑いで入院した患者の臨床検体を用いて、患者のベッドサイドでその有用性を検証した。つまり特異性と正確性からの有用性を確認した。

図5 サンプル採取

 H5N1の重症肺炎例においては、肺胞、細気管支上皮へのウイルスの特異的感染が強く示唆されている。非浸襲的に下気道肺胞レベルからの検体(分泌物、痰etc.)を採取する方法として、高 張食塩水のネブライザーによるhume吸入法で細気管支、肺胞レベルからの誘発喀痰を採り、検体とすることにしている。最近、従 来の遺伝子検出用のRT-PCR法のコンパクト化されたものが承認されているようであるが、簡便にベッドサイドで使用し検査を行える、安価である、などという点では我々の開発したものに長所があると思われる。現 在のところ、この診断キットは残念ながら公式には未承認で、研究用としてベトナム等で使用している。今後、検証例を増やし、国内承認を受けるようにしたいと思っている。

おわりに-H5N1感染症研究と新型インフルエンザ対策

 現在の鳥インフルエンザ(H5N1)は、将来起こるであろう新型インフルエンザへの前哨戦と言われている。
今後、どのような型の新型インフルエンザのパンデミックが起こるかは、現在のところ予想は不可能である。しかしながら、それによって引き起こされる病態は、現在H5N1で起こっている重症肺炎( ARDS)と同様であると考えられる。歴史的に、ARDSに対する治療法が確立されていないばかりに、重症化した新しい型のインフルエンザに猛威を振るわれてしまった経緯も否めない。た とえウイルスの型は違っても、現在、中国やベトナム等で起こっているヒト鳥インフルエンザ(H5N1)への効果的臨床的治療の提供を可能とする制度の確立(CT-Human H5)と、A RDSへの有効的治療の確立によって、H5N1を“普通の感染症”つまり“治る感染症”にすることを目指す。我々の本試みが、将来の新型インフルエンザに対する臨床対応として大きく貢献出来るものと深く信じ、今 後も研究活動を続けていきたいと考える。

Reference

1) WHO:Cumulative Number of Confirmed Human Cases of Avian Influenza A/(H5N1) Reported to WHO.
http://www.who.int/csr/disease/avian_influenza/country/cases_table_2009_02_11/en/index.html
2) Abdel-Ghafar AN, Chotpitayasunondh T, Gao Z, et al.Update on avian influenza A(H5N1) virus infection in humans.N Engl J Med 2008;358:261-273
3) WHO: Clinical management of human infection with avian influenza A(H5N1) virus. http://www.who.int/csr/disease/avian_influenza/guidelines/clinicalmanage07/en/infex.html
4) Liem NT, Nakajima N, Phat LP, Sato Y, Thach HN, Hung PV, San LT, Katano H, Kumasawa T, Oka T, Kawachi S, Matsushita T, Sata T, Kudo K, Suzuki K: H5N1-infected cells in lung with diffuse alveolar damage in exudative phase from a fatal case in Vietnam. Jpn J Infect Dis 61: 157-160,2008
5) Shinya K, Ebina M, Shinya Y, Ono M, Kasai N, kawaoka Y: Influenza virus receptors in the human airway. Nature 440:435-436,2006
6) 厚生労働科学研究費補助金 新興・再興感染症研究事業「高病原性鳥インフルエンザの疫学臨床研究」(主任研究者:工藤宏一郎)平成19年度総括・分担研究報告書.2008.4
7) Kandun IN,Tresnaningsih E, Purba WH, et al:Factors associated with case fatality of human H5N1 virus infections in Indonisia : a case series. Lancet 2008;372:744-749
8) 高病原性鳥インフルエンザ感染者に対する迅速・簡便な検査法.科学技術動向 2008;87.
9) Crus DN, Perazella MA, Bellomo R, et al. Effetiveness of polymyxin B-immobilized fiber column in sepsis: a systematic review. Crit Care 2007;11:R47
10) Kushi H, Miki T, Okamoto K, et al. Early hemoperfusion with an immobilized polymyxin B fiber column eliminates humoral mediators and improves pulmonary oxygenation. Crit Care 2005; 9: R653-R661

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